第八節 黒き獣

 硬く、重々しく、しかし何処か済んだ音が戦場に響き渡る。

 すぐ傍には渓谷に落ちそうなトゥラベカを助けるためにその手を掴んだままのカナタが、呆気にとられた顔でこちらを睨んでいた。

 そこに、乱入者が一人。

 本来ならば顔を顰め、問答無用で吹き飛ばしたいところだが、それを見たテオフィルの表情は喜びに満ちていた。

「よぉ、初めまして」

 黒く光るオブシディアンの魔剣。

 テオフィルと同じ金色の髪をした長身の男は、興味なさげな顔でカナタ達を見ていた。

「何やってんだ、おチビ?」

「ヴェスターさん……!」

「あいつがいるのを見つけて来てみりゃ、いつの間にか戦いは終わってるし、こっちはこっちで馬鹿なことやってやがる。もうちょっと真面目にやれ、真面目に」

 茶化すようにそう言って、ヴェスターはトゥラベカの手を掴み、簡単に崖から引き揚げてしまう。

 そんなことをされても、テオフィルはその場から動くことができなかった。

 いや、動く必要がないと言った方が正しいだろうか。

 もう既に御使いの計画は始動している。空にはその力で生み出された怪物が、今にも人間を襲おうと大挙して押し寄せていた。

 元より半死半生の二人など、どうとでも葬れる。それよりもテオフィルの関心は、目の前に現れた獲物へと向けられている。

「無視しないで欲しいもんだなぁ!」

 全力で振り下ろした聖別武器の一撃を、魔剣が受け止める。

 天の力と虚界の力が互いに反発し合い、黒い稲妻が弾けて、二人の身体がその反動で後ろに下がって行く。

 ヴェスターが視線で指示をすると、カナタはトゥラベカに肩を貸すようにしてその場から下がって行く。

 それを見届けてから、ようやく魔剣使いの男はテオフィルを見た。

「誰だ、てめぇ?」

「クハハハッ! 確かに俺はお前さんほど有名じゃねえからなぁ! だが、俺はずっとお前に会いたかった! 高名な魔剣使いヴェスターになぁ!」

 踊るように剣が舞う。

 問答無用で振るわれる無数の刃を受け止め、避けながら、ヴェスターは怪訝そうな表情でテオフィルを見やる。

「で、俺に何の用だ?」

「決まってるだろう! このイカれた世界で、イカれた俺達がやることは一つ! 片方が喰われて、もう片方が生き残るだけだ! 噂を聞いた時からずぅっとお前に会いたかった! 俺と同じ、殺すための獣であるお前に!」

 殺すことに躊躇いはなかった。

 幸いにして、持たされた力は人を傷つけるのには充分な威力を持っている。

 だから、躊躇う者を次々と殺して成り上がってきた。自分の上に立とうとする者、下に付く者、どちらにも分け隔てなく。

 そのうちに、風の噂で魔剣使いの名を聞いた。

 自分と同じように何人もの人を殺して生きる、狂気の世界の住人。

 それがオルタリアに協力していると聞いた時は多少は落胆したものだが、それでもどんな獲物よりも魅力的だ。

「大人しく俺の獲物になってくれよ!」

 左手から不可視の衝撃が走る。

 ヴェスターは難なくそれを剣で断ち切り、更に繰り出されるテオフィルの斬撃を受け止める。

「……てめぇがどういう類のイカれ野郎かはよく判んねぇがな」

 そんなのは決まっている。

 この世界を滅茶苦茶にしたいだけだ。

 壊すことに喜びを覚える。

 殺すことに快感を感じる。

 テオフィルはこの世界で、そう言う人間へと変貌した。

 あの水を使うエトランゼの少女にも素質はあったが、寸でのところで人間であろうとしてしまった。

 やはり、その心が羽化するには人との繋がりなど邪魔なだけだ。

 だから、目の前の男はきっと自分と同じはずだ。

 人との繋がりを立ち、獲物を殺し続ける生粋の狩人。

 この世界に来て才能を開花させた、殺戮の狂人。

 ――少なくとも、テオフィルの中ではそう決まっていた。

 だが、次に彼が放った一言は、テオフィルの中にある黒く歪んだ希望を簡単に打ち砕いてしまう。

「邪魔だよ、三下」

「あぁ!?」

 黒い剣が、身体に食い込む。

 そこから発する痛みは、テオフィルの想像を遥かに超えていた。

 この世界に来て、斬られることにもなれているはずなのに、その傷口が常に炎で炙られているかのように痛い。

「ぎ、あああぁぁぁぁぁ!」

「俺をてめぇみたいな小物と一緒にすんじゃねえよ。別に人を殺したいと思ったことなんざ一度もねえ。邪魔だからぶっ殺しただけの話だ」

 違う。

 期待は一瞬で砕かれた。

 同じ狩人度同士だと思っていたのは、テオフィルの壮大な勘違いだった。

 目の前の男は狩人なんかが手を伸ばせないほどに強大な獣だ。

 手を出せば間違いなくその身を破滅させる、ほどに強く、獰猛だった。

「うおおおあああぁぁぁぁぁぁ!」

 全力の衝撃を放つ。

 斬られた腹から激しく血が出るが、そんなことはお構いなしだった。

 こんなに、遠いわけがない。

 自分と同じだと思っていた男が、それよりも遥か先に、いや。

 違う次元に立っていたなんて、そんなことを認めるわけにはいかない。

 だが、テオフィルのその一撃は儚い。

 ヴェスターはまるでそれが見えているかのように身体を逸らして、ほんの僅かな動作だけで避けて見せた。

 そして、いつの間にか崖を背にしているテオフィルの下にヴェスターが迫る。

「獲物ねぇ……。ま、確かにそうかも知れんがな。だが、いいこと教えといてやるよ」

 振り上げられる黒き剣。

 テオフィルの目に妙にゆっくりに見えるそれは、まるでどんな闇よりも深い黒色をしている。

「俺にとっててめぇは獲物にすらなんねぇ。単なる邪魔な障害物だ」

 足元に小石があったから蹴飛ばした。

 目の前の男にとっては、その程度のことなのだろう。

 戦いではない、狩りですらもない。

 邪魔な何かを退かすだけの作業。

「がァ……、ア……!」

 血飛沫を上げ、それでもその手に輝く聖別武器は握ったまま。

 テオフィルの身体はアルゴータ渓谷の谷底へと落ちていった。

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