第九節 目覚め
その日、バルハレイアの首都オーゼムにて。
バルハレイアの現国王であるベリオルカフは上機嫌だった。
王族のために設えたその私室には天蓋付きの大きなベッドと、豪華な装飾が施された椅子。その他にも価値を知る者が見れば垂涎ものの調度品、家具で埋め尽くされている。
その中央に座り、白髪に髭を生やしたベリオルカフは、女達を踊らせる舞台を見ていた。
その両側にも女を侍らせ、片方がしな垂れかかり、もう片方はその口に酒の入った盃を運ぶ。
先日、遅々として攻略が進まないイシュトナルに対してベルセルラーデに伝令を飛ばしたのが、そろそろ到着したころだろう。
彼の王子は気難しい性格で、息子ながら扱いづらいが、その力は本物だった。間違いなく、長年のバルハレイアの血族の中でも最強と言ってもいい。
だからこそ意味がある。噂を鵜呑みにして、エトランゼの女を孕ませた甲斐もあると言うものだった。
もし、息子がそのままイシュトナルを陥落させ凱旋したのならば、この国も安泰だろう。後は自分の命が尽きる前に、どれだけ大陸の覇権を握れるかの勝負となる。
その時、その瞬間が来るまでベリオルカフはそんなことをずっと頭の中で思い描いていた。
一度は潰えた夢が蘇ったのだ。その喜びは至上のものである。
だからこそ、楽しみの最中に部屋に入ってきたリーヴラに対しても、何ら苦言を呈することもなかった。
「おぉ! リーヴラか! この部屋に入ってくるとは珍しい!」
能天気にそんなことを言って、視線で女達に合図する。
ベリオルカフの専属の女達として何度もこの部屋で舞い続けた彼女等はそれだけで全てを察して、手早く片付けを終えて部屋から出ていった。
女達と擦れ違いながら、リーヴラは相変わらず不気味さすら覚えるほどの透き通るような美貌で、閉じられたままの目をベリオルカフに向ける。
「竜と聖別騎士団が敗北したと聞いた時はお前の力の程を疑ったが、まさか他に御使いの仲間を用意してくれているとはな」
「雷霆のルフニルと幽玄のイリスは私の知己の中でも優れた力の持ち主。きっと王のお役に立ったことでしょう」
「そうだろうよ。なんと言っても御使いが味方に付いてくれているのだ。わしの軍に敗北はない!」
上機嫌に笑い、女達が残していった酒瓶の中身を自分で注いで一気に呷る。
既に大勢は決したようなもの。オルタリアがどれだけ抵抗しようと、御使いがその気になれば物の数ではない。
その上でオルタリアを手に入れ、御使いにはその報酬として宗教でも何でも勝手にやらせておけばいい。
神の教えにさほど興味を示さないベリオルカフの考えなど、その程度のものだった。
「本日はいいお報せを持って来ました」
「ほう! 言ってみせよ」
椅子に深く腰掛ける。
既に心の中は期待で一杯になっていた。御使いの知識を用いた新たなる武器や兵士か、それとももう既に何らかの結果が出ているのか。
その期待が裏切られることになろうとは、予想だにしていなかった。
「全ての準備が完了しました」
「全ての、準備?」
聞き返すベリオルカフに、リーヴラは法衣の懐から一つの石を取り出して見せつける。
青白い輝きを放つ、掌に乗るほどの小さなそれは、人の心を惑わすような輝きを放っている。
それはまるで、空に浮かぶ星を手に掴んだようにも見えた。見惚れるほどに美しいが、何処か危うく、手を伸ばすことを躊躇うほどの妖気が漂っている。
「私の計画には、大量の『死』が必要でした。人が死ぬ際の声にならない叫び、魂が人の肉体を離れる際に放つ輝き。それらは純度の高い生命の結晶を生み出します」
「何の話をしている?」
「ですが、私達御使いではそれを生み出すことができない。昇華されたこの身では与える死を掬い上げることができなかった。そのために、私は人と虚界を利用することを考えたのです」
リーヴラの声に、小さな高揚が生まれる。
それを聞いて、ベリオルカフは只事ではないと確信した。この男が現れて協力を申し出てから、今日までこれほど感情を表にしたところを見たことがない。
「戦争が必要だったのです。無念のままに消える命が、戦場で魂を燃やし尽くすその輝きが。それらはここに集い、新たなる世界の標となりました」
妖しく、その宝石が輝く。
咄嗟にベリオルカフは傍にあった剣を抜いて、構えていた。
老いてもなお、戦場を駆けたころの本能が目の前の危険に対してそうさせていた。
「さあ、共に祝福を。この世界に住む者であれば、誰もがそう在るべきなのです」
「貴様……!」
斬りかかろうとしたベリオルカフが、態勢を崩してその場に尻餅を付いた。
城が振動していた。地面の底にいる何かが暴れているような、巨大な建造物を容易に揺さぶれるだけの力が、響いてくる。
「なんだ!」
「その目覚めを祝福いたしましょう」
石の壁や床が罅割れ、そこから何かが這い出してくる。
赤黒い色をした不気味なそれは、リーヴラがこの城の地下に眠っているとベリオルカフに告げたものだった。
虚界。
そう呼ばれる、遥か昔にこの地上に降り立った破壊の使者。
その死骸が、この城の地下にはずっと眠り続けていた。リーヴラは全ての褒美として、それを欲しがっていた。
「これは……! だが、こいつは死んでいたはずだ!」
ベリオルカフは何度も確認をした。
家臣の魔導師にもしつこいほどに尋ねたのだ。この虚界は本当に死んでいるのかと。
返答は、誰もが首を縦に振った。そして人に対してもそうであるように、死んでいる虚界を蘇らせる術などありはしないと、誰もがそう語った。
「ですから、この石の力が必要だったのです」
「貴様の目的はなんだ!?」
ベリオルカフが叫ぶように尋ねる。
そう言っている間にも揺れは大きくなり、城はその地下から這い出る肉の触手により裂かれて原型を失い始めていた。
だが、まだベリオルカフは諦めていない。
もし、リーヴラの目的がベリオルカフと競合しないものであれば、むしろこれはチャンスと言えた。
目覚めた虚界の力を、軍勢として利用できるかも知れないのだ。そう考えるベリオルカウは強かなのか、それとも状況を理解していないだけなのか。
その答えはすぐに出ることになる。
あちこちから聞こえてくる悲鳴。王の無事を確認する家臣達の声。
廊下を走りまわる足音に紛れてしまうほどの静かな声で、リーヴラは告げる。
「救済です」
「救いだと……?」
「ええ。私がこの力を使い、この世界と人々、全ての生命を新たなる形へと変えていく。それこそが、罪を犯してなお裁かれぬこの世界に対しての、救いとなるのです」
静かなる狂気を湛えた声で、リーヴラはそう告げる。
その言葉に対する反論を言う暇はなかった。
足元が裂けて、ベリオルカフの下に深い暗闇が顔を覗かせる。その下には、既に犠牲となった城の者達が折り重なるように倒れていた。
虚空に投げ出され、抗う術はない。
剣を手放し、命乞いをするかのように手を伸ばしながら、ベリオルカフは自らの権威を示すための巨大な城の下層へと落下していった。
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