第十二節 憎悪の剣

 この戦いはもう、敗北したのだと。

 アーベル・ワーグナーは逃げる貴族達を追いかけながら、そんなことを考えていた。

 部下達も必死になって人質である彼等を追いかけるが、潜んでいたエトランゼの冒険者達に阻まれて追撃は上手くいかない。

 そもそも、ドラゴンが墜ちた時点でこちら側に勝利はなかったのだ。幾ら聖別騎士団が手練れだとは言え、本格的な戦いが始まれば多勢に無勢。

 バルハレイアの本隊がやってくる前に攻撃する手段を敵が持っていた時点で、敗北の可能性は濃厚だった。

「……我等は捨て石か」

 何の、捨て石だろうか。

 バルハレイアがオルタリアを倒し、この大地を手に入れるためか?

 違う。そんなもののためにアーベルは命を賭けはしない。それは所詮、地上に蔓延る人間達の愚かな領土争いに過ぎないのだから。

 恐らく、御使いは何かを考えている。

 大きな計画の下にバルハレイアを動かし、この戦を企てた。

 何もかもがそれを果たすための囮なのだとしたら、これは殉教となる。

 神の僕たる御使いのために命を捨てられるのだとしたら、それ以上に誉れのある死などあるだろうか。

 ――だが、部下達はどうなる?

 彼等は神を信じて、御使いを信じてその手を血に汚している。

 まさか自分達がその為の人柱であるなどとは夢にも思わずに。

 神への祈りを口にしながら、何の価値もない死地へと己を向かわせたのだ。

 具足が石畳に擦れる硬質な音が響く。

 地を掛け容赦なく剣を振るう。その雑念を全て吹き飛ばすかのように。

 最後の戦場は荒廃した街。

 ドラゴンの炎によって焼かれ、多くの人の生活が消えた場所。

 それまでのささやかな幸せは一瞬にして奪われて、ここに住む者達は何を思うのだろうか。

 叶うならば、憎しみを抱いてほしい。

 他の全ての感情を塗りつぶすような深い黒色で心の中を満たして欲しい。

 それでなければ、余りにも哀れだ。

 これと同じ景色を目の当たりにして、何もかもを投げ捨てて罪のない者達への復讐へと走った自分が、惨めすぎるから。

 目の前で声がする。

 必死で逃げていた一人の男が、足を縺れさせて地面に倒れた。

「哀れな」

 目に付く者は全て殺す。

 それがエトランゼであるかどうかはもう関係ない。その男はオルタリアの貴族だろうが、今更アーベル自身にそのようなことを気にするだけの余裕はない。

 墜ちるならばいっそ、地獄の底まで。

 一息に首を刎ね飛ばしてやることだけが、せめてもの救いだった。

 剣を振り上げる。

 御使いより承った聖別武器は、その小さな命を奪い去るべく白金の輝きを放つ。

 それは、振り下ろされる前に空中で制止する。

 鈍色の刃が、アーベルの持つ聖別武器を受け止めていた。

「……アーベル様」

「来たか、アストリット」

 すぐにその場から飛び去る。

 アーベルがそれまでいた場所に、少し遅れて数発の銃弾が着弾した。

 剣を構え、目の前に現れた二人を睨む。

 片方は白髪の、自分と同じエトランゼに家族を殺された迷い人。そして、その上で聖別騎士団を裏切ったアストリット。

「例えこの戦に敗北し、私の信仰が消えようと、やっておかなければならないことがある」

 ローブを着た魔導師風の男へと目を向ける。

 彼が、この大地の在り方を変えた。

 エレオノーラに手を貸し、不可能であると誰もが思っていたエトランゼの地位を向上させた。

 それはアーベルにとって決してやってはならないことだ。

 自分の不幸に陥れた、愛する家族を散々に嬲り殺したエトランゼ達が、我が物顔でこの大地をのし歩くことなど、許せるはずがない。

「貴様だけは殺すぞ、エトランゼ」

 その元凶をここで断つ。

 それこそが、神に捨てられたアーベル・ワーグナーと言う男ができる最後の信仰だと信じて。


 ▽


 気合いを込めた斬撃が、その余波で周囲の建物ごと空気を薙ぎ払う。

 飛ぶようにそれを回避したアストリットの背後から、数発の弾丸が飛来する。

 それらを全て切り払って、再度アーベルはアストリットに向けて剣を振るう。

 その鋭い一撃を弾き返しながら、アストリットは自らが一度は父と呼んだ男に対して叫ぶように声を上げた。

「アーベル様……! もうやめてください! こんな戦いは無意味です!」

「……ならば答えてみよ、アストリット。一体何を持って無意味だと言う? この私が剣を振るえば、エトランゼの血がこの大地を満たす! そしてそれこそが御使いへと捧げる供物になるのだ!」

「……アーベル様が今、手に掛けようとしたのはオルタリアの貴族です!」

「同じこと!」

 鈍い音がして、剣撃が擦れ合う。

 舞い散る火花と、お互いの身体から流れる血を浴びながら、二人が剣を合わせた回数は数十回にも及ぶ。

「……同じ!?」

 アストリットはアーベルの前から飛び退いて、すぐ傍にある打ち捨てられた屋台の上に飛び乗る。

 即座に放たれたヨハンの援護による銃弾を斬り払い、アーベルはその屋台を一撃で真っ二つに破壊する。

 木屑が崩れていく音と、噴煙が立ち上る中、アストリットは正面からアーベルに対して突撃を敢行した。

「忌まわしきエトランゼを庇おうというのだ! 相応の報いは受けてもらう!」

「……そんなものは……!」

「お前とてそうだろう! エトランゼを憎み、自らの無力を嘆き、壊れそうな心の拠り所して神への信仰を口にした! だが!」

 下から上へと切り上げが、アストリットの腕を跳ね上げる。

 剣を手放してその場を逃れようとしたが、アーベルの手が伸びて、それを許さない。

 手首を掴まれたアストリットは、そのまま片腕で持ち上げられて、背中から地面に強く叩きつけられた。

「あぐっ……!」

「所詮は、そんなものは偽りだ! 自らの弱さを覆うために、心の中に溜まった膿を吐きだすために殺戮を繰り返した。そのために己を正当化するための名が、神だ!」

 振り上げた剣を、横合いから銃弾が弾き飛ばす。

 アーベルはそれでも手から剣を離さずに、その場から一度距離を取るだけだった。

「アストリット、一度下がれ!」

「ヨハン様!」

 アストリットと交代して、ヨハンが前に出る。

「アーベル! お前は今、殺戮を正当化すると言ったな! ならば、その信仰心は嘘だったのか? 神の名の下に行った聖別騎士団での戦いは、全て偽りだったとでも言うのか!」

「そうだとも!」

 聖別武器の一撃を、ヨハンが銃身で受ける。

 衝撃をどうにか逃がしながら、至近距離で発砲するが、アーベルは器用に身を躱し、一撃たりとも当たることはない。

「……アーベル様……!」

 ヨハンが時間を稼いでいる間に、アストリットは弾かれた剣を取りに走る。

「あの時の力はどうした、エトランゼ? このアーベル・ワーグナー相手に手加減しているわけではあるまい?」

 至近距離で戦って、ヨハンに分がある相手ではない。

 道具を駆使して距離を取ろうと画策するが、尽きた弾倉の入れ替えすらもままならないほどの猛攻にヨハンは晒されていた。

「残念だが、あれはもうできそうにない。置いてきてしまったからな」

「愚かなことを……!」

「後悔はしていない!」

「その首を斬り落とされても同じことが言えるか!」

 拳銃が弾かれて、宙を舞う。

 懐から取り出した爆薬も、起爆する前に遠くへと吹き飛ばされた。

 申し訳程度の体術では当然、アーベルに通用するわけもなく、ヨハンは瞬く間に追い詰められていく。

「あるはずもない……! 大事な者を護るためだったからな! 貴様はどうだ、アーベル・ワーグナー! それだけの力を、その意志を何故殺戮のために使う! 何故、御使いの操り人形になる!?」

「それが正しいと判断したまでのこと! 元よりこの身は神の刃!」

「御使いの行いが本当に正しいと思っているのか? 奴等がやっていることで、この大地に住む者達が本当に救われると!」

「そんなものは!」

 ヨハンの身体を、聖別武器が斬り裂いていく。

 激しく身体から出血しながら、ヨハンは数歩後退った。

「私が気にすることではない! 御使いの、神に近きものの大いなる意志に従うことこそが私の最期の喜びなのだ!」

「アーベル様!」

 最後の一太刀が振るわれる前に、アストリットはアーベルとヨハンの間に割って入った。

 電光石火の一撃が、聖別武器を受け止めて弾き返す。

 突然の奇襲に反応が遅れたアーベルに対して、アストリットはその勢いを保ったまま猛攻を仕掛ける。

「アストリットもそう思っていました。でも、違いました」

「違うだと?」

「それは喜びなんかではありません。ただの人形です。かつてのアストリットがそうだったように」

「生意気な口を利くようになった……!」

「それでは駄目なんです。アストリットは教えてもらいました。カナタや、ヨハン様と出会って、そう言う生き方をしたいと願ってしまいました」

 例え多少有利を取ったところで、何度攻撃してもアーベルの護りは崩れない。

 アストリットが身を沈め、地を蹴り、回り込んで放つあらゆる攻撃をその先が見えているかのように受け止める。

 その身体は全く揺るぐことはない。それこそが彼が積み上げてきた信仰。憎しみを積み上げた男が自らを保つために鍛え上げてきた強さ。

「アーベル様の力を、その強さを死んだ人のために振るうのはやめましょう」

「……貴様に、貴様に何が判る! エトランゼ共に散々に嬲られ、殺された私の妻と娘の何が……!」

「怒りも、怨みもまだあります。アストリットの家族を殺した男は、まだ生きているんですから」

 テオフィルと言う名のエトランゼ。

 彼がアストリットの家族を殺した。

 その怒りも恨みも決して色あせることはない。目の前にいれば言葉を交わすことなく殺してしまうかも知れない。

「……決して許せない。けれど、アストリットは知ってしまいました。カナタに、色付いた世界を見せてもらって理解してしまいました。そんな心だけで生きる灰色の世界は、とても苦しかったんだって」

 カナタが手を取ってくれた時、アストリットの世界に色が付いた。

 その景色を美しいと思ってしまったから、もうあの色あせた日々には戻れない。

 信仰心と偽った虚無で自らの心を封じ込めていた、あの日々には。

「駄目なのですか? 家族を殺されて、理不尽に全てを奪われた者は、恨みと憎しみだけを見て、その泥の中で生き続けなければならないのですか!?」

 二つの剣が弾ける。

 お互いの動きはまだ止まらない。自らの心と共に、復讐と信仰のために鍛え上げた一撃をぶつけあう。

「もう充分不幸な目にはあったのに! まだ、灰色の世界で生きなければならないのでしょうか! アストリットも、アーベル様も!」

「……アストリット……!」

 渾身の力を込めた一撃が迫る。

 それに対してアストリットもまた、自らの全力を持って迎え撃った。

「私を止めてみろ、アストリット!」

「アーベル様……!」

 お互いの刃が触れあう瞬間、外側からそれを制止する声があった。

「おやめなさい、二人とも!」

 寸でのところで激突が止まり、アーベルとアストリットはその声の主へと視線を向ける。

「……イザベル様……!」

 二人の声が重なる。

 そこに立っていたのは、法王イザベル。

 今のエイスナハルを統べる彼女が、どうしてこんな前線にいるのだろうか。

 その答えはたった一つしかない。

「アーベル・ワーグナー。法王イザベルの名に置いて貴方に命じます。その剣を収めなさい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る