第四節 行方
オル・フェーズの人気のない路地に、ヴェスターはトウヤに背中を向けて立っていた。
その視線は上空にある月を見上げており、トウヤのことなど眼中にないと、そう語っているように思える。
それが悔しくて、トウヤはせめてもの虚勢と共に声を張り上げた。
「ヴェスター!」
石畳を靴が打つ音が響く。
振り返ったヴェスターが、トウヤにも見ろと言わんばかりに空を指さす。
今宵は紅い月。エトランゼがこの世界に現れる――彼女の封印が少しずつ解けていく夜。
「待てよ」
「……待ってんだろ。少ない時間とはいえ、一緒に戦ったこともある仲だ。お前の言い分を聞いてやるよ」
「判るだろ? 悔しいけど、お前は強くて……。お前の力が必要なんだよ、俺達には!」
イシュトナルの反乱軍として戦っていた時から、彼が部隊内で占めているウェイトは非常に大きかった。
中には、ヴェスターの活躍なしには成功しなかった作戦だって幾つもある。
トウヤはまだ未熟だ。それは自分が一番よく判っている。
だからこそ、その力を必要だと思った。少しでも自分と、周りの人々を生き残らせるために。
「くっだらねぇ。何を言うかと思えば、赤ん坊が子守をしろって泣きに来たってか? 俺がベビーシッターでもなければてめぇのママでもねぇって、見りゃ判んだろ」
「茶化すなよ! お前は強い、評価はされなかったのかも知れないけど、俺達にとってはそれこそ英雄だ。だから……!」
「反吐が出る」
石畳を、ヴェスターの持つ魔剣が殴りつける音が夜の闇の中に木霊する。
トウヤは一度身体を竦ませてから、改めてヴェスターの表情を伺う。
忌まわしげに眉を顰め、トウヤではなくその後ろの闇を睨む姿がそこにはあった。
「なんで俺が雑魚の面倒を見ると思った? 死んでいく奴をいちいち庇って喜ぶクチだと本気で思ってんのか? 馬鹿言ってんじゃねえ。俺はいつでも自分がやりたいようにやってきた。その結果として、お前等が勝手に助かってきただけの話だろうが」
「……でも、それでも俺達に協力してくれたじゃないか! なんで今になって!」
目の前の男が例え御使いに敗れたとしても、戦いに怯えるとは思えない。いや、思いたくなかった。
常に最前線を駆けるその獣の強さは、トウヤにとっては一つの憧れた。嫌々争いごとをしていると自分に言い聞かせても、その圧倒的な強さを見て心を躍らせて、惹かれていくのを止めることはできない。
それは何も、トウヤだけの話ではない。ヴェスターと言う精神的主柱が抜けるのは、大きな痛手となるだろう。
「言っても理解できねえだろ。ここでぐだぐだ御託を述べて、本気で俺を引き留められると思ってるほど馬鹿なガキにはよ」
紅い月の光を照り返し、漆黒の刃が鈍く輝く。
それの意味するところを、トウヤはすぐに理解する。
目の前の男にとっては、やはりそれこそが全ての価値観だった。
「力尽くで止めてみろよ」
「……やってやる」
腰に下げた鞘から剣を抜く。
感情に任せて、制御できないほどに溢れた力が、剣の動きに合わせて炎の軌跡を残す。
「……ヘッ。そう来なくっちゃ。あの時のお子様が、どの程度になったのか俺に見せてみろよ。模擬戦なんかじゃなくて、実戦でな」
左手を振りかぶり、地面に叩きつける。
吹き上がる炎のが一直線の地を這う波となり、ヴェスターに襲い掛かった。
ヴェスターはその一撃にも全く怯まず、魔剣を一閃し炎を振り払う。
トウヤは続けざまに、掌から炎を球体にして幾つも放った。
炎の弾はヴェスターへと飛来し、その周囲にぶつかって炸裂する。
本人に向けて放たれた物は全て剣で斬り払われたが、それでも彼の周囲を焼き焦がし、その視界を奪うことには成功していた。
「おいおい! まさかそれを続けて俺を倒すつもりじゃねえだろうな!」
「……そんなこと、思ってないよ」
トウヤは炎の光と音に紛れて、ヴェスターの背後に回り込んでいた。
彼我の距離はもうほぼない。剣が余裕で届くその距離で、声を上げて炎を纏った剣を一閃する。
「やるじゃねえか!」
「あんたが本気なら、あっという間に追いつかれて俺は斬られるからな!」
だが、ヴェスターは反応した。
驚くべき速度で振り返り、トウヤが剣を振るった場所に寸分違えず魔剣を合わせる。
ただ剣の刃を立てただけに見える防御は、見た目よりも圧倒的に重く、トウヤが勢いを乗せて剣を振り切ったところで崩すどころか揺らがせることすらできはしない。
すぐに刃を引いて、相手の攻撃に備える。
ヴェスターが縦に振るった刃を、一歩距離を離して空振りさせる。
そしてその隙に再び斬撃を叩き込んだ。
「腕、上げたな」
ヴェスターもまた、それを身体を逸らして回避する。
月光を受けて紅く閃いた刃を、トウヤは身を屈めることで紙一重で避けた。
これは模擬戦ではない。
ヴェスターの持つギフトによって彼が操る魔剣が、何よりも厄介だった。
あれに一撃斬られるだけで致命傷、下手をすれば戦いを続けることすら不可能になる。
模擬戦の時点で無敗を誇るヴェスターが、それでもまだ手加減していたことを改めて自覚して、背筋が凍る。
二つの剣が交差する。
「あんたは強くて、誰にも追いつけないぐらいの高みにいて……。俺達の憧れだった!」
「そりゃ嬉しいねぇ! だがなぁ!」
鍔迫り合いながら感情をぶつけあう。
「そんな感情は欲しくねえんだよ。褒めるなら勝手に褒めろ、礼がしたけりゃ受け取ってやる、だがな!」
トウヤは押し負けて、互いの身体が離れる。
態勢を崩したところに放たれた一閃を無様に後ろに倒れるように転がって避けた。
追撃が来なかったのは、恐らくは手加減だ。その気になれば今の一瞬で殺されていた。
「てめぇらの理想を勝手に俺に押しつけんな。それで英雄扱いをして、用が済めば捨てるつもりか? てめぇが護りたいとかほざくあのガキがそうなりかけたみたいに」
「……それは……!」
「情けねえ、お前は好きな女一人護れずに、それを俺に任せるつもりかよ? そんな男が何を喚いたところで、あいつはもうとっくに先に行っちまってんぞ?」
「カナタのことは今は関係ないだろ!」
巨大な炎の波を放ち、ヴェスターの口を閉じさせる。
彼の言葉が心を抉るのが怖かった。
それはまさに、トウヤの中にある最大の矛盾を付いていたから。
「どうだかな!」
炎の波などものともせずに、ヴェスターが近付いてくる。
多少の足止めになると思っていたトウヤはそれに驚愕し、剣を構えるのが遅れた。
時間にして一秒にも満たないだろう。しかし、それを見逃してくれる相手ではない。
黒い剣が目の前に迫る。
剣を構える時間がないと判断して、自滅覚悟で左手を差し出し、そこから火球を放ってそれを炸裂させた。
お互いが衝撃を受けて吹き飛んだはずなのに、地面に転がるトウヤの上空から、月光によって照らし出される凶悪な獣が迫った。
「やっと見つけたんだ、俺の生きる理由を」
黒い剣が石畳を抉る。
必死で地面を転がりながらそれを避けて、炎の矢を放って距離を取って、どうにかトウヤは立ち上がった。
途中で落とした剣を探して首を巡らせてると、それが足元に滑るように転がってくる。
足をぶらぶらと振りながら、ヴェスターが挑発的にこちらを見ていた。
「忘れてたんだ、だからてめぇらと一緒に反乱ごっこで楽しむことができた。だが、そうじゃねえ。俺は、そう言う人間じゃねえ」
唇が歪んでいる。
三日月のように裂けた口で笑うその姿は、人間とは思えない。
それが先日まで一緒に戦っていた頼れる男と同じ人物だとは思えずに、トウヤは無意識に額に流れてくる汗を拭った。
「獲物が来てくれたんだよ。この世界で最高の獲物が。そいつは間抜けなことに、俺を生かした。狩ってくれと言わんばかりによ」
敗北の記憶など、彼の中では何の意味もない。
怯えるどころか、それは更なる闘争心を燃やすための薪にしかならない。
敵の強さに怯えるわけではなく、生かされたという事実にプライドを傷つけられるわけでもない。
ただ、生きていた。だからもう一度狩に行く。彼の中にあるのはたったそれだけの感情だった。
「あんたは……。本当に悪魔なのかよ? 俺達のことなんて本当に何とも思っちゃいなかったのか?」
よろけそうになる足を支えて立ち上がりながら、そう問いかける。
信じたくはなかった。
色々あったけれど、彼は紛れもなく仲間として一緒に戦ってくれていたというのに。
それがまやかし、気分の一つで消えてしまうほどに脆い絆だとは思いたくない。
だが、現実は余りにも残酷で。
トウヤの希望を容易く打ち砕く。
「そうだぞ? ……だが、勘違いすんな。別に俺は悪魔じゃねえ、人間だ。まぁ、どっちでもいいが。俺は積極的にお前等を殺そうとは思わねぇ、邪魔をしない限りはな。それで充分だろ?」
「あんたは!」
炎が地面を走る。
それと同時に、トウヤは真正面からヴェスターに挑みにかかった。
「だからガキだってんだよ、てめぇは!」
炎が伝い、灼熱した赤い剣。
闇を纏う呪われし黒き魔剣。
二つの刃は交差し、トウヤが上段から押し付けるような形で鍔競り合う。
「納得してねえのはてめぇだけだ。他の連中は、ガキに至るまで誰もが俺に文句を付けるつもりはない。なんでだか判るか?」
「……知るかよッ!」
「この世界で生きて、命のやり取りを何度もして、色んな奴と死に別れて、学んだからだろ! 世界は思い通りにはならない、むしろ必死で掴みに行かなきゃすぐにどっかに消えちまうぐらいに脆いもんだって!」
全体重を乗せたその一撃は、正面から受け止めたヴェスターによって上方向に弾き飛ばされる。
辛うじて剣こそ手放さなかったものの、跳ね上げられた両腕を見上げて、トウヤは自分でも笑ってしまうほどに呆けた顔をしていた。
「多少は腕は上げたが、やっぱりてめぇはガキのままだな。友達ごっこもいいさ、好きにやれよ。だが、相手は選べ」
やられる。
そう思って覚悟を決めたが、斬撃は来なかった。
代わりに一拍の呼吸の後に顔面に衝撃が来る。
顔の骨を砕かれるのではないかと言う痛みと共に、トウヤの身体が派手に吹き飛んで、仰向けに石畳の上に叩きつけられる。
息が漏れ、声にならない悲鳴が上がった。
全身が砕けそうなほどに痛い。
手から離れた剣が、遠くで落ちる音が聞こえて、自分の敗北を理解した。
勝てない。何をどうやっても、目の前に男には。
「俺は俺の道を征く。てめぇはてめぇの道を行け。意地や信念を通したきゃ、それ相応の力を手に入れてな」
もう立ち上がる力は残されていなかった。
ヴェスターはこちらに止めを刺すつもりはないらしい。トウヤが取り落とした剣を拾い上げて、それをすぐ傍の建物の壁に立てかける。
それがヴェスターの答えだ。
殺しはしない。トウヤの考えを嘲笑うこともない。
ただ、最早道は違えたのだと。
彼は彼のためだけに戦って、その刃が人を護ることはもうないのだと告げている。
「腕は上がってんな。そこは褒めてやる」
「……嬉しくねえよ」
堪えようと思っても、涙が溢れてきた。
身体の痛み、圧倒的な実力差を見せつけられて折れそうになっている心。
そして何よりも、彼の言う通りだった。
トウヤだけが理解していなかった。ヴェスターがどういう人間で、彼の取った行動が意味するところを。
それが何より恥ずかしくて、トウヤは流れ落ちる涙を自分の血で汚れた腕で乱暴に拭う。
それをヴェスターは見ないようにしてくれたのか、いつの間にか背を向けている。
それこそが最後の決別の証。
「あばよ」
掛けられた言葉はそれきりだった。
暗闇の中に足音が遠ざかって行く。
それはまるで、彼がこれから幾末を暗示しているかのように、何も見えない闇へと踏み込んでいくようにも見えた。
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