第五節 魔人と雷霆

 上空から地上部隊に迫るデュナミスを迎撃する飛空艇。

 そこに、その真下から迫る人影があった。

 セレスティアルの極光を纏ったその姿は、雷霆のルフニル。彼は真っ直ぐに飛空艇の機関部があるであろう位置に、構えた弓の狙いを定めている。

 その一撃が放たれれば、人間の手で作られた飛空艇は間違いなく浮力を失って地上に落ちるだろう。

「悪く思うな、これも戦いだ」

 地上から空を見上げる者達は、例えその存在に気付いたところで止めようがない。

 弓も銃も届かないほどの高さで、仮にそれが当たったとしても彼の身体に傷一つ付けることは叶わない。

 ぎりぎりと、セレスティアルによって作られた弓が引き絞られる音が響く。

 そこに番えられた矢は光の矢。放たれれば閃光となって目標を射抜く天の光。

 ルフニルが矢を放ったその瞬間、真横から襲い掛かった何かがその身体を強く打ち付ける。

 空中で態勢を崩してそのまま地面に激突し、彼が放った矢は狙いを外れて地上から空に舞い上がる流星のように遥か遠くへと飛んでいく。

 戦場から遠く離れた地面に叩きつけられたルフニルに向けて、それをやってのけた人物が空を飛びながら迫る。

 仰向けに倒れているルフニルの真上に位置すると、金髪のその女――魔人アルスノヴァは彼に向けて白い掌を差し出す。

 ズンと、何かが崩れる音が響く。

 アルゴータ渓谷の灰色掛かった石の地面が、見る見るうちに陥没して崩れ落ちていく。

 石が砕け、渓谷になっている部分へと端から壊れて落ちていくなか、それだけの重力を浴びせられながらもルフニルは立ち上がり、手に持った白い稲妻を纏う剣を一振りする。

 アルスノヴァの力が断ち切られ、辺りに掛けられた重力が消えてなくなる。

 たった一撃でそれを成したことに改めて戦慄を覚えながら、アルスノヴァは地表へと降り立った。

「久しぶりだな、アルスノヴァ」

「ええ、そうね。雷霆のルフニル」

「実を言えば、俺はお前に負い目がある。あの時、お前達を救ってやれなかったことだ」

「……いらない世話よ。もし何かをしてくれるのならば、今すぐこの場から消えなさい」

 挑発しているようにも聞こえる言葉だが、ルフニルにそのつもりはない。

 本当に、彼はそう思って言っているのだ。

「それはできない。――俺は、御使いだからな」

「そう」

 何処まで行っても、彼はそう言う男だ。

 人間を護るために一緒に戦ったこともある。雷霆のルフニルは数少ない、積極的に虚界と戦った御使いの一人。

 それでも判りあうことができなかった。

 最後の時、御使いと人がエトランゼのこの世界から排除することを決めたその時に、彼はそれに反抗することはなかった。

 だからアルスノヴァももう諦めている。雷霆のルフニルは人間を護る御使いだが、決して目的が同じわけではない。

 その理由は先程彼が言った通り、簡単なことだ。

 雷霆のルフニルは御使いで、その在り方が変わることはない。

 魔人アルスノヴァが何処まで行ってもエトランゼであるように。

「元々貴方を説得できるとは思っていないわ。一緒に戦ったよしみで、一応は声を掛けただけ」

「そうか。それは、感謝をしておくべきなのか?」

「いいえ、どちらでも。貴方が私の邪魔をすると判った以上は、潰すだけだから」

 再び力を込めると、周囲の地面が陥没していく。

 それだけの重圧を受けているにも関わらず、目の前に立つルフニルは全く怯んだ様子もない。

「セレスティアルが厄介ね」

 重力を操作して、上空へと飛び上がる。

「遅いぞ、アルスノヴァ」

 その先に、ルフニルはいた。

 アルスノヴァが飛び上がってから地面を蹴り、それよりも早い速度で先に上空へと飛び上がっていた。

 両手で振り下ろされた斬撃を、掌から発した重力波で無理矢理に捻じ曲げる。

 セレスティアルによって生み出された光の剣を捩じ切られてもなお、ルフニルの動きに迷いはない。

 片手でアルスノヴァの胸倉を掴みあげて、まるで砲丸でも投げるような仕草で腕を振り上げると、無造作に地面に向けて投げつけた。

 石の大地に強く叩きつけられたアルスノヴァの視界に、上空から弓を引き絞る姿が映る。

 閃光が無数に放たれる。

 今度こそ、天から地に落ちる流星のように大気を裂く光の矢は、アルスノヴァの周囲に着弾して、そのエネルギーを周囲に撒き散らして炸裂する。

 その一撃一撃が大地を抉り、クレーターを作り出すほどに重い。

 そのただ中で、アルスノヴァは自身の周りの空間を歪曲させて、それを歪めて逸らしていく。

 アルスノヴァが飛び上がるのに合わせて、ルフニルの狙いもその方向へと移って行く。

 正面から放たれて直撃コースで迫った矢が、障壁によって捻じ曲げきれずに中心から先が奇妙な方向に折れ曲がった姿で突き刺さり、空中に制止する。

「やってくれるわね」

「今のでまともな傷を受けないとは、大したものだ。伊達に虚界と数百年渡りあったわけではないということか」

「褒められても全く嬉しくないけれど」

 掌に力を込める。

 元より御使いに出し惜しみをするつもりはない。カナタは決して使うことのなかった一撃を解放する。

 圧縮された重力波が渦を巻き、まるで竜巻のような形に変化していく。

 アルスノヴァがそこに込める力を増やすたびに、暴力的な破壊の渦が大きくなり、周囲の地形に罅を入れ、耐えられなくなったものからそこに吸い込まれては一瞬にして消滅していく。

 伝番するエネルギーが大地にまで伝わり、引き寄せられるように崩れていく。

「ほう」

 感心したように、ルフニルが声を出した。

 彼だけは、これだけ周囲に干渉を与えるだけの力の傍にいても、上空に直立する態勢を崩すことはない。

 引き絞られた弓から矢が撃たれる。

 真っ直ぐな閃光と化したその一撃は、アルスノヴァの掌の中にある渦に接触すると、光を散らしながら取り込まれて消えていく。

「地上で使うには少しばかり威力が大きすぎるの。できれば、あっちの方向に誰もいないといいわね」

 放り投げるように、その渦を解放する。

 重力の渦は巨大化しながら、全てを飲み込みつつルフニルへと迫る。

 一瞬の破壊の轟音と、その後の静寂。

 瞬く間に過ぎ去った竜巻の通った後には、アルゴータ渓谷から遠く見える景色に、凄惨な傷跡を残していた。

 大地が容赦なく、削り取ったような形に抉られている。その後には何も残されておらず、生き物も、植物がいた痕跡すらも残ってはいない。

 力の余波が未だ地面を揺らし、世界の境界が安定を失い歪んでいる。

「見事だ」

 声がして、アルスノヴァがその方向を見る。

 油断していたつもりはない。力を使った反動こそ受けたものの、この程度で倒せるとは最初から思ってはいなかった。

 すぐ傍に、銀色の影が舞う。

 それだけ近付かれた理由は一つ。雷霆のルフニルの速度が、アルスノヴァの反応を遥かに超えていた。

「やはりお前は俺が引きつけて良かった。幽玄のデュナミスでは、どれだけ用意しても無駄になるだけだろう」

 咄嗟の離脱も間に合わず、振り抜かれた剣の一撃がアルスノヴァの黒いドレスのようなローブの胸元を切り裂き、そこに一閃の傷を付ける。

 そこから距離を取るようにして、地上に向けてアルスノヴァは高度を落とす。

 追撃するように振るわれた斬撃は飛来する光の刃となり、辛うじて回避したものの、地面にぶつかって巨大な傷跡をそこに刻み込む。

 再び、今度は両腕に重力の渦を形成する。

「もう少し俺と戦っていてもらうぞ、アルスノヴァ」

「もう少し? この後に何かが待っているような口ぶりね」

「そうだな。もうじき、リーヴラの計画が最終段階へと入る。奴が今日まで積み上げてきたものが、形となる」

「へぇ……。なら、時間稼ぎに付き合ってあげている代わりに教えてもらえないかしら。リーヴラの目的はなに?」

 今更それを止めようとは思っていない。

 リーヴラが計画を発動させたところで、それを打ち破ればいいだけの話だ。こうまで後手に回らされたことで、アルスノヴァはそう割り切っている。

 だが、それとは別に気になっていることがあった。

 リーヴラが辿り付く先。人間達を利用して、いったい何をしでかそうとしているのか。

 アルスノヴァの記憶が正しければ、彼は人間に対して悪感情を抱いているような御使いではない。むしろ、神の力を受け継いだエイスの言葉をよく聞いていた印象すらあった。

 そんな男が、どうして今更、千年の時間を経てこんなことをしでかすのか、それに興味があった。

「別に口止めされてはいないのでな、知りたいのなら教えよう」

 剣を構えた御使いと、周囲を巻き込みながら力を増幅させる魔人は睨みあう。

 その中で、ルフニルは一言でアルスノヴァの疑問に答えて見せた。

「この大地に住む人々への、救済だ」

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