第三節 食卓にお邪魔

 陽は既に落ち切り、辺りはすっかり暗くなっている。

 天井から吊るされたランプは淡く、元の世界の蛍光灯とはまた違う、温かみのあるオレンジ色の光で食卓を照らしている。

 十人は座れる大きなテーブルに、白い清潔感のあるテーブルクロス。その上に並べられた食事は魚と野菜をメインにして、焼き立てのパンが美味しそうな湯気を立てている。

「友達が来るっていうから奮発したのだけど、彼だったのね。それから、余計なのが一人」

 てきぱきと食器を並べながらそう言うのは、ここにいる中で一番小柄な金髪の魔法少女、アーデルハイトだった。最初の一言はカナタの隣の席に座って居心地が悪そうにしているトウヤに、二言目は我が物顔で食卓に付いている魔人アルスノヴァに向けられている。

 年下だが不思議とそう思えない雰囲気の少女と目が合って、トウヤは気まずそうにお辞儀をする。もう一人の妙齢の美女に関しては恐れ多くて視線を合わせることもできない。

 どうしてトウヤがこの場にいるのかと言う疑問に対しての説明はたった一言で済む。招待されたからだ。

 もっと詳しく言うならば、今日の仕事である街の警備の帰りに偶然カナタに出会った。そして久しぶりの再会を喜ぶと同時に、夕食に招待されたということだ。

 この場合の問題はこの家は決してカナタの家ではないと言うことなのだが、どうにも彼女は生活の大半をここで過ごしているようで、家主でるヨハンもそれを認めている。

 なし崩し的に家族のような生活をしているヨハンのことを多少羨ましく思いながら、正面に座る彼に対して視線を向けた。

「あー……。えっと、今日は招いてくれて、ありがとう」

「……礼儀正しいな。カナタが勝手に連れてきただけだが、折角だからゆっくりしていってくれ」

「はい。お飲み物どうぞ。お酒はまだ駄目ですからね」

 横から綺麗な手が、空のカップにお茶を注ぐ。

 それからポットを置いて、ヨハンの下にあるグラスに酒を注いでいった。

「あ、ありがとうございます。サアヤさん」

「トウヤ君、久しぶり。こっちの生活はもう慣れた?」

「はい。一応は……。サアヤさんは今、城勤めでしたっけ?」

「そうなの。エレオノーラ様のお付きでね」

 サアヤとはイシュトナル時代からの知り合いで、彼女が要塞に勤めていたこともあって何度か言葉を交わしたこともある。

 何故彼女がここにいるのかは軽く疑問だったが、要塞にいたころからの噂を聞けば答えは自ずと出てくる。

 サアヤが席から離れた隙を見て、目の前に男に対して訝しげな目を向ける。

「あんた、本当にいつか刺されるぞ。こっちではゲオルク王に褒美でハーレムを作ってくれって頼んだって噂になってるんだぞ」

「それは俺も聞いた。頭が痛いが、それを否定する方法もない。……ちゃんとお前は嘘だと言っておいてくれたんだろうな?」

「いいや。面白うそうだから黙っておいた」

 積極的にそれを流布しようとするヴェスターと違って何も言わなかっただけ、トウヤにはまだ良心がある。

「いい加減に誰がとくっつけよ」

「なんでお前にそんなこと言われなければならん」

「誰だって言うよ。俺、間違ったこと言ったか?」

 言わないが、適当な相手とくっついてくれた方がトウヤとしては気が楽になる。何せ、見ている限りカナタも彼にそれなりの好意を抱いているようだからだ。

 それが家族愛のようなものであるのか、それとも恋心なのかは経験の浅いトウヤには理解できないが、何にせよ不安は少ない方がいい。

「……貴方達、仲いいのね?」

 給仕を終えたアーデルハイトが、ヨハンの隣の椅子を引きながらそんなことを言う。

「男同士でしか話せないこともある」

「そう言うものなの?」

 質問はカナタに。

「さぁ……。アリス?」

「私が判ると思う?」

 アルスノヴァはサアヤに匙を投げる。

 自分も席に突きながら、サアヤは少し考え込んだ後に、

「男同士……ですか? わたしが知ってる限りだと、仕事の話とか、遊び、ゲーム……。後はどの女の子が可愛いとかそんな話ですかね」

 視線は最後にヨハンとトウヤに戻ってくる。

「そんなところだ」

「あ、後は……。えっと、猥談的な、あれとか」

 若干言いにくそうにサアヤは付け加えた。

「あ~」

 嫌そうに納得するカナタ。

「や、待て! 俺は別にそんな話はしてないから! だいたい、女好きなのはこいつだけで……!」

「あら。じゃあ貴方は女に興味がないの? 特殊な趣味ね」

 からかうようにアルスノヴァが横槍を入れる。

 カナタにそんな会話をしていると思われるのが嫌で慌てて反論したところで、どうしてそんな拾われ方をしなければならないのだろうか。

 カナタは何のことか判らずにきょとんとしているが、その正面に座ったアーデルハイトは何かを察したような顔でトウヤを見ている。

 これでは後日、あらぬ噂が広がってしまう危険性がある。それは避けなければならなかった。

「普通に女が好きだから! 普通に!」

 そう勢いよく叫んでから我に返る。

「まぁ、それはそうだろうが……。叫ぶのはどうかと思うぞ」

「あんたが言うなよ、むっつり野郎!」

「さ。お喋りはこのぐらいして、冷める前に食べましょう」

 アーデルハイトがそう締めて手を合わせて食事が始まる。

 美味しそうな料理に舌鼓を打って、まずは魚料理を口に運ぼうとフォークを手に取ったところで、入り口の方から大きな音が聞こえてきた。

 扉が勢いよく開け放たれた音は恐らく玄関からで、何かを引きずるような足音が聞こえた後、食卓の扉が開かれる。

「ヴェスター!」

 現れたその人物を見て、ヨハンが真っ先に声をあげる。

 驚いたのはトウヤも同様だった。

 全身が傷だらけで、軽く止血はしてあるようだが不完全なそこからは今も血が滴っている。

 この男をこれだけ傷つけられる相手がいると言うことが、まず信じられなかった。

「ヴェスターさん! 今手当を!」

 サアヤが傍に駆けていって、ギフトを発動させる。

「おう、悪いな姉ちゃん。まだ通い妻やってんのか?」

「つ、妻なんてそんな……」

 照れながらも、癒しの光はヴェスターの傷を的確に癒していく。

 身体がしっかりと動くようになったヴェスターはヨハンの方を見て、吐き捨てるように告げる。

「本当はルー・シンの野郎のところに行こうと思ったんだが、あいつの家が何処にあるか判らねえ。だからお前でいい」

「……その傷に関係があることか?」

「まぁ、そうだな。これをやったのは御使いだ。雷霆のルフニルって奴だ」

「……雷霆のルフニル」

 アルスノヴァがその名を復唱する。

 ヴェスターはアルスノヴァの存在にそこで初めて気が付いて顔を向けた。

「知り合いか、マブイねーちゃん? お前、また女を誑かしたのか?」

「お生憎だけど、私は今のこの男とは大した関係はないわ。雷霆のルフニルは千年前に虚界と積極的に交戦した御使いの一人よ。元々御使いは虚界との戦いには消極的で、自分から戦いを挑む者は余りいなかった。その数少ない例外の一人」

「あぁ、あんたがひょっとして噂の魔人って奴か。まあいいや。そう、この傷はそいつにやられた」

 言いながらも、サアヤのギフトによってヴェスターの傷は大半が治りかけていた。

「その戦闘力は御使いの中でも最上位に位置しているわ。貴方達はもう聞きたくもない名前だろうけれど、魂魄のイグナシオと雷霆のルフニルは虚界と戦う御使いの二大巨頭と言っても過言ではなかった。正確にはそこに悪性のウァラゼルも加わっていたのだけれど、彼女は虚界と戦っているというよりは無差別に破壊しているだけだったから」

「……ってことはやっぱりあいつは強いんだな?」

「それは貴方自身がよく理解していると思うけど、強いわ。彼が敵に回るとしたら、一番厄介かも知れない」

 アルスノヴァの言葉に、一同が押し黙る。

 そこに更に彼女は続けていく。

「嫌な話は先に全部しておくわね。雷霆のルフニルが蘇っていると言うことは、他にも御使いが降臨している可能性が高いわね」

 話し終えて、アルスノヴァはグラスに注がれたワインを一口飲む。

「成程な。……じゃあ、俺がやることは決まった。おい、ヨハン。俺に褒美があるって話、知ってるか?」

「勲章の件か? ルー・シンがそのことでお前を探していたが、会えたのか?」

「ああ。それを別の形で受け取りてえんだ」

「どんな形かによるな」

「除隊だ」

「……判った。いいだろう」

 ヴェスターが放った衝撃の一言を、ヨハンはあっさりと受け止める。

 カナタはまだ事の顛末が理解できおらず、アーデルハイトとアルスノヴァはあまり興味がない。

「除隊って……!」

 傷を癒しながら、サアヤが大きな声を出す。

「言葉の通り。俺は軍を辞める」

「元々、辞めたがっている奴を引き留めるだけの理由はない。むしろ俺は、ヘルフリートとの戦いが終わった時にお前は去るものだと思っていた」

「言われてみりゃそれもそうだ。なかなか居心地がよかったからよ。話ってのはそれだけだ。トウヤ、他の連中にはよろしく言っといてくれ」

「よろしくって……! お前、ちょっと待てよ! そんな身勝手が!」

 椅子から腰を浮かせて、勢いづくトウヤにヨハンが声を掛けて制止する。

「去るものは止められない。元々イシュトナルのエトランゼには恩赦があった。その権利を今使っただけの話だ」

「だからって、何もこんな時に……!」

「ま、そう言うこった。姉ちゃん、傷の治療ありがとな。それじゃ、また飯でも食いに顔を出すとするぜ」

 手を上げてヴェスターは何事もなかったかのように食卓の扉を潜って外へと出ていく。

 遠ざかる足音に我慢ができず、トウヤは立ち上がってヨハンを睨んだ。

「行って引き留めても無駄だと思うぞ?」

「だからって!」

「そう言う男だ、あいつは。お前もよく知っていると思うが?」

 その言葉に初めて会った時のことを思い出す。

 善も悪もない、思うがままに剣を振るう獣。それが魔剣士ヴェスターの最初の印象だった。

 しかし、それは戦いの中で少しずつ変わって行った。仲間の死に怒り、少しでも同胞を助けようとする彼は紛れもなく頼れる男だった。

「あんたはそれでいいのかよ?」

「あいつが決めたことだ。俺が口を挟むことではない」

「それでもし、御使いに勝てなかったら?」

「そんな可能性は考えていない。ヴェスターがいようがいまいが、俺は元から最善を尽くすだけだ」

「……そんなの納得できるかよ! 後ろにいたお前には判らないかも知れないけどな、あいつは俺達にとって仲間だったんだ!」

「トウヤ君! ……それは言い過ぎだよ」

 そう言ってトウヤを見たカナタの目には、僅かな怒りが見て取れる。

 彼女にそんな視線を向けられたことが辛くて、怒りとも焦りとも判らない感情が沸き上がってくる。

「引き留める。今のあいつのことは、あんたよりも俺の方が知ってるはずだ」

 誰が止める間もなく、トウヤはヴェスターに追いつくためにそこから駆け出していく。

 勢いよく開けられた二つの扉が閉まり、急激に熱を失った食卓で、最初に口を開いたのはカナタだった。

「……ヨハンさんは、ヴェスターさんのことが判るの?」

「あいつとはそれなりに長い付き合いになるからな。あの獣のような目になった時は、説得が効く時じゃない」

 かつて、最強のエトランゼであった自分に挑んできた愚かな獣。

 ヴェスターの顔は、その時と同じ目をしていた。

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