第六節 天上の終
自分が今言った言葉を、心の中で反芻する。
その一言は、紛れもなく裏切りだった。
雷霆のルフニルは、黎明のリーヴラが行おうとしていることを肯定してはいない。
「……そうだ。俺は」
千年前の戦いは酷いものだった。
虚界の浸蝕に対して力を振るった御使いはその半分にも満たず、本来この世界にいる者達はただ逃げ惑うだけ。
そして身を粉にして人々を護ったエトランゼに与えられた報酬は裏切りと死。
それで己の在り方を見失わなかったのは、ルフニルにとっては幸福なことだったのか、それとも不幸だったのか。
御使いとはそのような者で、所詮人間もその程度でしかない。
それを知っていた。そうでなければ世界は成り立たないから。
誰もが聖者であるわけがない。幾千、幾万の内の一つであるから、それは価値のあるものなのだ。
だが、もしもを考えることもある。
人々の命を救うためにその全てを捧げた少女と出会って話すことがあったとしたのならば、ルフニルも変わることができたのだろうか?
彼等の横暴に、理不尽に怒りを燃やし、今とは異なる道を歩むこともあったのではないのだろうかと。
「……考えても栓無きことか」
両手に力を込める。
最大限にまで高められたセレスティアルが、閃光の柱となって空を貫く。
その余波だけで周囲の大地は砕け、崩れた岩が光の奔流の中に吸い込まれては消滅していく。
この一撃は必殺の一太刀。巨大な虚界すらも葬る、神の裁きに等しき一撃。
それを見たルフニルの敵の反応はどうか。
怯えるわけでもない、怯むことすらない。
ただ真っ直ぐに、これから始まる一瞬のぶつかり合いを楽しみにしているかのように、笑っているのだ。
「エトランゼ、虚界の獣ヴェスターよ。俺はお前と出会えたことを嬉しく思う。この俺の長き生の中で、最も価値のある出会いだった」
「そりゃ不幸な人生だな。こんなもんが一番だなんてよ」
「そうでもない。俺自身が決めたことだ。例え過ちでも、後悔はないだろう」
「そうかい」
魔剣を操る剣士が一歩踏み出す。
炎のように広がって行く光に対抗するように、その身体からは黒い闇が落ちて、大地を侵すように染み渡って行く。
光と闇が互いを喰いあうその光景を見ながら、ルフニルは一つの過程に思い至る。
純魔力の生製法を伝え、それを扱える肉体を得るために『昇華』と言う儀式を伝えた。
そして、この世界を新たなる形へと変貌させるためにエトランゼを呼び出して、自らの力の一部を与えた。
そのどちらも同じ神から生まれ、そうして分け与えられた力の一つが深い闇を生み出すと言うのならば。
神と虚界は、同じものだったのかも知れない。例えそうでなかったとしても、表と裏のような、お互いに対になる力を持った何か。
勿論、ルフニルにはそれが何処から来たのかなどは判らない。神に仕えるとは名ばかりのもので、御使いとて天に住まうその者の事を何一つとして知らないのだから。
そんなことを今ここで考えても仕方のないことだ。どう足掻いても、結論が出ることはない。
そして何よりも、今ここにいる二人はそんなものを必要としていない。
果たして如何なる皮肉か、神が目を背けたその力を託されたこの男はその出どころには全く関心もなく、それと相対するルフニルもまた、対して興味を引くこともない。
結局のところ、雷霆のルフニルが人を護るために戦っていた理由もただ一つ。
それからずっと目を背けていたのだが、今ここでそれが正当な理由になると証明された。他ならぬ目の前の男によって。
戦うのが好きだった。
正面からの戦いで敵を屠り、その首級を以て栄光とする。
そんな英雄染みた行いに喜びを覚えるのが、雷霆のルフニルと言う男だった。
昇華し、御使いへと変わってから久しくその感情を封印し、神の使徒として人を護るために立ち振る舞っていた。
今だけはその必要はない。
目の前の強敵を倒せればそれでいい。
「聖者でもなく、悪鬼もでもない。獣の力を宿した人の子よ。お前を、俺の最強の敵と認める」
更に出力が上がる。
既にヴェスターは地面を蹴っていた。
「この一撃で、その魂までも打ち砕く!」
縦一直線に、それは振り下ろされる。
巨大な光の刃は、地面に叩きつけられるとその衝撃で波のように広がって、辺りを巻き込んで破壊の光を撒き散らした。
人の小さな身体が、それに巻き込まれる。
あらゆるものを巻き込み、消滅させる輝きの中で、数秒も立たずにその獣も消滅するであろう。
――その時に、ルフニルが感じたのは喜びだったのだろうか。
光の中に、黒い影が見える。
消滅していない。
己が立っていた地面すらも砕かれてなお、前進する獣の姿がある。まるでそれしか知らぬとでも言わんばかりに。
「……見事。だが!」
もう一振り。
光の中で、獣が驚愕したのが見える。
縦に振り下ろした刃から、同じ規模の光が立ち上る。
そしてそれを、十字を裂くように真横へと薙ぎ払った。
光は強くなり、世界を薙ぐ。
二つの輝きが交差する一点が、光で埋め尽くされ、何も見えなくなった。
青白い輝きに呑まれれて、眼前のあらゆるものが消滅していく。
それはやがて巨大な波となり、全てを覆い尽くしていった。
そして、幾何かの時間を経て光が消えていく。
時間にして僅か一分も満たない程度のことだったのだろう。その間に繰り広げられた攻防によって、辺りは更地へと変貌していた。
砕かれた地面が、不自然なまでに平らになっている。その中心で、ルフニルは深く息を吐いた。
目の前にはもう誰もいない。あの光に呑まれた消滅していったのだろう。
その正体も判らず、本能のままに剣を振るい続けた獣はもういない。
神の力を持つ御使い、その最も強き存在である雷霆のルフニルによってこの大地へと葬られたのだ。
――そして。
「がふっ……」
咳き込むようにして、口から一斉に赤い血が零れた。
直立したまま、ルフニルは視線だけを動かして自分の胸を見る。
深々と突き刺さる、黒き剣。生きとし生ける全てを殺し尽くす呪いが付加された、一振りの魔剣。
何をどうして、それがルフニルに突き立てられたのかは判らない。どういう動きをしたのか、どんな力を使ったのかすらも。
だから、簡潔に事実だけを述べる。
「相討ちか」
手に握った剣が地面に落ちて、光の粒子となって消えていく。
思えば長い生だった。
人を護り続けた。
誰かのために戦い続けた。
そして最期の、自分の本当の望みを知った。
「やはり、俺は幸福なのだろう」
それを望めと言われていた気がした。
だからそうやって生き続けた。
しかし、今にして思えばこの後の世界を生きる者の幸福など、雷霆のルフニルにとってはさしたる価値もなかったのだろう。
それは行動に伴った結果の一つでしかないのだから。
今、この時が全てだった。
強敵と戦い、己の全てを出しきり、そして死ねること。
千年を超える時を生きた御使いの幕切れとしては、惨めで愚かだと詰る者もあるだろう。
そんなことはどうでもいい。それは全て、ルフニルが去った後の世界の出来事なのだから。
「リーヴラ。俺は俺の生き方を全うした。ひょっとしたらお前の望みには応えれなかったのかも知れないが」
孤独な戦いを選んだ友に、そう声を掛ける。
彼がこれから歩む道がどうなるのかは、ルフニルにも判らない。
それが成功すればいいのかも、失敗するべきなのかすらも。
「お前も俺のように、逝けるといいな」
その時が来たのならば、せめて悔いのない終わりを望む。
そう願いながら、ルフニルの身体は光の粒子へと変わっていく。
そのまま穏やかな顔で、その肉体は消滅して天へと還って行った。
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