第十四節 終焉の再臨
この世界は最高だった。
大勢殺せる、大勢殺した。
誰もが彼を憎んだ。憎まれることすらも楽しかった。
自分は狂人であると自覚して、理解した。
同じようにここに来たエトランゼはどいつもこいつも辛気臭い。元の世界への帰還? そんなことはどうでもいい。
殺して、壊して、何もかもが消えてしまえばいい。
それができる世界なのだ。
元の世界ではできなかった。あのくだらない場所で老人になるまで生きるのかと思うと、反吐が出る。そのつまらなさに自ら命を断とうと思ったことすらもある。
だが、導かれた。
この世界に呼び出された。
存分に狂気を発散することができる場所だ。それが人々から弾かれることなく、心の奥底でゆっくりと育てることができる世界だ。
その狂気を内包したまま、テオフィルと言う男は生き続けた。大量の返り血を栄養にして、狂気は心に根を張り、着実に育ち続けていた。
何か原因があったわけではない。
ただ、破壊にこそ喜びを見出した。死と滅びこそが、人間の最終的な行く末だと理解していたから、それに近付いていくことに何ら躊躇いはなかった。
生まれつき、彼は狂っていた。
だから、彼女と出会ったことは必然であったのかも知れない。
一度は眷属として蘇らせられたのに、ろくに仕事も与えられないままに先走って死なれた時は呆れたものだ。
だが、そこからが始まりだった。
彼女はテオフィルに最大の仕事を残していた。
彼女の妹がそうであったように、死に際に自らを一本の剣へと封印していた。
彼女自身の肉体の損壊があったことにより、それが目覚めるのはもうずっと先のことになるはずだった。
たった一つの例外を除けば。
強大な力、純魔力をその身に秘めたものを貫く。
そうすれば彼女はその魂までも喰らい尽くし、再び再臨することだろう。
それができるかどうかは、賭けだった。御使いがそう簡単に隙を見せてくれるとは到底思えない。
そしてテオフィル自身もまた、ヴェスターによって谷底に落とされて死にかけていた。
実際、その時はもう諦めたものだ。
これ以上の破壊を自らの手で行うことができないことに失望しながら、死を待つばかりだった。
そこに、幽玄のイリスが現れるまでは。
彼女はテオフィルの内包する狂気に興味を持っていた。その傷を治し自らの部下にしようとしていたのだが、それは断った。
その代わりに、交渉をした。もっと楽しいことにしてやるから、自分を生かしてオーゼムまで運んでほしいと。
訝しみながらも、イリスはそれを了承した。大した期待もしていなかったようだが、死にかけの人間が足掻く姿が面白かったのだろう。
どうやら当の本人はもう消滅したようだが、今の状況を見ればどう反応しただろうか。
決して退屈はしないだろう。
テオフィル自身も、それに確かな手ごたえを感じていた。
黎明のリーヴラの心臓を貫く、一本の剣。
その名を叫ぶ。自らの主となった女の名を。
「起きろ、魂魄のイグナシオ! てめぇの望みを叶えたぞ! だから、今度は俺の願いを叶えろ、御使い! この世界をぶっ壊せ! もっと壊して、殺して、ここを狂った場所にしてくれ! 最高に愉しい世界を俺に見せてくれ!」
彼女と出会った時、確かに感じたのだ。
この気持ちを初恋と呼ぶのであれば、それを否定することなどできはしないほどに惹かれていた。
彼女は誰よりも強く、
誰よりも壊して、
誰よりも狂っている。
その純粋な狂気に見せられた。そのためなら命を賭けてもいいとすら思えた。
これから起こるであろう、最高の大破壊に胸が躍る。
惜しむらくは、テオフィル自身がそれを見ることができないということだろうか。
弾丸が、心臓を撃ち抜いている。
リーヴラから距離が離れた隙を突いて、ヨハンの持つ拳銃がそれを放っていた。
今度こそ、お終いだ。
もう助かる理由はない。ここまで生きていたことが奇跡のようなものなのだから。
だが、後悔はない。
最早、未練もない。
薄れゆく意識と視界の中、テオフィルには確かに見えていた。
いつしか彼と契約した、その女の姿が。
修道女が着るような黒いヴェールの付いた服。
そこから零れる、波打つ銀色の髪は見る者の心を震わせるほどに美しい。
余りにも整ったその容姿は、それを見て女神と形容する者もいるだろう。
だが、その内心は正常ではない。
だから、相応しい。
テオフィルが命を賭けて蘇らせるに足る逸材だ。
その想いは武器を通して伝わって来ていた。
彼女は、今度こそ全てを壊してしまうだろう。
ほんの小さな気まぐれで、例えば夕飯の献立を決めるような気軽さで。
彼女は、そう決断していたのだから。
▽
テオフィルの身体が仰向けに倒れる。
その心臓には銃弾が撃ち込まれており、もう助かるはずもない。
だと言うのに、彼はその顔に楽しげな表情を浮かべていた。
握ったままの剣が、リーヴラの胸からするりと抜けていく。
脱力したその手から零れた白銀の剣が、眩い光を放った。
そして。
その場の誰もが息を呑む。
激しい輝きの中、一つの影がゆっくりと立ち上がって行く。
閃光はすぐに消え、その姿が露わとなる。
ゆらりと陽炎のように立ったのは、女だった。
修道服を着た、波打つ銀色の髪の女。
その容姿はまるで女神と評されるほど。
だが、その場の誰もが感嘆の声を上げることなどはなかった。
「嗚呼」
形の良い唇が音を奏でる。
それすらも、何も事情を知らなければ周囲を魅了してしまうほどに蠱惑的だった。
「どうやら、わたくしは賭けに勝てたようです。成程、以前は微塵も興味を抱くことはできませんでしたが、この勝利の余韻と言うのは心地よいものです」
世間話をするような気軽さで、彼女はそう言った。
そして、紫色の瞳がその場の全員を見渡す。
それから頭を小さく下げて、修道服のスカートの裾を握って軽く腰を折る。
「この再会に、神の祝福を。大半の方はお久しぶりです。魂魄のイグナシオでございます」
「そんな……馬鹿な! お前は死んだはずだ! イブキがお前を……!」
拳銃を構えたまま、思わずヨハンはそう叫んでいた。
それに対してイグナシオは、恍惚とした表情を浮かべて答える。
「ええ、はい。イブキさんと、それからそこのリーヴラの策略により、わたくしは一度は倒れました。そんながっかりした顔をしないでくださいませ。イブキさんは間違いなく、わたくしを一度は消滅させようと言うところまで至ったのですよ」
「ならば何故、蘇った?」
「それはですね……。結論から先に言うとするならば、奇跡と言えばいいでしょうか」
細長い指を伸ばし、頬に当てる。
「話せば長くなりますけれど、お茶の用意とかはありませんか? ああ、いえ、決して催促しているわけではなく」
照れくさそうにはにかむ。
その仕草だけを見れば害のない美女そのものだが、彼女の本性を知っているその場の誰もが一切気を抜くことはない。
「まず第一。リーヴラがあの時、虚界の王の肉体を操ってわたくしを攻撃した。それが失策だったと言えるでしょう。元より虚界の性質は浸蝕。全力でお互いに純魔力を発しているところに巻き込まれた虚界の王の肉体は砕け、溶解されるようにしてわたくしの身体に染み込みました」
「虚界の王を取り込んだというの?」
「さあ、どうなのでしょう? 恐らく本質的なことを言えば、わたくしが虚界の王に取り込まれたと言う方が正しいかと。ですが、彼自身はほら、そちらのカナタさんによって消滅させられていたのでこのように」
アルスノヴァの質問に答えて、なおもイグナシオは言葉を続けていく。
「そしてもう一つ。そこまでのことが起きても、わたくしが生き残る可能性は万に一つでした。ですが、折角なのでそんな小さな希望に縋ってみることにしたのです。わたくしは自らを聖別武器と変えて封印し、アルケーと化していたテオフィルさんを呼びつけて所持させました。当初の予定では復活できる目途もなく、千年単位での退屈を覚悟していたのですが」
その視線がリーヴラとテオフィルを交互に見やる。
「リーヴラが事を失敗し、何よりもテオフィルさんが予想外の執念でわたくしのために尽くしていただけたおかげで、こうして蘇ったということです。その理由は全く理解できませんが」
そう言って、仰向けに倒れたままのテオフィルを冷たく一瞥した。
「労いの言葉もなしか? 貴様のために尽くしたのだろう?」
「いいえ。労いはこれからです。彼が望んだこととわたくしがこれからやろうとしていることは一致しているようですので、それを成すことが最高のご褒美となるでしょう」
それから、イグナシオは再び一同に向き直る。
「折角ですから、ついでのお話しもお聞きくださいな。わたくしが虚界の王と溶け合った際に、その傍にいて一緒に巻き込まれた方もいました。彼女に根付いたギフト、その魂の一部を少しつまみ食い致しまして」
「……それは!」
イグナシオが右腕を振るうと、皮膚が裂け、指の形がまるで鉤爪のように変化していく。
その肩からは翼が生え、その存在を大きく主張する。
それは紛れもなく竜の力。彼女が持っていたギフトの力だ。
しかし、その爪には腐り落ちたような肉がこびり付いているだけで鱗もなく、また翼も同じように片翼で、骨格だけが広がっているようだった。
まるで、それは朽ちた竜の死体だ。
それが彼女のギフト、その魂の成れの果て。
「このように。少しばかりお力を頂戴いたしました。加えて切り取った魂をここに宿しているのですが、なかなかに心地よく胸の奥で叫びをあげていますよ」
その一言で限界だった。
元より、こいつが生きている時点で正常でいられるわけもない。
人を玩び、信念もなく、ただ自らの戯れのために壊し殺す。
悪鬼にも等しいそれを、生かしておく理由はない。
ヨハンの手に生み出された火球が、イグナシオを撃つ。
それは着弾すると同時に縦に燃え広がり、炎の柱をその場に形作る。
動いたのはヨハンだけではない。
アルスノヴァの重力の渦、アーデルハイトのディヴァイン・パージ。
ベルセルラーデの生み出した鋼の巨人もまた、それらに巻き込まれながらも手に握ったオブシディアンの大剣を振り下ろす。
「くすっ」
女が笑う。
児戯を見て、その微笑ましさに思わず零れてしまったかのように。
それは間違っていない。
竜の腕の一振りで、鋼の巨人は胴体から二つに割けて倒れた。
翼が生み出すセレスティアルを伴った風が、ヨハンの炎とアーデルハイトの魔法を纏めて吹き飛ばす。
そして、アルスノヴァの重力波すらも、もう片方の腕で生み出したセレスティアルが全て弾いて、彼女にまともな攻撃を与えるには至らなかった。
「そんなに焦らないでくださいませ。そう、わたくし退屈でしたので、色々と余興を考えていたのです」
ポンと、両掌を合わせる。
その視線は、倒れたままのリーヴラへと注がれていた。
「リーヴラがその身に集めた力、聖別武器イグナシオを通じて全て頂きました。ええ、やはりエリクシルを用いて虚界を操ろうとしただけのことはあって、色々と施されていたようですね。まずは」
イグナシオが片腕を掲げる。
次の瞬間、悪夢がその場に舞い降りた。
散ったはずの虚界が、まるで染みだすように現れて、あの樹の形を再び形作っていく。
「虚界の樹!」
「そんな……! 例えリーヴラの力を奪ったとしての、貴方にそれだけの力が!」
「アルスノヴァ、先程説明しましたよ。わたくしの中には、あの虚界の王の力も交じっているのです。そこにリーヴラの中に残っていたエリクシルの力を加えれば、この程度のことは容易いでしょう?」
空間が歪み、千切れていく。
稲妻のような光が空に何本も走り、現れた虚界の樹はその肉体を蠢かせ、完全に先程と同じように顕現していた。
「……あら、まだ少し力が余っていますね。別段、わたくしのものにしてしまってもいいのでしょうけれど、余り過剰に強くあっても面白くありません。……差し当たって、使い道と言えば」
肉の残った左手を、空に向ける。
彼女の手が指し示す先に、黄金の光の粒子が集まり、人の形へと変化していく。
現れたのは、イグナシオと同じ銀色の髪に、紫色の瞳。
黒色のドレスを纏う、幼い少女の姿があった。
「……冗談でしょう?」
冷や汗を流して、アルスノヴァが思わずそう言った。
誰より神話の知識を知る彼女だからこそ、今目の前に起こっていることがどれだけありえないか理解してしまったのだろう。
勿論、彼女でなくても一気に現状が最悪になったことはよく判っていた。
悪性のウァラゼル。
全ての引き金となった、御使いの少女。彼女はたった一人で、この大陸に災害をもたらせるだけの力を持っている。
「お姉様!」
ウァラゼルはヨハン達に興味などないように、まずはイグナシオの腰の辺りに抱きついた。
「お姉様! お久しぶり! ウァラゼル、ずっとお姉様に会いたかったの! 水月の意地悪がウァラゼルをあの剣の中に封印してから、ずっとずっと! お姉様は今何をしているの? 楽しいこと? ウァラゼルも混ぜて! 一緒に遊びましょう! ウァラゼル、お姉様のためならなんだってするから!」
「ウァラゼル。あれの制御を貴方に預けます。目的地は……そうですね、差し当たってはオル・フェーズなどがよろしいでしょうか」
「うん、判った! あれを操ってオル・フェーズに行けばいいのね? 途中にいる人間達はどうする?」
「ウァラゼルはどうしたいですか?」
「えっとねぇ……。多分、殺してあげた方がいいと思う。お人形遊びもしたいけれど、沢山あっても邪魔なだけだし、お人形さんいっぱいじゃ、一人一人に構ってあげられないもの!」
「なら、そのように」
「はい、お姉様!」
勢いよく返事をして、肉の塊にウァラゼルが突っ込んでいく。
虚界の樹はその身体を開いて、体内に彼女を受け入れる。
ウァラゼルが内部に入り込むと、虚界の樹は足元の触手を何本も動かして、地を這うようにイシュトナル、そしてオル・フェーズのある方向へと進撃を開始した。
イグナシオはウァラゼルを一瞥だけすると、再びヨハン達に視線を移す。
「では、余興の準備はこれで終了といたしましょう。あまり長々とお喋りをしていても、嫌われてしまいますから。ウァラゼルも何かと問題の多い愚妹ですが、貴方達を楽しませるのには充分でしょう」
「世界を破滅させるつもりか!」
「ええ、はい。一応はそのつもりですね。最初から目的とやるべきことを言ってしまうのも、少し味気ないものです。ですから、後は貴方達に自身に見つけていただくことに致しましょう」
「待て!」
イグナシオの身体が浮かび上がり、そのまま消失する。
そして虚界の樹の中にもぐりこんだウァラゼルもまた、ヨハン達のことなど眼中にないかのように一直線にオル・フェーズがある方向に向けて突き進んでいた。
偶然が重なり、それは奇跡と呼んでいい確率の出来事だろう。
本来ならばありえないことが起きてしまった。彼女はあの場所で、あのまま朽ちていくはずだったのに。
起きてしまったことを嘆いても仕方がない。例え確率がどれだけ低くても、僅かでも可能性がある限り起こりうるものなのだから。
だが、その場の誰もが思っていることがある。
その数千、数万分の一の奇跡。
それによって、この世界は終わるのだと。
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