第十七節 少女には光を

 ふと、思うことがあった。

 どうして今それを考えたのかと、問われれば答えは一つだろう。

 頭の中に、今までぽっかりと穴が開いていたような心の奥底に、僅かばかりの疼痛があったからだった。

 その痛みを、そこから発する小さな苛立ちを抑えるために躍起になって、一瞬は目の前の小さな命を奪うことを見逃してしまった。

 そして今も、その腕を振りかぶったまま、イグナシオは頭の片隅に浮かんだ疑問を振り払えないでいる。

 元より、戯れ。

 別段、この戦いに勝利を求めてはいない。

 欲しいのは結末だけ。否、それすらも必要としていない。何処かで誰かがその答えを出してしまったのだから。

 誰かに構ってほしかっただけだ。その目的は、もう達成されているのかも知れない。

 ただ、止まることはありえない。ここで再び平穏が訪れれば、あの疼きをまた味わうことになるかも知れないからだ。

 何もない荒野に立っていた。

 紅い月一つだけ。

 全ての生命が死に絶えてしまったのかと思えるほどに、無常な世界。

 誰もイグナシオを見てくれない。誰もイグナシオに声を掛けてくれない。

 言われるままに戦い、請われるままに殺してきたというのに、その報酬は何もなかった。

 聖女と言う肩書に何の価値もなく、その聖者の歩みの果てに会ったのは孤独と失望だった。

 どうして誰も、これが悪いことだと言ってくれなかったのだろう。

 誰もがそう在るべきと語っていた生き様の果てがこれだというのならば、それは間違っているのではないだろうか。

 生まれて初めて、イグナシオは父と母の言葉を疑った。

 言われるままに生きてきた己の生き様を、誤ったものだと感じてしまった。

 もう、間違えたくはない。

 誰かの言葉に従っても、そこに何の意味もなかったのだとしたら、自分の意志で歩み続けるしかないではないか。

 ――では、意志とは何か?

 それすらも判らない。だって、誰もそれを教えてくれることはなかったのだから。

 そんなものに興味を抱いたことはなかった。関心を寄せることもなかった。

 そのイグナシオの在り方に、誰も疑問を持つことはなかった。都合のいい道具であったから。

「……嗚呼」

 そうか。

 自分はもう、判っていたのだ。

 その時に生まれた感情が寂寥であり、怒りであり、悲しみだ。でも、それを言葉にすることができなかったばかりに、こんな道を歩むしかなかった。

 だって、それも誰もが教えてはくれなかったから。

 誰よりも不完全で、誰よりも歪んでいて、誰よりも狂っていた哀れな女に、それが間違っていると誰も語ってくれなかったのだから。

 ――では、彼女はどうであろうか。

 目の前の小さな生命を見る。

 懸命に剣を握り、イグナシオの振りかぶる竜の腕に備えている。

 傷ついたその身体は余りにも小さく、その護りは弱く、ただの一撃で身体ごと粉砕されてしまうことだろう。

 それでも彼女はそこから動かない。

 きっと、カナタをそこに繋ぎ止めているのは、多くの人と歩んできた旅路だった。

 様々な人と出会い、別れ、時には心を通わせて彼女はここに立っている。イグナシオがそれを奪って引き裂こうとしても、決して諦めることもなく。

 一度は同じ聖者として歩んだはずなのに。

 彼女はやりなおす機会を与えられて、自分にはそれがなかった。

 今更、それに対して怒りを抱くことはない。この人生がイグナシオにとって悪いものであったかどうかすらも、判断することはできないのだから。

 純白の聖女は破壊する。

 誰の願いも背負わないその器は空っぽで、本来ならばそこを満たすはずの自分すらなく。

 純白の少女は護り続ける。

 その小さな器を、自分とその仲間達で満たして、決してその場から逃げることはな、イグナシオに立ち向かう。

 もしかしたら、二人の歩んだ道はとてもよく似ていたのかも知れないと、そう思うのだとしたら、それはどちらの驕りになるだろうか。

 人の想いを背負い、背負いきることができなかった普通の少女と。

 壊れていた故に、全てを飲み込んで消し去ってしまった偽りの聖女。

 よく似ていて、それでも決定的に違う二人の最後の一撃が、交差しようとしていた。

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