第九節 ラニーニャ奮闘

 イシュトナルに限らず、オルタリアの地下にはフィノイ河から流れ込む地下水脈が走っている。

 オル・フェーズやソーズウェルなど、大規模な都市はそれらを地下水路で招き入れて水道から水を出す仕掛けによって水を行き渡らせていた。

 イシュトナルもそれを真似して工事が推し進められていたのだが、生憎とまだ完全ではなく、地下水を井戸から組み上げる仕掛けになっている。

 今回ばかりはその未完成さが幸いした。

 ラニーニャは水脈を伝い、水の中を通ってイシュトナルの内部にまで入り込んでいた。

 そして民間人が集められている西側の街にある一つの井戸から、その顔を覗かせている。

 どうやら井戸があるここは広場のようで、多くの民間人達が不安そうな顔をして屯している。

 その中心で何やら商売のようなことをしている人物には見覚えがあった。確か、ユルゲンス家と張り合うほどに大きな商会を持った商人で、名前はハーマンだったはず。

 ヨハンの手紙に名前が書いてあったのも、彼の名だ。

 ラニーニャは井戸から上がり、軽く水を払ってハーマンの傍に近寄って行く。

 突然現れたラニーニャにそれを目撃した人は驚きの声をあげるが、当のハーマン本人は特に大きな反応を示すこともなかった。

「おやー。確か、ユルゲンスの」

「ご存じでしたとは光栄ですね。お話しの程は伝わっていると思いますけど」

「はいはい。昨夜の内にしっかりと手筈は整えて起きましたよー」

「なら安心ですね。時間もありません、できるだけ手早くお願いします」

「はいはいー。それから、ユルゲンスの護衛さん」

「なんですか?」

「わたくしの予感、聞かせましょうか?」

「結構です。よくても悪くても、そう言うのは知らない方が面白いってものですよ」

「……はは、確かに」

 その言葉を最後に、ハーマンはラニーニャから距離を取る。

「さぁさぁ皆さま! 昨日の夜に話していた通りです、救いの手は伸びてきたようですよ!」

 彼の大声にその場にいる者達が反応する。

 怪我人を助け起こし、ある者はその話を他者に伝えながら、少しずつ小さな波紋が広がって行った。

 当然、そんな動きをしてただで済むわけがない。

 すぐに聖別騎士団の兵士が飛んできて、ハーマンを咎めようと近付いていく。

「貴様、何を……!」

 その言葉は途中で止まった。

 ハーマンを制止しようと手を伸ばしたまま、その兵士は崩れ落ちる。

 ラニーニャの仕事はここからだ。

 できるだけ暴れて、聖別騎士団の注意を引きつける。

 その間に外側からエレオノーラと、イザベルが指揮する兵士達が脱出の手引きをする手筈になっている。

 突然の異変に、兵士が奥へと走って行く。

 程なくして大量の増援を連れてここに戻ってきた。

 背後には武器を持たない民間人が、無防備な背中を向けて逃げようとしている。

「構わん、殺せ!」

 そこに向けて無慈悲に放たれた無数の矢を、横から空を斬り裂くように打ち付ける水が絡め捕り、その勢いを殺して押し流していく。

「目の前にこんな美少女がいるのに他に目をくれるなんて、勿体ないですよ」

「エトランゼが!」

 正面から斬りかかってきた兵士を、擦れ違い様に一閃。

 刃の食い込みは浅い。敵も単なる木偶ではない。

 だが、今は一人に時間を割いている暇はなかった。足を止めれば、数に押されてすぐにやられる。

 無意識に力が広がる。

 地下水路の水を引き上げるように、地面に罅が入り、そこから溢れだした水がラニーニャの意のままに動きだす。

 それらが周囲の兵士の足止めをするが、自分の身体を動かしながらでは集中しきれず、敵を倒すまでには至らない。

 目の前で白刃が閃く。

「聖別騎士……!」

 魔装兵と同じような、白く巨大な鎧を纏った兵士がその行く手を遮っていた。

 目の前に水の壁を展開して、その一撃を受け止める。

 ギフトの力なしのラニーニャの腕力では、とても受け止めきれるものではなかった。

「ドラゴンを動かせ!」

「し、しかし……!」

「逃がすぐらいなら殺してしまえ!」

 それを聞いた敵兵が一人、奥へと逃げていく。

 即座にそれを追撃に向かおうとするラニーニャだったが、立ち塞がる聖別騎士を無視することはできなかった。

「……ま、いいか。どうせ戦うことになるわけですし」

 薙ぎ払われる剣を避けて、胴体に蹴りを入れて距離を取る。

 そこから再度跳躍して、聖別騎士の頭部と視線を合わせた。

「お生憎様」

 袈裟懸けに、水の刃が走る。

 流動する鋭い刃はその胴体部分に深々と食い込んで、そのまま中にいる人物の胸から腹に掛けて深い傷を付ける。

 血飛沫が待って、ラニーニャの顔を濡らす。

 それでも、聖別騎士は止まらなかった。

「なんて執念!」

 伸びてきた手が、ラニーニャの片腕を掴み取る。

 勢いに任せて身体を振り回し、叩きつけようとしたところで別方向から伸びる水の刃がその腕を斬り落とした。

 投げ出されたラニーニャは上空で一回転して、近くの屋台の残骸の上に着地して、両手に水の剣を構える。

「聖別騎士を、こんなに容易く!」

「化け物め! やはりエトランゼはこの地にあってはならないものだ!」

「……本物の化け物を連れてきた人達が何を言ってるんだか」

 もうその言葉はラニーニャには通用しない。

 別段、化け物でも構わない。

 この力を必要としてくれる人がいるのならば、存分に振るおう。

 例えその結果として、人ではない者に成り果ててしまったとしても。

 大量の水が、地面から溢れ出る。

 それらはラニーニャの周囲を守護するように、帯のような形になって渦を巻いていた。

 再度の突撃を仕掛けようとしたところで、轟音が響き、空から巨大な影が飛来する。

 翼をはためかせてその両足で先程いた広場を破壊し着地するのは、深紅の鱗を持つ破壊の化身。

 ドラゴンはその両目にラニーニャを捉え、首を振るって勢いを付けると他の聖別騎士達が巻き込まれるのも構わずに炎の息を吐きだした。

「これは、確かに……!」

 片手を振り上げて水の壁を展開。

 周囲にある量だけではとても足りず、絶えず足元から水を供給して壁を広げていく。

 炎と煙が打ち消しあって、辺りは白い煙に包まれていく。

 その中に身を隠し、建物の影へと移動する。

 再度放たれた高熱が、石でできた建物を容易く砕いてラニーニャに迫った。

「こんなの続けてたら、周りの水がなくなりますね!」

 とてもではないが戦えるものではない。

 水の壁でどうにか炎を阻みながら距離を取るが、ドラゴンはそこに容赦なくブレスを吐きかける。

 なんとか身体を建物の影に滑り込ませてそれを避けながら、距離を取って行く。

「ラニーニャさんのことを気に入ってもらえてどうも。でも、貴方の相手は違う人なんですよね」

 前足がラニーニャのいる場所を、家屋ごと踏み潰そうと迫る。

 それが叩きつけられる寸前、真横から飛んできた何かが、ドラゴンの身体に衝突する。

 その勢いは凄まじく、矢や銃では傷つかなかったドラゴンが、その身体を横倒しにして転がった。

 幾人もの聖別騎士団を巻き込んで無様な姿を晒したドラゴンは、怒りの余り咆哮しながら翼を広げで空へと飛んでいく。

 そこにもう一撃、遠距離から弾丸が飛来する。

 それは衝撃を伴った咆哮によって撃墜されるも、ドラゴンの注意を引くことには充分成功していた。

 翼を広げて、巨体が空を舞う。

 その視線の先には、竜の身体に比べれば余りにも小さな影が一つ。

「……一先ず作戦は成功」

 見れば、ドラゴンを呼んだことによって逃げいく民間人と、聖別騎士団は完全に道を分断されていた。

 離れたところに、エレオノーラが連れてきた部隊が彼等を保護するのが見える。

 犠牲が全くなかったとは言えないが、これで彼等が人質にされる可能性はなくなった。

 後は、この騒ぎが伝わる前に次の行動に移す。

「もう少しだけ暴れるとしますか」

 唇を軽く舐めて、両手に水の刃を握る。

 混乱しながらも態勢を立て直し、避難民達を追おうとする聖別騎士団に対して、ラニーニャは再度の突撃を敢行した。

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