第二節 火花

 首都オーゼムの前に広がる荒野。

 そこはまさに戦場だった。地獄と形容してもいい。

 黎明のリーヴラによって生み出された白磁の肌に肉の混じった怪物達。それに決死の覚悟で立ち向かう人間。

 怒号は止むことなく、逆さまになった砂時計から零れるように、秒単位で命が削り取られていく。

 この大地を取り戻すための戦い。決死の覚悟で挑んだ、人間の抵抗。

 それだけの規模の、多くの意志が入り混じる戦いの中で、不自然なまでの静寂があった。

 ある一点だけに、まるで台風の目のように穴が開いている。

 厳密には、そこに立つのは二人。

 一人の人間と、一人の御使い。

 対峙する金の髪をした野獣と、銀の髪をした天の使い。

 誰が何を言ったわけでもない。ただ、誰もが理解していた。

 理性を持たぬ怪物ですらも、そこに近付いてはならないと知っている。その戦いが始まれば、巻き込まれて一瞬で死んでしまうであろうことも。

 何よりも、二人から放たれる空気が、他の誰の介入も許さない。この至高の時間を邪魔する者は、敵も味方もなく斬られて命を落とすことだろう。

「よぉ」

 手を挙げた気軽い挨拶に、雷霆のルフニルは会釈で答える。

 何処か間抜けなやり取りに噴き出すこともなく、二人はお互いの距離を測りながら円を描くように移動していた。

 直線距離は縮まらず、しかし、既に抗戦するには充分に近い。

 その状態で剣を抜かず、談笑をしようとしている。

「少しばかり悲しかったんだぜ。俺を差し置いて、あの魔人なんかと遊びやがって」

「そこまで俺がお前に想われているとは想像できなかった。それに、奴の相手は俺ぐらいにしか務まらん」

「へぇ。今はいいのかよ?」

「問題はない。虚界の力を取り込んだリーヴラは、魔人程度ならば容易く跳ね除けるだろう。奴はまだ手の内を見せてはいない」

 どうやら今暴れている怪物達も、黎明のリーヴラの切り札足り得ないということだった。

 つまり、その真っただ中に飛び込んだ連中には更なる危険が襲い掛かる。それこそ、死ぬほどの。

 だが、そんなことはヴェスターにとってはどうでもいいことだった。

「それから弁解ではないが、俺にも理由があってな。……あの時は魔人しか戦場にいなかったが、今はお前がここにいる」

 ヴェスターの顔に笑みが灯る。

 獲物を前にした肉食獣の、凶悪な顔。

 黒き剣を携えた獣は、その言葉だけで今にも飛びかからんばかりに高揚していた。

「嬉しいじゃねえか」

「それは俺も同じだ。お前と出会ったことで、俺は何かが変わったらしい。それこそ、今までの日々が偽りだったかのような」

「おいおい。そこまで熱烈に言われると、逆に引いちまうよ」

「……そうか。難しいものだな、言葉で語ると言うのは」

「――だな。だから、こっちで語ろうぜ」

 首肯。

 始まりの合図はそれだけだった。

 もし第三者がここにいれば、二人の姿が目の前から消滅したように見えただろう。

 地を蹴る音よりも早く、互いの身体がすぐ近くに迫る。

 振り上げられた黒き剣と、極光によって生み出された銀色の剣がぶつかり合って、お互いを食い破ろうと干渉する。

 金属が擦れる鈍い音が響き、交差した一点から火花が散る。

「おおおおおおあああぁぁあぁぁ!」

 気合いを込めた斬撃がルフニルを襲い、白銀の剣がそれを弾き返す。

 戦いが始まって僅か数秒の内に、剣を打ち交わした回数は十を超えていた。

 振り抜かれた刃が、地面の岩ごと空気を削り取る。

 ぶつかり合う剣は光と闇の交錯となり、周囲に破壊的な魔力流を生み出してその大地や聳える岩山に罅を入れた。

 一撃一撃が暴力的な衝撃となって身体に跳ね返ってくる。

 気を抜けば、一瞬先には死。次の動作を一つ間違えるだけでも、確実にこちらの命を奪うだけの力と技量を持った相手だ。

 だと言うのに、ヴェスターは笑っていた。

 この高揚は久方ぶりだ。つまらない戦いではない。

 群れる弱者を斬るのではなく、驕る愚か者へと剣を振るわけでもない。

 目の前の男は、強い。

 今までであってきた中でも最強の敵に数えられるだろう。

 それが、ヴェスターだけを見ている。この獣を仕留めるためにその力の全てを振るおうと言うのだ。

「オラァ!」

 剣による防御を擦り抜けた一撃が、ルフニルの纏うセレスティアルに罅を入れる。

 身体に纏った薄膜のような障壁など、何の意味もない。もう一発で砕け散るような不完全な防御に過ぎなかった。

「やるな……! だが、俺も以前に言った通りだ。俺は、剣士ではない」

 セレスティアルの剣が形を変える。

 今度は槍のような姿へと変貌し、距離を話したところからヴェスターの首元を目がけて伸ばされた。

 一発目を辛うじて避ける。

 だが、次が余りにも早い。戻してから二撃目を放っているとは思えないほどの速度で、まるで雨のように撃ち込まれる槍による弾丸だ。

「……あァ、強えぇ」

 何かが弾けていく。

 種が割れて種子が芽吹くような疼きが、身体の奥底にあった。

 この感覚はあの時によく似ている。

 初めて虚界を目にして、ヴェスターが新たな力に目覚めたその時と。

「……む」

 ルフニルが距離を取る。

 彼が放った槍の一突きは、位置、タイミングともにヴェスターを捉えていたのにも関わらず、届かなかった。

 地面から生えた漆黒の刃のような何かが、それを防御するように押し留める。

 異変はそれだけに収まらない。

 ヴェスターの意のままに、次々と地面から杭のように吐き出される黒き剣を避けるために、ルフニルは一度その身を空中へと躍らせる。

 セレスティアルを身に纏い空中を浮遊しながら、今度はそれを弓矢へと変化させて全力で引き絞る。

 無論、それはただの矢ではない。

 爆発的な破壊力を秘めた、天よりの裁きだ。魔力に指向性を持たせて炎や稲妻に変えることができるのならば、純魔力たるセレスティアルも然り。

 その光の矢は、目標地点に着弾すると、眩い輝きを放ち、周囲に光の奔流を生み出す。

 並の魔力ではない。人の技では決して防ぐことができないセレスティアルによる爆風。この世界に如何なる物質をも砕き破砕するその光に、ヴェスターの身体が包まれていく。

 爆風が止み、目を焼くような閃光が静まって行く。

 辺りから音が消えたのは、その一瞬に過ぎなかった。

 雷霆のルフニルは、既に次の行動に移っている。

 その理由は単純にして明白。

 ヴェスターは倒れてはいなかった。

 身体は所々傷ついているも、砕けた鎧の隙間から露出する肌が、黒く染まっている。

「凄まじいな」

 感心したような声で、ルフニルがそう言った。

 次の瞬間、虚空に亀裂が入る。

 そこから染みだすように生えた黒い刃が、ルフニルの身体を斬りつけた。

 咄嗟に地面に脱出したところを、ヴェスター本人の持つ魔剣が襲う。

 セレスティアルは再び剣に戻っている。

 更なる叩きつけ合いを行うその余波は、先程までの比ではない。

 ただのそれだけで大地が裂け、空間すらも歪んでいく。

 ヴェスターが剣を振るうたびに、それに追従するように現れるのは呪いを具現化したような、その漆黒の金属だ。

「オブシディアンでできた魔剣そのものとなったか。それがお前のギフト、虚界の呪いを持ったエトランゼ」

「知ったことかよ!」

 一際大きな音を立てて、至近距離で鍔競り合う。

「お前の力は大したものだ。当時のエトランゼの言葉を借りれば、そのギフトはフェイズⅡを超えてフェイズⅢに突入している。それが意味するところが判るか?」

「知らねぇな!」

 二人の身体が離れ、更に踏み込む。

 ルフニルもそれが判っていたのか、剣を盾にして叩き込まれる斬撃を防ぐ。

 剣が弾かれた隙に、次に仕掛けたのはルフニルだった。

 それを避けて、今度はヴェスター。

 お互いの好守を入れ替えながら、攻防は続いていく。

「ギフトのフェイズⅢ。それは所謂暴走状態だ。本人の意志を無視して、その力は発現し周囲へと影響を与え続ける。そこを乗り越えるだけの意志があればフェイズⅣ、即ち魔人へと至れるが……下手をすればそのまま力に飲み込まれ、死んでいく」

「そうかよ!」

「いらぬ情報だったか? 確かに今更お前が死を恐れているとは思えないが」

 今度は二振りの剣を持って、片方でヴェスターの剣を防いで、もう片方の刃をその肩に突き立てる。

 ヴェスターもまたその程度では怯まず、攻撃の後にできた隙を縫って、魔剣をルフニルの身体へと叩きつけた。

 セレスティアルを貫き、魔剣がルフニルの身体を傷つける。

 オブシディアンでできた刀身は御使いにとっての猛毒となりうるはずだが、今目の前にいる男に関しては如何ほどの期待もできないだろう。

 例え弱点を突いていたとしても、人間が倒れる方がずっと早い。人と御使いの差とは、それほどに大きなものだ。

「お前は魔人には至れない。その力を暴走させ、呑まれて消えるだけだ」

 脇腹に、セレスティアルの剣が突き刺さる。

 血が流れ、それがまだヴェスターが人間であることを思い知らせてくれた。

 体の不調を訴える痛みが、もう動くなと告げている。

 だが、今のヴェスターにとってはそんなものは邪魔なだけだ。

「それで?」

 ドッと、音がした。

 目を見開いて、ルフニルが立っている。

 ヴェスターが剣を持つのとは逆の手。黒く巨大な鉤爪と化した左手が、その胸に突き立てられている。

 咄嗟の動きに反応できず、またギフトがその肉体を改変していることに驚いたのは一瞬のことだ。

 ルフニルはすぐに冷静さを取り戻し、剣を横薙ぎに一閃してヴェスターから距離を取る。

 そして遠く離れながら、近づけないように次々と矢を放って行った。

「ちっ! 面倒くせぇ!」

 その一矢は、当たれば城砦を削り、瞬く間に建物を更地にすることが可能なほどの威力を持っている。

 それを剣で、時には変貌した肉体で弾き飛ばしながら、ヴェスターは距離を近づけていく。

「……やはり威力が足りんか。ならば!」

 連射ではなく、強く引き絞った一撃。

 光の軌跡を纏って飛来したその矢は、例え直撃しなくとも、周囲に発生した極光の波で、ヴェスターの身体を飲み込んで吹き飛ばしていく。

「がああぁぁぁ!」

 地面に転がり、遂に苦悶の悲鳴を上げた。

 纏わりつくセレスティアルの輝きは、容赦なくその肉体を削り取る。攻撃に転化した神の極光は、それほどまでに凶悪な力だった。

 地面に手を突いて立ち上がる。

 そこに、ルフニルが遠くで剣を振り下ろすのが見えた。

 剣先から放たれた光波が、まるで暴風のようにヴェスターの身体を空へと打ち上げて地面に叩きつける。

「降伏しろ、などと言うつもりはない。俺からすればお前は獣だが、何よりも強く誇り高い獣だ。だからこそ、無様な姿を晒させはしない」

「……勝手言ってんじゃねえぞ……!」

 またあの弓が引き絞られる。

 ヴェスターの身体を正面に捉えて、今度は直撃させるつもりのようだった。

 圧縮される光の粒子が、まるで太陽の輝きのように美しい。

「終わりだ」

 ルフニルが矢を放つ。

 だがそれは、彼が狙ったのとは全く別の方向へと飛んでいった。

 遠くでその輝きが炸裂し、何かが破壊される音が響く。

 呆然とした顔でそれを聞くその腹からは、漆黒の刃が突き出していた。

「……いつの間に、俺の周囲を、浸蝕して……!」

「これでえええぇぇぇぇぇぇ!」

 地を蹴り、跳躍する。

 一息にルフニルの目の前へ。

 両手に握った魔剣を、その身体へと一直線に振り下ろす。

「見事。だが!」

 ルフニルの具足が、大地を強く踏みしめる。

 腹に穴が開いてなお、彼の動きが鈍ることはなかった。

 弓矢の姿が解け、槍へと変化する。

「お前は凄まじい強さだ、エトランゼ。お前と戦えたこの時間は何よりも楽しかった。千年を生きて、これだけ高揚したことはない」

 ぐいと、ルフニルが踏み込む。

 肉が裂ける音がした。

 上空で、ヴェスターの身体が止まる。

 その心臓には、ルフニルが構えた白銀の槍が、真っ直ぐに突き刺さっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る