第十二節 君と辿りつけた場所
「どうやら、世界の修復が始まったようですね」
何でもないことのように、イグナシオはそう言った。
白い世界、空に浮かぶ地面の上で彼女と対峙したまま、カナタは決して注意を逸らさないようにしながらその言葉を聞いている。
「ふふっ、心配しなくても、いきなり襲い掛かったりはしませんよ。ちょっと休憩して、お喋りでも楽しみましょう」
一度目のぶつかり合いを終えた二人は、今距離を取って対峙している。カナタの渾身の一撃はイグナシオをロクに傷つけることもできなかったが、同時に彼女の攻撃もカナタに致命傷を与えるには至っていない。
「……お喋りって……」
「簡単な確認が必要でしょう? お互いに、何をすれば勝利となるのか、とか?」
頬に手を当てて、優雅に微笑みながらイグナシオはそう言った。
「ヨハン様は今、折角わたくしが破壊した境界の修復を始めました。恐らくしばしの時間の後に、世界の修復は完了するでしょう。そうなれば虚界と繋がり力を保っている地上のウァラゼルは消滅し、世界も崩壊しません」
「だったら、ボクは待っていればいいってこと?」
彼女の言葉がどれだけ真実かは判らないが、反射的にカナタはそう質問していた。
「ところが、そう言う訳にも参りませんもので。わたくしはカナタさんを倒して、再び神の座へと至り、それ妨害することも可能です。ですがまぁ、確かに時間を稼いで修復を終えれば貴方達を勝利と言う形にはなるでしょうが」
イグナシオは両手をぽんと叩いて、更に言葉を続ける。
「その場合はわたくしはここでカナタさんを殺して、地上へ降りるとしましょう。その場合は残念ですが、勝負はわたくしの負けと言う形で」
口ではそう言うが、イグナシオが生きている限り何かをしでかさない保証はない。それこそ、地上に降りて自らの手で破壊を振りまくことだって不可能ではないだろう。
「……結局、ボクがここで倒すしかないってことね」
「はい。すぐ理解していただけで幸いです。ほら、お互い目的がはっきりしていた方が勝負に身が入ると言うものでしょう。こんな大舞台、次にいつ機会が巡ってくるとも限りませんし、できるだけ楽しみたいと思いまして」
「悪いけど、ボクは全然楽しくないよ。できればこのまま、何もしないで大人しく何処か行ってもらいたいんだけど」
「あらまぁ」
残念そうに、イグナシオの眉が下がった。
「ですが、わたくし少々我が儘に生きようと決めているものでして。申し訳ありませんが、無理矢理にでもお付き合いいただきましょう」
イグナシオの姿が、瞬時に目の前から消失した。
消えたその先を探す前に、目の前に銀色の髪が躍る。
奇襲を仕掛けて来ることは既に警戒していたから、即座に目の前に極光の盾を展開する。
骨の翼が広がり、その身体に似つかわしくないほどに巨大化した右手が固く握られる。
その一撃は、まるで巨大な金槌に殴られたかのようだった。
衝撃が極光の盾を貫き、光は砕けこそしなかったものの、カナタの身体は遥か遠くへと弾き飛ばされる。
追撃はまだ終わらない。
どうにか空中で受け身を取って着地すると、息を吐く間もなく、目の前にイグナシオが立っている。
セレスティアルを練って、剣へと変化させる。
迫る右腕を迎撃するが、竜の骨であるそれに傷を付けることは叶わずに、お互いの力が相殺される。
嫌な予感がして、一歩後退る。
イグナシオはそれを見越してか、更に一歩前進してきていた。
身体を回転させながらの左の裏拳が、カナタの胸を打った。
セレスティアルを纏わず、竜へと変化もしていない生身の拳。しかしそれは、驚異的な破壊力と共にカナタの小さな身体を吹き飛ばす。
息が止まる。
それでもどうにか地面に転がりながら、イグナシオの追撃を避けようとする。
手の中には極光の短剣を出現させ、それを放り投げて牽制。
イグナシオはそれらを右手で受けながら、全く痛みなど感じていないかのように距離を詰めてくる。
目の前に、竜の拳が迫る。
咄嗟に立ち上がると、カナタがそれまで倒れていた場所に拳がめり込み、穴を穿った。
あんなものが直撃したらただで済むわけがなかった。
加えて、相手はまだセレスティアルを使っていない。遊びのような段階で、既に圧倒されている。
あの時、イシュトナルで襲撃を受けた時よりもカナタは強くなったつもりだった。いや、遥かに強くなっている。
それでも、ここまでの戦力差があるものかと、額から冷や汗が垂れた。
「簡単に終わってしまってはつまらないものです。できれば、もう少しばかり無理をしていただけると助かるのですが」
「これでも割と本気なんだけど……。もうちょっと手加減とかしてくれない?」
「こちらもこれが最大限の譲歩でして。これ以上力を抜くと、わたくしが楽しくなくなってしまうものですから」
言葉通り、彼女は最初のぶつかり合い以降はその背に纏うセレスティアルを一切動かしていない。ただの飾りとして、揺らめかせているだけだった。
地面に付くほどに伸びた竜の腕が、イグナシオの足元を掬うように抉る。
下から放るように、削り取った床がカナタへと襲い掛かる。
「そんなの!」
目の前に迫る石の礫を、極光の壁で全て防ぎきる。
イグナシオがこんなことで終わるわけがない。カナタは即座に壁を剣へと持ち替えて、次なる一撃に備える。
先程よりも巨大な岩の塊が、上空からカナタに迫った。
上下に剣を振り下ろし、それを両断。
このまま防戦を続けられるものではない。極光の翼を広げて、カナタは飛翔する。
岩を飛ばしたままの姿勢で立っているイグナシオに、勢いを付けて斬りかかる。
あわよくば、相手が全力を出す前に一撃を浴びせる。そうすれば戦いを有利に運ぶことができる。
以前、イグナシオがイブキとラニーニャに追い詰められた時はそれが原因だったことを思い出しながら、振りかぶった剣を全力で振り下ろした。
「強くなりましたね、カナタさん」
「これでも……!」
空中でカナタが制止する。
向けられた右の拳は、完全にその一撃を受け止めていた。
どれだけ力を込めようと、その段階を突破することすらできない。圧倒的なまでの彼我の実力差。
例え遊んでいる段階で、これがまだ実力の半分ですらないとしても、これまで戦ってきた相手とは桁が違う。
竜の手が極光の剣を掴む。
光を解除することを忘れたカナタは、そのまま空中で振り回されて石床に叩きつけられる羽目になった。
「あぐっ」
「ですが、これでは余りにも……。期待外れと言うものです。なので、さっさと片付けてヨハン様のところに行くと致しましょう」
顔を上げる。
硬く握られた拳が、目の前に迫った。
この態勢から出はもう避けることはできない。せめてもの抵抗に展開したセレスティアルの障壁も、容易く突き破られた。
不可能だと判っていても、諦めはしない。
例えその意味がなかろうが、カナタは立ち上がってその場から後退しようとしたが、ふらつくその足取りではまともに距離を離すことすら難しい。
巨大な拳が、目の前に迫る。
それがカナタに直撃する刹那、目の前に突然魔方陣が出現した。
そこから放たれた幾重もの稲妻が、イグナシオの身体を打ち抜く。
それは致命傷にこそならなかったものの、カナタがその場から離れるだけの充分な隙を作ってくれた。
「今の……なに?」
まさかここに来て魔法の才能が開花したということもないだろう。
突然の怪現象に呆然としていると、次なる事態がカナタに襲い掛かる。
『何をぼうっとしているの? さっさと距離を取るか、反撃するかしなさい!』
頭の中に反響するような声。
いきなりすぎるその言葉だが、その少女にしては低く、聞いていると眠くなるような心地よい声には聞き覚えがある。
だから、すぐに指示に従うことができた。選んだのは反撃ではなく、状況を確認するための後退だったが。
イグナシオと距離を取って、見えない誰かに声を掛ける。
「アーデルハイト……?」
『ええ、そうよ。ほら、シャキッとして、ちゃんと相手を見なさい』
「う、うん……。でも、何で声だけ?」
『そう言う魔法よ。精神だけをここに飛ばしているの。魔法で援護はできるけど、距離が遠すぎるからちょっとだけ手間取ったわ』
「そんな便利な魔法があるんだ……」
『言うほど便利ではないわ。儀式レベルの施設が必要だし、こっち側の消耗が激しいし……。今はそんな話はいいでしょう!』
「は、はい!」
怒鳴られて、思わず敬語で返事をしてしまう。
その声を聞きながらも、視線はイグナシオへと合わせて、決して彼女の挙動を見逃さないように警戒する。
身体を雷で焼かれて、小さな煙を上げながら、当のイグナシオは愉快そうに頬を緩めている。
そうして、いつものように両掌をぱんと合わせた。
「これはこれは、アーデルハイトさん。わざわざこんなところまで、お友達想いですね。とても、心が温かくなってしまいます」
視線を凝らせば、カナタの傍に寄りそうように薄っすらとアーデルハイトの姿が透けている。それを見ながら、イグナシオは話していた。
『借りを返しに来たのよ。貴方に魂をいじくられたおかげで、大変な目にあったからね』
「まぁ、そんなことを覚えていただけるとは、光栄ですね。アルスノヴァに対してのほんの嫌がらせのつもりでしたのに」
『……嫌がらせって……。いったい何の目的があったのか、それを問いただす意味もあったのに、そんな理由だというの?』
「ええ、はい。あの時点では特にこれと言った目的もなかったものですので。せめて千年前の、神話に連なる人達に対してわたくしの存在を刻みつけられればいいかな、と」
『目的もなく、あんなことができるの、貴方は?』
「それはもう! 虫を潰すような程度のことですから。子供の戯れのようなもの、とお思いください」
『……相当イカれてるわ、貴方』
光の槍が生み出されて、イグナシオに向けて飛翔する。
竜の拳でそれを握り潰そうと伸ばしたが、それらは左右に分かれてそれを回避し、その腕に次々と突き刺さっては破裂する。
「アーデルハイトが熱くなってどうするの!」
『だってムカつくんだもの! それより、貴方も戦いなさい! 援護してあげるから!』
「わ、判ったけど……!」
極光の剣を構えて、駆け出そうとする。
『待ちなさい!』
「わ、なに?」
そこに、アーデルハイトからの静止が入った。
『貴方ね、正面からあいつとやりあって勝てると思う? もう少し頭を使って』
「頭を……?」
『距離を取ってまずは攪乱よ。貴方の着ているそのローブには、ありったけの道具が詰め込まれているんだから、有効に使って』
「……うん」
『今、口煩いって思ったでしょう?』
「……ちょっとだけ」
『……来るわよ』
その件に関して、これ以上何かを言うつもりはないらしい。アーデルハイトの号令に反応して、イグナシオの攻撃に備える。
『まずはダガー! 三本ほど投げる!』
「当てられないよ!」
『当てなくてもいいから!』
言われた通りに、懐から短剣を取り出して放り投げる。
咄嗟のことでそれはイグナシオからは狙いを外れていたが、そのうちの二本は空中で急に向きを変えると、彼女の心臓に向けてその切っ先を滑らせた。
「これは面妖な」
イグナシオが右腕の一振りでそれを薙ぎ払うが、例え弾き飛ばされてもまた軌道を変えて彼女に襲い掛かった。
『次、爆薬!』
「うん!」
それらに苦戦するイグナシオに向けて、ローブから取り出した小さい円柱状の爆弾を放り投げた。
そこに込められた魔法は、アーデルハイトが遠隔操作で起爆させ、辺りに強烈な爆炎を撒き散らす。
煙で視界を塞がれるなか、カナタは攻勢をかけるためにイグナシオの姿を捉えて直進する。
煙の中、彼女はほぼ無傷だった。やはり、あの程度の道具でまともな攻撃を通せる相手ではない。
光の剣と竜の腕が交差する。
お互いの武器が弾かれあった隙に、イグナシオの左腕が伸びた。
「幾ら道具を使おうと無駄なこと。質問ですが、その玩具の数々に、カナタさんのセレスティアルを超える威力のものがどれほどあると言うのでしょうか?」
イグナシオの指摘は正しい。例えどれほど道具を駆使したとしても、直接的な攻撃力でカナタやアーデルハイトを超えることは難しい。
とは言え、勿論アーデルハイトもそれが判らないほど馬鹿ではないし、カナタは彼女がその程度の判断もできないとは思っていない。全て信用して、行動を決めている。
掌底が、カナタの腹を打つ。
ローブの防御力を貫通する威力の一撃は、アーデルハイトが予め掛けていてくれた防御魔法によってなんとか致命傷を避けた。
「あら。では、これならどうです?」
僅かに揺らいだ隙に、右腕が動く。
背中の羽を広げて、上から叩き潰すような一撃がカナタに襲い掛かった。
だが、カナタは退かない。防御の姿勢を取ることもない。
『テレポート!』
カナタの姿がその場から消える。
イグナシオの右腕が空を切り、石床を叩き潰して地面に大きな罅を入れた。
放り投げたダガーは三本。相手を追尾するものは、そのうちの二本。
残りの一本は、転移魔法を使うための位置指定をする道具に過ぎない。
そしてその位置、カナタが出現する場所は、イグナシオの背後。
「二段構えと言う訳ですか? 相談もせずに、見事なものです」
言葉は交わさずとも、お互いの行動がなんとなく予想できる。話し半分程度しか聞いていなかったとはいえ、アーデルハイトの魔法の話は何度か聞かされているのだ。
イグナシオが振り返り、カナタが極光の剣を振り下ろす。
流石の彼女も反応が遅れたのか、すぐさま攻勢に出ると言うわけには行かなかった。
極光の剣が、右腕に食い込む。
腐り落ちても竜の腕、やはり一撃で切断するには至らない。
咄嗟に剣を解除、姿勢を低くしてイグナシオの懐に潜り込む。
彼女がすぐに反応できない胸元で、突き出した両腕の中に再度極光の剣を出現させた。
イグナシオの胸に、光の剣が突き刺さる。
赤い血がそこから溢れて、カナタの顔へと降りかかった。
それでも、そこまでしても彼女は余裕の笑みを浮かべたまま。
上からわし掴むようにカナタの頭部を抑え、無理矢理地面に叩きつけようとする。
その瞬間、彼女は確実に防御を解いた。
懐に飛び込んできた獲物を仕留めようと、攻勢に出ていた。それこそが、アーデルハイトが欲しがっていた隙でもある。
『詠唱はもう終わっているわよ、イグナシオ』
魔方陣が、二人の間に出現する。
カナタは全力で光の盾を展開し、余波から自分自身を護る。
『ディヴァイン・パージ!』
真っ直ぐな光の奔流が、超至近距離からイグナシオを巻き込み、空の彼方まで伸びていった。
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