第十四節 黄金の道

 不自然なまでに静寂に支配された世界がそこにあった。

 バルハレイアに広がる赤き荒野。それは首都オーゼムの周りとて例外ではない。

 そこに集うは、全身を鎧兜に身を包んだ数多くの兵士達。

 オルタリアとバルハレイア、二つの国の王家の血が並び立ち、それを指揮している。

 対するは異形の軍勢。首都オーゼムにあるバルハレイアの城に絡み付くように見える醜い肉の柱から生まれた、この世界にのものではない人を喰らう悪鬼達。

 陶磁器のような白い身体に、所々赤黒い肉の色を宿したそれらは、顔の部分に開けられた虚ろな目で、人間達を見下ろしていた。

 その数は優にこちらの二倍以上。

 怪物の群れを目の前にする恐怖に、誰かが息を飲む。

 若い兵士の身体が震えているが、それを笑う者はいない。例え熟練の強者とて、神話の怪物の相手をして正気を保つことなどはできないのだから。

 誰もが言葉を発しなかった。

 それをすることに意味がないことを知っていたから。

 今ここに必要なのは、己を奮い立たせる勇気のみ。一度はそれによって国を荒らされた者達と、今まさに愛する家族の住む国を奪われようとする者達。

 その両者が手を取り合って、対峙する。

 最奥に待つのは御使い。

 この世界を創造した神の僕にして、人を護り導く者。

 ならば、この戦いは反逆なのだろうか。

 偉大なる神の使徒へ、人間と言う盲者達が無謀にも挑みかかっているだけに過ぎないのだろうか。

 その答えは誰も持っていない。

 恐らく、御使い自身であろうと。

 昇る朝日が地上を照らす。

 天から降りる輝きは、神の威光と讃えられながらも、今こうして最大の脅威に挑む戦士達を鼓舞してくれているようにも見えた。

 ある者は、恐怖を押し殺すべく歯を食いしばっていた。

 ある者は、そこに意味があるのかも判らずに神への祈りを捧げていた。

 ある者は、家族への愛を呟いていた。

「臆したか、ゲオルク」

 隣でそう声がする。

 鋼の馬に跨ったベルセルラーデが、そう語りかけていた。

「臆しない方がどうかしてる。……相手は神の僕たる御使いで、この世界を喰らおうとした異形だぞ。俺達の国がどれだけ歴史を重ねて、どんなに血を流してきたとしても、神に戦いを挑んだ王なんていなかったんだからな」

 どちらも千の時を生きた王国の主。

 その間には様々な争いがあり、その全てに勝利して今があった。

 だとしても。

 一度たりとも、神に連なる者との戦など行われたことはない。

 故にこの勝敗が何処に転がるのか、果たしてそれが人の力を及ぶところであるのかは誰にも判らなかった。

 神話を語る者ならば無謀と言うだろう。

 歴史を語る者がいればそれを記録するために躍起になる。

 魔導を知る者は、今こそ己が培った技を発揮する時だ。

「王とは篝火であり、人を導く者。余の威光に民は集い、兵はその後に続いて道を切り開く。そして、王にはもう一つの役割がある。判るか、ゲオルク?」

「……挑戦すること」

 彼が言いたいことが伝わったかのように、その言葉が口を次いで出た。

 その答えに満足したかのように、ベルセルラーデは深く頷く。

「そうだ。余達の民には義務がある。それはその治世において幸福に生きねばならぬということだ。王の威光を讃え、我等の名を歴史に刻み、そして偉大な王の下に生まれたことを誇りながら死なねばならぬ。だが、今この状況はどうか? 奴等は得体の知れぬ怪物に包囲され、明日をも知れぬ日々を送っている。余が王である限り、お前が王である限り、それが許されるはずがない!」

 掲げられた鋼の杖が、日の光を反射して世界を照らす。

 その姿を見て、ゲオルクは一瞬でも弱気になった自分を恥じた。

 民は王のために尽くすもの、そして王とは、民のために挑み続ける者でなければならない。そんな簡単なことすらも、恐怖の前では忘れ去っていた。

「余とお前は幸運だ。人の一生では決して巡り合えぬほどの事件に遭遇し、それを退ける機会を得た。それは何処の国の、どのような歴史にも載っていない偉業である! これを果たした時、我等は偉大なる二人の王として人々から讃えられるであろう! そして何よりも!」

 両手を広げ、そこに集った者達へと視線を巡らせる。

 いつの間にか彼等の表情からは恐怖が消えているように見えた。

 それは一瞬のことなのだろう。戦いが始まりここに死が生まれれば、再び人の心は恐怖に支配される。

 それでも、その瞬間には大きな価値がある。

 大いなる一歩を、前に進む偉大なる歩みへと繋がったのだから。

「余達には多くの同志がいる! 力の大小はあれど、それらに共通していることが一つ。この戦いを勝利で終え、その後の歴史を自らの手で築こうと思っていることだ!」

 息を飲む。

 そうだった。

 御使いの偉大な考えなど、王と呼ばれても只人である自分には理解できない。

 この日を生きて帰る。

 家族の元で最後の日を迎える。

 友人や気心の知れた仲間達ともに明日を生きる。

 そこに立場はない。

 王も、エトランゼも、この世界に元から生きていた人も。

 ただそれだけでいい。

 人一人が戦う理由など、理不尽を突き付けてくる御使いに抗う理由など、たったそれだけがあればいい。

「この場に集ってくれた勇者達よ」

 無意識に剣を掲げていた。

 鋼の杖と王家の剣が空で交わり、澄んだ音を奏でる。

「これより俺達は、遥か彼方の神話に挑む。決して人が届かぬ領域、俺達の理を超えた、神の僕だ。だが、俺達は勝たなければならない。この大地を切り拓いてきた先人達のため、故郷で帰りを待つ家族のため、新たに共に世界を歩む友のために!」

 歓声が上がる。

 恐怖を掻き消すためのその声は、次第に重なり合い勇気を讃える頌歌と化していく。

 今この時だけは、前に進む意志だけがここにある。

 一人一人が英雄となって、決して叶わぬ敵に挑むのだ。

「全軍、突撃いいぃぃぃぃ!」

 異形が奏でる翼の音を掻き消し、地響きが大地を揺らす。

 彼等は走り出した。それはもう、どちらかが潰えるまで止まらない激情の奔流となるだろう。

 その意志を持って、前に進む。

 本来ならば押し潰されてしまう、神代から流れる濁流に挑む。

 そうして、後の歴史に深く語られることになる戦いが始まった。

 その結果はまだ判らない。

 神の使徒に牙を剥いた愚かな人々は、神話のようにその怒りによって討ち滅ぼされてしまうのか。

 それともその正当な声が聞き届けられ、この大地で生きることを許されるのか。

 それを決めるための戦いが始まった。


 ▽


 戦いが始まった瞬間、カナタの身体は背後から何者かに抱えあげられた。

 宙に浮かぶような違和感と共に顔を上げれば、鋼の馬に乗ったベルセルラーデが、片腕で荷物のようにカナタの身体を軽々と持ち上げている。

「えっ、何を……?」

「道を広げよ、魔人!」

 彼の声に応えるように、空に影が躍る。

 魔人アルスノヴァは兵達の頭上に浮かびあがり、片方の手を伸ばして、怪物の群れにその掌を向ける。

 次の瞬間、轟音と共に大地が弾けた。

 上から下へと襲い掛かる圧倒的な重力によって、目の前の展開した怪物の群れが百以上、纏めて地面に叩きつけられて潰れていく。

 その凄まじさに戦場が沸いたのも一瞬のことだ。

 すぐにまた怪物達は沸きだして、前を進む兵達に襲い掛かる。

 彼等の主戦場は空にある。例え正面を押し留めても、四方から群れをなして襲い掛かってくるのだ。

 もう既に、全軍は包囲されていると言っても過言ではない。

 弓や銃、魔法に急造の大砲まで持ち出してそれを撃ち落とすも、次から次へと溢れ出てくるその数にはいずれ対応できなくなるだろう。

「道を開けよ! ここを通るは鋼の王、ベルセルラーデ・ソム・バルハレイアぞ!」

 大地が無数に隆起する。

 そこから現れた鋼の巨人が、その巨大な腕で怪物の翼を掴み取って地面に叩きつける。

 現れたのはそれだけではない。大小様々な鋼の兵士が、馬に乗って最前線を掛けるベルセルラーデを護るように現れていた。

 上空から接近する敵は、全てアルスノヴァの重力が叩き落とす。

 例えどれだけの数が現れようと、彼女の腕の一振りだけでそれらは行く道を歪められて、四肢を引き千切られて地面に落ちていく。

「よいか、カナタ! この戦いはそなたに掛かっている。そなた達こそが、黎明のリーヴラを止める鍵であると余達は判断した!」

「そんな……!」

「全てはその為の捨て石に過ぎぬ! お前の師とやらももう内部へと侵入したころだ、そして!」

 正面から巨大な音が響き、カナタはその方向に首を巡らせる。

 オーゼムを囲う巨大な城壁が、噴煙を立てて崩れ落ちていた。

 濛々と上がる煙の中から、それらを吹き飛ばすような翼のはためきが聞こえてくる。

 切り開かれた道からは更なる数の怪物達が、先頭を進むベルセルラーデ達に向けて近付いて来ていた。

 その数は、百どころの騒ぎではない。

 空も大地も埋め尽くされるほどの数が、たった数人に向けて突撃してきていた。

「ちぃ!」

 速度を乗せた突撃が、ベルセルラーデの鋼の巨人を打ち倒す。

 崩れた守りの一角から、一瞬にして十匹以上の怪物が襲撃してきた。

「ボクも戦う!」

「ならぬ! そなたは少しでも力を温存しておけ!」

「でも!」

 鋼の杖を鞭のように撓らせ、時に剣のように操ってそれらを撃退していくが、その数は凄まじく、圧倒されていく。

 空を見ればこちらを援護するアルスノヴァもまた、自身に纏わりつく怪物を振り払うので手一杯になっていた。

 そこに、赤い光が奔る。

 後方から放たれた紅蓮の炎が、二人に纏わりつく怪物を纏めて焼き払って炭と化した。

「カナタ!」

 少年の声が、戦場を裂いて届いた。

 その手は真っ直ぐに、崩れた城壁を指し示している。

 この世界に来た時から一緒に歩んできた少年。

 今はもう、お互いに違う道を進み始めた彼が、その進む先を指し示す。

「行け! ただ、前へ!」

 心の底から響くその言葉は、カナタに全てを決意させるに充分だった。

「よく言った、エトランゼの若獅子よ!」

 例え一瞬のことでも、ベルセルラーデはそれを覚えている。

 自らの鋼の巨人を一撃で屠った、その若き力を。

「では征くぞ、カナタ!」

 真っ直ぐに、今度こそ振り返らずに馬が駆ける。

 背後から迫る怪物達は、トウヤ達が決死で食い止めている。

 正面にまだ蠢く怪物を、ベルセルラーデとアルスノヴァが薙ぎ払い突き進んでいく。

「……あれは!」

 上空で、アルスノヴァが悲鳴のような声を上げた。

 怪物の群れをどうにか退けられそうなところに現れたのは、更なる強大な敵。

 御使い、雷霆のルフニルが崩れた城壁の前に立ちふさがっている。

 銀色の髪をしたその男は、何も語らず、臆することもなく、正面に構えた剣を振り下ろした。

「ぬおおぉ!」

 咄嗟に手綱を引いて、ベルセルラーデが馬を操ってそれを回避した。

 放たれた極光の波は、怪物ごと大地を抉り、背後で戦っている兵達の一部を飲み込むようにしてただの一撃で薙ぎ払い壊滅状態に陥らせた。

「ルフニル!」

「アルスノヴァか。残念だが、今日の俺に手加減はない。リーヴラに言われているのでな、その少女の身柄を奪って来いと」

「カナタを? ……させると思う?」

 重力がルフニルを襲う。

 大地が陥没し、周囲の怪物達を巻き込んで城壁までもが音を立てて崩れ落ちていく。

 だが、それだけの力の塊を、ルフニルは剣の一閃を以て断ち切った。

 セレスティアルの斬撃を飛ばし、アルスノヴァを迎撃すると即座に鋼の馬で飛び込んでくるベルセルラーデに迫る。

「バルハレイアの王子。こんな事態になったことは残念だ」

「心にもないことを!」

 生み出された鋼の巨人は、一秒も持たなかった。

 両断された身体が土埃を上げて、地面に転がる。

「そしてエトランゼの少女。リーヴラは随分とお前に関心があるようだ」

「……ボクに?」

「ああ。その感傷は俺には理解できんが、同じ御使いの縁もある。連れて行かせてもらうぞ」

 カナタを奪うために、ベルセルラーデの腕を狙って剣が振るわれる。

 回避不可能な速度で放たれたそれは、ベルセルラーデの腕に食い込んでそれを切断するより前に、不自然な動きで軌道を逸らされて、鋼の馬に傷を付けることしかできなかった。

「……なに?」

「よぉ」

 短い、たったそれだけの一言。

 金色の髪を持った獣が、黒い剣をぶつけて直前でルフニルの剣撃を逸らしていた。

「ヴェスターさん!」

「魔剣士か」

 さほど驚いた風もなく、ルフニルが彼を呼ぶ。

「さっさと行っちまえ。こいつは俺の獲物だ。余計なもんに目移りされるわけには行かねえんだよ」

「一人で俺に挑むと? 仲間のためとは言え、それは愚かと言うものだ。お前には俺は倒せない」

「さぁて、どうかね。後勘違いすんじゃねえ。別にこいつらのためなんかじゃねえ。更に言うなら、この世界がどうなろうと知ったこっちゃねぇんだよ」

「……ふむ」

「てめぇをぶっ殺す。ついでにこのふざけた世界を創りやがった御使いに吠え面を?かせる。俺の目的はそれだけだ」

 魔剣士が凶悪な笑みを浮かべる。まるであの異形の軍勢さながらの。

 それを背後に見送りながら、カナタ達はいつの間にか城壁が崩れた場所の前までやって来ていた。

「いい仕事をするな、ルー・シン! 城の構造を教えておいて正解だったな」

 ここにいない誰かに勝算の言葉を述べてから、瓦礫の山を乗り越えてベルセルラーデ達があ城壁の裏側へと到達する。

 この大陸の命運を決める戦いは、早くも次の段階へと移行していた。

 多くの人の想いを託され、それに見送られながらカナタは前へと進んで行く。

 その先にあるものが何であるかは今やもう関係ない。

 この世界のために自分ができることをやる。

 ただそれだけのために、前に進み続けていた。

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