十二章 神話へと挑む者達
第一節 砂礫の王、ベリオルカフ
バルハレイアの王都、オーゼム。
その中心に位置する巨大な砂礫の城の謁見の間で、バルハレイアの王であるベリオルカフは頬杖を突きながら側近の一人が携えていた報告を聞いていた。
「結局、聖別騎士団は壊滅。竜は墜ちたか」
篝火で照らされた広い部屋の中に、その呟きが木霊する。
それを聞いた、すぐ傍で控えていた側近の一人がすぐさま口を開く。
「お言葉ですが、ベリオルカフ様」
ベリオルカフの視線がその方向を見た。
そう口にした側近の一人は若干背筋を伸ばしながらも、臆することなくはっきりと言葉を続けていく。
「それは大きな損失ですぞ。一国の軍にも勝る戦力である竜が、よもや緒戦にて倒されるなど」
他の家臣達もまた、それに不安そうな顔を隠せないでいる。
竜の力は圧倒的だった。百の兵を優に凌ぐその兵力は、彼等にある希望を抱かせていたのは間違いない。
竜を放てば、自らの力を温存したままオルタリアを倒せるのではないかと。
その目論見は見事に外れ、竜に加えて同じく外様の戦力である聖別騎士団を失った。その結果、次こそはバルハレイアは自らの戦力を持って、オルタリアの相対しなければならないことになる。
「ハハハッ、それだけの強者がいると判っただけでよしとすればよいではないか」
「何を呑気な……! それだけの戦力を投入してもイシュトナル要塞を奪えなかったことは、大きな損失となりますぞ。これでは早期の降伏もままなりますまい」
バルハレイアに長期に渡る戦争を続けるだけの体力はない。もっとも、それはオルタリアにとっても同じことではあるが。
複数の民族を統一して生み出された国家であるバルハレイアは、それに未だ帰順しない者達からの内乱が相次いでいた。それを鎮圧し、この国を一つにまとめ上げたのが、今の王であるベリオルカフの代である。
そのため国内の連携はまだ完璧とは言えず、足並みが揃っているわけではない。むしろ、戦いが長引いて兵の数が減れば、内部から食い破られる危険性も秘めている。
「自ら痛みを追わぬ戦などないぞ」
そんな側近の考えを判っては、ベリオルカフはそう言った。
「それに、竜も聖別騎士団も手の内の一つに過ぎぬ。事実、イシュトナル要塞の門は破られたのだ。後は、わしの息子であるベルセルラーデがやってくれるだろう」
「おお……!」
「そう言えば、ベルセルラーデ様がいらっしゃったか!」
「あの方はこの国最強の戦士の一人!」
口々に、そんな声が飛ぶ。
それを聞きながら、ベリオルカフは満足げに自らの白い髭を撫でた。
「そうとも。そのためにエトランゼにわしの血を混ぜて産ませた、傑作なのだからな」
エトランゼとこの世界の人間の混血には、稀に強力なギフトを持った者が生まれる。
その原理は未だ解決されていないが、噂話を元に戯れで産ませたその結果は、見事に成功していた。
ベルセルラーデは並のエトランゼとは比べ物にならないほどに強力なギフトを持っている。加えて、数多くいる兄弟たちの中で最もベリオルカフの血を濃く受け継ぎ、王としての頭角を現したのもまた彼だった。
「まだ手の内を全て見せたわけではない。案ずるな。なぁ、リーヴラ」
声を掛けられたことで、すぐ傍に控えていた男が静かに頷く。
白い髪に、白い法衣。透き通るような美しさを持ったその男の目は固く閉じられている。
彼が動くだけで、その一挙一動に家臣達が目を向ける。それだけ得体が知れず、しかし何処か人を惹きつけるような存在だった。
「わしの代ではあの大地に侵攻することは叶わぬと諦めていたがな、まさか文字通りに天の助けがあるとは思わなんだ」
愉快そうに、ベリオルカフは語る。
何十年も前、未だ国勢が不安定ながらも、バルハレイアは何度かオルタリアへの侵攻を企てたことがあるが、それは失敗続きだった。
そのため、まずは足元の地盤を徹底的に固めることにしたのがベリオルカフの父の代の話だった。そして、それは息子であるベリオルカフが引き継いだことで、ようやく結実する。
「時間と信用を稼ぐために向こうで交流をさせたベルセルラーデがゲオルクと友になったのはわしも予想できんかったが」
その時に、一度ベリオルカフの野望は終わった。
自分の代でオルタリアに侵攻できるだけの兵力を蓄えることは不可能。そして時代を継ぐベルセルラーデは恐らくオルタリアの大地を手に入れることに興味はない。
ベルセルラーデを排し、他の兄弟達に国を継がせることも考えたが、彼以上に優秀な者がいなかったためそれは断念した。下手なことをして国が揺らげば、バルハレイア自体がなくなってしまう。
「貴様のおかげで、わしの代でオルタリアを手に入れられそうだ。わしの野望もこれで実ると言うもの」
諦めかけた夢が、また目の前で輝いている。
そうなったベリオルカフに、躊躇う理由などはなかった。
黎明のリーヴラが提供してくれた竜や、彼に従う聖別騎士団。それらはオルタリアへの攻撃を敢行するには充分な理由になった。
「私の目的は、この大地の救済と静寂。そのためには、より強き王が国を統べることが肝要なのです」
そうリーヴラは語る。
それを聞いて、ベリオルカフは更に機嫌をよくした。
「言いよるわ。まぁ、わしは宗教にはさして興味はない。わしが二つの国を手に入れた後であれば、好きに教えを説くがよい」
「ありがたきお言葉」
「それから、この国の地下に眠っていたあれもな。何故神に仕える御使いがあのようなものを必要としているのかはわしには判らんが」
「新たなる世界のためには、私の力だけでは不十分なのです。それ故に、それを探し求めていました。それが、このオーゼムの地下深くにあったことはまさに天命と言えましょう。勿論、ベリオルカフ様がこの戦いに勝つための」
「ハハハッ、軽口を叩くな、御使い。折角の高貴な存在が薄れよう。だが、あれはわしには不必要なものだ、好きにしろ。もしそれを用いて貴様がわしを殺すのならば、抵抗もできんだろうしな」
ベリオルカフは、御使いの恐ろしさを理解していた。
その上で、彼等の協力を受けたのだった。
御使いがそのつもりならば、とうに自分は死んでいる。精々生きている間は、お互いに利用し合ってやろうと割り切った上で。
「さて、そろそろ時間だな」
そう言って、ベリオルカフが軍議を終えるために椅子から立ち上がった。
未だに全てを御使いに任せるだけで、オルタリア侵攻に対しての結論が出ていないことに、家臣達が不満そうな声を漏らす。
そんなことは全く無視して、謁見の間の奥にある扉から、ベリオルカフは私室へと向かって歩いていった。
暇さえあれば、ベリオルカフは私室で女を侍らせて遊んでいる。それは、戦時中であっても変わりはしない。
かつては英雄色を好むと言われていたその趣味も、次第に家臣達の胸の内で、王に対する不信を募らせる結果となっていった。
かと言って、王がいなければ軍議が進むわけでもない。仕方なく、側近を含めた家臣達は解散して次々と謁見の間を出ていく。
そうして最後の一人がいなくなり、リーヴラだけになったタイミングで、何もない虚空から甲高い声が響き渡った。
「きひひひひっ! ご苦労様! ご苦労様じゃのう、黎明の! 人間共の相手は楽しいかえ?」
空間が歪み、そこからぴょこんと少女が飛び出してくる。
赤い髪を二つ結びにしたその少女は、からかうような笑みを浮かべて、リーヴラの顔を見上げていた。
「人間共の相手は大変そうじゃのう、リーヴラ。いや、逆か? あれだけ愚かだと裏で糸の引き甲斐もあるか? お前は策略の類は苦手じゃから、その辺りはどうなのかのう?」
ご機嫌にその辺りをうろうろして、ベリオルカフが座っていた王座に飛び乗るように座って、どうやら少女はそこを定位置と定めたようだった。
「まっこと、馬鹿な男じゃ。人間など、わしら御使いが生かしてやっているから生きているに過ぎんと言うのになぁ? 虫の交尾にも似たような程度のことを野望を言ってのける様は、いっそ哀れにすら思えるのぅ!」
「あまり人間を侮らない方がいい」
低い声がして、二人の視線がその方向を見る。
謁見の間に幾つも並ぶ太い柱。その一本の下に寄りかかる、長身に銀髪の男の姿があった。
「なぁんじゃ、来とったのか、ルフニル」
「幽玄のイリス。今の俺達はリーヴラに協力する立場だ。あまり余計なことは言うな」
「判っとる判っとる。その人間を利用しなければ、リーヴラの目的は果たされんのじゃろ? いったい何をしでかそうと言うのか」
挑発的な目で下から見上げるイリスに、リーヴラは何も答えない。
「ま、別にいいんじゃが? わしはあんの忌々しい水月めに封じられたのを解放してもらっただけで、五十年はリーヴラに協力してやると誓ったからの。なかなか義理堅い女じゃろ?」
そう言ってルフニルに視線を送るが、返答が来ることはなかった。
「ノリが悪いのぅ。……ノリが悪いと言えば、わしを封じた水月はどうなったんじゃ?」
「貴方とウァラゼルの喧嘩を止めて、両者を封印した際に、力尽きました」
「なんと! 死んでおったか! きひひひひひっ! 最期まで馬鹿な奴じゃのう。生命の円環から外れた御使いの死は、完全なる消滅。魔力の塵となって世界に混ざり込んでしまうと言うのに! 百年程度は猶予があった気もするが、もう完全に消えているではないか!」
「そう言うことになりますね」
「し、か、も! あれは喧嘩じゃないぞ? わしはウァラゼルと遊んでやっておったのじゃ! その我が儘小娘が遊びたいというから特別にな! それを正義感ぶったあの女は……」
「イリス、その辺にしておけ」
静かに、確かに咎めるような声が飛ぶ。
イリスはルフニルに視線を向けて、肩を竦めた。
「そう言えばそうじゃったな。お主と、水月と、後は魂魄の三人は積極的に人間を救っておったな。その行動に意味があるのかは知れんが、友人を馬鹿にされては気も悪くなるか」
「俺と彼女等の間に友情があったかは判らんがな」
「変な奴じゃのう」
「計画は最終段階に入ります。後少しで、彼の者を起動させるに足るだけの力が集まります」
「ほほう」
イリスが愉快そうに目を細める。
「その為の内乱、その為の戦争か。人の死を力に替えるとは、業が深い」
「イリス、ルフニル。お二人には魔人への牽制をお願いします」
「いいじゃろう。アルスノヴァ、じゃったか? あの変な名前の魔人は、昔っから嫌いじゃったからな。しかも、この間の戦いでわしのデュナミスを四百体も潰しおった! 次は千体はぶつけたやらねばなぁ」
嗜虐的な笑みを浮かべながら、イリスは来た時と同じように空間を歪ませて消えていく。
「相変わらずだな、奴は」
「ですが、戦力としては優秀です。彼女が生み出すデュナミスは、御使いのアルケーを超える力を持っている」
「どうせ幽玄のことだ。最初は様子見を決め込むだろう。その間の魔人の相手は俺がしよう」
「お願いします、ルフニル」
「お前がまさか、あれの力を使ってまで成し遂げたいことがあるとは、正直驚いた。あれを最も忌み嫌っているのは、実際に戦場で相対した俺達よりもお前だと思っていたからな」
「……時が立てば、事情は変わるものです。私の目的のためにはあの力が必要となる。だから手を伸ばした、それだけのこと」
「そうだな。イリスは勘違いしているようだが、御使いの力は絶対ではない。理を覆すことは何者であろうと不可能だが、あの魔人がそうしたように、強大な力の塊さえ手に入れれば」
そこまで言って、ルフニルは言葉を止めた。
「俺としたことが、余計なことを喋り過ぎたようだ」
そう言って、リーヴラに背を向ける。
一歩踏み出してから、思い出したかのように、背中越しにルフニルは言葉を放った。
「先程イリスにも言ったことだが、人間を侮らない方がいい」
「……ええ、判りました」
「その言葉に表面上だけでないことを祈る。ではな」
歩きながら、ルフニルの姿が消える。
それから少し時を置いて、リーヴラもまた、溶けるように謁見の間から姿を消していた。
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