第十二節 他人同士の再会

 誰もいない街の片隅にある、かつては大勢の人が集っていたであろう酒場の残骸。

 木製の建物は屋根から壁、床に至るまで所々に穴が開いており、壮絶な破壊の跡が見える。

 倒れたテーブルやそのままにされた誰かの荷物。割れた酒瓶や、そこから零れた中身がそのまま染みとなった床など、痛々しい光景が広がっていた。

 その空間に入り込む細い影が一つ。夜の闇の中に紛れて、こっそりと誰もいないこの場所にやってきていた。

「ふっふっふー。ここのお酒、前から目を付けてたんですよね。どうせ持ち主もいないわけですし」

 カウンターをひょいと乗り越えて、奥の棚へと侵入する。全く迷いのない動作で棚の上段に飾っていあるその酒瓶へと手を伸ばした。

「知らないみたいだから教えておくけど、貴方のやっていることは立派な犯罪よ」

 びくりと、声に反応して身体が動く。

 反射的にギフトを使って、酒樽の中に溜まったままの酒がその声を牽制するように渦を巻いて、ガタガタと音を鳴らした。

 声の主はそれに全く動じた様子もなく、半壊した扉の残骸を乗り越えて、崩れた酒場の中へと入ってくる。

 金色の髪をした、妙齢の女だ。

 黒いドレスに身を包んだその姿は見惚れるほどに美しいが、妖艶さと共に何処か物悲しさを感じさせる表情をしている。

「……貴方、確か魔人アルスノヴァ……でしたっけ?」

「ええ、そうよ。お久しぶりね、ラニーニャ」

「まさか警備員の仕事を始めたとは思っていませんでした。お給料はいいんですか?」

 軽口を叩きながら、手に取った酒瓶の中にある酒を操って、内側から蓋を破らせる。

 戸棚を開けてグラスを二つ取り出すと、その両方に酒を注いで自分とアルスノヴァの前に置いた。

「共犯者にしようと言うわけ?」

「奢りですよ。感謝してください。今更罪の一つや二つ増えても問題ないでしょう」

「……それもそうね」

 意外にも簡単に納得して、アルスノヴァはグラスを手に取る。

 味と香りを楽しむためなのか、目を閉じてそれを口にする姿が余りにも絵になっていて、同性同士だと言うのに思わず見惚れてしまっていた。

「で、何の用なんです?」

 それを誤魔化すために一杯目を一気に飲み干して、次を注いでいく。

「別に。貴方の後ろ姿が見えたから、少し話がしたくてね」

「あらら。ラニーニャさんのファンの方でしたか。サインは要りますか?」

「いらないわ。それにファンでもないし」

「ならストーカー……?」

「それも違う」

「それじゃあ……知り合いですかね。わたしの知らない誰かさんの」

「ええ」

 何でもないことのように言って、アルスノヴァが空になったグラスをカウンター席に置いた。

「ラニーニャさんは別に店員じゃないんですけど」

「このことを貴方のところのお嬢様に告げ口してもいいのよ」

「……まぁ、お酒は幾らでもあるから別にいいですけどね」

 とくとくと酒が注がれる。

 アルスノヴァは椅子に座ったまま、ラニーニャは後ろの棚に背を預けるようにしてお互いに無言でその味を楽しんだ。

「聞かないの?」

「何をです?」

「過去の貴方がどんな人物で、どうなったか」

「興味ないですね」

「……そ。ならいいわ」

 あっさりと、それで会話は終了する。

 記憶がないし、思い出す当てもない自分に興味なんかない。それに何よりも自分のことは自分自身がよく理解している。まかり間違っても、まともに生きて死んで行けたとは思えなかった。

「……別に、自分に興味があるわけじゃないですけど」

 そう前置きしておく。

 会話がないのが辛いのもあったが、思いつく話題がこれしかなくて、それによって、やっぱり興味があるのかと思われるのが癪だった。

「わたしと貴方、どういう関係だったんです?」

「……そうね」

 グラスの淵に指を置いて、アルスノヴァの視線が虚空を見る。

 遥か遠い過去に思いを馳せているのだろう。彼女が生きてきた、千年の時間に。

「他人ね。まともに会話をしたことは……確か、二回か、いえ三回ね」

「他人も他人じゃないですか。よくそんな人と話そうと思いましたね。余程友達に飢えてるんですか?」

「友達ならいるもの。もし欲しくても貴方を選ぶことはないわ」

「……そうですか。ラニーニャさんも友達いますよ」

 何故か対抗してしまう。そのことで目の前の女の負けるのは、心が拒否していた。

「そうみたいね。以前、貴方のことを随分と心配していた猫ちゃんがいたわね」

「可愛いでしょう? わたしの大親友ですから」

「ええ、可愛かったわ。私の大親友には負けるけど」

「でもわたしの大親友はお金持ちですよ」

「私の大親友は嫌になるぐらいにお人好しよ。性格が良すぎて困るぐらい」

「船持ってますよ。しかも船長の才能もある」

「小っちゃくて可愛いわ」

「こっちだって小っちゃくて、しかもおっぱいは大きい!」

 互いに馬鹿なことを言いながら睨みあう。

 この会話が聞かれていたら、両者とも呆れて去って行ってしまうんだろう。貴重な友人で、そんなくだらないことで張り合うから友達が少ないのだ。

 いつの間にか前のめりになっていたアルスノヴァは、冷静さを取り戻したのか姿勢を戻して椅子に座りなおす。

 再度お代わりを要求し、それに応えると黙ったまま口を付けた。

「胸は小さいわね。貴方と一緒で。……ぶっ!」

 彼女が飲もうとしている酒を操って、それを顔にぶっかけてやったのだが、特に反撃に出ることはなく黙ったまま取り出した布で酒を拭き取って、席を立つ。

「お邪魔したわね」

「いや、本当に」

「……ここのお酒を全部叩き割ってあげてもいいのだけど?」

「そしたらそれ、全部頭からぶっかけてあげますよ。ジャパニーズ・コトワザに在るでしょう? 水も滴るビューティガールって」

「貴方日本人じゃないじゃない」

「そっちだって」

「残念ね。戸籍上は日本人よ。千年ぐらい前のことだけど」

「……わたし達の国ってまだあるんですかね?」

「さあね」

 興味もなさそうに、アルスノヴァはその質問を切り捨てた。帰れもしない場所の事を考えても悲しくなるだけだと、嫌と言うほ理解しているのだろう。

「元気そうでよかったわ」

「……はぇ?」

 彼女が小さな声で放った一言。

 その声色が、それまでのアルスノヴァと同じ人物が言ったとは思えないほどに優しくて、ラニーニャは思わず間抜けな声を上げていた。

 それを聞いたアルスノヴァはしたり顔でラニーニャを一瞥してから、背を向けてぼろぼろになった酒場を後にする。

「またね」

 彼女とは友人でも何でもない。

 それでもきっと、不思議な縁があるのだろう。

 だからこそ、背中越しのその一言に対して、いつもの憎まれ口で返すことはできなかった。

「……ええ、また」

 その再会はきっと、ロクでもない場所になることだろう。

 この物騒な二人が出会う場所なんて、限られているのだから。


 ▽


 オルゴルに到着した翌日の朝、ヨハンはルー・シンに呼び出されて宿を丸々一つ借り切ったオルタリア、バルハレイア連合軍の参謀本部にやって来ていた。

 建物に入ってすぐのところにあるロビーは余計なテーブルや椅子は取り払われて、中央に大きな机だけがある作戦会議室となっている。

「おはよう、ヨハン殿。昨夜はよく眠れたかな?」

「寝心地が言いベッドとは言い難いが、文句を言うほどじゃない」

「結構なことだ」

「だが、ベッドの数は二つにしておいて欲しかったな」

「手前からのサービスだ」

 相変わらず本気なのか冗談なのか判らないこの男の言葉は無視することにした。

「お茶でも入れましょうか」

 ヨハンの後ろを付いて歩いて来ていたアーデルハイトが横からひょこりと顔を出して、厨房の方へと消えていった。

「――それで、お前のベルセルラーデ王子の間ではどんな話し合いが行われていたんだ?」

「なに、大したことではない。先日も言った通り、手前が部隊の一部を率いて先んじてバルハレイアに侵入し、バルハレイアの……いや、御使いの目的を探り妨害することだ。そこに関しては、一つは不要になった」

「御使いが行動を起こしたからか?」

 ルー・シンが首肯する。

 本来ならば彼等はベルセルラーデが戦っている間に、そこで情報を集める算段だったのだろう。

 それが、御使いが想像よりも早く行動を開始したことで無意味になったということだ。

「あの怪物達が人間に敵対していることは明白だ。だとすれば、少なくともオルタリアに与する我々にはあれを討滅する理由がある」

「だが、昨日の話では奴等はバルハレイアの軍事施設以外には攻撃していないのだろう? だとすれば、ベルセルラーデ王子がこちらに味方をする理由も薄くなると思うのだが」

 周囲に自分達しかいないことが判っていても、小声になってしまう。つい先日までバルハレイアとは交戦状態にあったのだ。少しでも不和の種を撒くのは避けたかった。

「その件だが、昨日の夜にまた新たな知らせが入った。王都オーゼムの状況についてだ。オーゼムには現在、奴等の親玉と思しき巨大な化け物が城に憑りつくように存在している。そしてそれから生み出された怪物が、王都の中を闊歩しているらしいが、今のところ内部の民間人に被害はない」

 そこから更にルー・シンは付け加える。

「それからこれは悪い知らせだな。卿達がここに来た時点では確認できていなかったが、奴等の攻撃を受けて幾つか街が壊滅している。軍事施設だけを狙っていたというのは、単純に先に防衛戦力を削ぐためだったようだ」

「……何だと?」

 拳を握る手に力が入る。

 ルー・シンの話が本当ならば、こうしている今にも被害は増えているのだろう。それも、抵抗できない者達を中心にして。

「ところで、卿達はここに来る途中何度か奴等と交戦したのだろう? 何か特徴のようなものは感じなかったか?」

 光炎のアレクサが呼び出したアルケーと呼ばれる御使いの僕のような白い陶磁器のような肌に、所々赤黒い肉が交じった翼を持った人型。

 まるで天使と悪魔を無理矢理に一つに繋げたようなその怪物の戦いは機械的で、痛みや死を恐れる様子はない。

「恐ろしい何かだとは思ったわ」

 奥からそんな声が聞こえてきて、お盆に乗せられた三人分のお茶を持って、アーデルハイトが厨房から出てくる。

 それをテーブルの上に並べて、ヨハンの隣に並んで会議に参加するつもりのようだった。

「あいつらは痛みも死も恐れない。肉の身体を持っているけれど、まるでゴーレムみたいね。何らかの命令に忠実と言うか、それ以外に意志がないみたい」

 既に何度か交戦していていてそれは感じていたことだった。

 奴等は銃で撃たれても魔法で吹き飛ばされても恐怖で動きを鈍らせることはない。例え仲間が殺されても、淡々と任務を遂行しようとしているようだった。

「その特徴、何処かで出会ったことがないか?」

「虚界か」

 答えはすぐに出た。と言うよりも、戦いながらそれはヨハンも薄々と感じていたことだった。

 ましてやあのグロテスクな肉の身体は忘れたくても忘れられない。あの時現れた異形の怪物達によく似ている。

「あれが虚界だとして、アデル、あいつらと戦っている時に妙なことはなかったか?」

「妙なこと……。いえ、あれ自体がかなり奇妙な敵だったからそれ以上は特に」

「恐怖心は?」

「それはまぁ、怖いけれど……。竜と戦うよりはマシかしら」

 誇らしげにそう言ってのける。

「それはこちらでも確認している。この世界の人間は虚界と戦い際に、異常なほどに恐怖心を呼び覚まされるらしいな。だが、手前達も何度か交戦したところ、そう言った気配はない。無論、あれ自体が異常な存在なため、それに対する恐れはあるだろうが」

「つまり、純粋な虚界ではないと言うことか。裏に黎明のリーヴラが絡んでいるとすれば、そう考える方が自然だろうが」

 そもそも、本来虚界と御使いは相反するものだ。黎明のリーヴラがバルハレイアで暗躍し、虚界を復活させること自体がおかしかった。

「何らかの改良を施していると考えるのが自然だろうな。奴等の力だけを意のままに操れるように」

「そこまでする目的か……」

「奥方。この世界の住人である貴方に聞きたいのだが、もし御使いが武力を使って行動を起こすとして、その目的は何になると思う?」

 急に話を振られて、アーデルハイトは腕を組んで考え込む。

 この世界で育って来た彼女は確かにヨハンやルー・シンに比べて御使いと言うものに詳しいのかも知れないが、それは全て神話やお伽噺での話だ。

「目的と言われても……。御使いはそもそも、神様の使いとして驕った人に裁きを与えたり、或いは道に迷える聖者を導くとか、それから悪魔……多分、この場合は虚界と戦ったりするぐらいしか」

「この場合適当なのは、驕った人に裁きを与える、か?」

「近しい目的ではあるだろうな」

 ヨハンがそう答える。

 少なくとも、黎明のリーヴラは今のこの世界の認めてはいない。無差別とも言える破壊活動に及ぶ理由は不明だが、そうでなければヘルフリートに与して虚界を蘇らせたりなどするはずもない。

「でも、御使い……いえ、神の最終的な意志は人々の守護と幸福よ……。その、あなたの前では言い辛いけれど、神は何処までも人間の幸せを願っていた。それはエイスナハルのどの教えを見ても変わらない真実なの」

 若干言い淀みながらも、アーデルハイトはしっかりと意見を口にする。昨日も言った通り、ヨハンも自分の過去に囚われるつもりはない。それよりも、少しでも意見や情報が得られる方が遥かにありがたかった。

「守護と幸福か……。ふむ、多少は見えてきたかも知れんな」

 それを聞いて、ルー・シンが一人で納得する。

「また予想の域を出ぬが、無差別に攻撃を仕掛けておきながら王都が無事と言うところが気に掛かっていたな。そればかりか、オーゼムを守護するが如くその周辺には大量の怪物が現れているらしい」

「王都を護っていると?」

「そうだ。中には何者も入れず、外にも出れず。まるで過保護な親のようにな」

「……それと、守護と幸福に何の関係がある?」

 既にヨハンの頭の中では、一つの結論に辿り付いている。

 それでも、ルー・シンに尋ねたのは、自分の中にある荒唐無稽なその考えが間違っていると言ってほしかったからでもある。

「もし、世界中の人間を護ると誓いを立てたのならば、その『世界』は狭い方が何かと都合がいいだろう」

 答えは無情にも、ヨハンと同じだった。

「怪物の数は増え続け、手足を?ぐ様に人間が戦う力を削いでからは、容赦なくその牙を民間人に突き立てるだろう。事実、観測されているその数は日々増えて続けている」

「その為の虚界か……」

 どのような手段を用いたのかは判らないが、リーヴラは虚界をその手中に収めている。

 そしてその力で生み出した怪物で、この世界そのものを縮めようと言うのだろうか。

 それは、考え得る限り最悪の可能性だった。

 この世界の人々を破滅させる目的、そしてその行動を開始したということは既に手段を持っていると言うこと。

 それだけの相手と、協力しているとはいえ疲弊したオルタリアとバルハレイアの両軍で戦わなければならない。

「だが、手前はそれほど悲観していもいない」

 ルー・シンのその言葉に、ヨハンは下げかけていた顔を上げた。

「手前の目から見て、奴等の立てる作戦や行動には穴が多い。無論、その大半は御使いの持つ圧倒的な力や物量でどうとでもカバーできてしまう程度のものだが、それでも付け入る隙にはなる。何故、そうなると思う?」

 その問いに二人は考え込み、先に答えを出したのはアーデルハイトの方だった。

「人間を侮っている?」

「その通り。奴等は定命の存在であり、自分達に比べて力なき人間を侮っている。そこに生まれた隙を付けば、勝利とて決して不可能ではないということだ」

 その言葉は、気休めではない。

 ルー・シンの表情がそう物語っている。

「手前達は確かに余所者かも知れぬが、この世界に生きる命なのだ。それを奴等の身勝手で奪われたるわけには行かぬ」

 ルー・シンの言う通り、御使いは人に比べて圧倒的な力を持っている。

 しかし、それ故の驕りで何度も敗北を喫してきたのもまた事実だった。

 悪性のウァラゼル、光炎のアレクサ、魂魄のイグナシオ。

 その誰もが、人間を侮り敗北した。

「手前が黎明のリーヴラの立場ならば、もう少し時間を掛けるだろう。もっとも、他に理由があって計画を急がなければならなかったのかも知れぬが。せめてバルハレイアとオルタリアの決着がつき、両軍が疲弊しきってから事を起こす」

 両者にはまだ、御使いを脅かすだけの戦力が残っている。

 それにも関わらず事を急いだのはそうしなければならない理由があるからか、それとも勝利を確信した故か。

 どちらにしてもそれは、人間達がまだ絶望しない理由にはなっていた。現に今こうして、戦おうと言う者達が行動して集まり始めているのだから。

「神話より続く因果を断ち切る戦いだ。負けられんぞ」

「……ああ、判っている。この世界を奴等から解放して、そこに住む者達の未来を手に入れる」

 決意を新たに、そう宣言する。

 状況は決してよくはない。大局で見ればそれは、絶望的とも言える。

 それでもまだ諦めることはない。ヨハンの周囲にはこれまでで培ってきた多くの人がいて、その誰もが諦めずに足掻こうとしているのだから。

 そして目の前にいるルー・シンやアーデルハイトを初めとする彼等もまた、御使いの謀略をひっくり返すのに充分な力を持っている。

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