第十節 蒼穹の伝説
大空に翼を広げ、天空の覇者として君臨するそれは、太古の夢だ。
この世界には数多くの魔物がいる。それらが虚界を呼ぶということは、ここ最近で明らかになった事実ではあるが。
とにかく、この世界ではずっと人間と魔物は争い続けてきたと、歴史書は語っている。
数多く生まれては消えていった王達の長い歴史の大半は、人と魔物の戦いであると語る歴史家もいるほどだった。
人々は生きるために、自らの領土を広げるために魔物達の住処を襲い、またある時は襲われ、生存競争のために命を削りあっていった。
それも、ここ近年では珍しい話ではあるが。
いつの頃なのかは判らない。しかし、確実にその転機は訪れていた。
魔法や技術、戦術の発達により、いつしか人間は魔物を超えた。何処の国がそれを成して、何処からそれが広まったのかは判らないが、少なくともこの大陸では人間こそが勝者となり、魔物達は人が住まない厳しい大地へと追いやられて行っていた。
その中で、例外が一つ。
決して手を触れてはならぬ生きる幻想が一匹。
魔導を学ぶ者も、そうでもないものも、一度は学ぶことがある。
貴族や王族であればなお、徹底的に。
竜の怒りに決して触れてはならない。
古来よりこの地に住まう、生ける幻に触れれば、たちまちにその怒りの炎は人間の全てを炭へと変えて、大地へと葬ることだろう。
そう呼ばれるほどの伝説。
その居場所は決して語られず、例え目撃したところで生きて帰る者などおらず。
だからこそ、伝説。
魔物の一種と呼ばれながら虚界の浸蝕を受けず、それらを喰らい古代の戦争を生き抜いたとされる伝説の怪物が、ここにいる。
「命中! どんなもんだい!」
後ろで声が上がる。
その能天気な響きは、アーデルハイトの中にある緊張を多少は解してくれるものだった。
だからと言ってそれで安心できたかと言えばそうでもなく、むしろ不安ばかりが増していくわけではあるが。
「来るわよ」
無意識に声が震えている。
魔力を注ぎ、急上昇。
二人が乗っている薄い絨毯は、アーデルハイトの指示を受けて、一気に高度を上げた。
先程まで浮遊していた場所を、赤い線が走り抜ける。
空気を焦がす匂いと共に、距離を取ったにも関わらず圧倒的な熱量がその絨毯に乗っている肌を僅かに焦がした。
「うっひゃー!」
「喜んでないで、次弾装填!」
アーデルハイトとクラウディアが乗っているのは、いつもの箒ではない。
ヨハンの工房から発掘して勝手に持ち出したそれは、空を飛ぶ絨毯だった。
人が三人ほど乗れる大きさの長方形の絨毯には、二人とクラウディアが持ち込んだリニアライフル他無数の武器が乗せてある。
それらを全てぶつけて竜を撃ち落とす。それが二人に今回課せられた役目だった。
「それにしてもさ!」
ごうごうと空気を裂く音の中で、クラウディアが大声で叫ぶ。
「なんで絨毯なんだろうね!」
「さあ! 箒もそうだけれど、カナタ達の世界にはこういうものがあるのではないの!」
くるりと絨毯が一回転する。
真横を通り抜ける炎を避けて、翼を広げて空を飛ぶドラゴンへと肉薄する。
その大きさは、二人の十数倍。ブレスに焼かれるだけでなく、突撃を受けただけで絨毯ごと粉々に砕け散ることだろう。
擦れ違う風圧を魔法で防ぎながら、急上昇。
ドラゴンの姿を真下に捉え、絨毯の後ろからクラウディアがリニアライフルのバレルを伸ばす。
「いっけぇ!」
凄まじい射撃音と共に、反動が絨毯を揺らす。
片手に魔導書を握り、もう片方の手を動かして姿勢を制御しながら、宙返りをしてよろめいたドラゴンの背後へと回ろうとする。
相手もそれが判っているのか、急旋回してアーデルハイト達を正面に捉えようと動いた。
「今のちゃんと当てたの!?」
「ちゃんとかどうかは自信ないけど、当てたよ!」
「どのあたりに?」
「判んない! 多分、背中とか!」
どうやら、リニアライフルの威力を持ってしてもその強靭な鱗を貫くことはできないようだ。
「下手くそ。もっと柔らかそうな部分を狙って!」
「誰が下手くそだ! そんなこと言うなら自分でやってみな!」
「……やってやろうじゃない」
「え、冗談のつも……!」
急停止して、急旋回。
ドラゴンへと正面から立ち向かう。
目の前から迫る獲物に、ドラゴンは口を大きく開き、ブレスを吐きだす。
「も、燃える!」
絨毯を間一髪で回転させて、それを避ける。
強固に張りなおした魔力障壁は、その炎の一切を内部へと届かせることはなかった。
一つでアーデルハイト達の背丈よりも遥かに大きな前足を避けて、無防備な腹に魔法を叩き込む。
アーデルハイトが左手に持った魔導書から伝い、右手より放たれた巨大な蒼雷は竜の腹を打ち抜くが、ほんの僅かな時間動きを止めただけで、致命傷にはならなかった。
すぐに高度を下げて、その場から退避する。
ドラゴンもまた同じように、アーデルハイト達を追いかけるように急降下してきた。
「やってみたけど駄目ね」
イシュトナル要塞の屋根擦れ擦れを絨毯が通過する。
突然の襲撃者に慌てて武器を取った聖別騎士団の団員は、哀れにもその直後に突っ込んできたドラゴンの翼に薙ぎ払われて、まとめで数人が命を落とした。
「あーちゃん! あれなに!」
「ドラゴンでしょう、だから!」
「そうじゃなくて、ほら!」
クラウディアがあちこちを指さす。
半信半疑で、アーデルハイトはその方向を見て、驚愕する。
そんなはずがない。
今、アーデルハイトとドラゴンは超高速の空中戦を繰り広げているのだ。
空を飛ぶ技術に乏しいこの世界でこの戦いに付いてこれるのは、自分達以外に在りはしない。仮にセレスティアルを全開にしたカナタや御使いですらも、追いつけるかは判らないほどなのだ。
だと言うのに、そこに介入してくる者達がいる。
白い身体に、白い顔。
人の形をしているが、それは確実に人間ではない。
陶磁器のような肉体を持ち、背中には一対の羽が生えた人型が、手に持った杖をこちらに傾けながら空を飛んでいた。
「味方ではなさそうね」
「挨拶しなくて大丈夫?」
「いつからそんな殊勝な性格になったの? いいからぶっぱなしなさい!」
「了解!」
凶悪な笑みを浮かべて、クラウディアが拳銃を取り出す。
その銃身からもばちばちと稲妻が弾ける音がして、彼女が引き金を引くたびに凄まじい勢いで弾丸が発射された。
それに対して即座に反応するように、人型が持っている杖の先から光弾を放つ。
それを回避ながら、擦れ違い様にクラウディアの射撃が二体を撃ち抜いて地面に叩き落した。
「あれ、何だと思う?」
「アレクサが出してきた魚に似てるわね。同じようなものでしょう」
敵は竜を操る御使いだ。
その程度の介入があってもおかしくはない。
「……! 数が多い! あーちゃん、手伝って!」
「無茶を言わないの! こうしてる間に、わたしが幾つの魔法を同時に展開しているか判ってる?」
「判んない、ごめん!」
背後から迫りくる光弾を避ける。
上昇した先には竜が既に待機していて、至近距離でその大爪がアーデルハイト達に振り下ろされた。
絨毯を振り回すようにそれを避けて、風圧で崩れた態勢を直ちに立て直す。
魔導書の上に置いた手が熱い。
それだけでなく、身体の中から痛みのような熱が沸き上がってくる。
完全に、魔力がオーバーロードしている。この状態を続けては、ひょっとしたら暴発するかも知れない。
「十六! 防御魔法に空中制御、空気とか風圧とかその他諸々で全部で十六個よ! それが増えたり減ったりしてるの!」
「多分凄いんだろうけど、魔法使えないからあんまりピンとこない! ごめんね!」
謝罪しながら、次々と人型達を撃ち落としていく。
そうしているうちに、竜がその口に大きく息を吸い込んだ。
角度を考えればブレスはこない、ならば。
「手足を十六本一緒に動かして、それぞれで別の作業をしているのを想像しなさい!」
十七個に、魔法が増える。
極大の障壁に、呪い避けを交えて急速展開。
それに加えて、轟音からの保護魔法も唱えたからこれで十八。
竜が咆哮を上げた。
生きとし生けるものをそれだけで死へと誘う、破壊の音響。
生命の魂を砕く呪いまで入り混じったその声の直撃を受けて、絨毯はその場から吹き飛ばされて空中を落下していく。
「い、ったぁ!」
「すぐに姿勢を立て直す!」
魔力を広げて、絨毯の姿勢を戻す。
地面にぶつかる直前で態勢を立て直して、建物の間を縫うようにして加速を付けながら一気に空へと舞い上がった。
びりびりとした痺れが全身に広がる。
本来ならばそれは避けるべき事態。常人ならばそこで魔法への探求をやめてしまいかねないほどの恐怖が、アーデルハイトの中に染み込んでいった。
魔導書の毒が回る。
何処から力と知識を引きだせば出すほどに、それが如何に危険なものであるかが判って行く。
だが、アーデルハイトはその辺りの魔導師とは違う。
天才であり、アルスノヴァによって生み出されたそのための生命であり、何よりも友のために命を賭けられる少女だった。
「もっと引き出せ……!」
ドラゴンを背後に、人型が一直線に並ぶ。
「今!」
「判ってるって!」
身体を仰向けにするようにして、両手で長い砲身を構えるクラウディア。
機関部で電気が走り、その強大なエネルギーが内部の弾丸へと送り込まれる。
「発射!」
それによって撃ちだされた弾丸は、目の前に立ちふさがる人型を十体以上巻き込んで、その奥にある竜の前足を一つ、吹き飛ばした。
「惜しい! あれに当たって狙いが逸れた!」
「いいえ、上出来よ」
「褒められた!」
「早く次を!」
「冷却待って! その間は!」
両手に拳銃を構えて、絨毯の上で立ち上がる。
「……その銃、作ってもらったのよね?」
「そうだよ? しかもリニアライフルを小型化しての特注品! 電磁投射……? みたいなので弾丸が撃てる優れもの! 羨ましいでしょ?」
「……別に。贈り物の数ならわたしの方が多いもの。箒を二回に、このローブに、各種魔法道具に、この絨毯とかもあるし」
「いや、絨毯は盗んできたんじゃん」
「どう考えても最終的にはわたしにくれるつもりでしょう、この設計は!」
「って、あーちゃん、前!」
竜が大口を開けて、二人を睨む。
炎ならば充分に避けきれる距離だが、そんな愚策を打つとは思えない。
念のため全神経を集中させて、相手がどんな動きをしてもいいように備える。
「……トルネード・ブレス!」
不可視の衝撃が絨毯に襲い掛かる。
風を圧縮して放たれたそのブレスは、炎ほどの破壊力はないものの、高速で広範囲に及ぶものだった。
緊急回避したが間に合わず、身体が揺さぶられる。
風でできた渦に巻き込まれるように吹き飛ばされて、姿勢を崩したところに人型達の無数の光弾が撃ち込まれた。
「これ、やばいんじゃ……!」
「いいから一体でも多く撃ち落として! 後、後ろに積んであるのも全部使って!」
「アイ・マム!」
全力で姿勢を戻し、敵の攻撃を避けることだけを考える。
クラウディアが広げたスクロールから、魔方陣が発生して障壁となって敵の攻撃を防いでいく。
「……また来る!」
しかし、それも続いて放たれたトルネード・ブレスの直撃を受けて粉々に砕けて散って行った。
並の魔法ならば数発は耐えられる障壁が一瞬で破壊されたことに寒気を覚えながら、空中へと舵を取る。
地上を見れば、その余波によってイシュトナルの街並みがまるで廃墟のように破壊されていた。
「……あそこのお店、よくおまけしてくれるから通っていたのに」
「あーちゃん! 顔真っ赤だけど大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないわ。声もよく聞こえないし、限界も近いかも」
時間は充分に稼いだだろう。
避難民を逃がすのには充分だ。後はもう、逃げても文句は言われない。
そう思っていながらも、アーデルハイトは魔導書から手を離さない。
絨毯は急上昇し、地上が見えなくなるほどの高さまで上り詰めて、追いかけてくる竜と人型達を見下ろしている。
「ごめんなさい」
「ん?」
「体力の配分を間違ったみたい。……逃げるだけの力はないかも」
クラウディアからの返事はない。
せめて彼女だけでもどうにか逃がせないものかと、頭の中で必死に方法を考えるが、限界を迎えつつある思考を幾ら張り巡らせても満足な答えは出てこなかった。
「あーちゃんさ!」
「なによ?」
ふらつく視界をどうにか合わせながら返事をする。
背中に体重を感じる。
後ろから抱きしめるように、アーデルハイトの耳に口を寄せて、クラウディアは話しかけていた。
「竜殺しの話って、読んだことある?」
「なくはないわよ。おじいちゃんが昔買ってくれた本でならね」
自分は倒せなかったと、先代は笑っていた。
その時は情けないとすら思ったが、今こうして対峙してみれば如何に強大な生き物であるかがよく判る。
「アタシも、子供の頃パパに呼んでもらった本が怖くてさ。だって強い人間の戦士も、王様も、お姫様も殺して食べちゃう怪物の話なんだもん」
「……そうね。あながち、誇張でもなかったみたいだけれど」
「でも、アタシ達なら倒せそうじゃない? この世界に生まれて、竜の伝説を聞いてきたアタシ達が竜殺しになったらさ、最高の気分だと思うんだよね」
その声は高揚していた。
彼女だけではない。
クラウディアの一言には力がある。それを聞いた者の、鼓動を高め、内なる力を引き出す不思議な力が。
それは決して魔力が伴うものではない、当然、ギフトであるはずもない。
ただの、本人が持つ資質。或いは竜の力を持ったエトランゼやオルタリアの王女も、同じような力を秘めているのかも知れない。
顔を上げる。
真っ直ぐに目標を見据える。
「それは楽しそうね」
左手に持った魔導書から、稲妻が走った。まるで、蘇ったアーデルハイトの闘志に呼応するように。
「で、勝算は?」
「吹き飛ばした前足の隙間から、擦れ違い様にどてっぱらに一発。ギリギリまで近付いて撃つ」
「奴の硬さは計算に入れた? 余程の距離で撃たないと意味はないわよ。下手すればそのまま死ぬかも」
「死なないよ、アタシもあーちゃんも」
その言葉に根拠などはない。
ただ伝わってくるのは、彼女は今命を賭けているわけではないということ。
当然の如く立ち向かって、当たり前に勝利することだけを考えていた。
「……本当にそれが成功すると?」
「するよ」
何の迷いもなくそう言い切った。
これでは余計なことを言う方が間抜けと言うものだ。
「……上手いわね、貴方」
「射撃の話?」
「いいえ。その件は無事に事を終えたら褒めてあげる」
目標を前方に。
眼前に迫る竜の姿は、まだ彼我の距離があると言うのに血液が凍るほどに恐ろしい。
あれを正面から見るだけで、命ごと魂を奪い去られてしまいそうなほどだ。
或いは、あれは虚界と対を成す存在なのかも知れない。
もしこの世界に御使いがなく、エトランゼも来ることがなければ、虚界と覇を争っていたのはあの生き物なのかも知れないと、アーデルハイトは何の根拠もなくそんなことを考えた。
閃光が弾け、光弾が飛来する。
それを絨毯を傾けることでギリギリで避けて、一気に加速する。
例え今距離が離れていても、正面から向かい合えばそれが詰まるのは一瞬。
その間に勝負を賭ける。
「……無事に戻って、いっぱいよっちゃんに褒めてもらおうね」
「ええ、そうね。わたしの方が凄いけど」
「そこで張り合う、普通!?」
加速。
迫りくる光の弾を弾きながら、周囲の人型には目もくれずに一直線にドラゴンへと肉薄する。
解れた障壁から入り込む風圧が髪を揺らし、限界に近い魔力放出に耐えられない肉体が悲鳴を上げる。
だが、それでもアーデルハイトは止まらない。
それどころか更なる力を込めて、大口を開ける竜の正面に立った。
鋭い咆哮が正面から二人を射抜く。
揺れる絨毯を制御し、そこに込められた魔力を相殺しながら、前に突き進む。
その中で、まるで時間が停止したかのようにゆっくりと進む刹那の間に、アーデルハイトは何かを感じ取っていた。
「……声?」
竜の、人よりも遥かに高い知能を持つと言われている伝説の怪物は、そこに込められた何かを咆哮として放っていた。
曰く、それは怒り。
虚界を排してなお争いを繰り返す人々への憤怒の叫び。
竜は静寂を求める。そのために御使いへと力を貸すことに決めた。
人間は愚かで、争いを繰り返す。エトランゼもこの世界の住人も関係ない。大地を切り開き、生命の在り方を変えてなお進化しない者達を、彼は許さなかった。
そして、その声は人で無きアーデルハイトに語り掛ける。
魔人に生み出された命ならば、人よりももっと純粋な生命ならば自分の言葉が判るはずだと。
これから先この大地が進んで行く道が、決して順風なものでないことは判っているはずだと。
「知ってるわよ、そんなこと」
人間は愚かだ。
この戦いが全てではない。
バルハレイアを倒し、御使いの干渉がなくなったとしても争いが終わることはない。
オルタリアと言う国も、いつかは消えてなくなってしまうのかも知れない。
これだけの戦いも、自分達が今ここに生きていた証拠も、後の世界の者達の手によって奪い去られて消えて行くものなのだろう。
きっと竜と呼ばれる彼等は、それも見てきたはずだ。千年を超える時間の中で。
「それでも」
竜が大口を開ける。
その中にある燃え盛る炎が、二人を焼き焦がすために最大級の火力を持って放たれた。
「わたしはわたしの大切な人達と生きるこの道を選ぶ。例えそれは、自分が何者であろうとも変わらない!」
何も変わらなかった。
あったのは、自分の中で勝手に抱いた僅かばかりの葛藤だけ。
己の存在が人間ではないと知っても、ヨハンもカナタも、後ろにいるクラウディアも態度を変えるどころか、気にする素振すら見せない。
後になって、そんなことに一瞬でも迷った自分が馬鹿みたいだと反省したほどだ。
だから、アーデルハイトの世界はそれでいい。
余計なことを考えられるほど大人になったつもりはない。いつだって目の前のことに全力で挑めば、それだけでいい。
炎が絨毯を包む。
障壁を食い破ろうとする赤い滅びに対して、アーデルハイトは魔導書に手を翳してそこから力を引き出す。
紫電が走り、それはやがて純化した力へと変わっていく。
セレスティアルには及ばないが、今人間が出せる中で最もそれに近い、純粋なる魔力の輝き。
「クラウディア! 今から炎をぶち抜く!」
「よっし! 行け、あーちゃん!」
白い輝きはアーデルハイトの右手に宿り、掲げた掌の前に広がる魔方陣から、一条の輝きとなって放出される。
『ディヴァイン・パージ!』
光が一直線に放たれた。
邪悪なる者を滅ぼす神聖な輝きは、アーデルハイト達を喰らおうとする炎を突き破り、真っ直ぐに竜の身体へと向かっていく。
その余波で炎が晴れた。
光に撃ち抜かれた竜はそれでも動きを止めることはなく、その首を小さき者達へと向けている。
そして、いつの間にか両者の距離はすぐ傍まで迫っていた。
「この距離、角度、完璧! いっけえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
轟音が背後から響く。
その衝撃を逃がすほどの力ももう残されてはいない。
その上でクラウディアは、それすらも計算に入れて、竜の心臓があるであろうその位置を真っ直ぐに狙って引き金を引いた。
蒼雷が走り、機関部が鳴動する。
放たれた弾丸は、まるで吸い込まれるようにその巨影の、最も柔らかかな部分へと突き刺さった。
肉が裂ける音が何重にも重なって響き、苦悶の低い声が辺りに木霊する。
その真下を潜り抜ける二人に、溢れた緑色の血が雨のように降り注いだ。
首を回して、忌むべき者達に反撃しようとするドラゴンだが、心臓を撃ち抜かれてはそれをする力も残ってはいなかった。
ブレスを吐くために大きく息を吸い込むものの、その反動として口から血を溢れさせて、空中での制御を失っていく。
暴風を引き起こす翼が少しずつ動きを止め、口から漏れる声はか細くなっていく。
両者の距離が充分に離れたところで、竜は全ての力を失って地上へと落ちていった。
「やっ……たああぁぁぁぁぁぁ!」
後ろで勝鬨が上がる。
「安心するのはまだ早い!」
竜を落としても、辺りにはまだ人型が翼を広げて二人を包囲している。
その杖の先端を掲げて、放たれる光弾はアーデルハイトのなけなしの魔力を振り絞った魔力障壁を容赦なく削り取って行った。
クラウディアも二挺拳銃で応戦するが、敵の数に対して明らかに手数が足りていない。
「……下に降りるわ。多分死ぬけど、恨まないで」
「いや、恨むよ! アタシ死にたくないし!」
「だったら最初から乗らない!」
「そんな今更! あーちゃんは死ぬつもりだったわけ?」
「そのつもりはなかったわよ! でもこのままじゃ……!」
光弾を回避するが、もうまともに動かすこともままならない。
精々できるのは浮いていることぐらいで、そのまま狙い撃ちされるぐらいなら、万に一つの可能性に賭けたかった。
「あーちゃん、まだ来る! 後、弾も切れた!」
「ならお祈りでもしてて!」
悲鳴のような声を上げながら、クラウディアが指さした方向を見る。
それはおかしな事態だった。
空を駆ける大きな影が、雲の下からこちらに近付いてきている。
しかし、その方向はバルハレイアがある南ではない。オル・フェーズがある北からこちらに向かって来ていた。
「なによ、あれは……?」
「空飛ぶ船だよ! あれも御使いの?」
「そんなの判るわけ……!」
それは紛れもなく、巨大な船だった。
魔力光を放ち空に浮かぶ、魔装船をそのまま空中に浮かべたような姿。
木でできている胴体からはマストが伸び、帆の代わりにプロペラで揚力を補助しているようにも見える。
その甲板から、光が放たれる。
思わず目を閉じたところに飛来した炎や稲妻の光は、アーデルハイト達を避けるように人型に直撃し、次々と地面へと落としていく。
原理で言えばアーデルハイトが今使っている絨毯と同じようなものだ。決して実用化できないものではないが、五十人は乗れそうな規模となれば話は別だ。
相当な技術の塊だろう。そんなものを造ろうと考えた奴は、間違いなく頭がおかしい。もっと幾らでも予算の使いどころもあるだろうに。
「アーデルハイトさん!」
空を駆ける帆船、飛空艇が真横に迫る。
その甲板には魔導師達が乗り込んでおり、各々が杖や魔導書などを片手に持って、砲撃手となっていた。
そこから、聞き覚えのある声がする。
甲板の縁に立ち、こちらに向けて空を飛ぶ金属でできた人形を差し出す少女が一人。
人間の上半身だけを模したような姿のそのゴーレムは、大きな手でアーデルハイトとクラウディアの乗る絨毯を掴むと、飛空艇に向かって引き寄せる。
「シルヴィア……」
薄い紫色の、緩く波打つような髪。
高貴さを感じされる声と、整った顔立ちにスラリと伸びた手足が特徴的な少女が、こちらを見て笑いかけている。
「卒業以来ですわね」
「まだ数週間しか経ってないでしょうに。……何にせよ、助かったわ」
二人の身体が甲板へと引き上げられる。
絨毯の上から倒れるように転がり落ちた二人は、もう立ち上がるほどの力も残っていなかった。
上を見上げるその視界に、今もなお無数の人型が映り込んでくる。
「まだ来る!」
「ご心配なく。大砲を乗せる時間はなかったのですけれど、その代わりにそれよりも強力な方が同乗してくれていますのよ」
取り囲むように集まった人型が、何かに引っ張られるように一ヵ所に集められて、そのまま拳程度の大きさに圧縮されていく。
シルヴィアが視線を向ける方に合わせて見れば、船の先頭で手を翳し、無限に集まってくる人型を次々と不可視の力で握り潰す女が一人。
「船は避難民の救出に向かいなさい!」
言われるままに、空中で飛空艇が進路を変える。
彼女を一人残して後退する最中、アルスノヴァの姿が消失して、アーデルハイトが倒れているその真横に突然現れた。
「助かったわ。貴方がドラゴンを落としておいてくれたから、これを無事に飛ばせることができた」
「嫌味な女。最初から自分でやればいいのに」
「そうだそうだ!」
アーデルハイトの言葉に、同じく仰向けに倒れたままのクラウディアも同意する。
「娘の成長を見てみたい親心よ。……冗談は置いておいても」
光弾が飛空艇に迫る。
その数は先程までアーデルハイト達が受けていたものの比ではない。視線を向ければ、空を覆い尽くすほどの人型がバルハレイアの方向から飛んできているのが見えた。
「力を温存しておきたかったの。尖兵である竜を落とした今、本格的に御使いが動きだすだろうから。デュナミスを操るのは幽玄のイリス。一言で言うと最悪の屑女」
どうやらこの人型達の名前はデュナミスと言うようだった。
その裏に御使いがいるのならば、これだけの数が出てくるのにも納得ができる。
「後は私がやるから。貴方達はゆっくり休みなさい。本当に、よくやったわね」
嬉しくもない褒め言葉を最後に、アルスノヴァは飛空艇から離れて行く。
次第に狭まる視界の中、アーデルハイトが見たのは、無数のデュナミスに囲まれて力を振るう魔人の背中だった。
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