第二節 雷霆と黒き獣
適当に酒でも飲んで女を抱いていれば気が晴れると思っていたのだが、生憎と時間はまだ昼間だった。
開店準備中の札が掛かった娼館の前で舌打ちをして、今来た道を戻るために歩きだそうとする。
その一歩を踏み出してから、目の前に立ちはだかる人影を見てヴェスターはその場で二歩目を踏み出そうとした足を止めた。
無意識に、半ば本能的に背中に背負った剣に手が掛かる。
周囲の歩く人々が、二人の間に一瞬で芽生えたただならぬ空気を察してか早足にその場を通り抜けていく。
そんなことはどうでもよかった。
今、ここにいる男に興味がある。
娼館で女を抱こうとしていたことなどすっかり忘れ去ってしまうほどに、衝撃的な出会いを味わっていた。
銀色の髪、均整の取れた肉体。
鎧ではない、動きやすく無駄な布を削ぎ落した法衣を見に纏ったその姿は、一目見ればそれが神聖なものであると判る。
腰に差した剣から発せられるその気配は、間違いなく魔剣と対を成す聖別武器のものだ。
「ようやく会えたな」
「俺を探してたってことか?」
「そうだ。だが、ここでは人が多いな。場所を変えるとしよう」
ヴェスターが了承するよりも早く、二人の身体が一瞬にしてその場から消失する。
街を行く人々は先程までの光景がまるで幻であったかのように騒めいて、それから幻覚でも見た物かといつも通りの生活に戻って行く。
当のヴェスターは、気付けば草原の真ん中に立っていた。
遠くにオル・フェーズの城壁が見える。どうやら王都から離れたところにある、何もない原っぱにまで何らかの手段で連れてこられたようだった。
風が草木を揺らし、緑の匂いを運んでくる。
その中に交じって、酢の匂いがした。
「先程お前の行く先を聞くために寄った店で買ったものだ。食べるか?」
何処から取り出したのか、皿に盛られたタコを差し出しながら男が問う。
「……いらねえよ。散々食った」
「そうか。なかなか美味いのだが。では、俺がこれを食べ終わるまで待っていてもらおう」
もそもそとタコの酢漬けを食べ始める謎の男。
ヴェスターは構えているのも阿呆らしくなって、その場にどっかりと腰を下ろして辺りの景色でも見ていることにする。
街道からも離れたこの場所には、本当になにもない。裏を返せば、何をしようと周りに被害は出ないということだ。
顎に手を当てて男を見ると、丁度最後のタコを口の中に放り込んだところだった。噛み切るのに苦心しながらも、どうにか飲み込む。
そうして皿を丁寧に地面の上に置いてから、改めてヴェスターの方を見た。
「待たせたな」
「……別に構いやしねえよ。その分、楽しませてくれんだろ?」
「……いいや」
男は首を横に振る。
「何を持って楽しむのかは判らんが、生憎と今日はお前と遊戯をしに来たのではない。……もし希望するのなら遊べないこともないが、この場所でできることなど限られているだろう。そうだな、エトランゼに教えてもらったオニ・ゴッコと言うやつならできるか。ルールは単純で……」
「ストップ、ストップだ! それ以上くだらねえことを言うなら今すぐここでぶっ殺す」
「そうは言われても、何も遊び道具がないのは事実だ、諦めろ。それから、俺を殺すのは不可能だろう」
男が言った最後の一言を、ヴェスターは挑発と受け取った。
「……そう言うのを待ってたんだよ」
剣に手を掛けたところを、男が掌を差し出して制する。
「待て。そうなるかも知れないから、わざわざこの場所に連れてきたんだ。だが、俺に戦いの意思はない」
「じゃあ何しに来たんだよ? 俺を探してたんだろ? まさか本当に遊びに来たわけじゃねえよな?」
「それは違う。……そうだな、では先に自己紹介を。俺の名は御使い、雷霆のルフニル。今は黎明のリーヴラに協力している」
「その黎明ってのが俺達の敵だって判って言ってるよな?」
「立場上はそうなるようだな。黎明のリーヴラはお前の力を欲しがっている。エトランゼでありながら虚界に浸蝕されたギフトを持つ、悪性のウァラゼルと同じ例外であるお前を」
「……そりゃつまり、そっちに手を貸せってことか?」
「そうだ。もしくはその力を解き明かすために身体と魂を提供してくれるだけでもいい。心配しなくても事が終われば無事に戻すと約束しよう。……何年掛かるかは判らんが」
「……はぁ、なるほどねぇ」
自分のギフトが他と違うことは自覚があったので、それほど驚くことはない。
ヴェスターの持つ魔剣は虚界によってこの世界にもたらされた神殺しの金属、オブシディアンを鍛えて生み出される。
手に持つ者から代償を奪い力を与えるその武器を、ヴェスターは何の呪いも受けずに使うことができる。
それは単なる珍しいギフトと言うだけでは説明がつかない。恐らく、ヴェスターの中にある呪いを我が物とする力は――。
「一応言っておく。もし俺と戦うのならば、お前に勝ち目はない。これは慈悲でもある」
「――ハッ」
ルフニルのその一言は、完全にヴェスターの導火線に火をつけた。
「てめぇらの慈悲なんざ要らねえよ」
「だろうな。だから一応、と言った。しかし、もう一つお前は真剣に考えなければならないことがある。自らの正体も知らずこの世界で生きて、それで本当にいいのか?」
恐らくそれは、ヴェスターに対する挑発などではない。
目の前の男は本心からこちらの身を案じ、そう提案しているのだ。
それはあたかも、絶対的強者が弱者に対して慈悲を与えるが如く。
例えその根底にあるのが善意だとしても、既にヴェスターの答えは決まっている。
「知ったことか。興味ねえ。どうせくだらねぇミスだろ、真っ当な理由があるとも思えねぇ」
「お前達にギフトを与えた神が失敗をすると?」
「そりゃするだろ。こんなくそったれな世界を創った神様なんだからよ。俺は鼻っから信用してねえんだよ。別に今更そこに崇高な理由があろうが、単なる失敗作だろうがどっちでもいい。それより、もういい加減御託はいいだろ?」
空から降る太陽の光を反射して、ヴェスターが引き抜いた魔剣が黒い輝きを放つ。
その凶悪な輝きを見たルフニルは、一度何かを後悔するように目を伏せた。
「やはり、この役目は俺には荷が重かったようだな。……とは言え、幽玄では即座に殺しあいに発展していただろうが」
「なに言ってやがる?」
「いや、何でもない。俺は失敗したということだ。できれば今後のために聞かせてほしいのだが、何処を改善すれば説得できたと思う?」
「てめぇに今後はねえよ!」
ヴェスターが踏み込む。
問答をする理由など最初からない。ここまで話に付き合ってやったのはこの御使いに対する、ヴェスターの気まぐれの善意に過ぎない。
もうそんな感情は必要ないだろう。後は獣になってもいい、思うがままに暴れる至高の時間がやって来たのだ。
「……是非もない」
ルフニルが腰の鞘から剣を抜く。
ヴェスターの持つ魔剣とは対照的な、白い輝きを放つ剣が陽の光に晒されて、見る者を吸い込むような美しい輝きを見せる。
幅広の黒剣と、細身の白剣がぶつかり合う。
火花が散り、衝撃の余波が暴風のように地面の草花を撫でて、吹き散らさんばかりに薙いでいく。
「おおおぉぉぉぉぉぉ!」
「……なるほど。できる」
刃が擦れ合い、やがて離れる。
漲る闘争心を隠そうともしないヴェスターは退くことをせず、更に前進。
対するルフニルもまた、臆することはない。
二度目のぶつかり合いは、ルフニルが有利だった。
一撃目とは違う、力を込めた斬撃のぶつかり合いに、ヴェスターは跳ね飛ばされそうになってその場で堪える。
「こいつっ……!」
怯んだヴェスターを上段からルフニルの斬撃が襲う。
魔剣を横に構え、刀身を滑らせるようにしてそれを受け流して、身体ごとルフニルにぶつけていく。
一瞬、態勢を崩したその隙に横薙ぎの刃を叩き込むが、それは完全に見切られていた。
硬い感触だけが返ってきて、失敗を悟る。
しかし、ヴェスターもまた一筋縄で敗れるような剣士ではない。
更なる追撃をルフニルに叩き込む。
三度目の剣同士のぶつかり合いは、ヴェスターが優勢に傾いた。
神聖なる加護に護られた聖別武器は、魔剣とのぶつかり合いにより消耗し、その守護が剥がされていく。
「ほう」
ルフニルが突然剣を手放す。
そして手を伸ばし、すぐ傍にあるヴェスターの胸倉を掴みあげ、力任せに空中に向かって放り投げた。
すぐさま受け身を取って態勢を立て直す。
剣を構えてルフニルを睨むと、彼は先程捨てた剣を拾い上げてその先端部分に触れて感心したような表情を浮かべていた。
「正直、驚いた。お前の持つ魔剣は、単に虚界が持っていた武器と言う範疇を超えている」
彼の手が触れた聖別武器は、たちまち輝きを失って純白から鈍色へと変化していく。
そして軽くその先端を折り曲げると、音を立てて砕けてしまった。
「聖別武器を浸蝕し破壊するとは。千年前の戦いでもこんなことをしでかす虚界は現れなかった。間違いなく、お前の持つギフトによりその魔剣は進化している」
視線がヴェスターの持つ魔剣を見る。
魂喰らいの魔剣。そう名付けられたヴェスターの愛剣は最早、代償と引き換えに力を与える武器などではなくなっていた。
彼自身が纏った呪いを受けて、更なる力を発揮する剣。仮にこの武器をヴェスター以外の者が持てば、魅入られるどころではなく、瞬く間にその心を喰われて破滅してしまうことだろう。
「褒めてんのか? だったら表情の一つでも変えて見てくれよ」
ヴェスターは額に浮かぶ汗を無造作に拭う。
先程までの攻防を経ても、ルフニルは汗を搔くどころか表情一つ変化がない。
ましてや自らの武器を破壊されたというのに顔色の一つも変わらないと言うことは、更なる手を持っていると言うことの証明に他ならない。
「生憎と、感情を表に出すのが苦手でな。それなりに驚いてはいるのだが。……しかし、武器がなくては戦い辛い。俺も手の内を一つ見せるとしよう」
極光が彼の手の中に生み出され、輝きを増していく。
「やっぱり来やがったか……!」
セレスティアル。
そう呼ばれる御使い達が操る無敵の極光。
それは最強の剣であり、究極の盾であり、最速の翼にもなりうる。
圧倒的な力を持つその光こそが、御使いとそれ以外を分ける絶対的な差。
「先に言っておくが、俺は不器用だ。だから、他の奴等のようにセレスティアルを全方位に放ったり、広域に展開するような真似はできはしない」
「……あぁ? あれって器用とかそう言う問題だったのかよ」
「性質、と言った方が正しいか。お前達のギフトと同じだ。同じように見えるがそれぞれが微妙に異なる。とは言え、大半は最も便利な形である光の帯として使うが」
確かに、ヴェスターが以前戦ったウァラゼルはそう言う使い方をしていた。
考えてみれば、カナタのようにわざわざ武器のような形にして使うのは非効率極まりないだろう。多人数を相手にするのなら同時に複数を攻撃できた方が有利だし、一人と戦う時も相手の背面から攻撃できるに越したことはない。
目の前の連中に騎士道精神などありはしないのだから。もっとも、それはヴェスターにも言えることだが。
「俺はそれが苦手だ。だから、こうする」
集まった光が形を変える。
カナタがそうするように、彼の手の中で剣の形へ。
彼女と違ったのは、それは光のままではなく、まるで物質のように輪郭を帯びていくことだった。
そして握られたのは、銀色の輝きを放つ幅広の長剣。
先の聖別武器よりも大ぶりな刃をその手に持ち、ルフニルは改めてヴェスターを見た。
「自慢げなところ悪いが、その手品には驚いてやれねえぞ」
「そうか、残念だ。では、続きをするとしよう。恥ずかしい話だが、俺もお前との闘争に高揚を覚えている」
「そりゃ、ありがたい!」
ルフニルが言葉にしたことで、ヴェスターの中にあった何かが答えを得た。
そうだ。
この感覚が欲しかった。
四度目、二人は激突する。
黒い光を纏った剣と、白い稲妻を放つセレスティアルによって生み出された金属の剣が激突する。
互いを打ち消しあうように干渉し、排するように反発する。
それはお互いの力で無理矢理に押し戻され、幾度となく合わさり白と黒の火花を散らし続ける。
ルー・シンの問いに答えられなかった。
一瞬でも自分が護った平和に対して安らぎを覚えてしまっていたから。
このために戦い続けるのも悪くはないと、そう口にしてしまえばそこでヴェスターと言う男は全てが終わってしまう。
そんなはずがない。
そんな生き方をしていたことは一度もない。
闘争だ、強敵だ。
それこそが自分の全て。
「まるで獣のような凄まじい太刀筋だ」
打ち交わす刃がずれて、ヴェスターの身体を傷つける。
致命傷を避けながらも、小さな傷が全身に刻まれていく。
それでも獣は止まらない。ただ目標の首を取るために前進していくだけ。
「オラァ!」
「……ふっ……!」
縦に振り下ろした斬撃を、銀色の剣が受け止める。
受けきれなかった余波が地面を伝い、足元の大地に罅を作った。
力で弾き返されて、ヴェスターの身体が宙を舞う。
「言い忘れていたが、俺は剣士ではない。意味は判るか?」
遠く離れた隙に、彼の手の中の剣が極光へと戻って行く。
次の瞬間にはそれは同じく銀色の弓へと変化し、そこに番われた光の矢を立て続けにヴェスターに向けて放った。
「あぁ! 今更卑怯だなんて言いやしねえから安心しろよ!」
一本の矢を弾き、二本目を避ける。
地面に突き刺さった矢は、込められた凄まじいエネルギーを暴発させて、草花を薙ぎ払い、石を破砕してそこにクレーターを生み出していく。
「ぐぁ……!」
その一本が、ヴェスターに突き刺さる。
全身を破砕しかねない衝撃を受けてもなお、その身体はまだ止まらない。
後退するのではなく前進し、ルフニルの眼前へと再び舞い戻った。
「お前は強い。しかし、だからこそ今の一撃は致命的だったな」
弓はすぐに剣へと変化する。
振り抜いた互いの刃が打ち合わされて、全身を貫くような衝撃が走る。
矢が刺さった腹から、それに合わせて派手に血が零れた。
「ちっ……!」
「動きが鈍っているぞ」
二撃目。
肩を裂くような一撃を受けて、ヴェスターの全身が止まる。
一歩、二歩とよろめくように後退して、どうにかその場に踏みとどまった。
ヴェスターが吼える。
そして、無理矢理に前傾に身体を倒すようにしてルフニルとの距離を詰めた。
「その気概は見事。だが!」
横一文字に刃が走る。
一拍遅れて、真横に傷が走ったヴェスターの身体から派手に出血した。
身体に力が入らない。
「……ち、」
一対一の戦いだ。相手はヴェスターが対応できない飛び道具を多量に用いたわけでもない。
だが、この結果はどうだ。
まるであの時と同じだ。
最強のエトランゼにである彼に挑んだ時と同じ。
「……ハハッ。世の中まだまだ捨てたもんじゃねえな」
剣を支えに、敵を睨む。
例え身体が動かなくてもその闘争心は消えてはいない。
早く止めを刺さなければ、手負いの獣は凶暴になる。そんな意思を込めた視線に射抜かれても、ルフニルに恐怖と言う感情はない。
「見事だ、エトランゼ。そして、さらばだ」
その一言を聞いて、ヴェスターの身体が崩れる。
全身から力が抜けて、その身体が俯せに、戦いで見る影もなくなった草原へと倒れていった。
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