第十三節 救いの終わり
「何故……?」
驚愕に震えるリーヴラの声。
赤い光の拘束は解け、蒼碧の光を纏うカナタが、そこには立っていた。
ゆっくりと、目を開く。
どれだけの間、闇の中にいたのだろうか。永遠だったようにも、一瞬のようにも感じられる。
「カナタ、無事か!」
傍に、ヨハンの姿がある。そこに寄りそうように浮かぶ、アーデルハイトも。
カナタは強く頷き返して、リーヴラの赤い瞳を見た。
あの闇の中で、彼が背負っているものも見た。
「ヨハンさん……。ここはボクに」
ずっと握ったままだった剣を離す。
極光の剣が、光の粒子に溶けて空に落ちていく。
もうそんなものは要らない。
かつての自分の深い悲しみを見た。
もし、目の前の彼がそれと同じだけのものを心の中に秘めているのだとしたら、それを剣で解決するのは間違っている。
相手を倒せば全ては終わるのかも知れない。でも、カナタはそんなのは『嫌』だった。
悲しみにくれた人を、武器で攻撃することなんて、それは間違っている。もし、以前はそうするしかないことがあったとしても、今は違う。
そうではない解決を。
『貴方は……まだ……!』
「ボクは苦しくないよ、少なくとも今は」
『そんなはずはありません。多くの別れがあったでしょう? 沢山の死別が貴方の心を苦しめた。私と共に来れば、そんな世界はなくなるのです!』
護れなかった少年がいた。
海に眠る偉大な海賊がいた。
前へ進めと言ってくれた、王女に仕えた貴族がいた。
ただ息子のことを想い、その心を偽って全てを巻き込んだ母がいた。
今は言葉を失ってしまった一本の樹がいた。
「別れは確かに苦しいし、悲しいものだけど……。でも、貴方の言う通りにしたら、その出会いもなくなっちゃう」
彼等と別れて悲しかった。
敵対することになって、心が痛んだ。
勿論、そんな痛みや苦しみはない方がいいに決まっている。
でも、だからと言って多くの人との出会いを否定していい理由にはならない。
「黎明のリーヴラ……さん。ボク達のことを想ってくれたんだね。ずっとずっと、長い時間の間、救おうとしてくれてたんだよね?」
『わ、たしは……!』
彼とてそれに違いはない。
カナタとヨハン、二人の姿を見たからこうまでのことを考えた。
それが結果的に幸福だったか不幸だったのかは判らない。しでかしたことは決して許されることではないのだろう。
それでも、掛けてあげなければならない言葉がある。
彼女と出会った上で、カナタの中にある言葉を言わなければならない。
両手を伸ばし、その頬に触れる。
赤い瞳の御使いは、怯えるようにカナタを見つめていた。
「もう、大丈夫だよ。ボク達はこの世界で生きていくから、エトランゼも、この世界の人も一緒に。時には間違うこともあるかも知れないけど、そこは長い目で見て信じてほしいな」
『……そんな、言葉で……!』
言葉だけではない。
カナタは今、黎明のリーヴラに触れている。
そこから流れ込む温もりは、何よりも強く彼の心へと響き渡る。
『エ、エイス様!』
苦し紛れの叫びがオーゼムの空に響いた。
彼は恐ろしかった。ずっと凍り付いていた心が、溶かされてしまうことが。
そして、その恐怖を知っていた。
人の心がどれだけの力を生むかを、あの時オルタリアで、マクシーネの我が子を想う気持ちを目の前にして知ってしまっていた。
「黎明のリーヴラ」
ヨハンの声が、その場に重々しく響く。
その最初の一言はまるでいつもの彼ではなく、本当の神様の声のようだった。
不安になりかけたカナタだったが、すぐに次に彼が発した一声で、それが杞憂だったことを知る。
「俺達はこの世界で生き続ける。お前の深い悲しみも背負って行くつもりだ。だから、人の未来を閉ざさないでくれ。俺達は、この世界で歩み続けたいんだ」
『エイス……様……?』
「……俺の名はヨハンだ。多分、その名の男はもういない。だから、お前が何かに悲しんで復讐する理由なんて、もう何処にもないんだ。記憶を失った俺や、生まれ変わったカナタがそうしたように、お前も前を見て歩んでほしい」
その一言が、決定的だった。
カナタの手を離れて、リーヴラの身体が離れて行く。
その目が閉じられ、赤い瞳が再び瞼の奥へと消えていった。
『私は』
結合が解ける。
虚界の樹が、分解し溶けるように消えていく。
瞬く間にそれは崩壊し、まるで最初から何もなかったかのように消滅していった。
そして、その中心にあった黎明のリーヴラは静かに地上へと落ちていく。
それを見たカナタ達もまた、彼の降り立った場所へと向かって行った。
▽
瓦礫と化したバルハレイアの王城、その入り口付近。
戦いの傷跡は深く、本来ならば城を護るために建てられた巨大な門は、見る影もないほどに破壊され尽くしていた。
その残骸のすぐ傍で、既に戦う気力をなくした黎明のリーヴラを取り囲むように、ヨハン達はその場に集まっていた。
風が吹き、砂礫が巻き上がる大地に立ったリーヴラはその場にいる全員に告げる。
「私は、今自らの敗北を宣言します。……この身の処遇は、この大地に生きる人々に」
「処遇、と言われてもな」
困った顔でそう言ったのは、ベルセルラーデだった。
国を荒らされ、最も被害を被った張本人だが、その規模の大きさにすぐに対応を決めかねている様子でもあった。
「罪の重さを考えれば処刑が妥当ね」
腕を組んだアルスノヴァがそう告げる。
それを聞いてもリーヴラに反論はない。もしそれが人々の総意ならば、大人しく受け入れる覚悟はできているのだろう。
何か言いたげなカナタを、ヨハンは視線で制する。
彼女の活躍でリーヴラは己の行いを悔いて、改めようとしている。しかし、それと今回失われたものの大きさの話は全く別だった。
生きて償えるのならばそれに越したことはないが、そうでない場合もあると言うことだ。一度牙を剥いた力を放置しておくことほど恐ろしいこともない。
かつてのカナタとは違い、彼は明確にこの世界に生きる人々に対して大きな損害を与えているのだから。
とは言えそれもまた、この場の者達だけで決めていいことではないだろう。ヨハンは一先ず助け舟を出す。
「まずはゲオルク陛下と話し合いをする必要があるだろうな。オルタリアとバルハレイア両国の戦後処理が終わって、この男の処遇はそれからでいいだろう」
「……貴様の首をこの場で刎ねられないこと、余としては不服ではある。だが、このヨハンの言葉には一理ある」
何か言いたげではあるが、取り敢えずベルセルラーデはそれで納得したようだった。
念のため、彼が鋼の杖を操って、リーヴラの両腕を後ろ手に拘束していく。
「リーヴラ」
「エイス……。いえ、ヨハン様。もし、許されるのでしたら、私は償いをしようと思います。勿論、人々が私の死を望むのならばそれに抵抗するようなこともありません」
「……そうだな。それは俺の一存ではどうしようもない。だが、もし御使いが生きてその力を人々のために使うのならば、それは大きな助けになるだろう」
この大陸における二つの国。
オルタリアとバルハレイアは今、前代未聞の事態を乗り越えた。
その傷跡は余りにも深く、両国が元の形に復刻するには大きな時間と労力が必要になるだろう。
「でも、これで一段落と言うことでいいのよね?」
確認するように、ヨハンの後ろでアーデルハイトがそう尋ねる。
「一応はね。見たところ虚界が生み出した怪物も消えたようだし……。雷霆も幽玄も消滅したみたいね」
アルスノヴァがそう答える。
辺りを見ても、戦いの音は聞こえてこない。もし二人の御使いが生きていたのなら、この事態に何らかの行動を起こしているはずだった。
「リーヴラさん」
カナタが真っ直ぐに、リーヴラの顔を見る。
「できればボクは貴方に生きてほしい。ボク達の事を想ってくれたその気持ちで、もっと大勢の人を助けてほしい」
それが叶わない願いだと判っていても、カナタはそう言った。
自らの希望を伝えることは、今のリーヴラにとっては確かな希望となるだろう。彼がやろうとしたことは決して無駄ではなく、カナタの心に感謝と言う形で残っている。
悲しみと絶望の淵に沈み、贖罪のために暴走した男には、それは救いだった。
「まずは戻るとしよう。ゲオルクに、全てが終わったことを伝えねばな」
戦いは終わったようだが、周囲に兵士達が進行してくる気配はない。一気に虚界の姿が消えたことに警戒しているのかも知れなかった。
一刻も早く彼等に戦いの終わりを伝え、待っている家族の下に帰す。それもまたやらなければならないことだった。
「わたし達も、帰りましょう」
ヨハンとカナタの間に入って、アーデルハイトが二人の手を握る。
「そうだな。これでようやく、肩の荷が全部降りた」
「これからどうするつもり?」
そう質問したのは、以外にもアルスノヴァだった。
「イシュトナルに居を移して、工房の片づけをして、それが済んだら旅をするつもりだ。まだ、この世界で見ていないものが沢山あるからな。例えば、空に浮かぶ大陸とか」
「……何よそれ?」
突然の荒唐無稽な言葉に、アルスノヴァが疑問符を浮かべて首を傾げる。
判るはずもない。それは数年前に、今ここにないイブキがヨハンを誘う時に語った絵空事なのだから。
それでも、彼女が見たかった世界を代わりに見て回る。差し当たって、ヨハンがやるべきことはそれだった。
ベルセルラーデを先頭に、一同は歩き出す。
その後にカナタとアルスノヴァが続き、その後ろをアーデルハイト。
もう心配とないと判っていても、完全に彼から目を放すことはもできないので、ヨハンは視線でリーヴラに先に行くように促す。
リーヴラも、特に抵抗することもなく頷いて、一歩を踏み出した。
思えばこの時、全てが終わったと誰もが信じていた。
その心には当然、もうこれ以上の争いを拒む気持ちもあっただろう。
だから、誰もが思いもよらなかったことだ。
全ては、まだ終わっていなかったなんて。
積み重なった瓦礫の影から、誰かが飛び出してくる。
その俊敏な動きに、安心しきっていたその場の誰もが反応できなかった。
普段ならばベルセルラーデやアルスノヴァは間違いなくそれを迎撃することができただろう。しかし、リーヴラとの戦いを終えた疲労と安堵は、その二人にすら警戒を忘れさせた。
無論、その人物もそれは判っていた。
ずっとこのタイミングを待ち続けていたのだ。傷ついた身体で、何をどうしたのかも判らないがこのオーゼムに潜伏し。
黎明のリーヴラが破れる万に一つの可能性を、息を潜めて待望していた。
「テオ、フィル……!」
ヨハンがその名を呼ぶ。
金色の髪に、軽薄そうな顔つき。以前と変わらないように見えるが顔色は蒼白で、最早生きているのか死んでいるのかも判らない。
掠れた声で、言葉にならない雄叫びを発しながら、彼はリーヴラの心臓に、背後から一本の剣を突き立てていた。
銀色の輝く、聖別武器を。
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