第四節 王の役目

 イシュトナル要塞の奥にある部屋。

 以前はエレオノーラが使っていたその場所は、今はその椅子にゲオルクが座り、ここでの戦いの前線指揮を執っている。

 隣にエレオノーラとエーリヒが控え、継承戦争ではエレオノーラに味方した貴族であるクルト・バーナーの報告を受けていた。

「一先ず、周辺からのバルハレイア軍は撤退した模様です。恐らくはアルゴータ渓谷にまで引き上げて態勢を立て直すものかと」

「……そうか。報告ご苦労。他には妙な動きはないか?」

「は、妙ですか?」

 その質問に、クルトは暫く考え込む。

 王の前だと言うのに物怖じしないその態度は、若くありながら自らの信念に従って反乱軍に味方をした彼の人格をよく表している。

「敢えて言うならば、御使いの行動がないことかと。奴等がその気になって動けば、一人で我が軍に大打撃を与えることが可能でしょうから」

「戦力を温存しているのではないか?」

 そう答えたのはエレオノーラだった。

「御使いとて幾らでもいるわけではあるまい。こちらとて、御使いを倒す方法がないわけではないのだから、下手に動くことはできないのではないか?」

「その可能性は充分にありますな。奴等は最強の兵だが、替えが効くものではない。万が一にでも負けようものなら戦線に多大な影響が出る」

 エーリヒがそう言って、ゲオルクに視線を向ける。

「……そうだな……」

 腕を組んで、椅子に深く腰掛けながら、ゲオルクは思案を巡らせる。

 可能性は幾らでも思いつくが、その決定的な答えが出てこない。

 もし、こういう時にルー・シンがいれば、回答を示してくれるのだろうが。

「だが、どんな強い武器でも使わなければ意味がない。もしこのままバルハレイアが敗れることになったとしたら、御使いはどうなる?」

「……どう、とは?」

 ゲオルクの疑問を、エレオノーラが聞き返す。

 自分でも、不意に口を継いで出た言葉の意味が理解できず、ゲオルクは再び深く思考の底へと潜って行く。

「御使いの目的の話ですな」

 そこにロープを投げ込んだのは、エーリヒだった。

 彼の言葉に反応するように、クルトもまた口を開く。

「ヘルフリート様の裏にいた御使いの具体的な目的は、未だに不明でした。ですが、確かに奇妙な点は幾つもあります」

「言ってみろ」

「はい。……もし、御使いにその気があれば、自分もエレオノーラ様もとっくにこの世にはいなかったのではないかと言うことです」

 言いながら、クルトは視線でエレオノーラの方を確認する。

 それは不敬に当たる言葉かもしれないが、エレオノーラは頷いて、続きを促した。

「彼等は強い、それも圧倒的に。もし戦力が整う前に単独でイシュトナルを攻撃されていたら、自分達は敗北していました」

「俺達を殲滅することが目的じゃないってことか」

 ゲオルクの言葉に、クルトが頷く。

 それは誰もが薄々考えていたことだ。人間に対して何かをすることは判っていたが、その目的までが未だにはっきりはしていない。

 奇妙な気持ち悪さが、ずっと胸の中に蟠っている。彼等はバルハレイアの王を騙し、そして兵力を手に入れて何をしようとしているのか。

 もし、オルタリアを攻撃して自分達に敵対したゲオルク達を殺すことが目的ならば、他に幾らでも方法はある。

 それが意味するところは恐らく――。

「奴等は俺達の命には関心がないのだろう」

「悔しいやら安心していいやらですが、そうでしょうな」

 では、何故戦争をけしかけたのか?

「今回の件と似た事態が、以前も起こりました」

「何だと?」

「虚界、と呼ばれる者達の目覚めです」

 クルト・バーナーがそう告げる。

「魔人アルスノヴァや光炎のアレクサからの情報を総合すると、あれは御使いとは敵対していたものなのでしょう? なのにリーヴラはヘルフリート様に助言して、禁忌の地に眠っていた虚界を呼び覚ました。その目的も、未だ不明なままです」

「虚界の力を手に入れることではないのか?」

 エレオノーラが挟んだ疑問に、クルトは答えていく。

「それにしては簡単に手放したとは思えないでしょうか? 策を巡らせれば、幾らでも守りを強固にすることもできたはずです」

 確かにそれはそうだった。

 もし何らかの目的があって虚界を蘇らせていた場合、ヘルフリートとそれを天秤にかけて、ヘルフリートの方がが下に傾くとは考えにくい。

 つまり、虚界が蘇った時点で目的は完遂されていた。もしくはそれは目的のものではなかったと言うことだろう。

「それは私の予想になりますが……。御使いは虚界によってもたらされる破壊こそが目的だったのでは?」

「……それがつまり、今回の戦争にも共通していると?」

「はい。聖典によれば、地獄の底から這い出た悪魔――恐らく虚界によって滅ぼされ尽くした大地に、救いの神は降り立ちました。彼等は神話の使い。それを再現しようとする可能性は充分にありえるかと」

「そんなことをする意味があるとは思えんが。御使いが神話ごっこをしたがるものか?」

 エーリヒの素朴な疑問に、クルトは閉口する。

「いや、今のはいい意見だった。俺もまぁ、エーリヒと同じことを思ったが」

「も、申し訳ございません。自分の妄想も多分に含まれていて」

「構わんさ。実は俺も気になっている部分は一緒だった。戦いが始まって一月と少し経つが、バルハレイアの攻撃は随分散漫だと思わんか?」

「それだけイシュトナル要塞が強固であると思いたいところですが、それは自分も感じていますな」

 最前線で槍を振るうエーリヒが、それに同意する。

 バルハレイアの攻撃は規模こそ大きいものの、何処か散発的で精彩に欠いている。それによる人的被害は出ているし、これを続けられればいずれはイシュトナルも落ちるだろうが、それより先に向こうの戦力が尽きるのは明白だった。

「ベルが動かないのが気になる。奴にしてはギフトの使い方が消極的過ぎる」

「あの恐ろしい力がまだ手加減していると?」

「……だろうな。奴は十五の時には既に戦場に出て、幾つもの反乱や外敵を撃破してきた鋼の王だ。本人の武勇伝によれば、全力を出した時の力はあんなもんじゃない」

「ベルセルラーデ様はゲオルク陛下とは旧知。手心を加えているということは?」

「だったら嬉しいが、戦いに私情は持ち込まないだろう。俺が戦場で奴と出会ったら同じようにな。可能性として在り得るのは、何か別の手段を待っているということか」

「……別の手段」

 エレオノーラが復唱し、その場の全員が思案する。

 もし、あのドラゴンやそれ以上の兵器があるのだとしたら、ベルセルラーデの散発的な攻めにも納得がいく。

「これ以上奴等に時間を与えるのは危険かも知れん」

 ゲオルクがそう言うと、エーリヒがそれに応える。

「こちらから打って出ますか?」

「本格的に軍議を開く。バーナー卿、すまないが人を集めてくれ」

「畏まりました!」

 クルトが早足に部屋から出ていく。

「エーリヒ。ラウレンツ卿が連れてきた部隊はすぐ動かせるか?」

「再編成が必要ですが、二日もあれば」

「モーリッツ卿の軍は?」

「到着までには数日を要しますな。ですが、我々と入れ替わる形でイシュトナルの防備に充てれば問題ないでしょう」

「なら決定だ。こちらから打って出るぞ」

 厳しい表情でそう告げるゲオルク。

 そんな兄の顔を見上げるエレオノーラの目には、もう一人の兄のような存在であるベルセルラーデと、実の兄が戦うことへの不安が揺れていた。


 ▽


 イシュトナル要塞に駐留していたオルタリア軍が、大規模な反撃に出たのはそれから数日後のことだった。

 王であるゲオルク自らが軍を率いてイシュトナル要塞を南下したオルタリア軍は、アルゴータ渓谷に陣を張るバルハレイアを強襲。

 お互いの戦力を出し惜しみすることなく投じた一つの決戦の火蓋が切って落とされた。

 戦いの開始から数時間。既に最前線の部隊はバルハレイアの軍と接触し、戦闘を開始している。

 その後方、ゲオルクが指揮を執る天幕の中で、特別にその場に招待されていたカナタは事の推移を見守っていた。

 四方を白い布に囲まれたその中では、簡素な木製のテーブルと椅子だけが置かれ、他には何もない。

 外には数人の兵士が槍を持ってその場を護っていて、怪しいものは誰一人として近づけないような護りが敷かれていた。

「今の兵力なら、俺達が押し切ることができる。アルゴータ渓谷を突破すれば、後はバルハレイア領内での戦いだ。前線は厳しくなるが、大分気が楽にはなるな」

 椅子に座り、黙って戦いが行われている方向を見つめていたゲオルクは、不意にそんなことを口にした。

 彼の言う通り、補給や士気の維持、また敵に地の利を与えることは戦争をする上では大きな障害になるが、それ以上にこちらの国が荒らされないで済む。

「そんな顔をするな。別に俺は敵の全滅を望んでるわけじゃない。適当なところで和平を結ぶつもりだ。正直なところ、バルハレイア全土を制圧するだけの戦力は、オルタリアにはないしな」

 それを聞いて、多少は安心する。

 例えその裏に御使いの存在があったとしても、戦争が起こってしまったという事実が覆ることはない。

 なら、せめて少しでも犠牲が出る前にそれが終わることを願うだけだ。カナタ自身も、その為にやるべきことをやると心に決めている。

「もっとも、そう簡単に事が済む相手とは思えんがな」

 ゲオルクの眼光が鋭くなる。

 その目は、バルハレイアの背後にいる者達を見据えていた。

 ここに来る間にカナタには既に教えられていることだが、彼はその背後にいる御使いをどうにか叩こうとしている。ヨハンが別行動をするのも、それが理由だった。

「……ベルセルラーデ様と、戦ってるんですよね」

「――ああ、そうだ」

 少しだけ時間を置いて、ゲオルクは頷いた。

 カナタの中での彼のイメージはそれほどよくはない。自分勝手な男、と言う程度のことだ。

 それでも彼が起こした事件は全て、エレオノーラのためのことだったし、イグナシオの襲撃を受けた際には命を救われたこともある。

「辛くないんですか?」

「そりゃ辛いさ」

 その答えが出てくるまでに、時間は掛からなかった。

「だが、やらなきゃならん。奴はバルハレイアの王子で、俺はオルタリアの王だからな」

 強い決意を込めた口調で、ゲオルクはそう言った。

「奴が攻めてくるのなら迎え撃つ。そして民達を護る。それが王の責務だ。王様ってのは、王座にふんぞり返ってるだけが仕事じゃないんだぜ?」

「そ、それは判ってますけど……。でも」

 カナタが言いたいのはそう言うことではない。

 友達同士が戦うことがどれだけ辛いか、それを知っている。

 それでも、カナタは我が儘を言うことができた。本来ならば罰せられなければならないアルスノヴァを救う道を選んだ。

 ならば、ゲオルクにもそれができるのではないかと、そんな淡い期待を抱いている。もし、彼がその気ならばの話だが。

「奴は剣を抜いた、俺はそれを迎え撃つ。あいつが勝てば、ベルは俺を殺すだろう。……俺が勝った時は」

 一瞬、ゲオルクは言葉に詰まる。

 きっと、それを口にすることが怖いのだろう。言葉にすれば、それは本当にそうなってしまうような気がして。

「その時になってみたいと判らんな」

 結局、そうやって言葉を濁すことしかできなかった。

「……王の責務」

 カナタは誰にも聞こえないように一言だけ呟く。

 既に、二人はそれを決めてしまった。アルスノヴァがカナタを救うために全てを捨てようと願ったように。

 その程度の悲劇は幾らでもあることだ、この世界では珍しくもない。

 そうやって救われなかった命は幾つもあった。引き裂かれていった絆も、それこそ無数にあったのだろう。

 それでも、目の前にあるそれだけは護ってあげたい。そう思うのはカナタの傲慢だ。

 それが判っていながらも、カナタはその心を抑えることができない。そう言う少女だった。

「……そんな心配するなよ。お前だって、何度もそう言うのを乗り越えてきたんだろ? イアのこと、忘れてないんだぜ?」

 懐の奥で、小さな熱が灯る。

 小瓶に入れられた苗木は、まだそこにあった。

 本来ならば何処かに植えてあげた方がいいのかも知れないが、御使いとの戦いが終わるまではお護りとして傍にいてほしかった。

「だからこそ、助けたいって思うんです」

「助けたいか……。お前みたいな少女に言われてたら、男としての面目が丸潰れだ」

「え、あ、ごめんなさい!」

 慌てて頭を下げてしまう。

 その様子を見て、ゲオルクは小さく噴き出した。

「ハハッ、別にいいさ。少しぐらい自信があった方が可愛げもある。……別に、俺も全部を諦めたわけじゃない。御使いなんて連中に好き放題されたくないのは一緒だからな」

 気休め程度のその一言だったが、それだけでもありがたかった。

 会話が一段落したところで、天幕の外から慌ただしい音が近付いてくる。

 入り口の布を引き裂くような勢いで、鎧を身に着けた兵士が飛び込んできて、ゲオルクの前に跪いた。

「前線に動きあり! 敵軍総大将のベルセルラーデ、及びその側近が動きだしました! またそれに応じて御使いの動きもあり、空には無数のデュナミスが……!」

 弾かれるように空を見る。

 荒野が広がるアルゴータ渓谷の空。蒼穹を幾つもの小さな白い影が覆っているのが見えた。

「遂に来たか!」

 ゲオルクも椅子から立ち上がり、大声を発して控えていた兵達を呼び寄せる。

「飛空艇に火は入っているな? すぐに浮上させて、上空にいるデュナミスの迎撃に当たらせろ! 地上に待機させていた戦力を動かすぞ! 御使いが何処に現れるか判らん、戦場の監視を怠るな!」

 その指示を受けて、次々と兵士達が天幕から飛び出していく。

「エーリヒと魔装兵を一ヵ所に集めろ! 御使いが出たら、全戦力を持ってそれを迎撃する! すまんが、もう一仕事頼んだぞ」

「はっ!」

 肩を叩かれ、兵士がすぐさま天幕を後にする。

 あちこちに指示が飛び、多くの足音と人の声で騒乱する天幕で、カナタの身体は無意識に震えていた。

「ベルが本人が出てきたのなら、礼を尽くす必要があるな。俺も出陣する! 鎧と兜を持て!」

「ボクも行きます!」

 ベルセルラーデが前線に出てくるのなら、きっとあの人も現れるはずだ。

 それは恐らく間違いない。そして、彼女はカナタとの戦いを望んでいる。

 そんな身勝手な予感をずっと抱いていた。この戦いが起こったその時から。

 遂に御使いが動き、ベルセルラーデ率いるバルハレイア前線部隊の本隊も行動を開始する。

 聖別騎士団によるイシュトナル襲撃から凡そ二ヶ月後の出来事だった。

 後の歴史では、その戦いがオルタリアとバルハレイアの二つの国に起きた戦争において大勢を決した最大の戦いと言われ、それから後のことは、この大陸に起きた未曽有の災厄へと変わっていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る