第十四節 次なる闘争へと

 戦いは終わった。

 エレオノーラは、イシュトナル要塞の屋上から、戦いによってぼろぼろになった街並みを見下ろしていた。

 必死で築いた美しかった街は、今や見る影もなく、そこで笑いあっていた人々の姿はもうない。

 彼等は大半がオル・フェーズへと避難を完了していた。これからこの地は、対バルハレイアの最前線の拠点として本来の役割を果たすことになる。

 皮肉にも、二つの国の情勢が不安定だったころに建てられたこの要塞は、数十年の時を経て、改めて活用されることになった。

「ここにいたか、エレオノーラ」

 背後から声がする。

「兄上」

 規則的な足音と共に、エレオノーラよりも頭二つ分ほど大きな姿が隣に並んだ。

「また、お前に世話になったな。まったく、ヘルフリートの時といい、俺が驚くことを次々にやってのける」

 あれから到着したゲオルクの本隊により、多くの避難民達はつつがなく保護された。彼等はこれからオル・フェーズに護送され、当面は不自由だが安全な生活が約束されることだろう。

「……妾にできることをやったまでのことです」

「それができる奴は多くはない。お前は、王族としての務めを立派に果たしてくれた」

 戦って敵を倒すのではなく、護るべき民達を救うこと。

 それこそがエレオノーラが今日までずっと心に置いて実行し続けていたことだった。

「やはり、妾は思いました」

 無茶をして、それをしたからこそエレオノーラは一つの答えに辿り付いていた。

「妾に戦はできません」

 戦うのは怖くて、悲しいことだ。

 必死になって剣を振るっても、どれだけ手を伸ばしても救えない命がある。

 カーステンにしてもそうだった。ほんの少しだけでも道が逸れていれば、彼と敵対して命を奪うこともなかったのかも知れないが、戦ではそれを元に戻すことはできない。

 エレオノーラ自信がそれを強く感じてしまっていた。人は戦いで奪うことも護ることもできるかも知れないが、変わることはできないのかも知れないと。

「……そうだな」

「ですから、後は兄上にお任せいたします。……この重さを背負って戦い続けるには、妾は余りにも弱い」

「……ああ」

 俯いたエレオノーラの顔を見ずに、ゲオルクは頷く。

 それからしばらくは無言の時が続いていたが、不意にエレオノーラの頭の上に、ゲオルクの手が優しく乗せられる。

 長い間を共に生きてきた、兄の優しい手。

 エトランゼの子として生まれ、疎まれ続けてきたエレオノーラの子供時代に光をくれた兄の手は、その時よりも随分と大きくなっていた。

「……それを弱いとしか表現できないのは、今の時代の悪いところだ」

 力が必要な時代はまだ終わっていない。

 当面平和が続いていたとしても、人を統治するのに必要とされるものはやはり、絶対的な強さ。他ならぬ御使いこそが、それを体現している。

「そんな時代は終わりにしたい。俺は、お前のような優しい心の持ち主が、それを叶えてくれると思っている」

 彼女の理想に集った者達の力は本物だった。

 その優しい言葉と、武力ではなく心で前に進もうとする意志が、多くの民を引きつけた。

 イシュトナルを護ったのは紛れもなく、兵士ではない。小さな力しか持たないこの国の民達が力を合わせて、生きようとした結果だった。

「これからの時代はお前のような奴が必要だ。……だから、古い時代の悪習を取り払うのは俺がやる。兄として、そのぐらいはやって見せないとな」

 決意を秘めた瞳で、ゲオルクはイシュトナルの街を見下ろす。

 また時間が経てば、ここは戦場になるだろう。攻めてくるのはバルハレイアの本隊。これまでにないほどの激しい戦いになる。

 その中には彼の友であり、バルハレイアの王子であるベルセルラーデがいる。

「ベル兄様と戦うのですか?」

「……そうだな。もし、この戦いが一部の者達の身勝手ではなく、民達の声を聞いて行われたものならば、奴はその力を振るうことに躊躇しないだろう。王と言うものをよく理解している男だからな」

「王と言うもの……?」

「民の声があればそれを聞き、己を殺して彼等の豊かさを求める。時には辛い取捨選択を繰り返して、国を、そこに住む者達を常に前へと推し進める者、それが王だ。……俺達は、そう誓った」

 だから、その結果として道を違えることもある。

 そんな未来を二人が想像していなかったわけではない。願うのなら、それが自分達の時代でないことを祈ったことがあったとしても。

 それでも、様々な偶然を経て今この時代に二人の王は対峙してしまった。

「……妾の願いを、言っておきます。例え叶わないとしても、言わなければ夢として終わってしまいますから」

「……言ってみろ」

「兄上もベル兄様にも、生きてほしい。二人が手を取り合って共に発展する、オルタリアとバルハレイアが見たい。それが妾の願い」

「……難しいだろうな」

 エレオノーラの頭から手を離して、ゲオルクは困ったような顔で後頭部を掻く。

 それは久方ぶりの妹の我が儘に困らせられる、兄の顔をしていた。

「だが、まぁ、努力はするさ」


 ▽


 バルハレイアの首都オーゼムを出立したイシュトナル攻略軍本隊は、既に二つの国を隔てるアルゴータ渓谷の前に到着していた。

 そこで一夜を明かすために張られた野営地に、一人の男が連れてこられる。

 複数の篝火に照らされた、一際大きな天幕の前に縛られた姿で兵達に引っ立てられて来たのはルー・シンだった。

 それを、褐色の肌に長い黒髪の王子、ベルセルラーデは険しい顔で迎え入れる。

 視線で連れてきた兵達に下がることを命じ、ルー・シンと二人だけになってから、ベルセルラーデは厳かな声で告げる。

「オル・フェーズでの戦以来だな、エトランゼの軍師、ルー・シンよ」

 縛られて、膝をつかされたままルー・シンは顔を上げて、不敵な笑みを浮かべてベルセルラーデを睨む。

「できればこのような再会は望んでいなかっただろうがな」

「ふんっ。……聖別騎士団は壊滅、竜も墜ちたが、貴様を捕らえられた功績は大きい。もっとも、それに対して目を瞑れるほどの被害ではないが」

「はははっ、そうであろう。この身がそれらと同格と思われては、むしろ恐れ多くて冷や汗が出る」

 敵地で、絶体絶命と言う状況にも関わらず、ルー・シンの態度はいつもと変わらない。

「それで、多少なりとも世間話をして場を和ませたいところだが、生憎とそれは手前が一番苦手とするところでな。手っ取り早く本題に入りたいのだが、どうだ?」

「本題だと? 虜囚の身となった貴様が、余に何を語る? よもや命乞いをするのではあるまいな?」

「そのよもや、だ。命乞いの一つでもさせてもらおうと、ここまでの道中必死で言葉を考えてきた。それを披露せずに死ぬのは実に勿体ないので、語らせてもらいたい」

「……よかろう」

 組んでいた両腕を解いて、ベルセルラーデは傍に立てかけてあった鋼の杖を手に取る。もしつまらぬことを口にすれば、自ら首を刎ねると暗に語っていた。

「バルハレイアの王子殿は、何故にこのような戦に参加する?」

「何だと?」

「この戦いに大義はない。勝ったとしても後の歴史では裏切りと罵られ、負ければ何も残らぬ惨めな最期。それらが全て御使いにより導かれたとあっては、どう転んでも正しき道などはない」

「馬鹿なことを。民が余に望んだのだ。バルハレイアに生きる者達は、あのオルタリアの大地を欲している。それらは全て、神に愛されたと騙る貴様等が独占し続けた場所、分け与えられる権利は我等にとてあるだろう。ましてや、正しき道がないだと?」

 鋼の杖で地面の上に敷かれた布を突いて、ベルセルラーデは続ける。

「余が歩んだ先に道ができる。民達はその後を付いてくるだけでよいのだ」

「これは滑稽なことを言う。仮にその道の先に落とし穴があれば、諸共に落ちて終わりではないか。王とは灯りであり、それなくしては民達は暗闇に惑うばかりだぞ?」

「ならば余が照らし続ければいいのであろう。貴様の命乞いとは、余に対してつまらぬ問いを投げかけることか?」

「その灯りは王ではない。御使いと言う、偽りの輝きだろうに。ベルセルラーデ王子、貴方も理解しているだろう。この国の影に何かが巣食い、王も民も、大地すらも食い荒らそうとしている。その姿をオルタリアで見てきた男の結論がこれとは、片腹痛い」

「……貴様、死にたいのか?」

 鋼の杖を首もとに突き付けられても、ルー・シンは恐れを見せなかった。

 それどころか表情には不気味な薄笑いを浮かべて、なおも言葉を続ける。

「だが、民達がそれを望んでいるのは事実だ! 彼等は何年も、あの大地を望み続けていた! 神に愛された、オルタリアの地を!」

「そうだろうな。手前も多少は歴史――いや、この場合は神話を学んできた。オルタリアは神が降り立った最初の大地。それ故にその庇護を最大限に受け続けた。対するバルハレイアは神に仇なす悪魔、つまり虚界が初めてこの世界に染みだした土地。だからこそ、激しい戦いの末にその大地は荒れ果て、国土の大半が砂漠と化した」

「そこまで判っていては、余につまらぬ甘言を弄することの無意味さも理解出来よう」

「つまらぬことなど言った覚えはない。手前はこれ全て、事実を語っているにすぎぬ。例えば」

 ルー・シンの言葉は苛烈で、とても捕虜が王に掛けるものではない。

 気紛れに首を飛ばされるかも判らないようなこの状況で、それでも彼は朗々と語り続ける。

 その態度と、不敵な表情を見て、ベルセルラーデはいつの間にか彼と喋ることを受け入れていた。

「民達が望んだだと? それは違う。望んでいるのはかつてオルタリアの地を奪おうとして、それを失敗した者達の妄念に過ぎぬ。命を賭けて切り開き、少しずつではあるが人が住める地へと変わっていた大地を捨てて、恵まれた他者から奪った大地に恵みがあると本気で信じる者の、なんと心の浅ましいことか」

「妄念とは言え、それすらも余の民だ!」

「それは違うぞ、鋼の王! その妄念を沸き立たせるのは何か? お前とゲオルク王が繋いできた二つの国の懸け橋を武力と言う誘惑で壊そうとしているのは何者か! 他ならぬ御使いと、それに惑わされたお前の父だろう」

 ベルセルラーデの額から汗が落ちる。

 彼の言葉はある意味では真実だった。

 しかし、だからと言ってこの戦いを止められるものではない。勝てばその先に豊かな土地を手に入れらるのは紛れもない事実で、手に入るのならばそれを欲するのもまた、人の性なのだから。

「……提案がある。ここからが命乞いだ」

「……申して見よ」

「手前と手を組まんか? 王を廃し、この国を貴殿の物とする。もし、その上でまだオルタリアが欲しければそうすればいい。与えられるもの次第では、手前も協力しよう」

 ルー・シンが笑う。

 これまでとは違う、残酷な笑み。

 例え他の何かを踏み躙ってでも自らの命を願う、浅ましい姿。

「……くだらん」

 それを見て、ベルセルラーデは目が覚めた。

 たった一言で彼の意見を斬り捨てて、鋼の杖を振り上げる。

 先端を刃へと変化させたその黒い輝きは、この男にはどう映っただろうか。

「余は鋼の王ベルセルラーデ。誇り高きバルハレイアの王族! 貴様のつまらぬ言葉に惑わされるほど、墜ちた覚えはない!」

 ルー・シンに向けて、情け容赦なく、その黒い刃が振り下ろされた。


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