第三節 王の苦悩

 それから数日後のオルタリア首都、オル・フェーズは大揺れの事態に襲われていた。

 エレオノーラとイザベルは無事に帰還したが、それとほぼ同時にもたらされたイシュトナル陥落の報。

 そして時を同じくして、バルハレイアから正式に宣戦布告の声明が出されていた。

 赤みが掛かった黒髪に、逞しい体つきをしたこの国の王ゲオルクは、謁見の間で頭を抱え、考え込んでしまう。

 周囲の家臣達が心配そうに彼を見上げるなか、最初に出てきたのはバルハレイアの王位を継ぐであろう友の名だった。

「ベルセルラーデ……。お前が言っていたのはこのことか」

 彼は言っていた。

 大陸には今一度混乱が訪れると。

 それがこのことを指していたのならば、ベルセルラーデは全てを知っていたことになる。つまりそれは、全て承知の上でこのオルタリアに敵対するということだった。

「ゲオルク陛下。心中、お察しいたします。ですが、我々にはやらなければならないことが幾つもあります」

 横に控える口髭に長身の男、エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンがそう述べた。

 五大貴族の一人であり、オルタリアに最も古くから使える武門の名門である彼は、この事態になっても未だ冷静さを保っていた。

「……そうだな。エーリヒ、諸侯の意見はどうなっている?」

 エーリヒが視線をやると、もう片側に控えた同じく五大貴族のモーリッツが手に持っている資料を読み上げた。

「こちらの調べによりますと、他の貴族達の意見としては抗戦と降伏が五割程度で拮抗しています」

「……そうか」

「ゲオルク陛下」

 そう言って手を上げたのは、オル・フェーズに住む侯爵だった。

「バルハレイアの奇襲戦争により既に我々は南方の要であるイシュトナル要塞を落とされました。あの場所は元よりバルハレイアに対する守りの要。そこが陥落した今、この国には奴等の進撃に対する備えはないものと思われます。……どうか、これ以上の被害が出る前に降伏を」

 勇気ある一言に、その場に集められた二十人を超える貴族達の何人かが同意の声をあげる。

「……だが、果たして止まるものかな」

 意外な人物がそれに対して反論する。

 イェルス・アスマン。

 貴族服を着た、小太りの中年男性であるこの男は、以前はイシュトナル軍に参加し、その中でも最大勢力を誇った公爵である。

 元々争い事が得意ではなく、ヘルフリートに怯えてイシュトナルに逃亡した過去を持つ彼からその言葉が出たことに、一同は驚いて続きを促す。

「彼等の一部は聖別騎士団なのだろう? 彼等にとって一番忌むべきは法王イザベル様だ。もし聖別騎士団がイザベル様を差し出せと命じた場合、この国はエイスナハルを失うことにもなる」

 ゲオルクの手元にはバルハレイアからの降伏勧告が記された紙が強い力で握られている。

 そこには降伏した場合の王族、貴族の処遇や財産の没収、彼等に奪われる地域などが書かれているが、聖別騎士団からの声明は何も記されていない。

 勿論これはバルハレイアと聖別騎士団は別の組織であるわけだから当然のことだが、その辺りがどうにも引っかかった。

「ましてや、彼等の本質が変わっていなければその行動はエトランゼの排除に及ぶ。まさか、この期に及んでこの国からエトランゼがいなくなってもいいと仰る方がいるとは思いませんが」

「それを貴公が言うか、イェルス卿」

 貴族の一人からそんな言葉が飛んだ。

 確かに、イェルス・アスマンは元々エトランゼに対して肯定的な人物ではなかったはずだ。

「彼等に何度も命や立場を救われては、そうも言いたくなる。わし自身は決して優れた人間ではないが、だからと言って恩まで忘れては、親から引き継いだ財産しか誇れるものがなくなってしまうよ」

「だが、事実として奴等にはドラゴンがいるのだろう? どのようにしてそれを操るような真似をしているのかは判らぬが、勝てる相手かどうかは考えれば答えは出よう」

「エーリヒ。この国の武門を支えるお前の意見が聞きたい。もしバルハレイアと徹底抗戦をした場合、この国はどうなる?」

 深く頷いて、エーリヒが発言をするために一歩前に歩み出る。

 冷静な戦術眼を持ち、恐らくはこの国で最も軍事に長けている男がどのような判断をするのかと、その場の貴族達もまた口を噤んで彼の言葉を待った。

 しばしの静寂の後、エーリヒが厳かに口を開く。

「バルハレイアは国土こそ我が国に匹敵するほどの広さがありますが、その大半は荒野や砂漠に囲まれ生産性に乏しく、実のところ土地として利用できているのはオルタリアの半分程度。加えて先代の王によって統一されたばかりの他部族国家は統率が取れているとは言い難いでしょう。正式な宣戦布告ではなく、奇襲戦争と言う手段を選んだのもそれが理由」

「……では、戦争になれば勝てると?」

「残念ながら、話はそう簡単ではありません。その代わり厳しい土地に育てられた彼等の兵は精強で、また部族間の争いが多発していたことから軍事に対しても強く力を入れている国でもあります。加えて、彼等には執念がある」

「執念?」

 意外な一言に、モーリッツがその場を代表して質問した。

「そもそもイシュトナル要塞ができたのは何故であるか。彼等は長い間、このオルタリアの土地を狙っていた略奪者ではあるのです。今代に至り、ゲオルク陛下とベルセルラーデ陛下がご盟友となりそれは解消される兆しを見せましたが」

「……神に愛されし大地のオルタリア。そしてそこから見放された者達が暮らすバルハレイアか」

 それはもう、百年以上前に唱えられた意味のない言葉だった。

 エイスナハルの宗教色が強く残るオルタリアは肥沃な土地を持ち、その王族が神によって与えられた大地だと宣言した。

 ならばすぐ隣り合っていながら厳しい地であるバルハレイアはどうなのかと。

 彼等は神に見放された者達。エイスナハルの加護を受けられない者達が暮らす場所と嘲笑っていた時期がある。

 それは既に終わったことだが、バルハレイアの一部の民の中では違ったのかも知れない。

 先祖代々が夢見ていた、緑の大地。オルタリアを手に入れるために戦っているのだとしたら、そこに込められている執念は計り知れるものではない。

「イシュトナル要塞は彼等の侵攻を防ぐために建てられたのですから」

「付け入る隙はあるが、どう転ぶかは判らないと?」

「現状ではそうとしか……。ですが、もう一つ懸念材料が」

 エーリヒの声が緊張を帯びる。

 多くの貴族達の間でその名を出すことに、多少の恐れを見せているようだった。

 その代わりに、ゲオルクがその名を呼ぶ。

「御使いか」

「……はい。御使い、黎明のリーヴラ。ヘルフリート様の裏で暗躍したその男が聖別騎士団の、ひいてはバルハレイアの背後にいることは明白。件のドラゴンを操る技術も、ひょっとしたら彼からもたらされた可能性もあります」

「その他にも我等の知らない戦力があると考えた方が自然と言うことか」

 モーリッツの言葉に、エーリヒは深く頷いた。

「御使い自身も戦場に出れば一騎当千の力を持つ強敵になります。それは既に将達の証言から纏められた悪性のウァラゼル、魂魄のイグナシオ、炎光のアレクサがもたらした多大な被害を見れば明白かと」

「しかも御使いが一人とは限らない」

 モーリッツが放ったその一言に、貴族達の間で再度ざわめきが起こった。

「御使いと、それらが関わる戦力に対して対抗する術は?」

「あるにはある、程度のものですな。かねてよりこのような事態に備え、対御使いの武器は開発されていましたが、どれもまだ兵達に行き渡るだけの数は用意できません。それにその運用に対しての第一人者であるヨハン殿、そしてルー・シン・クリーゼル卿も行方不明となっているのですから」

 エレオノーラとイザベルを護るために飛び出したヨハンと、最後までイシュトナルで兵の指揮を執り人々を避難させていたルー・シンの行方は未だ判らない。

 戦いの後半は戦場から逃亡する兵の姿も見られたらしく、ルー・シンもそれに紛れて逃げたか、戦死している可能性が高い。

 また街の中に残ったヨハンも、聖別騎士団によるエトランゼへの弾圧によって処刑されているかも知れなかった。

「一つだけ確実に言えることがあります」

 再び注目がエーリヒに集まる。

「どちらにせよ、要となるのはイシュトナル。今はまだ聖別騎士団と一部の戦力しかいないため、取り戻せればそのまま防衛線を構築できるでしょう。しかし、本隊が到着してはその堅牢な守りから、突破は非常に難しい。どちらの選択を選ぶにしても、与えられた時間は限りなく短いでしょうな」

「……そうか」

 椅子に深く腰掛けて、ゲオルクは深く息を吐いた。

 周りの貴族達の声が遠く聞こえてくる。

 彼等の中にはやはり降伏を促す者も多く、その気持ちは痛いほどに理解できる。

 民を、家族を護るならそうするしかない。幸いにしてこの書状全てが護られるのならば貴族達の命は保証されるのだから。

 だが、本当にそれだけで済むのだろうか。

 バルハレイアの意志がどうであろうとその裏にあるのは聖別騎士団、そして御使いだ。

 彼等が穏便に事を済ませるとはゲオルクは考えていない。特に御使いは、未だにその目的すら判ってはいないのだから。

「まだ多少の時間はあります。今日の会議はここまでしましょう」

 ゲオルクのことを察したのか、エーリヒがそう言って、議会を終息へと向かわせてくれた。

「明日、再び同じ時間に。その時にはゲオルク陛下には答えを出していただく必要があります」

「ああ、判っている」

「どうか、よき答えを」

 エーリヒの言葉を最後に、会議は打ち切られた。

 貴族達はぞろぞろと謁見の間から退出し、モーリッツやイェルスもいなくなったことで最後にエーリヒだけがこの場に残る。

「……民達は、戦に疲れているな」

「……そうですな」

 既に人々の間では語られなくなったとしても、ヘルフリートが引き起こした継承戦争の傷跡は決して浅くはない。

 国力は低下し、民達は戦いに疲れている。

「……でもな、俺は」

「ええ。判っています」

 もし、この戦いに対して御使いが裏で糸を引いているのならば退けない理由がある。

 彼等はまるで遊び半分のように、ヘルフリートを操り、今度はベリオルカフの裏で暗躍して人々を巻き込み多くの血を流す。

 もしここで降伏し、流れる血を最小限に抑えたとしても、御使いが生きている限りは同じことの繰り返しになるだろう。

 その目的が何であるかは判らないが、それが果たされるその時まで流血が止まることはない。

 ゲオルクにはそれが許せなかった。

 この大陸に暮らす民達の運命を、神の使いだからと言うだけの理由で玩ぶ御使いが。

「俺は最低の王と呼ばれるかも知れん」

 後世の人々は、ゲオルクを何と呼んで謗るだろうか。

 或いはヘルフリートと一緒に、二人の無能な暗君として名を挙げられるかも知れない。

 それでも、ゲオルクの中には強い信念の灯が灯っていた。

 御使いに管理され、彼等の思うがままに操られるこの大地を解き放ちたい。

「我等家臣達は、どのような判断をなさろうとゲオルク陛下に付いて行きます」

「……ありがとう、エーリヒ」

 ――その翌日、ゲオルクによってバルハレイアへの徹底抗戦が告げられた。


 ▽


 バルハレイア首都、オーゼム。

 砂の大地の上に造られた広大な街の奥に、赤茶けた砂岩を固めて作られた見上げるほどに巨大な宮殿が鎮座している。

 中央部分が縦に伸びたその城の謁見の間にて、この国の王子であり王位継承権を持つベルセルラーデ・ソム・バルハレイアは怒りを露わにして王座に座る男を睨みつけていた。

 幾つもの柱が立ち並び、その気になれば百人は収容できる広々とした高い天井のその部屋に、彼の怒気が充満する。

 ベルセルラーデの横には彼の近衛であるトゥラベカが控え、それに対してその一挙一動を決して見逃すことなくバルハレイアの将軍達が瞳を光らせている。

「どうした、ベルセルラーデ。そんなに怖い顔をして。貴様は大衆には人気があるのだ、もう少し愛想をよくせぬか」

 先に口火を切ったのは、王座に座り、肘を掛けたままベルセルラーデと対峙する男だった。

 年齢は既に六十を超えており、白髪に長く伸ばした白い髭と、見るからに老人のようではあるが、その口調や鋭い視線からは衰えた兆しは見えない。

「ベリオルカフ。何故、オルタリアへと兵を出した?」

「ふむ。わしを父とは呼ばぬか。……だが、何故とは面妖なことを聞く。あの国とはわしの曽祖父の代より憎み合う敵同士。国内の情勢が落ち着いた今こそ仕掛けるのがは道理ではあるだろう?」

「そうならないための余ではなかったのか? 余とゲオルクならばお互いの国を尊重し、共に発展していくことができると」

「それはお前の都合だろう、ベルセルラーデ? そもそもオルタリアの王子……いや、現国王との交流もお前の母が勝手にやったこと。わしの知るところではない」

「流血を抑えるためのことだろうに!」

 怒りに任せて、ベルセルラーデが鋼の杖をベリオルカフに向ける。

 動揺する家臣団とは裏腹に、ベリオルカフ本人はその目を僅かに細めただけに過ぎなかった。

「既に奇襲は成功した。このまま攻め切れば我が国の民の血が流れることはない」

「……敗北した場合はどうだ?」

「くははっ! 負ける場合を考えて戦争を仕掛ける馬鹿が何処にいる? わしは充分な勝算があって事を行ったまでだ」

「……御使いか?」

「よく知っておる。奴等が寄越した聖別騎士団は有能だぞ。何の躊躇いもなく先鋒を務めてくれた。エトランゼと、法王イザベルを憎む心に突き動かされるままにな」

「御使いは貴様が思っているほど簡単な相手ではないぞ」

「例えそうだとしても、その先にあるのは六十年生きたこの身の破滅だけよ。失うものなどはない」

「それは貴様の都合だろうに! それによって流れる血と涙、圧迫される民の生活を考えられぬほどに耄碌したか!」

「だが、勝てば全てを得られる。それこそそんなものを取り戻して、釣りがくるほどの何もかもをな」

 ベリオルカフの声が低くなる。

 何かを言い聞かせるように、ベルセルラーデに視線を合わせた。

「ベルセルラーデ、お前は勘違いをしている。これは別に、わしの暴走ではない。民の、将達の意思なのだ」

「……なんだと?」

「わしは何も思い付きでこんなことをしたわけではない。長年準備を続け、そしてわしの代で叶わなければそれをお前に託すつもりでいた。もし、お前がそれを使わないのならばそれもよしとしてな。何故か判るか?」

「……貴様の野望のためではないのか?」

「では、わしの野望とはなんだ? 何故、父の代から戦を続け、他部族が争いを続けるこのバルハレイアを統一した? 何のために、オルタリアとの戦いの準備を続けてきた?」

 一拍呼吸を置いて、ベリオルカフは続ける。

「民がそれを望んでいるのだ。この砂と荒野、そして魔物が闊歩する樹海しかない大地に放り出された先祖代々の願いが、今のわしらを突き動かしている。もし、お前が王になり融和を選ぶのならばそれも良しとしたが――」

 ベリオルカフが後僅かで退位する、その直前。

 あくまでもこの国の王位がまだ彼の下にあるその時に、御使いがやってきてしまった。

「嘘だと思うのならば民の声を聞くがよい。奴等は誰よりも強い貴様の出陣を求め、敵軍を薙ぎ払い、あの大地を我が物とすることを望んでいる。王たるもの、民の声に応えねばなるまい?」

 口が裂けるような厭らしい笑いが、ベリオルカフから漏れ出た。

 民が望んでいる。

 彼等はその先祖代々より謳われてきた、神に愛された大地から弾かれたという根も葉もない言葉を信じている。

 それは復讐心となり人々の心に根付き、今目覚めた。

 御使いの甘言に惑わされるという最悪の一手と共に。

「だが、御使いはどうなる? 奴等は危険だぞ」

「ふはははっ! それには及ばんよ。彼等は神の使徒。何故、わしら人の営みを邪魔しようと思うのか」

「奴等を信じると言うのか……?」

「それはそうだろう。戦力を提供してくれたのだ。むしろ、感謝の心しかない」

「……貴様……!」

 話はここまでだと言わんばかりに、ベリオルカフは王座から立ち上がる。

「わしがこうしてここにいるだけで戦は進み、オルタリアが我が物となる。ベルセルラーデ、貴様はイシュトナル要塞に向かえ。その本隊としてオルタリアと戦うのだ。……民達が望む次代の王としての役割、果たして見せよ」

 そう言い残して、ベリオルカフは後ろの扉から謁見の間を後にする。

「……ゲオルク……。余は……!」

 御使いが動くであろう予想はしていた。

 しかし、それがこんな最悪の可能性になろうとは思ってもみなかった。

 恐らくこれはここ半年の出来事ではない。黎明のリーヴラは、もっと何年も前からベリオルカフに接触し、密かに戦力を提供し続けていたのだ。

 それを見抜けなかった自分を恨み、そしてこれからのことに想いを馳せる。

 この戦いはベリオルカフによって引き起こされたものだが、それを望んでいるのは民や将であることは事実だった。

 だからここでベルセルラーデがベリオルカフを討っても戦いは終わらない。むしろ御使いによって返り討ちにあえば、事態はより混沌としていくことだろう。

 ベルセルラーデは何も言わず、その場から立ち去って行った。

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