第七節 それぞれにできることを
ヨハンの自宅。
主のいないこの広い屋敷の食卓で、少女達はエレオノーラの話を黙って聞いていた。
十人は座れる大きなテーブルの中央にはエレオノーラ、その話を聞くようにアーデルハイトとカナタ、それから何故かこの場にいたクラウディアとラニーニャが座っている。
サアヤが入れてくれた温かいお茶を目の前にして、今しがた、エレオノーラは全てを語り終えたところだった。
その内容は単純で、イシュトナルを救いたい。そのために力を貸してほしいと、たったそれだけのこと。
黙って話を聞いていた一同だったが、最初に静寂を打ち破ったのはアーデルハイトだった。
「エレオノーラ様のお話しは理解しました。わたし達も目的はまぁ、一緒です。そこの人もわたしの家族のことで朝一番に怒鳴り込んできたところですので」
「そりゃ自分の旦那様のことだしね」
「……無茶な願いと言うことは承知している。しかも、妾にはそなたらに報いるものもない。ただ、ヨハン殿が心配であるというその心を利用しようとしているだけなのかも知れぬ。だが、頼れるのはそなたらしかいないのだ。だから、頼む!」
膝に手を突き、深々と頭を下げる。
全員の表情は判らない。一国の王女がそこまでする姿に、言葉を失っているかもしれなかった。
「……そんな同情を引こうとしても無駄でしょう」
一番遠い席から、そんな声が飛ぶ。
恐る恐る顔を上げると、浅葱色の髪をした少女、ラニーニャが指先で紅茶の形を変えて玩びながら、エレオノーラへと視線を向けていた。
「そんな言葉に意味なんてありませんよ。ねぇ?」
視線がクラウディアに向く。
クラウディアはそれを受けて笑って頷き、続いてその目線はアーデルハイトを差した。
「……確かに、王女様の言葉に意味はなかったわね。その物言いはどうかと思うけれど」
冷たい一言に、身を固くする。
横に立つサアヤもその状況には言いたいことがあるのかも知れないが、命を賭けるのは自分達ではないという事実が、言葉を失わせていた。
カナタは何も言わない。
アーデルハイトが紅茶を飲み、空になったカップを皿の上に戻す。
「言われなくても、わたし達はイシュトナルに行くつもりでした」
「……なんだと?」
「よっちゃんを助けないといけないしね」
クラウディアが椅子を傾けて、そう言って笑う。
「お姫様に同情する理由もなければ、そんな言葉に心も動かされません。自分で決めて、行こうとしてたんです」
「か、カナタ……?」
混乱の余り、カナタに助けを求めてしまう。
カナタはエレオノーラの視線を受けて、苦笑いを浮かべていた。
「みんな意地っ張りなんです。エレオノーラ様に頼まれたからじゃなくて、自分達の意思で行くんだって言いたかったみたいで」
「口下手にもほどがあろう……。日常生活で苦労するのではないか?」
「ラニーニャは直した方がいいと思うよ?」
クラウディアにそう言われて、ラニーニャは露骨に顔を逸らした。
「……だが、妾は足手まといになるかも知れんぞ?」
「なんで話がまとまり掛けてるところでそんなこと言うんです? 否定してほしいんですか? ラニーニャさんはしませんけど」
「ラニーニャは黙ってなよ、話が面倒になるからさ」
「クラウディアさん、最近厳しくないですか……」
渋々口と噤み、紅茶をカップに戻してラニーニャは飲み始める。
クラウディアはエレオノーラの方へと顔を向けると、眩しい笑顔で言った。
「お姫様。できることをしてくれればいいんですよ。アタシ達もみんな、そうしますから」
その一言が全てだった。
全員がそれには頷き、エレオノーラの言葉を待つ。
「……判った。妾は妾にできることをしよう。差し当たって解決すべき問題は二つ、避難民の脱出とドラゴンの排除だ。イシュトナルの根幹はやはりそこに住む者達。それらを無視して奪還など論外だろう」
ゲオルクとて民の被害は最小限に抑えようと努力はするだろうが、どうしても限界がある。何せ、オルタリア軍の最大の目的は、バルハレイアの本隊が到着する前にイシュトナル要塞を奪還することなのだから。
「避難民の場所が判らないことには何とも言えないわね。実際、どう戦っても被害が出ることは覚悟しないと」
冷静に、アーデルハイトが事実を告げる。
「貴方、地下水路とかから侵入できないの? 例えばほら、下水とかを通って」
「できなくはないですけど……。あーちゃんさん、下水潜りたいですか?」
「絶対嫌だけど?」
「……それは最後の手段にしましょう」
「決まりね。まずは彼女が下水から侵入して情報を得るところから始めましょう」
「はい」
ラニーニャの抗議を無視して話を進めるアーデルハイトに、横でクラウディアが挙手をする。
「下水作戦は悪くないと思うけど、ラニーニャが黙って情報だけを持って帰れると思う?」
「……絶対揉め事を起こすわね」
「だが、それしか方法がないのならやってもらう他にない。魔導師殿、そなたは先代大魔導師の孫娘なのだろう? 共に下水から侵入することはできないのか?」
話を振られたアーデルハイトは苦い顔を見せた。
「……不可能ではありません。ですが、わたしはわたしでやることがあるので」
「そんなこと言って、本当は下水が嫌だからじゃないんですか?」
「下水は嫌よ。当たり前でしょう?」
「……それを人に押しつけるんですか……」
ジト目で睨まれてもそれを全く無視するアーデルハイト。ある意味大した精神力だった。
「後は、こちらの方が問題だろう。ドラゴンの対処についてだが」
「それこそがわたしが下水に潜れない一番の理由です。ドラゴンはわたしが倒します」
「危険だよ?」
アーデルハイトの横に座ったカナタが心配そうに声を掛ける。
「空中戦ができるのはわたしだけよ。最悪の場合は注意を引きつけるだけでもやって見せる」
「……心苦しいが、そなたに頼るほかないか。カナタ、その……魔人殿はどうしている?」
もし、魔人アルスノヴァが参戦してくれればそれは大きな手助けになる。話を聞くに、この事態を一人で解決できるほどの力を持っていてもおかしくはない。
「……アリスは、戦いが始まってから何処かに行っちゃって。多分、人間同士の戦いに介入するつもりはないんだと思います」
「……そうか。だが、確かにな。魔人殿の考えも理解できなくはない。不安は残るが、この作戦を詰めていくしかないか」
「詰めるにしても時間もあまりありません。明日には出発しないと、オルタリア軍が動いでしまいます」
「……そうだな」
一同が黙ったその時に、丁度食卓の扉がノックされた。
突然の来訪者に驚きながらもアーデルハイトが「どうぞ」と声を掛けると、扉が開かれて中に入ってきた人物に、その場の全員が驚愕する。
「イ、イザベル様!」
扉の外を見れば、従者と思しき騎士達が待機している。
イザベルは部屋の中に入ってから、その場のみんなを見渡して深々と頭を下げた。
「王女様、皆様……。どうかお願いがあります。戦いには何の役にも立てないこの老骨ですが、どうか私をイシュトナルまで連れて行っていただけないでしょうか?」
「か、顔をお上げください、イザベル様!」
慌ててエレオノーラがそう言った。
他の者達も、突然の法王の来訪とその行動に言葉を失っている。
「……どうして、そう思ったんです?」
アーデルハイトもクラウディアも、彼女達が如何にお転婆でも法王に頭を下げられれば困惑してしまう。それだけ彼女は大きな存在だった。
そんな中、一人その立場を全く気にしないラニーニャが、平坦な声で尋ねる。
「聖別騎士団は元は私の部下。部下の不始末のけじめを付けたいと思います」
「けじめを付けるって……。貴方に何ができるんですか?」
ラニーニャの言葉はあくまでも冷淡だった。確かに、イザベルが目の前に現れたところで聖別騎士団が止まるとは思えない。
「団長であるアーベルと、言葉を交わします」
「今更?」
「はい」
挑発するようなラニーニャの声に、イザベルはただの一言で返した。
「彼等は誤ったエイスナハルの歴史の体現者。ですが、私が法王となり、エトランゼの皆様とこうして出会えたことでエイスナハルもまた、変わろうとしています。その一歩が、言葉による理解だと考えているのです」
「そんなもので止まりますかね?」
「……可能性は低いでしょう。でも、ゼロではありません。何よりもこれからそのやり方をして行こうとしている私自身がそれを成したいのです」
「そんな確証のないことで、護るべき人を増やせと?」
「断っていただいても構いません。その場合は、大人しく引き下がるつもりでしたから」
淀みなくイザベルは語る。
真っ直ぐなその言葉を受けて、ラニーニャはわざとらしい溜息を吐いた。
「ま、決めるのはラニーニャさんじゃありませんし」
結論はエレオノーラに投げられる。
イザベルの言葉を聞いて、既に答えは決まっていた。
「共に来てください、イザベル様。貴方がいれば心強い」
「ええ、ありがとう。少しだけと教会の聖騎士達も動かせるわ。役に立ってくれるはずよ」
それは素直にありがたかった。
少しでも人数が増えれば、それだけ助けられる人の数も増える。
話し合いが纏まりそうなところで、イザベルが開けた扉の隙間から、光る蝶のようなものが部屋に飛び込んでくる。
それはアーデルハイトの周囲を回り、彼女が伸ばした一指し指に止まって、光の粉を撒きながら形を変えていく。
一枚の紙になったそれを、アーデルハイトが掴んで上から下へと読み進める。
唇を小さくにやけさせながら、アーデルハイトはその場の皆を見渡した。
「問題の一つは解決したわ。民間人はどうやら西側に集められているみたい。貴族達も屋敷に隔離されていて、事が起きた場合はここに書いてあるルートで脱出するって」
紙をテーブルの上に置く。
エレオノーラがそれを覗き込むと、ヨハンの字で彼が知っている限りの今のイシュトナルの様子が事細かに書かれていた。
「じゃあ問題の一つは解決ってこと? ラニーニャ、下水行かなくてよかったね」
「助かりました。よっちゃんさんに感謝してもし足りませんね。再会したらハグしてあげるとしましょう」
「まー、ラニーニャなら許す」
ぴょんと、飛ぶようにクラウディアが椅子から立ち上がる。
「話し合いは終わりかな。じゃ、アタシはちょっと行ってくるね」
「何処に?」
カナタが質問すると、クラウディアは悪戯っ子のような顔をして、壁の向こうにある一つの部屋を指さした。
「よっちゃんの工房。使えるものがあるかも知れないじゃん」
「勝手に持ってくのはよくないよ!」
「借りるだけだって! それに旦那様の命が掛かってるのに、万全を期さない方がおかしいでしょ?」
「で、でも……!」
カナタが助け舟をアーデルハイトに求める。
「旦那様とか言う世迷言はまぁ、無視するとして」
アーデルハイトも同じように椅子から立ち上がって、クラウディアの目の前に立ちふさがった。
「……いい考えね。わたしも行くわ」
「ラニーニャさんも行きます! 作戦会議よりもそっちで金目の物を……いえいえ、使えそうな道具を漁ってた方がよさそうです!」
「ラニーニャさんは絶対に駄目!」
三人を追いかけるように、カナタまで部屋から出て行ってしまう。
後に残されたエレオノーラ、イザベル、サアヤの三人は苦笑する。
「頼りになる人達ね」
「本当です。……イザベル様は、どうしてここに?」
「お城に行ったら貴方がいないって、ちょっとした騒ぎになっていてね。ゲオルク陛下はなんとなく察していた様子ですけど。それで、ここにいるのではないかと思ったの」
「そうですか」
「こういう時、戦う力のない自分が情けないわ。最終的にはあの子達に頼ることしかできないなんて」
それを聞いて、エレオノーラとサアヤは顔を見合わせる。
「自分達にできることをしましょう、イザベル様。何処にも、万能な人間なんていないのですから」
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