第四節 白髪の少女(?)剣士

 木製の扉が軋みを上げて開き、全身を外套で覆った何者かが部屋に入り込んでくる。

 木製のベッドに身を横たえていたヨハンは、反射的に身体を起こしてから拳銃を構え、現れた人物を見て胸を撫で下ろした。

 白髪に小柄な身体のその人物は、外套を抜き捨てると手に持っていた紙袋をヨハンに差し出す。

 中には僅かながらパンと水が入っていた。

「これは?」

「生き残ったイシュトナルの住民は西側に集められて、外に出られないようになっています。そこに行った際に、分けてもらいました」

「それは助かるが……。何故俺達に?」

「……判りません。ただ、魔導師殿によろしくと」

「……どういうことだ?」

 イシュトナルの住民ならば協力してくれることは不思議ではない。ただ、問題は何故ヨハンがここにいることを知っているのかと言うことだ。

 パンを手に取って軽く調べてみるが、毒の類が入っている様子はない。水の入った瓶を覗いても、それは同様だった。

 今、ヨハン達はイシュトナルの中央通りに建てられた教会の一室にいる。

 礼拝堂の奥にある、神父が事務仕事をするための小さな石造りの部屋は、地下室のようになっており、窓すらなく狭苦しい。

 ドラゴンと聖別騎士団による虐殺が引き起こされた中央通りには未だ大量の死体が転がっており、どうやら聖別騎士団も建物を調べるには至っていないようだった。

 加えてこの教会は神父の部屋が目立たない作りになっており、しっかりと調べられなければ敵がここまでやって来ることはないだろう。

 馬車から飛び降りた二人は、追手を無事に倒したものの、次々と現れる増援にやがて多勢に無勢に陥っていた。

 戦いの最中ヨハンが負傷し、逃げの手を打ったことでどうにかここに隠れることで危機を脱することができた。

「怪我の調子はどうですか?」

「一応、治療用の薬は持って来ていたからな。もう殆ど痛みも引いている」

「なら安心です。ヨハン様を傷つけては、カナタに申し訳が立ちません」

「……気になっていたんだが、なんでヨハン様なんだ?」

「アストリットはイザベル様をイザベル様とお呼びします」

「……うん」

 どうやらそれで説明は終わりらしい。

 全く言っていることが理解できずに首を傾げるが、アストリットの方もこれ以上どう説明したらいいか判らないようで、困っていた。

「勘違いしていたら恥ずかしいんだが、目上の人物だからと言うことか?」

 こくりと頷く。

 そして更に言葉を続けた。

「天の光を操るカナタ。そしてカナタと一緒にいるヨハン様はきっと神に近い方なのです。ですから、アストリットはヨハン様をヨハン様とお呼びします」

「いや、そんな不確かな理由で……」

「いいえ。不確かではありません。アストリットがそう感じるのです。ですから、大丈夫です」

 不確かの極みのような理由だった。

 とは言え、その直感も全く外れているわけではない。アルスノヴァの言っていたことが正しければ、この地に降り立って人々を救った神とはまさに過去のヨハンだったのだから。

 勘のようなものでそれを当てたアストリットに恐ろしい物を感じながらも、だからと言って全く外れと言う訳でもないので否定することもできず、結局様呼びを享受することにした。

「それに、ヨハン様からは不思議な気配がします。温かくて、優しい。きっと神様なのでしょう」

「いや、神様ではないぞ」

「なら、神様見習いと言うことで」

「見習いでもないな」

「……神様もどき?」

「仮にそうだとしてお前はそれを尊敬するのか?」

「冗談です」

 表情一つ変えず、真顔でそう言い切った。

「取り敢えずパンを食え」

 袋の中から水が入った瓶とパンを差し出す。

「判りました。ですがその前に、着替えをしようと思います。外は死臭が酷く、服に移ってしまいました。それにここは蒸し暑いです」

 アストリットは鎧を脱いで、今はこの教会にあった修道服を着込んでいる。それも一度外に出て人の血や泥が付いてしまったのか、出掛ける前に比べて随分と汚れていた。

 勢いよく修道服を下から捲りあげると、細い身体が露わになるのも厭わずに一気に脱ぎ捨てる。

 流石にそれを見るわけには行かず、ヨハンは咄嗟に顔を逸らした。

「急に脱ぐ馬鹿がいるか!」

「……何故です?」

「男の前だぞ」

「……特に問題があるようには思えませんが」

「問題だらけだろうが。神に仕える身なら、そのぐらいの貞操感覚は身に付けろ」

「む、それは些かアストリットを侮辱しています。アストリットはしっかりとした貞操を学びました。その上で、どうして異性ならともかく非常事態に同性の前で服を脱ぐことに問題があるのか判りません」

「……同性?」

「はい」

「お前、男だったのか?」

 顔をアストリットの方に向ける。

 身体つきは細いが、確かに胸はない。少年と言われれば納得ができる。とは言っても、胸の部分を隠していれば女性と見分けがつかないが。

「一度もアストリットは自分が女であると言ったことはありません。確かに、女性のような身体をしているのは否定しませんが。幾ら食べても、変わらないのです」

 その細身の身体は、まさに少女そのものだった。何か妙な体質でも持っているのかと疑ってしまう。

 実際、ヨハンのことを気配で神様だと言ってみたり、特殊な感性を持っていることから、神や御使いに近い何らかの特性を持っているのかも知れない。

「証拠をお見せしましょうか? 人に見せられるほど立派なものではありませんが、ヨハン様なら……」

「いや、いい。俺が悪かった。取り敢えず、さっさと着替えて食事にしよう」

「このままではいけませんか? 暑くて服は着たくありません」

 問題ないと言えば問題ないが、どうにも落ち着かない。できれば服を着てほしかった。

「敵が来たらどうする? ここを放棄することになったら、裸で外に出ることになるぞ」

「それは嫌です」

 それっぽい説得に応じて、アストリットは無事に替えの修道服を着てくれた。どうやらここには彼と同じぐらいの体系の少女がいたらしく、服には困らない。

 それにしても、男でありながら女物の服を着るのに全く抵抗がないのはどうなのだろうか。

「ヨハン様。今後は、アストリット達はどうすればいいのでしょう?」

 パンを口に運びながら、アストリットがそんなことを尋ねてくる。

「ゲオルク陛下が徹底抗戦をするつもりなら、再びイシュトナルは戦場になるだろう。俺達が本格的に動くとしたらその時だ」

「成程。ではその時まで英気を養いお昼寝でしょうか?」

「そんなわけがあるか。ルー・シンや他のイシュトナルにいた兵達が何処に行ったかは判るか?」

「いいえ。ですが、多くの兵達がイシュトナルから逃げていったのを見たとの報告があります」

「……そうか」

 ここに残って徹底抗戦したところで勝ち目は薄い。戦術眼のある者が指揮をしたのなら、戦力温存のために撤退と言う判断をすることもあるだろう。

 問題は、それがルー・シンが指示したことなのか、それとも独自の判断で逃げていったのかと言うことだ。

「中には渓谷方面に逃げていった兵達も多いようです」

「……アルゴータ渓谷にか」

 これより南側に行けば、魔物も増えてくる。加えて今後バルハレイアからの援軍が来ると考えると、そこに向かった者達が生きている可能性は限りなく低いだろう。

 ルー・シンが生きていたのならその判断をするとは考えにくかった。

「それから、逃げ遅れた貴族達は捕虜になり、一軒の屋敷に幽閉されているようです」

「一応は無事と言うことか」

「はい。イザベル様と一緒にお話しをした、クリーゼル様もそちらに」

 リーゼロッテの無事を聞いて、一先ずは安堵する。エレオノーラとイザベルを逃がすことに必死で、逸れてしまった彼女を探す時間はなかった。

 しかし、ルー・シンに懐いていた彼女が、彼が行方不明であることを知ればどうなるだろうか。両親を失った上にそんなことがあっては、圧し掛かる絶望は想像を絶することだろう。

「敵の戦力の要はドラゴンだ。俺達が内部から動けるのは大きいかも知れないが、あればかりはどうしようもない」

「なんとか倒す方法はないのでしょうか? 例えば、食事に毒を混ぜるとか」

 もっともな方法ではあるが、曲がりなりにも聖職者がそれを一番に口にしていいものなのだろうか。

「……まぁ、難しいな。ドラゴンの体内には毒素を浄化する器官がある。余程強力な毒を大量に摂取させれば効くかも知れないが、それを用意することはできない」

「ならやはり外部から倒すしかないと? ヨハン様とアストリットでは不足でしょうか?」

「不足だろうな」

 即断すると、アストリットはやや不機嫌そうに目を逸らした。

 彼女改め彼の実力は認めるが、それでもあれだけの戦力を相手にすることはできないだろう。

 単体でドラゴンを落とすのならば、それこそ御使いや魔人と同じだけの力が必要になる。

「どうにか外との連絡を繋いで、ゲオルク陛下が仕掛けてくる段階で俺達も内部から陽動する。そのぐらいしかできることはないか」

「では、やはりお昼寝でしょうか?」

「違う。常に情報は集めておく必要がある。それから、その時が来たら囚われている貴族や民達を避難させるための準備も」

「承知しました。それで、差し当たって今は何を?」

「そうだな……」

 ヨハンが何かを言おうとしたところで、アストリットの身体が強張る。

 床に落ちている鞘から剣を抜いて、扉の影になる位置へと足音を立てずに移動した。

 それを見てヨハンも拳銃を抜いて構える。耳を澄ませると、忍ばせたような足音が幾つか近付いてきているのが判った。

 足音は大きくなり、緊張が高まる。

 相手はできるだけ目立たないように動いているようだが、部屋の中に誰かがいるとは思っていないのか、気配を消しているような様子はない。

 扉のノブに手が掛けられて、それがゆっくりと回る。

「待て!」

 咄嗟に動こうとしたアストリットを止める。

 扉が開かれ現れたのは、エイスナハルのシンボルを持った信者達数名の姿だった。

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