第十四節 終末の狂気

「楽しいわ! 楽しいの! こんなに何もかもが楽しいのは生まれて初めて!」

 少女の背から伸びる光が、世界を薙ぎ払う。

 その輝きは地表を砕き、そのにある全ての生命に等しく死を与えた。

 そしてその後、虚界とも魔物とも呼べない肉の塊が、そこから立ち上がる。

 それらは黒いオブシディアンの鎧を纏い、所々に露出した肉は腐って、彼等が一歩進むたびにその身体の一部がぼろぼろと地面に落ちていく。

「素朴な疑問なんですけど、あのおチビちゃんって何なんです?」

 水の柱の上に足を乗せたまま、ラニーニャが隣で浮かぶアルスノヴァに質問する。

「……悪性のウァラゼル。その名の通りの悪性のセレスティアルよ、それは世界を喰らい、浸蝕して創りかえる」

「セレスティアルって……。あれはどう見ても……!」

 まるで虚界だ。

 あの異形が世界を喰らう姿とよく似ている。

 対する本人は、先程まで虚界の樹を操っていたとは思えないほどに、神々しさと禍々しさの入り混じった光を纏い、空に浮かんでいる。

「奴の力は虚界に浸蝕される前からああよ」

「明らかにおかしいじゃないですか!」

「そうかも知れないけど、紛れもなく神の御業を受けて御使いになったのよ。彼女は、虚界ではない」

「そうは言っても……!」

 光の帯が、二人が居た場所を薙ぎ払う。

 愉快そうに目を細めながら、ウァラゼルは肩を揺らして笑っている。

「みんな嫌いだったの! みんなウァラゼルのことを嫌いだって、目で言うんだもの! ウァラゼルは賢いから、判っていたのよ、全部、ぜーんぶ判っていたんだから!」

 光の刃を、圧縮した水の剣が打ち返す。

 一撃を弾いただけで、そのあまりの威力に身体中に痺れが伝わってきた。

 続くもう二撃目が、ラニーニャの足元に伸びる水の柱を切断する。

 その身体が落ちる前に、伸ばした水を蔓のように伸ばしてあちこちに聳えている水の柱に引っ掛けて難を逃れる。

「水月も、誰も彼もがウァラゼルのことを嫌いだった。ウァラゼルにはそれしかなかったのに、そうするしか人の役に立てなかったのに! 何がおかしいの? 死にたがっている人を殺して、生きていても苦しいだけの人を殺して何が悪いの? 沢山、沢山虚界を殺しても褒めてくれない、ウァラゼルのことを嫌う人が増えるだけ、ウァラゼルを理解してくれる人はお姉様だけなの!」

 まるで子供の癇癪だった。

 違いは、彼女が怒りのままに振るう力の一つ一つが容易く人の命を奪うほどの力があることだけ。

 虚界に浸蝕された影響だろうか、それとも力を振るっている高揚がそうさせるのか、ウァラゼルはまるで自分の感情を全て吐き出すように、荒々しく力を振るい続ける。

「とにかく、あれを倒すわよ!」

「それは判ってますけど!」

 紫色の光と水圧が互いに押しあう。

 力の出力はウァラゼルに圧倒的に分があった。すぐさま押されて、その障壁が打ち破られる。

 その隙を縫って、ラニーニャは水の柱を次々と飛び移り、ウァラゼルの背後を取って、上から下に飛びつくように斬りつける。

 しかし、それは彼女の背から羽のように生える幾重もの極光によって阻まれて、その身体には届かない。

「嗚呼」

 可憐な声が、その小さな唇から零れた。

 身体を回転させ、引っ掛けた水の剣ごとラニーニャを振り回して振りほどこうとする。

 ラニーニャはすぐに剣から手を離して成すがままにウァラゼルから距離を離し、聳える水の柱に自ら飛び込んだ。

 その中で水流を操作、渦を作って息を意を突け、そこから弾かれるように再度ウァラゼルに奇襲を仕掛ける。

 今度は、彼女は反応することはできなかった。

 正面から、流水の刃が叩きつける。

 殻が閉じるように、何枚もの光の羽が彼女を護るが、勢いを乗せた魔人の一撃は、細い絹のようなセレスティアルを纏めて切断する。

「楽しいわ! どんなお人形遊びよりも楽しいの! 誰もウァラゼルを倒すことなんてできなかった。みんな顔を背けて、ウァラゼルを怖がって逃げるだけ! でも貴方は違う、貴方達は違うのでしょう?」

「いい加減戦い通して疲れてるんで、少し休憩したいんですけどね!」

「駄目よ、駄目駄目! まだまだ遊んでくれないといけないわ! だってこれはウァラゼルが遊ぶだけではないもの。お姉様が初めて、ウァラゼルにお願いしてくれたことなのよ! だから、ウァラゼルはそれを叶えなければならない。お姉様にとって必要な妹にならないといけないんだから!」

 後ろに人の気配がする。

 こんな高度に来れる人間は限られている。思った通り、アルスノヴァだった。

 嫌な予感がする。

「加速を付けるわ。一気にぶち抜きなさい」

 重さが加わる。

 骨が砕けるのではないかと思うほどの重力に歯を食いしばって耐えて、この苦しみが終わった時に何を奢らせるかを考えて平常心を保つ。

 三枚目の翼を突破。

 慌てて目の前に滑り込んできた四枚目の羽にも罅が入る。

 そして何よりも、彼女自身がその重さに耐えられず、ラニーニャと一緒に荒野へとその身体が墜ちていった。

 小柄な人間二人が落下したとは思えないほどの轟音がして、周囲にクレーターが出来上がるほどの衝撃が走った。

「恨みますよ、アルスノヴァ!」

「あはっ、凄い!」

 地面から光の柱が伸びる。

 何本も何本も連なったそれは、ウァラゼルから発せられた神の極光。

 対するラニーニャも、そのまま落ちたわけではない。咄嗟のところで地面のあちこちに溢れだしている地下水を変化させ、クッションのようにして自分を受け止めさせていた。

 だから、立ち上がったのは二人同時だった。

 四方八方から迫りくる光の帯を避け、または水を操って受け止めながら真っ直ぐにウァラゼルに迫る。

「ウァラゼルは負けないわ! もっと遊ぶの! そして、最後はお姉様に褒めてもらうんだから!」

 それが心の底から楽しんでいるのではなく、自分に言い聞かせ、そして誰かに懇願するように聞こえたのはラニーニャの気の所為ではないだろう。

 まだ光の羽は再生が終わっていない。彼女を護る障壁はないも同然だが、その代わりにラニーニャに対しての全力攻撃に出るつもりのようだった。

 両手を広げて、極光を走らせる。

 無数に迫るそれらを潜り抜けることなど、到底できるわけがない。

 だが、ウァラゼルにはその圧倒的な力故に誤算があった。

 彼女はそれができるから一人で戦ってきたが、ラニーニャはそうではない。

 上空にはまだ、性格はともかく、実力は信頼できるであろう魔人がいる。

 黒い渦がレーザーのように発射される。

 あらゆるものを飲み込み削り取るそれが、ウァラゼルに迫る。

 咄嗟に、光の柱が防御姿勢を取った。

 何本もの極光に防がれ、光と闇が鬩ぎあう。

 見ているだけで視力を奪われそうな輝きが辺りを覆い、数秒間に渡る攻防の末に勝利したのはウァラゼルだった。

 闇が解けて、光によって打ち砕かれる。

 光すらも吸い込むと言われる暗黒は、彼女が放つ極光の前では話が違ったようだった。

 しかし、それでいい。

 ラニーニャにとっては、彼女は充分に仕事をしてくれた。

 ウァラゼルの顔が、地上を走るラニーニャへと向けられる。

 砕けた極光の欠片が身体に突き刺さっても、そんなことはお構いなしに、ラニーニャは前進を続けていた。

「……あはっ」

 ウァラゼルが笑う。

 その意味はラニーニャには理解できない。

 再度極光が生成されるのと、ラニーニャがウァラゼルの目の前に踏み込むのはほぼ同時だった。

 動かすのに生じた僅かな時間の差が、勝敗を分けたのだ。

 細い水の刃が、その肩から心臓を斬りつける。

 一歩、後退る。

 光の羽が再び生成されて、空へと逃れようとしていた。

 彼女が逃げの手を打つのは初めてのことだが、それをさせるほどこちらも甘い相手ではない。

 不可視の重圧が上から降り注ぐ。

 飛ぼうとしたその瞬間を妨害されて、ウァラゼルは態勢を崩す。

「だあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 叫び、横薙ぎに水の剣が振るわれる。

 その身体が胸から両断されて、地面に落ちた。

「……はぁ、はぁ」

 荒い息を吐いて、その場に崩れ落ちそうになるのを堪える。

 まだ、終わっていない。

 それが判っているから、上空から降りてきたアルスノヴァも警戒を解くことなく倒れたままのウァラゼルを見つめている。

 その身体が光の粒子となり、そのまま消えずに結合する。

 すぐに人の形を取り戻して、傷一つないままの姿でそこに立っていた。

「……それで、千年生きたお婆ちゃんの知恵袋は、この事態をどう分析します?」

「……やはり、境界が破壊され掛かっている以上、虚界の力により何度でも再生するみたいね」

「はぁ。そんな冷静に言えるってことは何か対抗手段とかは?」

「あるわけないでしょう。私達にできることは、被害を減らしながら時間を稼ぐことだけよ」

「……そんなことだろうと思いましたよ」

 改めて、両手に水の剣を構える。

 同じようにその横でアルスノヴァもギフトを使う姿勢を取る。

「……大丈夫よ。貴方の幸せそうな顔を見れたから、今度は一緒にいてあげるから」

 その呟きが何を意味しているのか、ラニーニャは判らない。

 少し考えれば判ることなのかも知れないが、それはやめておくことにした。

 何故か、アルスノヴァもそう望んでいるように思えたから。

 それきり何も言わず、二人は悪性のウァラゼルと対峙する。

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