第七節 鋼の王、出陣

 絶えず血風が吹き荒ぶ戦場。

 後ろで結んだ黒い長髪に、褐色の肌をした男、ベルセルラーデは迫る敵軍を眼前に捉え、腕を組んだまま微動だにせず屹立していた。

 既にバルハレイアの部隊は幾つかが潰走し、戦いの流れはオルタリアに奪われている。

 こちらは寡兵。しかも、予定されていた援軍はやってこない。

「ベルセルラーデ様!」

 側近の一人が、傍に跪いて声をあげる。

 その男はトゥラベカと同じく、ベルセルラーデが子供の頃から仕えてくれる忠臣の一人で、昨日僅かばかりの補給と共にオーゼムから到着したばかりだった。

「……父上の様子はどうだ?」

「それが……」

 側近は一度言い淀み、ベルセルラーデはそれで全てを察していた。

「相変わらず、御使いに心酔するような言葉を言って、僅かばかりの軍議の後には部屋に籠り、女達を呼び寄せる日々が……」

「……そうか」

 今更落胆もない。

 あの時、父であるベリオルカフの目を見た時にベルセルラーデは理解してしまった。

 他のどの家臣も、兵や民達にも気付かれない、王として決してあってはならない真実。

 あの男は、ベリオルカフは屈したのだ。御使いに勝てぬと膝を折り、その力を使ってオルタリアに進軍する道を選んだ。

 そのために力を借りたと、野心などともっともらしい言い訳を付けて。

 結局のところ、彼が選んだのは犬として御使いに尻尾を振ること。そしてその為に、多くの兵達を先導して死地に向かわせることだった。

 あの時の目が、視線が、表情が全てを物語っていた。

 親子にしか判らないであろうその一瞬のやり取りで、ベリオルカフはベルセルラーデに自らの真意を伝えた。

 そして、今に至る。

「全ては動きだした」

「……は?」

「もう止まれんところにいるぞ、余も、御使いも、奴等も」

 鋼の杖を振るい、その先端を後方へと向ける。

「貴様はここから去れ。後方の部隊と合流し、連携を取って後の事に当たれ」

「そ、それではベルセルラーデ様は……?」

「奴等の力を見定める」

 顔を上げ、前を見る。

 既に味方の兵は少なく、アルゴータ渓谷の奥地に構築した陣地にまでオルタリア軍が入り込んできているような有り様だった。

 その先頭に、一人の男がいる。

 かつては友として語りあった男は、今や敵対する国の王として、部下達に護られながらも先陣を切って立ち向かってくる。

「行け。貴様は貴様の成すべきを成せ! 余は余の、王の血を引く者としての役目を果たす!」

 有無を言わせぬその言葉に、側近に抵抗はなかった。

 それこそが彼の忠誠心。ここで共に死ぬよりも、彼のやろうとしていることを結実させるために命を賭ける。

 何よりも、彼はベルセルラーデがここで倒れるとは思っていない。

 鋼の王は誰よりも強い。

 最強の戦士トゥラベカに戦いの教えを受け、そしてバルハレイアを統べる強き王になるためにギフトを持った王なのだから。

「さあ、来るがよい。オルタリアの王、ゲオルク! そして余を超え、御使いを打倒せんとする者達よ! その力を、意志を、余が選定しよう!」

 鋼の杖が地面に突き立つ。

 そこから放たれる純魔力が石の中を伝い、アルゴータ渓谷の奥地に眠る金属へと力を伝番させていく。

 ベルセルラーデの力を受けた金属はその意のままに動きだし、地下を掘り進み結合し、人型の巨人となって大地を立ち割って姿を現した。

 その数は優に十を超える。一体一体が歴戦の戦士に勝り、オルタリアの魔装兵すらも越えるほどの戦力を持つ無敵の軍勢だ。

「まずは小手調べだ! この程度も越えられぬようでは、鋼の王たる余に挑む資格すらないと知るがよい!」

 それとは別に小型の軍勢も生み出し、敵兵の足止めに使う。

 大きさこそ巨人よりは小さいものの、それとて正面からぶつかりあえば十の兵を圧倒するほどの力を持っている。

 数の差など、鋼の王の前では無意味。無限に生み出せる鋼の軍勢こそが、ベルセルラーデを護る最強の武具であり、兵だった。

 乱戦の様相を見せるその戦場を、真っ先に抜けてきた者がいた。

 大槍を手に携え、目の前に立ちはだかる巨人を両断してベルセルラーデの前に迫るのは、オルタリアの武門を司るヴィルヘルムの当主である、エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン。

「一番槍を狙うは貴様か、エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン!」

「……ベルセルラーデ様。残念です。貴方とゲオルク陛下ならば、共に手を取り合ってお互いを強き国へと導けると思っていたのですが」

「耄碌するには早かろう、ヴィルヘルム! 戦場で敵に掛ける言葉がそれか?」

「……確かに。では、武人として我が王の道を拓かせていただく!」

 そのぶつかり合いに、大気が震えた。

 大槍の先端と、鋼の杖がぶつかり合い、甲高い金属音が戦場広域にまで響き渡る。

 防御してもなお、全身を打ち抜くほどの衝撃に、ベルセルラーデは高揚し、目の前の敵に対して闘争心を燃やしていく。

「流石は武門の要! オルタリアの守護者だ!」

「その名も今や過去のもの! 己の未熟さを拭えず、国の混乱に加担した愚かな男です!」

「ふんっ、かも知れぬが!」

 鋼の杖は周囲から集められた金属を取り込み、槍と同じ長さにまでその姿を変える。

 それを器用に振り回し、ベルセルラーデはエーリヒが放つ突きを一本残らず薙ぎ払うように叩き落とした。

「見事……!」

「エーリヒ様! 加勢します!」

「ラウレンツ!」

 口髭を生やした壮年の男が、そこに参戦する。

 ラウレンツ・ハイデンベルク。

 エーリヒに仕える貴族の一人であり、今のオルタリアでは数多くの実戦経験に支えられた有数の武勇の持ち主でもある。

 その二人の槍による猛攻を受けながらも、ベルセルラーデはまだ涼しい顔をして、それを受け流し続けていた。

 鋼の杖は金属を操るギフトを受けて、変幻自在にその姿を変える。

 槍に変わり突いたと思えば、剣へと変化して相手を斬り返す、盾となり敵の攻撃を防ぐことも、鞭のように撓り薙ぎ払うこともできる。

 そして、そのギフトの及ぶ範囲は当然それだけではない。戦いながらも地面からは鋼の軍勢が出現し、また小さな金属の礫を飛ばすことで遠距離攻撃すらも可能だった。

 それらを全て同時に行うことで、ベルセルラーデは一人でその場に立ちながら、エーリヒ、ラウレンツと言う歴戦の勇士二人の攻撃を裁ききり、それどころか優勢に事を進めるに至っていた。

「おじさん二人が何やってんです! 見てられない!」

 そこに、この戦場には似つかわしくないほどに細い影が飛び込んできた。

 両手に流動する水の刃を握る、浅葱色の髪をした少女。

 彼女はベルセルラーデが伸ばした鋼の杖を蹴って跳躍すると、上空から交差させた水の刃を振り下ろす。

「ふんっ!」

 杖を地面に叩きつけ、足元から金属の柱を出現させる。

 不自然に成長する枝のようにベルセルラーデを護るように伸びた柱を上空から斬りつけたその水の刃は、それを両断するほどに刀身を喰い込ませながらも、後一歩のところで停止した。

「エトランゼか! 凄まじい太刀筋よ!」

「アフターサービスってやつですよ、おじさん達! ラニーニャさんの手を煩わせたことを反省して、後でユルゲンス宛に個別ボーナスを送ること!」

 地面に降り立ったその少女は、姿勢を低くして弾丸のように飛び出す。

 一瞬でベルセルラーデの目の前まで接近すると、両手に握った水の剣を振るい、まるで踊るように斬り込んだ。

「早いが……! 余の相手をするには一人では力不足!」

 蛇のようにうねりながら、細い鋼の管がラニーニャを襲う。

 それらを器用にかわしながら剣を振るっても、それらは全てベルセルラーデの持つ鋼の杖に阻まれて本人に届くことはない。

「ちっ」

 舌打ちをしながら後ろに飛び、水の短剣を数本放る。

 対するベルセルラーデも同じように、周囲の金属を短剣の形に変えて射出することでそれを撃ち落とした。

「その程度の小細工ならば余にもできるぞ?」

 ラニーニャが水を操り変化させるよりも早く、ベルセルラーデは地面から鉱石を呼び出しては次々と武器へと変えて発射していく。

 お互いが渓谷の地下にある水と鋼を掘りだしては操っているため、地面はあちこちが裂けて瞬く間に灰色の石の大地はぼろぼろに荒れ果てていく。

 当人達の視界の外で能力同士をぶつけあいながら、二人はその間にも何度も何度も剣を交える。

 ラニーニャの高速の一撃が閃き、ベルセルラーデの首を狙うも、蛇のようにうねる鋼の杖はただの一太刀すらも通さず、その全てを防ぎきる。

「なんてインチキみたいな……!」

「貴様とて大したものだ! 余がこれまで見てきた戦士の中でも、五本の指に入る実力者だろう」

「そりゃどうも。別に嬉しくありませんけど」

「だが、それでもまだ足りぬ!」

 鋼の杖が水の刃を砕き、ラニーニャの身体を打ち据える。

 彼女の身体は吹き飛び地面に倒れ、追撃に浴びせられる鋼の礫をどうにか転がりながら避け続ける。

「おおおぉぉぉぉぉ!」

 気合いの掛け声と共に突き出された二本の槍を、足元から伸びた鋼が受け止める。

 エーリヒとラウレンツの期を見計らった一撃すらも、ベルセルラーデに届くことはない。

「つまらぬ! この程度の力ならば、貴様等は御使いに勝つことなどはできぬぞ! ここで余の力の前に散るがよい!」

「まだまだぁ!」

 間隙を塗って、紅蓮の炎が空気を焦がしながら襲いくる。

 鋼を目の前に壁のように広げてそれを霧散させ、そこに現れた新たなる敵を見て、ベルセルラーデの表情が歓喜に染まる。

 若き一人の戦士に護られたゲオルクが、いつの間にか鋼の巨人達を突破してすぐ傍まで近付いていた。

 そして、彼の前に立つ少年が、地を蹴り跳躍する。

 両手に握った剣は灼熱し、鋼の壁を両断して横に構えた鋼の杖へとその刀身を沈ませた。

「ほう!」

「あんたを倒して、この戦いを終わらせる!」

 赤き炎と鋼がぶつかり合い、炎熱が鋼を溶かし、ベルセルラーデに迫る。

 そこに先程打ち払ったエーリヒ、ラウレンツ、ラニーニャも加わり、更にはゲオルクまでもが剣を抜いてベルセルラーデへと躍りかかる。

「ゲオルク陛下、お下がりください!」

「何を言う、エーリヒ! 敵の王が武器を持ち、自ら前線に立っているんだ。ここで俺が後ろで見ていたら、矜持に関わる!」

「フハハッ、相変わらずだな、ゲオルク!」

 倒れた兵達の鎧や剣が一ヵ所に集まり、溶けるように形を変えて再び鋼の兵士へと姿を変えていく。

 それらをエーリヒ達にけしかけ、ベルセルラーデはゲオルクを自らの下に招待するように杖を構えて出迎える。

「戴冠式以来か、ゲオルク。たった数ヶ月姿を見なかっただけだが、随分と立派な王になったな」

「おかげさまでな」

 斯くして二人の王は対峙する。

 片や一度は国を追われたものの、様々な要因が重なり復活を遂げた奇跡の王。

 対するベルセルラーデは王としての道を約束されながら、今まさに崩れようとする砂上の王座に手を伸ばす者。

「運命とは皮肉なものだな、ゲオルク。共に御使いにより、進む道を狂わされるとは」

 ゲオルクは弟が、ベルセルラーデは父が、それぞれ御使いによって操られ狂った歴史を刻み始めた。

 例え王の血を引き国を率いる才を持ち、その為に生きてきたとしてもままならない。それよりももっと大きな存在からの干渉によって容易く道を誤ってしまう。

「我等は所詮は人か」

「……かもな。だが、俺は諦めるつもりはないぜ」

「聞かせてみよ、ゲオルク。余を倒し何を成す?」

「御使いを倒す。そして、この世界を今度こそ、俺達のものにする」

「フ、ハハハハハハッ!」

 その物言いに、思わず笑いが込み上げてくる。

 目の前の男は真剣にそれを語っていた。

 神の使いである御使いをこの地上から追い出そうとは、何たる背信。

 オルタリアと言う神の加護を受けて築かれた国の王が口にするには、余りにも不敬すぎる言葉だった。

「では、エイスナハルの教えはもう要らぬと?」

「それは違う。神の教えは人がこの世界でよりよく、幸福に生きるための標だ。断じて、奴等が俺達を管理するための法ではない。法を作り人を戒め、その生の手助けをするのは今を生きる王の、その下に集い国を動かす者達が行うことだ」

 その視線は揺らがない。

 友を目の前にしても、それを乗り越えて彼は自らの野心を燃やし続けている。

 御使いからこの世界を取り戻すと言う、その野心の。

 それでこそ、人の王に相応しい。

「よく言った、ゲオルク! だが、言葉だけでは意味がない! 貴様のその剣では、万に一つも余には届かぬが!」

 そう叫んだ瞬間、灼熱の炎がベルセルラーデを襲う。

 同時に別方向からは、交差する水の刃が飛来した。

 その両方を鋼の杖で撃ち落としながら視線を向けると、ゲオルクを護るようにエーリヒとラウレンツの二人が武器を構えて立っていた。

「人の王か」

 その全てが彼を慕って集ったわけではないのだろう。

 しかし、何処かで本人も知らぬ間に結ばれた縁が、こうして力となって共に立ち上がる。

 それこそが御使いではない人の力。今なおたった一人で戦場に立つベルセルラーデとは対照的な王としての資質。

 ――そして。

 空が不気味に光り輝く。

 それは誰も見たことがない光。

 太陽の光の上から薄い鈍色の膜を被せたような嫌な色の輝きが天から降り注ぎ、地上を奇妙な色に染め上げていく。

 それはほんの一瞬のことだっが、その直後に起きた更なる変化によって、今起きている事態が只事ではないとその場の誰もが理解する。

 空を何かが飛んでいる。

 それは、御使いが生み出したデュナミスではない。

 一対の翼を持ち、陶器のような白い肌を持つそれによく似ているが、所々に生物的な肉の色が見える。

 作り物めいた白さと、露出する赤黒い肉のコントラストは、思わず目を背けたくなるような不気味さを放っていた。

 その生き物が、無数に空に現れていた。

「……世界の終わりか?」

 そう言ってたのは、誰だったのか。

 そんなことを気にしている余裕もない。

 誰もがその言葉を冗談であると笑い飛ばすこともできなかった。

 まるで終末の使者だった。

「これが奴等の狙いか」

 鋼の杖を地面に放り投げ、足元から響く金属音で、ようやくその場の全員は正気を取り戻した様子だった。

「ゲオルク、何を呆けている。王ならば指揮を執り、奴等を迎撃しろ。それとも、何もせず人間は御使いに駆逐されるつもりか?」

「……ベル?」

 空を舞う者達が地上に降りてくる。

 様子を伺うようにしばらく地面を眺めていたそれらは、一斉に何処からか号令でも受けたかのように、地上にいる者達に向かって無差別に攻撃を開始した。

「我がバルハレイアの民よ! 戦は終わりだ! 天より現れし人に仇なす者を討て!」

 ベルセルラーデの突然の号令に、兵達は戸惑い動きを止める。

 その中で鋼の杖を拾い、足元に突き立てて、次々と兵士を生み出していく。この中でベルセルラーデ一人だけは、自分の行動に何ら疑問を抱いていない。

 今この場で言葉が意味を成さないことは判っている。だからこそ、誰よりも行動する必要がある。

 それこそが王としての責務であり、欺き続け傷つけた両軍の兵への償いでもあった。

「ゲオルク、オルタリアの兵達よ! 詳しい話は奴等を片付けた後にするとしよう! 今はこのバルハレイアの王子……いや、人の王を信じて武器を取れ!」

「ベル……。判った! オルタリアの兵よ、まずは空から現れたこいつらを迎撃する! 俺に続けぇ!」

 剣を抜いて、ゲオルクとベルセルラーデは先陣を切って突撃する。

 その二人の王の在り方に、状況こそ飲み込めないものの、多くの兵達が続いていく。

 人同士の戦いは唐突な終わりを告げた。後の歴史書が語るところによれば、これがオルタリアとバルハレイアの最後の戦いとなっている。

 両国の歴史を記す書には、その先で起こったことは詳しく書かれていない。

 人の言葉、またはあるエトランゼが綴った一冊の書に、残りの記録は託されている。

 ――これより始まるのは、今を生きる人と、神話の時代との最後の決戦であると。

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