第三節 神の現身

 その場所は、思わず歩みを止めてしまうほどに静寂に満ちていた。

 ヨハンとアーデルハイトは、ルー・シンの計画により彼等とは別行動を取っていた。

 ベルセルラーデから知らされた、王家が有事の際に城から脱出するのに使う地下通路。それが繋がっているのがオルゴルだった。

 そこから通路を進み、その途中で外で戦っている兵達を中に迎え入れるために城壁を破壊するために動くルー・シン達とは別れて、ヨハン達は二人で敵の居城へと乗り込んでいた。

 目的は二つ。城内部の様子の確認と、そこに絡み付くように聳えている巨大な虚界を破壊する方法を探ることだった。

 だが、ここに来て奇妙な感覚が拭えない。

 地下通路は直接城の中に通じており、今ヨハン達が立っているのは一階にある、城内の外れだった。何かがあった際には、そこから王族が脱出するための道を、逆にたどってきたということになる。

 城の中には見張りもおらず、あの怪物の姿も一匹もない。所々にある血痕はもう乾いており、城がこうなった時についたものなのだろう。

「……静かね」

 アーデルハイトが隣でそう口にした。

 彼女の目線は、床を破壊して地面の底から伸びている肉の樹を眺めている。

 赤黒い不気味な肉の塊は無数に絡みつき、まるで木に絡み付く蔦のように、城の外壁や内部を這って上の階へと伸びている。

 小さく脈動するそれは、しかしヨハン達に対して何かしらの行動を取る気配はない。小さく、静かに生きているだけにも見えた。

 それはまるで、あの時の虚界の王によく似ている。魂をエレオノーラの中に寄生させたために、無防備に立ち尽くすだけだったあの虚界の巨人と。

 崩れ落ちた床から下を覗くと、底なしの穴のように空洞が広がっており、そこから虚界が生えてきているの判るが、先には暗闇があるばかりで本体の姿は見えない。

「もし、心臓部があるのなら、この下と言うことになるのかしら?」

 魔導書を捲りながら、アーデルハイトがそう言った。

 ヨハンはローブの懐から袋に入った綿毛のようなものを取り出すと、それをその下に向けて散らすように落としていく。

 綿毛はオレンジ色の光を放ちながらふわふわと緩やかな速度で下に降りていく。

 もし、その途中に攻撃的な魔力の反応があればまた別の色に発色する道具なのだが、綿毛達はそのまま何事もなく闇の底へと消えていく。

 遠くからでも充分に見えるほどの強力な光を放っているにも関わらず消えていったということは、これが相当に深い闇の中から伸びているという証明でもあった。

「深いな」

「降りて見る?」

 アーデルハイトが魔法で箒を取り出す。

「いや、何があるか判らない。やめておいた方がいいだろう」

 言われて、すぐにそれをしまった。この状況で無茶をするつもりはないらしい。

「だが、いざ来ては見たものの、すぐに破壊できるものでもなさそうだな」

 ルー・シンから供給された魔法鉱石を使い、強力な爆弾は幾つか用意してあるが、それをこの下に投げ込んだところで有効打を与えられるとは思えなかった。

 それどころか、虎の尾を踏むようなことにすらなりうる。下手に刺激を与えてこれが動きだせば、ヨハン達は元より外で戦っている者達にも甚大な被害が出るだろう。

「それなら、一度外と合流する?」

「……いや」

 ヨハンの視線が、肉の蔦が伸びる城の上の階を見上げる。

 表の戦いに今更参戦したところでできることは限られている。敵の数は無数で、そこにヨハンとアーデルハイトが出て行っても決定的な勝利は訪れない。

 それなら、ここに来れたという強みを利用したかった。この虚界、もしくは黎明のリーヴラのどちらかに対して行動ができれば、戦況に変化を起こせるかも知れない。

「それに、黎明のリーヴラとは一度も話をしたことがなかった」

「説得できると?」

「そこまで楽観はしていないが」

 今まで敵対した御使いは、結局誰とも矛を交えないという選択肢はなかった。

 だが、光炎のアレクサが最終的に歩み寄る態度を見せたこともあって、御使いが全く話の通じない相手ではないと判ったことも事実だった。

 黎明のリーヴラの目的を知る。勿論、今更話し合いで事が解決出来るとは思っていないが、それがこの戦いを終わらせる糸口となる可能性は充分にある。

「誘われているのは事実だろう」

 誰もいない城内。全く機能しない防衛機構。

 城下町の外側にはあの怪物の群れがいることから、ここに呼べないというわけではないだろう。敢えて、こうしてヨハン達を招き入れているようにすら思えた。

 護衛のいないヨハン達を呼び出して、各個撃破するつもりだろうか?

 そう問われれば、可能性はゼロではないが、決して高くもない。これまで徹底的に直接対決を避けていたリーヴラが、今更そんな作戦を取るとも思えない。もしそれをやるのだとすれば、もっと早く実行しているだろう。

 つまりは相手も目的があって、ここにいる。それが罠である可能性は否定できないが。

「……まぁ、否定する理由もないわね。罠があれば打ち破ればいいだけの話だもの」

 もしそれが迂回できない罠ならば、いずれは壊して進まなければならない。そして今は、恐らくそう言う時だ。

「行こう」

 ヨハンが歩き出し、その半歩後ろをアーデルハイトが付いて行く。

 お互いが道具と魔法で辺りの索敵や罠の確認は怠らず、できるだけ慎重に進んで行く。

 やはり敵の姿はなく、そればかりか生き物の気配もない。外側や地面から入り込んでくる肉の触手で壁や床が破壊されているが、奇跡的に階段などの上へ昇るための通路は無事だった。

 静寂が支配する暗闇の中を、二人は先へと進んで行く。

 内外から巨大な虚界によって破壊された城は崩れた残骸もそのままで、その日以来ここに誰も立ち入っていないことが用意に理解できた。

 そうして四つ目のの階段を登り切った先。

 謁見の間と思しき巨大な扉が、その中心部を破壊され本来の役割を果たせなくなった姿でそこにあった。

 その原因となった横に伸びる肉の柱と、崩れた扉の隙間を縫って、その中に入って行く。

 高い天井に、幾つも立ち並ぶ大きな柱。

 百人は容易に収容できるその部屋の奥には、壊れた王座がぽつんと鎮座している。

 灯りを置くための篝火台も、既にその役割を果たすことなく寂しげにそこに置かれている。

「……あっちか?」

 その奥に、更に先に進む扉を見つけた。

 国王であるベリオルカフの私室に繋がっているであろうその扉を潜るべく、ヨハンはアーデルハイトを伴って更に先へと進んで行く。

 そうして、王座の前を通り過ぎようとしたその時。

 不意に感じる気配があって、ヨハンはそこに立ち止まった。

 王座ではない。今しがた、ヨハン達が入ってきた扉の方へと視線が向けられる。

「永く」

 声がする。

 それは、何もかもが白で統一された男だった。

 白き髪、白き法衣。美しい容姿をしているが、何故かその瞳は閉じられたままで、開くことはない。

 そのままヨハンに顔を向けて、そこに読めない表情を浮かべたまま、そう声を上げていた。

「永く、お待ちしておりました」

「……黎明のリーヴラか?」

 拳銃を抜いて構える。

 同じように、アーデルハイトもまた、魔導書を手にしていた。

「ええ、私の名は黎明のリーヴラ。千年の長き時を経て、こうして貴方と再会した哀れなる魂」

「悪いが、俺にはその記憶はない」

「はい、承知しております。ですが、私にとってはそんなことはさしたる問題ではない。貴方が貴方のままでここに現れたこと、それこそが重要なのです」

「……どういうことだ? お前の目的はなんだ?」

「目的、ですか?」

 リーヴラは多少、困ったように眉を顰める。

 そうして自分の胸に手を当てて、何かを考え込んでいた。

 既に自分の中では結論が出ているが、どういう言葉で伝えればいいのか迷っているようにも見えた。

「この大地の救済。過ちを犯したまま突き進み、そしてまた新たなる罪を重ねようとする、この彼方の大地に住む人々を、救うことです」

「救いだと? お前のやったことの何が救いになる? ヘルフリートに与し、虚界を呼び覚ましたことでそれだけの人命が失われた? そしてまたここでも争いを引き起こしている。そんなものが救いであるはずがない!」

 声を荒げるヨハンの腕を、アーデルハイトが手を乗せるように抑える。

 それで少しばかり冷静さを取り戻せた。目の前に相手は、頭に血が上っている状態で戦えるほど甘い敵ではない。

「罪によって穢れた全てを救うことなどは不可能です。ですから、私は小さな世界を切り取ることに決めました。このバルハレイアの首都オーゼム、そこに住む人々。この地を改めて、彼方の大地とするのです。そこに暮らす人々に、贖罪と安らぎを与えるために」

 ルー・シンの予想は正しかった。

 先にそれを聞いていたから、ヨハンは自分でも意外なほどに驚きもない。

 ただ、やはり目の前の男とは相いれない。話し合いで決着を付けることはできそうにないと、結論が出てしまった。

「世界を縮めるつもりか? 自分の手の届く範囲に人を押し込めて、管理するとでも?」

「はい。外には出させず、決して知ることもなく。人は人として、幸福にその大地で生まれ、生きて死んでいく。永遠の繁栄が約束された世界です。素晴らしいとは思いませんか? 貴方に力を与えた神が成さなかったことを、私が成し遂げるのです」

「そのために外の人間を皆殺しにしてか?」

「それとて無意味ではありません。彼等は淀みを浄化させるための礎なのです。その死があってこそ、生き延びた人々が許される」

「話が通じる相手じゃなさそうね」

 呆れたように、アーデルハイトがそう言った。

「アルスノヴァによって生み出された生命、歪んだ命。……ですが、貴方にも救われる理由がある。彼女が犯した過ちを、私が救済しましょう」

「何を馬鹿なことを。今この場で、それを聞いた私がこの人を捨てて貴方に付くとでも?」

 そう、アーデルハイトはリーヴラの言葉を切り捨てた。

「――何を言っているのです? 貴方がエイス様を裏切る必要などありません」

 そう言って、リーヴラはヨハンに歩み寄る。

 銃口が向けられていることを意にも介せず、その傍に近付くと、膝を折ってそこに傅いた。

「エイス様の従者として、共に在ればいいでしょう。全てはこの時のため、黎明のリーヴラは貴方のために理想を叶えました」

「……俺のためだと?」

「はい。そして、この王座を貴方に譲り渡しましょう。神の意を受け取ったエトランゼ、エイス様。このリーヴラはこの千年を貴方に捧げたのです」

 先程から、三人の声意外に何の音もない城の中。

 そこに、リーヴラの驚くべき言葉が響き渡った。

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