第八節 灯された憎悪

 オルタリア首都、オル・フェーズ。

 その城門の前に、地を埋め尽くすほどの軍勢が集結していた。

 その威容は内乱で疲弊してなお、この国の強さを誇示するものであり、それらを見送る民衆からは期待の声が次々と掛けられていく。

 赤みが掛かった黒髪の、逞しい体躯をした王、ゲオルクは手を振ってその声に応えていく。

 軍団は南へと進軍し、やがて民衆の姿は後ろに流れてい消えていく。

 背中越しに、今でも聞こえてくる自らを讃える声を聴きながら、ゲオルクはその表情に憂いを浮かべていた。

「戦う前からお疲れですかな? そんなことではこれから先、勝つことなどできませんぞ」

 隣に並ぶ髭の大男、エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンが笑いながらそう言った。態度こそ冗談染みているが、彼の言葉は本心だった。

「判っているさ。しかし、出立までが疲れたというのは本当だがな」

 非戦派の貴族の説得や、戦争資金の確保。それから戦いが終わった後の見通しなど、やるべきことは多岐に渡った。

 加えてイシュトナル奪還の作戦を考え、その為の兵を集める。それだけの動きの中心として、ゲオルクはここ数日昼夜を問わず働き続けていた。

「斥候から得た情報ですと、この分ならば我が軍はバルハレイアの本隊がイシュトナルに到着する前に、先制攻撃を仕掛けることができます」

 使える時間は有限で、加えて猶予は殆どないに等しかった。

 本来ならばしっかりと人質救出や、相手の切り札とも言えるドラゴンに対する対策を取ってから戦いに臨むのが正しいのだが、今はその時間がない。

 ゲオルクが取れる作戦は、戦力を投入しての強行突破。勝利のために犠牲を厭わない、最低の方法だった。

「王位を継いで最初の戦いがこれとは。後の歴史書に何と書かれるか怖いよ、俺は」

「ハハハッ、俺はもうその恐怖は忘れました。……友の命が消えてもなお、己の愚かさを顧みることができなかった男ですから」

「ディッカー・ヘンラインか。惜しい男を亡くしたな。今更だが、俺が王位を継いだ暁には再び王宮に戻ってもらいたかった」

「恐らくですが、断るでしょうな。あの男は。……それを込みで、俺は奴から託されたのですから」

 その視線は、遠いところにいる友へと向けられていた。

「エーリヒ。あれの準備はどうなっている?」

「は。滞りなく。翌日に出撃し、早ければ俺達よりも早くイシュトナルに到着するでしょう」

「殆ど戦闘力を持たせていないと聞いたが?」

「時間が足りなかったようですな。技術屋たちの言っていることはよく判りませんが、武器一つ乗せるのにもバランスを取るのが大変だそうで」

「本当に役に立つのか、それは?」

「優秀な魔導師達を乗せることでその辺りは補強するそうです。中には魔法学院を好成績で卒業した者もいるとか」

「……それでいきなり戦争に駆り出されるとは、やりきれんな」

「今は勝つことを考えましょう、ゲオルク様。……奴等の背後に御使いがいるのならば、我等に敗北は許されないのですから」

 エーリヒの言葉を聞いて、ゲオルクは視線をイシュトナルの方向に向ける。

 今はまだ見えないその要塞には竜が潜み、神の意を狩る騎士達がいて、その背後には、恐らく御使いがいる。

 ヘルフリートの母であるマクシーネを誑かし、オルタリアに虚界を呼び覚ました者が。

 そしてその前立ちはだかるであろう男を、ゲオルクは考える。

 バルハレイアの王子であり、ゲオルクの親友。

 鋼の王ベルセルラーデ。

 全てが上手く行ったとしても、イシュトナルを取り戻した後は自らの友と刃を交えなければならないのだ。

 兵達の行軍は続く。

 その道行はまるで、開けることのない深い夜の中へと行進しているようにも見えた。


 ▽


 燃えていた。

 赤い炎が世界を照らしていた。

 まるで太陽がすぐ傍にあるのかと思ってしまうほどにそれは熱く、夜の闇の中で煌々とした輝きを放つ。

 身体が動かない。

 まるで全身が鉛になったかのように重い。

 俯せに倒れたその身体の下に、赤い血が流れている。

 それは自分のものだ。

 しかし、痛みはない。

 痛みなど感じる暇はなかった。

 男は叫び続けた。

 最初は恫喝し、燃え盛る瓦礫の中に立つ男達の不徳を正そうと声をあげる。

 次第にそれは弱々しいものに変化して、やがては懇願に変わっていく。

「やめてくれ……! 許してくれ!」

 その声に対する返答は、嘲笑うような声だった。

「うるせぇ! 元はと言えばてめぇらが作った世界の所為で俺達はこうなってるんじゃねえか!」

 野盗の一人がそう叫ぶ。

 その手に、ぐったりとして動かない男の娘の手首を握って、無理矢理に引っ張り起こしながら。

「そうだ! 俺達エトランゼは来たくてこんな世界に来たわけじゃねえ! その上でこんな扱いをされてるんだからよ!」

「私達が君達に何をした! それは全て逆恨みだろう!」

「一緒だよ! お前だってこの国で、俺達が必死で生きてるのを見てみぬ振りをしてる貴族様なんだからよ!」

 凶刃が舞う。

 甲高い悲鳴が上がる。

 その横には、両手を斬り落とされて血を流す、男の妻の身体が横たわっていた。

「そんな馬鹿な話があるか……! こんな理不尽があってたまるものか!」

「そう思うか? だったら残念だな。これはこの世界の、何処にでもある話だ。お前達が目を向けないだけで、俺達エトランゼはいつでも同じ目にあっている」

「こうまでする君達のことを救えるものか!」

「ハッ、だったら――!」

 男達は容赦なく娘を嬲る。

 生きていると知るや、男の妻も無理矢理に意識を目覚めさせて同じようにいたぶりはじめた。

「こいつらも救われねえな」

 心底愉快そうな声。

 この世界に来て理不尽を受けて、その怒りと憎悪で狂いきってしまった男達の声が、燃え盛る屋敷に木霊する。

 何度も叫んだ。

 喉が枯れ、掠れて血が流れるほどに声を上げ続けた。

 しかし、それすらも男達にとっては残忍な宴を盛り上げるための劇伴でしかなかった。

 男達は望むがままに、思うがままに屋敷の全てを蹂躙する。

 その惨劇の悲鳴が終わる頃に、男はいつの間にか意識を失っていた。

 暗雲が空に立ち込めて、降り注ぐ雨を受けて目を覚ますと、そこには崩れた屋敷以外の何も残ってはいない。

 辺りには折り重なる死体。愛する妻と娘の姿はなく、どうして自分が生きているのかも判らない。

 何故、奴等が自分を見逃したのか。

 それは恐らく、出血からもう既に息絶えたと思ったのだろう。腹を見れば、未だに止まることはない血が、赤い川となって流れ出ている。

 いっそこのまま死んでしまおうかとも考えたが、すぐにその考えを捨てた。

 床を必死で這いつくばり、燃え残った衣類などの布を集めて包帯を作る。

 ここに妻と娘の死体はない。

 もし攫われてしまったのなら、どんな目にあっていようと、生き残っていればいつか再会できる。

 それだけを希望に生きていこう。

 生きてさえいれば、きっと巡り合う。

 決して希望を捨てないこと、それは神が人に与えた言葉の一つでもある。

 家族は巡り合うもの、男は純粋にそう信じていた。

 だから、必死で生き延びた。もう楽になりたいと思えるほどの苦痛にも耐えて、自分の傷を治療して、助けが来るその時をずっと待ち続けた。

 ――結論を言えば、男は助かったがその家族が救われることはなかった。

 翌日にやってきた国軍により男の身柄は救出され、貴族を狙った悪質なエトランゼの野党は即座に指名手配された。

 襲撃まではよかったものの、その後が杜撰だったようで、その拠点はすぐに見つかって、兵を派遣されて叩き潰された。

 まだどうにか杖を突いて歩ける程度にしか怪我が回復していない男が聞いたのは、拠点の奥で無残な姿で妻と娘が発見されたという報告だけだった。

 二人はそのエトランゼ達の鬱憤を晴らすための道具にされ、その果てにロクな食事も与えられず殺されたらしい。

 生き残った者を尋問して得られた情報によれば、彼等は二人が飢餓で弱って行く様すらも楽しんでいたのだと言う。

 死体は両手を組んで、眠るようだったと。

 最後まで神へと祈り続けていたのだろうと、報告に来た城の兵士は語った。

 それを聞いた男は、その場に崩れ落ちて人目をはばからず泣いた。

 敬虔なエイスナハルの信徒である男は、生まれて初めて神への怒りを口にした。

 どうしてこんな残酷な仕打ちを与えるのだと。

 何故、祈りを聞き届けてくれなかったのだろうと。

 ――何故、あんな者達をこの世界に呼んでしまったのだと。

 違う。

 神に罪はない。

 神は全てを救おうとして、許そうとした。

 それを享受しなかったのは、この大地に辿り付いた奴等だ。

 神への祈りを持たず、与えられる喜びを知らず、憎しみのまま殺戮を繰り返し、人の命を玩ぶエトランゼはこの世界にあってはならない。

 神が見守るこの大地で、その威光に背を向ける者が生きていることなど、絶対に許されることではない。

 男は、その結論に辿り付いた。

 そうして聖別騎士団に入り、自らに試練を課し、如何なる汚れ仕事にも従事し続けた。

 その途中で一人の、自分と同じエトランゼに両親を殺された少年を拾って養子にする。

 不思議な雰囲気を持ち、狂ったような信仰心を持つ少年は自分と同じで、それ以上に神に近い何かであると感じたからだった。

 その少年も今はもう傍にいない。

 別にその必要はない。道を違えたのならば、邪魔をするならば斬り捨てるだけ。

 事実、御使いは存在した。

 神の使いはこの地に降臨し、この世界を正そうとしている。

 ならば、やることはたった一つ。

 アーベル・ワーグナーは、神の剣として、御使いの意のままに戦うだけ。

 その身体がボロボロになって、折れるその時まで。

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