十三章 天と人の決別

第一節 友との誓い

 バルハレイアの首都オーゼムで戦いが始まるのと同時刻。

 その戦場が遠く見下ろせるほどの距離の空に、一隻の船が浮かんでいた。

 バルハレイアとの戦いに際し、エトランゼや魔法学院の持つ技術を結集してどうにか組み上げた飛空艇、急造故に名前すら付けられなかったそれが、甲板から伸びる柱に備えられた回転翼で浮遊していた。

 見た目は普通の船と変わらないが、その内部には最新の技術が使われているその船は、対御使い用の切り札の一つとして本隊とは別行動をしながらオーゼムへと向かっている。

 その甲板、木でできた床に立って地上を見下ろすのは、この部隊の指揮官であるエーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンだった。

 逞しい体躯を持ち、口髭を生やした男は、自慢の大槍を手に、これから起こるであろう戦いを今か今かと待ち続けている。

「随分と気合が入っていますね、エーリヒ様」

 そう言いながら近付いてきたのは、同じく髭面で中年の男だ。ラウレンツ・ハイデンベルク。位は違えど同じオルタリアの貴族であり、エーリヒが最も信頼を寄せる部下の一人でもある。

「お前は違うのか? 戦には燃える質だと思っていたが」

「地上で槍を振るのとはわけが違います。空の上ってだけでも落ち着かねえってのに、相手は御使いだって言うじゃないですか」

「何を今更。共に虚界を相手にしたではないか」

「俺は敬虔な信者ってわけじゃありませんがね、地獄の悪魔と神の使者じゃ勝手も違いますよ」

「確かに」と納得して、エーリヒは笑う。

 口ではそう言っているが、もう既に鎧を着込みエーリヒと同じように武装している辺り、ラウレンツの戦意も充分だった。

「もう既に生きた心地がしないってのはありますがね。初めてですよ、戦場で家族が恋しくなったのは。死ぬ前にもう一度でも顔を見たかったなんて、柄でもない」

「そう言えば、娘が可愛い年頃だったな。この戦いが終わったら休暇でも取って、一度一緒に時間を過ごすといい。生まれてから殆ど構ってやっていないだろう? 子供の時間はあっという間だぞ?」

「まぁ、生きて帰れたらそうしますよ。それだけの事をやれば、女房の財布のひもも緩くなるでしょうし」

 冗談めかして言ってから、ラウレンツは表情を変えてエーリヒに尋ねる。

「それで、何を考えてらしたんですか? 部下達は自分のことで手一杯で気付いてなかったみたいですけど、随分と神妙な顔をしてましたよ」

「……なんだ、ばれていたか」

「それなりに、長い付き合いになるんで」

 エーリヒとラウレンツの年の差は大凡二十年に及ぶ。そして彼がまだ若輩で、初めて戦場に出たころから世話をしてやったこともある。

「俺も柄にもなくな、友のことを思っていた」

「……ヘンライン卿ですか?」

 ディッカー・ヘンライン。

 継承戦争でヘルフリートに与した者達で、その名を覚えている者は決して多くはないだろう。

 もし宮廷にいる貴族達に覚えがあったとしても、権力闘争に疲れて田舎に逃げた凡夫な男と、それだけだ。

「そうだ。あの男、凡夫と呼ばれた分際でこの俺に、武門の要たるヴィルヘルムに対して生意気な口を叩いてくれたからな」

 そう語るエーリヒの横顔は、決して苛立ちには歪んでいない。むしろ何処か誇らしげに友のことを語っている。

「俺はずっと後悔していた。奴に託されたものを何一つ果たせなかったことを」

 ディッカー・ヘンラインはエーリヒに後のことを託して死んでいった。

 しかし、その代わりにできたことは何もない。ヘルフリートに言葉を掛けても、既にエーリヒの声は届かなかった。

 その日のことを忘れたことはない。友人の最期の頼みすらも聞き届けられなかった愚かな男として、生き恥を晒す日々だった。

「だが、今ならな。奴の真似ができると思ったのだ。自分の信ずる未来に命を賭けて、その道を切り拓く役割がな」

「……エーリヒ様」

「奴が見た夢の先を、俺も見たくなった」

 戦場で対峙したその男は、圧倒的な力の差を持つエーリヒにそう語って見せた。

 エレオノーラと、彼女と共に歩む者達が見せてくれる夢。

 それは子供の頃に夢物語として語った、この国の未来。自分達の征くべき道。

 既に年を取り、自分達がそれを見る時はもう失われたとしても、礎として若い者達にそれを見せてやることができる。

 そんな可能性を信じてしまうほどに、彼の言葉はエーリヒの中に残り続けている。

「あ、いたいた! ヴィルヘルムのおじさん!」

 ラウレンツがエーリヒに声を掛けようとしたところで、そこにまた別の高い声が割り込んできた。

 視線を少し下に降ろすと、金色の長い髪をした少女が小走りに近寄ってくる。その後ろには先の戦場で一緒に戦った浅葱色の髪の少女もいるが、彼女はこちらに話しかけてくる気配はなさそうだった。

「ヴィルヘルムのおじさんって……。お前さんなぁ、幾ら子供だからってその言い方はないだろ。オルタリアの国民なら知ってるだろ? ヴィルヘルムって名前がどれだけ……」

「構わんよ、ラウレンツ。変に委縮されるよりは余程いい。それに、彼女は大事な協力者だからな」

 無礼な物言いが許されて、金髪の少女、クラウディアが勝ち誇ったような笑みを向けられると、ラウレンツは呆れたように肩を竦めた。

「大した度胸だよ。ユルゲンスのお嬢さん」

「あんたらがこの船に乗ってられるのも、うちの協力があればこそだからね。立場は同じってことでしょ?」

「そりゃちょっと違くないか?」

「いいの。それよりアタシはヴィルヘルムのおじさんに用があるんだから、ちょっと黙っててよ」

 幾ら彼女の実家がこの飛空艇に多額の出資をしたからと言っても、とんでもない態度だった。間違っても、国の防衛の要である貴族達に取っていい態度ではない。

「……うちの娘もこうならなきゃいいがな」

「気を付けなよー。放っておくと勝手になるからね」

 悪びれる様子もないその態度に、ラウレンツは頭を抱えてその場から退散していく。

「それで、お嬢さん。何の用事かな?」

「んー。いや、例の武器だけどさ。なんか数えたら数が足りないみたいで……。ひょっとしてうちがなんか失敗したかなって」

「いや、幾つかは地上に回しただけだ。向こうでも必要になるかも知れないとな。直前だったせいで連絡に不備があったようだな、すまない」

 そう言って素直に頭を下げる。エーリヒからすれば、武器の納品を終えてからのことにも気が回るとは思っておらず、最初から報告するつもりもなかったので、素直に感心してしまう。

「あ、そう。よかったー。うちがやらかしたんじゃなくて」

「例えそうだとしても、大事なお嬢さんを戦力としてお借りしてるんだ。文句を言える立場じゃないさ」

「それはそれでしょ。うちもしっかりやっていきたいからね。今後のことも考えて。ライバルだって多いんだから」

「思った以上にしっかりしたお嬢さんだ。ここに乗り込んでくる以上、ただ者とは思っていなかったが」

 彼女の従者である浅葱色の髪の少女が、並ではないエトランゼであることは知っている。凄腕の女剣士の噂は流れていたし、何よりも先の戦いでその実力を見せつけられたのだから。

 だが、その主までもここまでの度胸の持ち主だとは思わなかったというのが正直なところだ。

「実に勿体ないな。もう少し前に知っていれば、息子の結婚相手として紹介してやれたのに」

「へへっ、気持ちは嬉しいけど残念。もう婚約済みだからね」

「ヨハン殿はいい縁を持ったな」

「でしょー」

「これは死なさせるわけにはいかんな。最後の最後に、大仕事が回ってきたもんだ」

「最後?」

「ああ。この戦いが終われば、当面は平和になるだろう。そうしたら息子に家督を譲って、少し早いが隠居しようと思っている。戦以外で国の役に立てることをしてみたくなってな」

 それは、先に逝った友が生きていれば成したであろうことだ。

 王の傍に仕え、あくまでも穏やかに物事を解決する。武門の家柄に生まれて常に戦いの最前線に立っていたエーリヒには決してできないであろうこと。

 全て終われば、それをやってみるのもいい。そうして、少しずつでも無駄な争いを排除することこそが、若いころに夢見た理想の国に近付けるための一歩となるだろう。

「いや、すまんな。俺の話なんかどうでもいいだろう。それより、そろそろ持ち場に付いた方がいい」

「――アタシもその気持ち判るよ。だから、ちゃんと生きて帰ろ」

 気安く胸の辺りに、軽く拳が当てられる。

 その仕草は余りにも自然過ぎて、彼女が勇気を分け与えるために誰にでもそうしているであろうことがすぐに判った。

「そうだな。お嬢さんも」

 その言葉を最後に、二人は互いに背中を向ける。

 それとほぼ同時に、見張りをしていた兵士が悲鳴にも似た大声を放った。

「前方、オーゼム方面! 上空に人影あり! その数は凡そ百! 御使いとその僕、デュナミスです!」

「……来たか」

 その報告に、船上が騒めきだす。

 兵士達は弓と銃を取り、魔導師達が砲撃のための配置に付く。

 その騒音の中で、エーリヒは静かに槍を握る手に力を込める。

 これから始まる、最後の戦いを迎えるために。


 ▽


「きひっ、きひひひひっ」

 千切れたような雲が浮かぶ蒼穹に、そんな笑い声が響く。

 少女の甲高い声で奏でられるそれは、何もないこの空には嫌に不釣り合いな不協和音だった。

 もっとも、それを発した張本人はそんなことを気に留めない。目の前にいる愚かな人間達に対しての嘲笑であるから、愉快な気持ちになられては困る。

 血のような真紅の髪を二つ結びにした少女は、その大きな目を見開いて迫りくる巨大な空の船を視界に捉えている。

 幽玄のイリス。

 リーヴラに味方をする御使いであり、人間を見下し玩ぶ者。

 彼女の背後に浮かぶは翼を広げる白き天使達。その陶磁器のような白い肌に、生気のない虚ろな目をイリスと同じく人間達の飛空艇へと向けていた。

 その数は凡そ百を超えている。一体一体が熟練の戦士を遥かに超える力を持つ、神の兵として生み出されたデュナミスの群れに、人間達が勝てる道理はない。

「ちょいとばかし野暮用を片付けていて遅れた時にはどうしようかと思ったが、間に合っていよかったのじゃ。これで、リーヴラもこのことでわしを責めることはあるまい」

 にぃ、と。

 唇が裂けるように笑う。

 彼女の可憐な容姿からは大凡想像できないように、醜い笑み。

 その奥に内包した計画とも呼べない児戯。しかしそれは、彼女の予想した通りならばこの大地を壊し尽くすのに充分な威力を持っているだろう。

 後はそれを見届けるだけ。リーヴラに誘われた遊びは、次なる破滅のために時間潰しになり下がった。

 とは言え、今この時点でそれを知る者は彼女以外にいない。仮に予想通りに事が進んだとしても、それが起こる確率は二分の一と言ったところだろうか。

 別段、そんなことはイリスにとってどうでもいい。

 事態がどう転ぼうと、それなりに楽しむだけだ。そのために生き延びた。人間と言う最高の玩具で、もっともっと楽しみたかったから。

 その思想は悪性のウァラゼルに似ていると、かつての世界で言われたことがある。

 それはイリスからすれば心外過ぎる。名誉を傷つけられたと言っても過言ではない。

 あれは違う。あれは純粋に狂っているだけだ。自分が正しいと思い、正当なる理由があってそれを執行している。恐ろしいことに、あの狂乱の御使いはそれが全て正しいことであると信じている。全ては他の誰かのために、行っていたのだ。

 だが、イリスは違う。

 それに比べれば相当にマシだろう。

 その物差しでは自分は正常だ。正常に、悪徳を好んでいるだけの話だ。

 逃げ惑う相手を追いつめるのが楽しい。心が壊れるまでいたぶるのは至高の喜びに満ちている。

 獣の声は種類が少ない、虫は潰しても鳴きもしない。

 人間だけだ。

 人によって異なる声色で泣き喚き、様々な言葉を弄して助かろうとするのは。

 だから、見送った。

 虚界の侵略はイリスにとっては愉快な催しの一つでしかなかった。平和に生きてきた人間が神に縋り、その祈りは聞き届けられることなく無残に踏み潰される。

 その景色を見るのが好きだった。最高に興奮する一瞬が、何度も何度も訪れる至高の時間だった。

 だが、残念なことにそれは終わってしまった。

 エトランゼと一部の御使いがそれを終わらせた。幽玄のイリスに、それに立ち向かい反対するだけの力はない。

 そうして失意のままに眠りについて、今がやってきた。

 人間を思うがままに蹂躙できるこの時代が、楽しくて楽しくて仕方がない。あの虚界達がやっていたことを、立場も気にせず堂々とできるのだから。

「楽しいのう、リーヴラ! わしは今歓喜してる! 全てに感謝している!」

 いつの間にか、手の中にはワイングラスが握られている。

 赤い液体がそれを満たし、彼女は愛おしげにその赤色の奥に、こちらに迫りくる飛空艇を透かして見ていた。

「乾杯じゃ! 何一つ救わなかった無責任な神に、エトランゼを利用するだけ利用して黙殺した人間と御使いに、そして、悲しみに狂った黎明のリーヴラに、乾杯じゃ!」

 盃の中身を一気に飲み干す。

 大きく息を吐いて、それから肩から露出している白い細腕を、天に掲げた。

 その手に持つは、彼女の体躯からは想像もできないほどに巨大な戦斧。

 長い柄に、片側に刃の付いた大斧を握り、それを両手で持って空中で一閃する。

 途端、そこから光の粒子が噴き出した。

 それらは形を成し、三日月の刃となって飛空艇の回転翼が付いたマストを一本斬り飛ばす。

 間髪を置かず、炎や雷、氷の魔法が飛んでくる。

 様々な属性を混ぜ合わせ、通常の防御魔法を容易く突破できる威力と性質を持った砲撃が、幽玄のイリスへと襲い掛かった。

 もっともそれは、相手が普通ならの話だが。

 半透明な極光の壁が、それらを全て遮ってしまう。

 そこにぶつかった魔法は突破することも叶わず、散らされて魔力の塵へと消えていく。

「たかが魔力を加工した宴会芸で、純魔力たるわしのセレスティアルを破れるものか」

 それこそが御使いが持つ絶対的な力。

 神より与えられた純魔力の輝きを纏い、幽玄のイリスは再び戦斧を振りかざす。

「さあ、掛かれデュナミス共! 虫けら共を蹂躙するのだ! 奴等の悲鳴をこの空に響かせ、大地を墜ちたる肉片の血で染めよ!」

 デュナミス達がそこに殺到する。

 手に持った杖から放つ光弾で、包囲した飛空艇に一斉に砲撃を浴びせた。

 先程の一斉射が最後の抵抗だったのか、その決着は拍子抜けするほどに早かった。

 魔法による障壁を張って、飛空艇は防御をするばかり。最早一撃たりとも打ち返してくることはない。

「……なんじゃ」

 ぼそりと、声が漏れる。

 戦斧を振りかぶり、それを上下左右に無茶苦茶に振り回した。

「つまらん! つまらん! つまらん! つまらん! つまらーーーーーーーーん! なんじゃその体たらく! そんなもので御使いに挑もうとしたのか? 大方その障壁で船を包み、オーゼムに突撃でもしようとしたのじゃろ! それが御使いのセレスティアルを超えられると思うたか? 愚かにもほどがあるぞ、人間! 馬鹿過ぎじゃ! ばーか、ばーか!」

 誰にも聞こえない場所で結んだ髪を振り乱し、罵倒の声を叫びながら戦斧を振り回す。

 そうしている間にもそこから放たれた極光の斬撃が、魔力障壁を容易く貫いて船体を傷つけていた。

 やがてそれは機関部を直撃したのか、船から黒煙が立ち上る。

 実に呆気なく、飛空艇はオーゼムに辿り付くこともなく地上へと落ちていった。

「本当か? 本気なのか? もう少し足掻け、ゴミ共! それでは笑いも生まれぬ! 度を超えた愚かさは道化をどころの騒ぎではないぞ! それとてつまらなければ不況を買い、首を刎ねられると知らぬのか!」

 もう我慢できない。

 こんなにつまらないことのために駆り出されたのかと思うと、胸の中で苛立ちが沸々と沸き上がってくる。

 暇つぶしどころの騒ぎではない。これは時間の無駄だ。

 こんなことならその辺りで適当な人間を捕まえて、手足を捥いでいた方がまだ楽しめる。それだって、ただやるだけではつまらないのだ。

「えぇーい! こうなれば奴等の死骸を一つ一つ掘りだして、オーゼムで戦っている奴等に上から投げつけてやる! ばらばらにして、肉の一片までも砕いた末にな! 行くぞ、デュナミス共!」

 苛立って暴れている間に、船はもう何もない荒野の真ん中に不時着していた。

 デュナミスの群れを引き連れて、イリスもそこに下降していく。

 空回りする回転翼を切り裂いて、戦斧の一振りで視界を塞ぐ煙を吹き飛ばす。

 生意気にもまだ抵抗を続ける魔法障壁を容易く立ち割り、イリスの目が船の甲板に転がっているであろう死骸を確認するために大きく見開かれた。

 そこに、高速で飛来する物体があった。

 その視線が捉えたのは、まず晴れた煙の中に揺れる金色の髪。

 生意気な顔をした小娘は、挑発的な目でイリスを見ていた。まるで、悪戯に引っかかった間抜けを見るかのように。

「なんっ……じゃあっ!」

 弾かれたように掌を前に突き出す。

 そこに展開された極光の壁に、突き刺さる何かがあった。

 それを目にした瞬間、イリスの背筋が凍った。なんと恐ろしいものを持ち出してくるのだ、この人間共は。

 オブシディアン、神殺しの金属。

 御使いに滅ぼされた地に埋没する硬化した虚界の肉体が、咄嗟にイリスが展開したセレスティアルの壁に突き立っている。

 オブシディアンは神、そしてその僕たる御使いの天敵だった。虚界の力は体内に入れば純魔力と相反し、想像を絶する苦痛となって襲い掛かる。

 だが、それだけだ。

 本能的に恐れてしまうが、それ自体はただの金属に過ぎない。セレスティアルを浸蝕する働きはない。

 それでも、強固な純魔力の壁に弾かれなかったのは、凄まじい威力でそれが発射されたからだろう。

 胸を撫で下ろすイリスに、次の一手が襲い掛かった。

 翠金の輝きが、星々のように無数に煌めく。

 それが鏃に、弾丸に加工されたもう一つの虚界の忘れ形見であるということに、イリスは一瞬理解が遅れた。

 琥珀金。エレクトラムと呼ばれるもう一つの穢れた金属。虚界の放つ異界の魔力が結晶としてこの大地に残ったもの。

 それらを加工して作られた弾丸が、イリスのセレスティアルを浸蝕し溶かしていく。

「き、さまらああぁぁぁぁぁぁぁ! 舐めた真似をおおおぉぉぉ!」

 決死の形相で、セレスティアルの障壁を強化する。

 幾ら溶かされても、後から補強すれば直撃は避けることができる。所詮、そんな小さな欠片では数を集めたところで意味はない。

 そう思った矢先。

 一際巨大な先端を持つ投げ槍が、イリスの極光に突き刺さる。

 びしりと、嫌な音がする。

 まるで分厚い氷が割れるような音を立てて、セレスティアルに罅が入り、遂には砕け散った。

 そして、何より恐ろしい事実が一つ。

 凄まじい加速を乗せて発射されたオブシディアンの杭は、セレスティアルの壁に阻まれてなお、その勢いを完全に殺してはいない。

 それを四方から戒めるセレスティアルが消えたことで、忌まわしき漆黒の金属は再びイリスに向けて前進を開始した。

「ぎぁ……ッ!」

 その細い身体に漆黒の杭が突き刺さる。

 自分でも驚くほどに醜い声が出た。

 空中から強襲しようとしていたイリスは、そのまま勢いを失って赤茶けた荒野へと落下していった。

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