第十一節 狂信の果てに

 竜は墜ちて、空にはオルタリアの飛空艇がその巨大な影で地上を覆っている。

 御使いが呼び出したデュナミス達は、魔人により足止めによって未だこちらには一体も到達できていない。

 絶望的な状況から始まったこの戦いは、避難民を無事に救出するという最大の功績によって終わろうとしていた。

 戦いでぼろぼろになった建物の間、かつては多くの人が行き交っていた街並みの残滓の中で、エレオノーラはその背に民達を護るように立っていた。

 この場には彼女とカナタと、ラニーニャしかいない。

 イザベルは聖騎士達を連れて、別方向に貴族達の救出に向かっている。

「……兄上、間に合ってくれたのか」

 まだ本隊の到着には時間が掛かるが、それももう間もなくのことだろう。

 そうすればエレオノーラの役割は終了する。

 その前にやらなければならないことがまだあった。

 気を緩めるわけには行かない。

 戦いはまだ終わっていなかった。

「何をしている! 早く奴等を追え! 皆殺しにしろ!」

 同時に発起した、隠れ潜んでいたエトランゼ達により、聖別騎士団の戦力は分断され、街の至る所で散発的な戦いが起こっている。

 その中で、僅かばかりの手勢を引き連れて、狂気に駆られた眼をして、逃げる民達を追いかける男の姿があった。

「奴等は背信者だ! 御使いに逆らう愚か者共に裁きの鉄槌を下せ! 例え死のうがその命は神に捧げられる魂となり、お前達の同胞をより高みへと導くだろう!」

 呪文めいた妄言を語る男。

 その姿に見覚えがある。

 忘れるはずもない。まさか、生きているとは思っていなかったが。

「……カーステン!」

 鎧を纏い、剣を振り回していたカーステンは、その名を呼ばれてエレオノーラの方を見る。

 その瞳は何処を見ているのかももう判らない。

「……これはこれは、姫様」

 一転して、慇懃な態度でカーステンは腰を折る。

 間違いなくそれはエレオノーラを馬鹿にした態度だった。

「何故、お前がここにいる? ヘルフリート兄様に付き、戦に負け、その後の消息は不明と聞いていたが」

「ええ、そうです。私はあの憎きエトランゼ共に敗北し、死を覚悟しました。神に従うこの身、一匹でも多く地上を穢す毒虫を殺す役割を背負ったというのに、無様に敗北を喫したのですから、それも当然と言うものでしょう」

 隻腕の騎士は、残った右腕を振り回すようにしながら語る。

「ですが、神は慈悲をくれた。命を捨てようとした私の前に、御使いを遣わしたのです! その導きにより、私は聖別騎士団へと加入し、共にこの世界を正す許可を頂いたのだ!」

 言いながら、片腕に持った剣を掲げる。

 白銀の輝きを放つその刃は、紛れもなく普通の武器ではない。

「聖別武器……! お前が持っていたウァラゼルがどれだけの悲劇をもたらしたか判っているのか!」

「ご安心を! この剣は御使いより直々に頂いた死せる聖者の魂を封じただけの剣! あのようなもののように勝手に動きだすことはない! しかし、今にして思えばこのように壊れた世界がやってくるのならば、あの時に御使いによって裁かれた方が正しかったのでしょうな!」

「壊れた世界だと……?」

「そうではないですか! 王女の、狂った小娘の世迷言に惑わされ、この世界を喰らう毒虫であるエトランゼが同じ大地に蔓延る! それはあってはならない、神の教えに背く、間違った世界そのものでしょう!」

「それは違う! エトランゼは妾と共に在り、何度も窮地を救ってくれた! この世界を飲み込もうとした虚界を打ち倒したのも、エトランゼだ!」

「それこそが妄言! それこそが世迷言! そのようなものに救われなければならない世界ならば滅びてもいい! その瞬間、神は人間を見捨てたのだから!」

「貴様がここでこうしているのも、エトランゼがあったからだろうに……!」

「結果的にそうなったに過ぎぬ! エトランゼは醜くも神の言葉に逆らい、滅びを享受しなかった。ならば、共に生き残った私こそがそれを正さなければならない。奴等を根絶やしにして、この世界に静寂を与える必要がある!」

「カーステン、お前は……!」

「事実です、姫様。私は御使いに選ばれた。そしてここに立っている。それこそが何よりの証ではありませんか?」

 口だけは動いているが、その瞳は落ち着きなく彷徨って何も映さない。

 エレオノーラの顔を正面から見ることもできないその男を前にして、悟った。

 もう、説得はできない。

 エイスナハルの敬虔な信者。行き過ぎた信仰の持ち主と言うだけであったカーステンと言う男はもういないのだろう。

 何処で歯車が狂ったのかも判らないが、彼はもう、狂気に囚われていた。

「何がお前をそうさせた、カーステン」

「全て、です」

 剣を構えて、カーステンがエレオノーラに向き合う。

 エレオノーラも腰に差していた剣を抜いて、片手で構える。

 石床を蹴ったカーステンが目の前に迫る。

 鋭いその斬撃を、縦にした剣で受け止めて、その衝撃を殺しきることができずエレオノーラの身体が僅かに後退する。

 一歩後ろに下がり、今度は自分から踏み込んだ一撃を放つも、それは簡単に避けられてしまう。

「護られることしかできない王族である貴方が、私に勝てるとでも思ったのですかな!」

 眼前に迫る刃を、どうにか受け止める。

 エレオノーラとて護身用の訓練は受けてきた、加えて相手は隻腕。

 だとしても、一時期は騎士として仕えていた男との実力差は埋めることは叶わない。

「カーステン! お前は、お前のことだけは妾がこの手で断ち切らねばならない!」

 擦れ合う剣同士が離れる。

 突き込まれたカーステンの剣が、肩口を掠めて、赤い血が飛び散る。

「できるはずがない! 貴様如きにぃ!」

 聖別武器の持つ輝きが強まる。

 エレオノーラの持つ王家の宝剣に叩きつけられたそれは、鍛えられた鋼の刃を、その中程から切断するように折り砕いた。

「そんな……!」

「終わりだ、その狂った夢と共に消えろ、エレオノーラ!」

 その心臓を狙い突き出される聖別武器。

 決して避けることは叶わないタイミング。

 しかし、終わりは訪れない。

 それこそがエレオノーラが積み上げてきた今日までの軌跡。

 決してその手を離さなかったエトランゼの少女が、聖別武器が放つよりもより眩い輝きを纏い、そこに舞い降りる。

「カナタ!」

「エレオノーラ様、下がって!」

 言われるままに、二人の間から距離を取る。

「またも私の前に立つか! 一度ならず二度までも! 貴様は私の邪魔をする災厄の象徴、この世界を破壊する者だ、エトランゼ!」

 全身を震わせ、目を見開いて叫ぶ。

 今はもうない左腕の肘が、小刻みに震えている。

 自らを隻腕にした忌むべき者。

 異界より現れた来訪者にであるにも関わらず、神の威光を操る決して認めがたき存在。

 そしてそれだけの力を持ってなお、憎しみに囚われずに戦える光。

 カナタは何も答えない。

 彼の左腕を斬った少女は、それによって発露した狂気に真っ向から立ち向かうことを選択した。

 謝罪するわけでもなく、目を背けるわけでもない。

 ただ、その考えを、在り方とぶつかり合うために。

「貴様が現れた所為で全てが狂ったのだ! 貴様が、貴様が、貴様が、貴様がぁ!」

 滅茶苦茶に叩きつけられる剣は、そこに戦いの型などはありはしない。

 先程エレオノーラと打ち合っていた時の方がまだ、まともな剣術と呼べる動きができていたようにすら思える。

 カナタはそれに対応し、隙を見ては光の剣で応戦する。

 聖別武器とセレスティアルの刃がぶつかり合い、眉を顰めたくなるほどの不協和音が辺りに響き渡る。

 同じ属性の力を持つ者同士が響きあい、お互いの存在を打ち消しあっているのだろうか。

「そうだ! 貴様は全てのエトランゼの代表のようなものだ! 異界より現れ、無恥にもこの大地に足を付けて、外からの教えや生き方を持ち込む!」

「それの何がいけないの!」

「いいはずがなかろう! この大地は私達のものなのだ! 神によって分け与えられた場所に、不純なものなどは必要ない!」

「……それが不純だって……!」

 上から叩きつけられた聖別武器を押し返す。

 空間が歪むような奇妙な光を受けながら、カナタはカーステンの攻撃を打ち払い、返す一撃を叩き込む。

「誰が決めたの!」

「誰に決められることではない! そうあるべきなのだ! 先祖代々より伝わるものがある、神々から与えられた教えがある、それを踏み躙る貴様等は間違いなく悪であり滅するべき者なのだ! そうでなくてはならない! そうでなくては、これまでの日々を積み上げてきた者達の努力は、一歩ずつ踏み固められてきた歩みはどうなろうと言うのだ! その努力を、苦しみの上に立つ我々を否定することなどは絶対に許さぬぞ!」

「……っ、どういうことか半分ぐらいしか判んないけど!」

 神聖なる光が弾きあう。

 息を荒げながらカーステンは剣先をカナタに向けて、カナタもまた同じように両手で光の剣を構えた。

「ボク達にどうしてほしかったの……?」

「この世界に来なければよかったのだ!」

 カナタは何かを叫ぼうとして、踏みとどまる。

 そして一瞬だけ、視線をエレオノーラに向けた。

 その表情は何かを言いたくて、それを我慢して必死に抑え込もうとしている。

 恐らく、カナタは理解してしまった。

 目の前の男が何を考えているのか、どういった理由でそこまでエトランゼに対して忌避を抱くのか。

 だが、カナタが何かを言うことはないだろう。

 カナタはエトランゼだから、そうまで自分達を否定されて怒りを抑えることも、今更説得することもできるわけがない。

 だからこそ、それはエトランゼではないエレオノーラの役目だった。

「カーステン、お前は……。恐ろしかったのだな、エトランゼが」

 その一声に、カーステンは剣を握る手を緩めて、震えながらエレオノーラの方へと首を向けた。

 そしてまた、その狂気に満ちた目でエレオノーラを睨みつける。

「違う!」

「違うものか……。お前はエトランゼのことを何も知らない。知らなさ過ぎた」

 彼等がこの世界に来たくて来たわけではないこと。

 もう帰れない、故郷を失った者達であること。

 そして千年も昔、この大地を救ったのは他ならないエトランゼであるということ。

 その何もかもを、カーステンは知らなかった。

 知らないと言うことは即ち、恐怖だ。エトランゼに限らずそれは、この世界に在る全てのものに共通している。

 エレオノーラとて、母がエトランゼと言う特異な生まれでなければその恐怖を持ったまま大人になっていたかも知れなかった。

「お前は知らなさ過ぎた、この世界に来た者達に付いて、無関心過ぎたのだ。だからそれはいつしか、侵略者に対しての恐怖に変わっていった。……エトランゼもまた、我等に恐怖心を抱いていたことなども知らずに」

「……違う! そんなはずがない! 私は神に選ばれたのだ……。エトランゼを駆逐して、この世界に清浄を取り戻すために、御使いに選ばれた……!」

「くどいぞカーステン! ならば答えてみよ、この世界に来た御使いが何をした? 一つでも民のために、この大地に住む生命のために何かをしてくれたか?」

 エレオノーラの一喝に、カーステンは身体を竦ませる。

 王族の威光を持つ眼光に射抜かれるその姿は、先程までの狂気に駆られた騎士ではない。

 無知の恐怖から逃げるために信仰にその身を委ね過ぎた愚かな男の姿がそこにはあった。

「妾が何故、エトランゼと手を取り合おうとしたと思う? 貴様にとっては享楽に見えたのかも知れぬがそれは違う。共に手を取り合うことが、この大地に暮らす者達の未来に繋がると考えたからだ。民の幸福はこれ即ち、王や貴族の幸福でもある、それを理解すれば自ずと採るべき道も見えてこよう!」

 虐げられて反乱を起こすエトランゼを見た。

 それによって住む場所を失う、この大地の人々を見た。

 その時、このままではいけないと思って行動した。

 武力ではなく、慈愛で彼等を包む。

 相互に理解して、お互いの在り方を認め合う。

 それこそがエレオノーラが選んだ方法であり、今ここに辿り付こうとしている未来だった。

「貴様もオルタリアの貴族であろう、カーステン! ならば怒りを静め、恐れを克己し、自らがやるべきことを成せ!」

「う、ああ……!」

 カーステンは一歩、二歩と後退る。

「私は……! 私は……!」

 譫言のように何かを呟き、俯いた。

 しばらくそのままぶつぶつと何かを呟いていたが、不意に顔を上げて、空を見上げる。

 首と視線だけは全く別の方向を向いたまま、カーステンは再び剣を構えてエレオノーラへと突撃した。

「私は……! 神に選ばれた兵なのだ! 命の一片たりとも燃やし尽くし、御使いに仕えるのが役割なのだ! この大地にエトランゼなど必要ない! 必要ない!」

「……カーステン……!」

 ふらついた足取りで、そのままエレオノーラに迫る。

「エレオノーラ様!」

 カナタの声を、エレオノーラは手で制する。

 足元にある折れた剣を拾い上げ、それを握ってカーステンへと身体を向ける。

 刃が指に食い込み、赤い血が流れて地面に落ちる。

 何も変わらない。この世界に生きる全ての人間に共通する赤い血だ。

 カーステンはもう止まらない。

 妄言を叫びながら向かってくるその姿は、まるで贖罪を求めているようだった。

 自分が間違っていたことを認めてしまってなお、止まることができない悲しい男。

 だから、裁いてくれと願っている。

 恐怖に負けて、神の名を騙り罪を重ねた男への、せめてもの慈悲だろう。

 強く刃を握る。

 指先から広がる痛みは、彼を救ってやれなかったエレオノーラへの断罪なのかも知れない。

 倒れ込むような動きで迫るカーステンは、全く勢いのない一撃をエレオノーラに向けて突き出す。

 例え戦いの心得がないエレオノーラでも、それを避けることは容易い。

 背中側に回ってもまた、カーステンは武器を振るう。

 決して当たるような速度でないにも関わらず、何度も、何度も、そこに込められた殺意や怒りを辺りに撒き散らして消費してしまおうとでも言わんばかりに。

「すまぬ、カーステン」

 カーステンの胸に、折れた剣が突き刺さる。

 彼の胸からもまた同じように赤い血が溢れ、石畳を染めていった。

「私、はぁ……! 何処で道を……謝ったのだ……? いつから、神に、背いて……」

 神無きこの世界は彼を裁かない。

 だからこそ、エレオノーラがこうして命を奪ってやることが、最大の慈悲だった。

 カーステンの身体が崩れ落ちて、俯せに倒れる。

 そのまま動かなくなったカーステンの傍に、折れた剣の先端を手放して落とした。

「エレオノーラ様!」

 いつの間にか戦いの音は周囲から消えていた。

 カーステンが倒れたことで、残りわずかとなった聖別騎士団は撤退していったようだった。

 怪我人の治療をしていたサアヤが駆け寄って来て、血が流れている手を掴んで覗き込む。

「あんまり無茶をしないでください! 心臓が止まるかと思いましたよ!」

 顔を赤くして怒りながら、その手にギフトの光を宿らせる。

 顔を上げて周囲を見れば、エトランゼの冒険者達と、ラニーニャとカナタが、エレオノーラのことを見つめていた。

 それこそがエレオノーラが今日まで積み上げてきたもの。数々の困難に見舞われながらも決して手を離さなかった者達。

 彼等は今、団結してこのイシュトナルを救おうとしてくれている。

「……皆、すまなかった。妾の力が足りないばかりに、このイシュトナルをこのようにしてしまって」

「また、立て直しましょう」

 エレオノーラの言葉を遮って、一人の冒険者がそう言った。

 その声は辺りに広がり、彼が放った希望の一言は瞬く間に伝番していく。

 エトランゼだけでなく、保護されていたこの世界の者達もまた、それに賛同の声をあげる。

 顔を上げると、傍でサアヤが微笑んでいた。

 彼女が言った言葉は嘘ではなかったことが嬉しくて、目に涙が浮かぶ。

 イシュトナルはまだ終わってはいない。

 例え竜に滅ぼされたとしても、また立ち上がる。

 それだけの強さを持った街を作り、そんな人々を集められたのは紛れもなくエレオノーラの功績の一つだった。


 ▽


「よう。お見送りに来てやったぜ」

 戦いの前。

 小さな丘の上、目指すべきイシュトナルの方を見ていたアーベルに、背後から軽薄そうな声が掛かる。

 嫌そうな表情を隠しもせずに振り向くと、思った通りの男が立っていた。

 テオフィル。

 金色の髪をした、整った顔ではあるが何処か信用のおけなさが表情から滲み出ているこの男のことを、当然ながらアーベルは訝しんでいる。

 家族の仇であるエトランゼであり、その上で同志であったアストリットが離反する原因を作った男。

 そして何よりも、それだけのことをしでかしながら御使いによって選ばれているという事実が、更にアーベルを苛立たせる。

「貴様とそのような仲になった覚えはない」

「そんな硬いこと言うなって」

「私に限った話ではない。ここ聖別騎士団にはお前達エトランゼによって大切な者を奪われた同胞達が集っている。貴様の命を奪うことを躊躇う者などはいないと思え」

 その言葉に、テオフィルは挑発するように肩を竦める。

 実際のところ、どうしてこの男がここにやって来たのかも判らなかった。

「へぇ。じゃあお前等は自分の弱さを神に縋って、その上で力を手に入れたからそれを神様がこう言ってるって屁理屈こねて復讐してるわけだ」

 アーベルの視線がテオフィルを射抜くが、全く臆した様子もなかった。

「そう怒るなよ。別に俺はそれを否定するつもりはない。むしろ、応援したいぐらいだね」

「応援だと?」

「ああ、そうだ。私怨で結構じゃないか。誰だってそう。気に入らないことがあって、理不尽に打ちのめされて、だから暴れる。だから殺す。シンプルでいい」

「……貴様と一緒にするな」

 冷徹に、その一言を吐き捨てる。

「仮に私の中に神の意思が宿っていなかったとしても、これは紛れもなく聖戦であり、私はその尖兵である」

「ご立派なことで」

 そう言ってテオフィルは薄く笑う。

「便利なもんだ、神様ってのは。そうすれば怒りや憎しみを正当化できる。俺にはできんね、そんな真似は」

「貴様とて事情は変わらぬだろう。アストリットの家族を手に掛けたこと、御使いの庇護がなければ私が裁いているであろうことは忘れるな」

「ああ、そうだ。――俺達の事情は変わらない」

 風が薙いで、砂礫が舞う。

 オルタリアでは聞こえた草木の揺れる音も、このバルハレイアには響かない。

「お前はエトランゼが許せず、何よりも弱かった自分が許せないからその八つ当たりをしているだけだ。結局のところ身勝手に変わりはない。自分が受けた理不尽を他人に与えて、慰めてを得ているだけだ」

「……貴様が何を言ったところで、私と貴様は違う。仮にそうだとしても、私の背には神の威光がある」

「……なら、なおのこと一緒だろうな」

 テオフィルは鞘から剣を抜いて、その刀身を見つめる。

 一瞬、ここで剣を交えるのかとも思ったが、そのつもりはないようだった。今のテオフィルからは一切の殺気はなく、彼には似つかわしくないほどの穏やかな顔でその刀身を見つめていた。

 その理由を考えることもせずに、アーベルはテオフィルから顔を背ける。時期に、出立の時間が近付いていた。

「精々暴れといてくれよ。俺の役目は王子様の監視役だ。後からゆっくり行かせてもらうぜ」

 最後の言葉には答えない。

 アーベルの部下が呼びに来て、もう彼の顔を見ることなくその場から歩き去って行く。

 決して交わることのない二人は、こうしてもう二度と触れることない道へと歩み始めていった。

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