第五節 少女とエトランゼ
初めて人を斬った時のことは、今でも覚えている。
思っていたよりも硬い。それが最初の印象だった。
なんでそんなことをしたのかと問われれば簡単な話。たった一言、「そんなこと誰でもやっている」と言うだけ。
この世界に来たエトランゼの辿る道は、だいたい三つに分かれている。
強力な力を持ち我を通し、異世界生活を謳歌する。
中途半端な者達は徒党を組んで、それぞれに身勝手な思想を掲げてだらだらと生き続ける。
そして、最後が一番悲惨だろう。
持っているギフトの使い道がない。
身体能力や頭脳が劣っている。
他人と慣れあう術を知らない。
そんな者達が辿り付けるのは、この社会の最底辺。ゴミ溜めのような世界だ。
思えば奇妙な話でもある。
元の世界で築いてきた倫理、人の価値観ではどう答えることが最良となったであろうか。
女を売って男に媚びながら生きるか。
人を殺して、殺し続けて生きるのか。
どちらを選べば人に称賛されるだろうか?
前者を選べば親が泣く。
後者を選べば社会が怒る。
不幸中の幸いだったのはそれは全て元の世界、もう帰れない場所での話。
天秤は思っていたよりも遥かに簡単に傾いた。理由は判らない。自分の中に思いの外協力な貞操観念があったとでも言えばいいのだろうが。
多分、違う。
もっと短絡的で、野性的な答えだ。
そっちの方が楽そうだったから。
自分が痛い思いをしないで済むから。
それだけのことだ。
とにかく、愛すべき両親にラニーニャと名付けられた少女は後者を選んだ。自分を手籠めにしようとした男を短剣で刺殺し、その場から逃亡した。
数日間は怯えて暮らしていたが、この世界にはそんな有能な警察はいないことにすぐに気が付いた。
後はずるずると、よくある話だ。
生きるために殺せばいいと言う結論を得て、元の世界の倫理を護ろうとする心は容易く消えた。
殺しにはギフトが役に立った。
ひょっとしたら人殺しの才能もあったのかも知れない。
そんな心を持っていたからこの世界に来てしまったのではないかと、退屈な時間で考えたこともある。
いや、厳密には今も考えている。
今と言う時間は退屈だ。
雨に打たれて、全身ずぶ濡れになって、地面に這いつくばる今この時間は楽しくはない。
これから先のことを考える必要もないだろう。多分、もう自分は死ぬのだから。
理由は判らない。昨晩から熱が下がらないから何かの病気だろうが、それを確かめる術も、当然治す手段もない。
病気の治療には金が掛かる。保険もないこの世界では滅多にいない医者に掛かるが、魔導師とやらに頼むしかない。
自分で勝手に薬草を飲むという手段もあるが果たしてどれが効くのかも判らなければ知恵を持った友人もいない。
雨は嫌いだ。
その辺りのコンビニに飛び込んでポケットから金をカウンターに置けば傘が買えるわけでもない。
鞄を傘にして走ったところで、家もないし母親は温かいお風呂と甘いココアを用意していてもくれない。
何よりも、自分の能力が一番生きてしまう。
沢山人を殺せてしまう。
何処かでそれを冷ややかに見つめる自分と目が合うのが一番嫌だった。
「……う」
喉の奥から声が漏れる。
吐き気も一緒に上がってきたが、もう出るものもない。隠れ家に使っていた建物に散々ぶちまけてきたところだ。
ずるずると身体は這いずる。
もう楽になろうと、頭ではそう考えているのにそれは身体には伝わっていないようだった。
勝手にまだ生きようとしている。
助けてくれと声が出ないのは、喉が焼けているからだ。
もっとも、そんな無様な真似をする前に自分の喉を掻ききっていたかも知れないが。
そんなありえない妄想とは裏腹に、細い身体は醜く動く。
ぼろぼろになった一張羅に纏わりつく泥が重い。
通行人が奇異の目でこちらを見る。
無理もない。髪の毛も長いこと切っていないから、まるで魔物のような姿になっていることだろう。
身体が裏路地から外に出ていく。
なるほど、自分はそこを目指していたようだ。
淡い期待を掛けて。鼻つまみ者ばかりの裏路地の住人は人を助ける余裕もないが、まだまともな生活をしている表通りなら、手を差し伸べてくれる人がいるかも知れないと。
我ながらなんて頭がお花畑なんだ。
そんな馬鹿な話があるものか。
貧乏人も金持ちも、人の心なんてそう変わるものじゃない。
親切な貧乏人もいれば、当然性悪な金持ちもいる。
性悪説を唱えるつもりもないが、それが普通だ。大抵の人間は、見て見ぬ振りをする。自分が同じ立場だってそうするだろう。
でも、身体は言うことを効かない。
助かりたがっている。
馬鹿なことはやめろと、信号を送る。
そんなに無様な真似をして生きたいのなら、どこぞの男の愛人でも収まっておけばよかったのに。
どうしてもっと合理的に行動できないんだ。
子供の頃からずっとそうだった。
頭ではそうすればいいと判っていても、心がそれを否定する。
心が否定すれば、身体も動かない。
結果出来上がったのが、気難しくて友達もロクにいない問題児が一人。
まさか死ぬ間際になってまでこの性格に足を引っ張られることになろうとは思わなかった。
石畳の上を、飛沫を上げながら幾つもの靴が動いていく。
ラニーニャを見る者はいても、手を差し伸べる者は誰もいない。
空は既に暗く、雨は地面を激しく叩いている。死にかけ一人に構っている暇があったら早く帰りたいのだろう。
そればかりか小奇麗な店が並ぶ街の住人は、汚いものを見るような目でこちらを見てくる。
裏通りの人間が、どうしてこんなところにいるのだと。
死ぬのなら自分達の縄張りで死んでくれと。
「……け、て」
なんて声を出しているのだろう。
雨音で誰にも聞こえなかったのが幸いだ。
自分は今、何を言った。
薄れゆく意識の中で、よくもまぁそんな格好悪いことができたものだ。
「助け……」
やめろ、どうせ聞こえない。
聞こえたところで惨めになるだけだ。
訴えが通じたのかは判らないが、身体は動かなくなった。
瞼が重い。
この感覚は以前も味わったことがあるような気がする。
勿論そんなわけがないのに。一度の人生で、二回も死ぬ奴がいるわけがない。
「ねえ」
目の前で声がした。
そのたった一言に込められた明るさが、閉じかけていた瞼を無理矢理に開かせる。
俯せの状態で首だけを動かして、上を向く。
雨の中に浮かぶ、太陽と見間違うほどに眩しい金色がそこにあった。
あどけない少女の顔。
翠色の大きな目が心配そうにこちらを覗き見ている。
「助けてって言ったよね?」
手が差し伸べられる。
小さな少女の手。
何よりも大きな救いの手。
どれだけ意地を張ろうとしても、それに抗えなかった。
首が勝手に縦に振られる。
それだけでは伝わらないのかと不安になって、口が動く。
枯れかけた喉から声が絞り出された。
「助けて……」
涙は雨に交じって地面に消えていく。
なんて情けない。
意識が戻ったらすぐに腹を斬って死んでやる。ジャパニーズ・ハラキリだ。
そんな馬鹿な考えを最後に、ラニーニャの意識は混濁した闇の中へと墜ちていった。
▽
気が付いたらそこは、見たこともないような豪華な部屋だった。
広い間取りに、部屋の中央の壁には暖炉。ラニーニャが寝かされているベッドも充分にスプリングが効いていて、布団もふかふかだった。
床には絨毯、天上からぶら下がるランプには火ではなく光を放つ魔法鉱石が使われている。
部屋の中央のテーブルに備えてある椅子には誰かが座っていて、上半身を起こしたラニーニャと早速目が合う。
「あ、起きた」
金色の長い髪、翠色の瞳。
小柄な身体に大きな目が特徴的な、快活そうな少女だ。
彼女が多分、助けてくれた人だろう。
「ちょっと待っててね」
ラニーニャが何かを言う前に、少女は立ち上がって部屋を出ていく。
きょとんとした顔で今の自分の状況を確認してみれば、肌着一つで他には何も持っていない。いや、どちらにしても元々大した荷物もない身ではあるが。
敢えて言うなら、愛用の短剣が何処にもない。値打ちものと言う訳でもないが、初めて人を殺した武器だ。なんとなく捨てられずにお守りとして持っていた。
「……別に、ないならないでいいんですけどね」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
部屋の外から窓を見ると、どうやら屋敷の二階のようだった。街から離れたところに建てられているのか、街の灯りが遠くに揺らめいて見える。
雨はまだ降り続いていて、窓を叩く雨音が嫌に耳障りだった。
季節は冬。この寒さの中で雨に打たれては、ラニーニャと同じように命を落としている人も大勢いるだろう。
それに比べて、ここは何て温かいのだろうか。
今日まで暮らしていた世界とは余りにも無縁過ぎる場所だ。
「ただいまー。お、大人しくしてたね? はい、ご飯」
木でできたお椀とスプーンを渡される。
訳も判らぬままそれを受け取り、暫く固まっていると、その匂いにつられたお腹がくぅと小さく音を立てた。
「よかったぁ、食欲はあるみたいだね。お医者さんが言ってた通り」
「……医者?」
「そ。医者だよ? なんか身体の中に悪い虫が入って、それが色々しちゃう病気なんだって。アタシ達は掛からないんだけど、エトランゼはそれに弱いみたい。免疫? みたいなのがどうのこうのって……」
多分、それはこの世界の住人達はとっくに免疫ができている病原菌なのだろう。異邦人たるエトランゼにはその免疫がなく、病気にかかってしまうということだ。
「それでも滅多に掛かる人はいないんだけどね。大分身体が弱ってたからじゃないかって。薬を飲ませたからもう大丈夫って言ってたけど……」
少女の手が額に当てられる。
慌てて顔を後ろに逸らして逃げるように離れるが、少女は全く気にもしていない様子だった。
「熱は下がったみたいだね。身体の調子は? どっか痛かったりしない?」
「大丈夫です」
長く伸びた髪を掻き揚げて、お椀の中に満たされた白いお粥を口に運ぶ。
薄味の粥は弱まった身体にも優しく、するりと喉を通って身体の中へと吸収されていく。
「はい、お水」
久しぶりに口にするまともな食べ物がおいしくて、気付けば夢中で口に運んでいた。
その様子を笑うわけでもなく見つめ続けていた少女が、絶妙なタイミングでコップに入った水を差し出してくる。
それを受け取って一気に呷り、そしてまたお粥を食べる。
結局全部食べてしまった。
「うんうん。ご飯はちゃんと食べられるみたいだね。安心安心」
にっこり笑って少女がそう言う。
なんだか動物扱いされているみたいで面白くはなかったが、命を助けてもらったのは事実なので受け入れる。
「……それで、ここは何処ですか? なんでわたしを助けたんです? 見ての通り、お金は持っていませんけど」
一度は服を脱がされているのだから、一文無しなのは判っているだろう。
それでも放り出されていないということは、この少女は正義感に溢れた馬鹿か、世界は善意でできていると考えている阿呆か、もしくはラニーニャを何かしらの利用しようとしているくそ野郎のどれかだろう。
「色々質問したい気持ちは判るけど、まずはお風呂入って。悪いけど、君すっごく臭い」
▽
気が付いたら見知らぬ金持ちの家に招待されて、風呂に入れられていた。
今のところラニーニャが理解している自分を取り巻く現状はそのぐらいだった。
大理石でできたその風呂場は白く小奇麗な模様を描き、大浴場と言うほどの広さではないがそれでも五、六人は一緒に入ってもまだ余裕がある。
絶え間なく流れる小さなお湯の滝を被って、近くに置いてあった石鹸で身体を洗う。
伸びきって絡まった髪の毛を念入りに解していると、入り口の辺りに人の気配がした。
顔を向けると、一糸纏わぬ姿でそこに立っていたのは先程の少女だった。手には鋏を持っている。
「その髪、邪魔じゃない? 切っちゃおうよ」
どうやらラニーニャに拒否権はないようだった。座っている椅子の後ろに付くと、髪の毛を一束掴んで、そこに刃を当てる。
「どのぐらいの長さがいい?」
「どのぐらいでも別に……。いえ、短く。丸坊主にでもしてください」
それは半ば自暴自棄になって放った言葉だった。これからどうなるのかは判らないが、一度恥を晒してしまった以上、もう落ちるところまで落ちてやろうと言う出どころ不明の気概。
「だーめ。修行してる人じゃないんだからさ。可愛くしないと」
「……は?」
「じゃあ短くするよ? 寒いからさっさとやるからね」
じょき、と。
鈍い音がする。
ぱらぱらと水を吸った髪の毛が床に落ちて広がっていく。
その調子で彼女は次々と鋏を入れる。
時折背中や腕に触れる体温がくすぐったい。
その中でも特に存在を主張する、小柄な体躯に不釣り合いな大きな胸には、細身のラニーニャとしては色々と思うところもあったが。
「へへっ。ママに昔、よくこうして貰ったんだ」
「はぁ。変なペットを拾うとそのお母様に怒られるんじゃないですか?」
「どうだろうね、判んないや。もういないし」
「あ、それは……そう、ですか」
咄嗟に謝罪の言葉に出てきそうになったが、寸でのところで押し込めた。
その話を最初に振ってきたのは向こうだ。話題に乗ってやった挙句にこちらが謝罪をするのはおかしな話だ。
それになにより、母親を失ったこの少女よりも多分、自分の方が不幸であるから。
「でもママは怒らないと思うよ。優しかったからね」
「優しいのと同情は違うと思いますよ。行き倒れを全員助けていたわけでもないでしょうに」
「そりゃそうだよ。何言ってんの?」
笑った彼女の息が首筋に掛かり、くすぐったかった。
どうやら嫌味の一つも通じないらしい。
気付けば鋏の音は止んで、床には大量の髪の毛がばら撒かれていた。
頭が軽い。全身に纏わりつく感触も消えている。
まるで獣からようやく人間になったようだった。
「よっし、可愛くなった。じゃあ次はお風呂入ろうよ。もうすっかり冷えちゃった」
有無を言わせず身体を引っ張られて、二人は一緒に湯船につかる。
最初は隣に座っていた少女はお湯の中をラニーニャの正面に移動して、こちらの顔をマジマジと覗き見てくる。
その仕草が妙に気まずくて顔を逸らしながら、もう慣れた憎まれ口を叩いた。
「エトランゼがそんなに珍しいですか? でしたら街外れに見世物小屋がありますのでどうぞそちらに」
「そんなんじゃないよ。それに、多分そいつらもういないよ。王都から警備が派遣されてきてたし、捕まったんじゃないかな」
「なんでそれを知ってるんです? まさか貴方が……」
「違うよ、やったのはアタシのパパ。ユルゲンス家は一応、ハーフェン全体を取り仕切ってるからね。勝手なことされるわけには行かないって」
「――ああ、なるほど」
一人で納得がいった声を出す。
こうなる前のラニーニャは、剣闘で金を稼いでいた。
治安の悪い街中で行われる興業で、簡単に言ってしまえば輪の中で戦う二人の戦士のどちらが勝つか賭けをするというものだ。
今のところの戦績は全勝。専属で雇いたいという話を聞いてこのハーフェンまで路銀をはたいてやって来たのはいいのだが、どうやら目の前にいる少女の父がそれを行っていた組織を取り締まったようだった。
元々何処かの金持ちが道楽でやっていたような裏商売。危険が自分に及ぶとなればあっという間に尻尾を切られる。
そう言った場合、大抵の場合は上から順番に上手いこと逃げていく。最下層にいたラニーニャは食い扶持を奪われて、あそこで死にかけていたと言う訳だ。
確かその見世物小屋も頭の部分は同じたったと何処かで聞いたことがある。捕まったか、被害が及ぶ前に逃げたのだろう。
「……それで、貴方はなんでわたしを拾ったんです? 本当にペットにでもするつもりですか?」
「別にー。そんなつもりないよ。そもそも、なんでって聞かれても困るよ」
彼女が次に口にした言葉は、お湯の中で冷静を保っていたラニーニャの心に強い揺さぶりを与える。
「君が助けてって言ったんだよ?」
「……っ! そ、れは……!」
やはり失態だ。
気の所為じゃなかった。熱に浮かされた幻覚なんかではない。
あんな状況で、こんな世界で。
家族もいない、生活の基礎もない、他人の生き血を啜るような生活をしなければならないこの場所で、それでもラニーニャは生きようとしてしまった。
安っぽいプライドを抱えたまま、命を捨てることもできなかった女だ。
「ちょっと! なんで泣くのさ!」
「は?」
ぽたりと、お湯の中に水が落ちる。
それが自分の目から流れ出ていることに気が付くのに、少し時間が掛かった。
この世界に来てから泣いたことはない。
どんな理不尽に晒されても、明日が見えない日々を送っていたとしても。
何故か涙は出なかった。
だと言うのに、何故今なのだろう。
どうしてこのタイミングで涙が零れているのかが全く理解できなかった。
「……なんで、わたしだったんですか?」
「いや、だから助けてって言われたから」
「なら貴方は、助けを求めたエトランゼ全員に手を差し伸べるんです?」
「そんなわけないじゃん。幾らアタシでも全員は無理だよ。たまたま目に留まったことに感謝してよね。雨が降らなきゃあそこの近道だって使わなかったんだから」
「たまたまわたしなんかを助けたんですか? 生き汚くて、興味がない振りをしながら必死で生にしがみ付いている馬鹿な女を!」
それは単なる八当たりだった。
急な大声に少女は身を固くして、一瞬言葉を失う。
心が違う。
この世界で理不尽を受けた自分とは、目の前にいる少女は何もかもが違う。
いいや、それだけではない。
誰かに臆せず手を差し伸べられるその心は、ラニーニャが持っていなかったもの。その屈託のない笑顔ができなくて、ラニーニャは元世界ですらいつも孤立していた。
彼女は、自分が欲しいものを全部持っている。
それに対するつまらない嫉妬を暴発させただけの話だ。
もっとも、それは彼女にとっても関係のない話。
「別に死んでもよかったんですよ! なのに助けを求めたばっかりに馬鹿正直に手を差し伸べて、わたしなんか生きる価値すらなかったのに……!」
「おい!」
少女の、先程までの明るい声とは別人のような低い声が、風呂場の天井に木霊する。
伸びてきた腕をラニーニャは簡単に避けて、態勢を崩したところに逆に腕を伸ばして、相手の身体を湯船に強く叩きつける。
向こうから喧嘩を売ってきたのならそれを買わない理由はない。風呂のお湯に触れると、それにラニーニャの意志が伝わり、何本ものロープのようになって裸のままの彼女の身体に絡み付いた。
手と足を縛って湯船の縁に貼り付けにする。このまま沈めて殺すこともできるが、流石にそこまでするのは気が退けた。
「生きる価値なんてないなんて言うなよ!」
「貴方に何が判るんです?」
「くっ、この水何なんだよ! エッチ!」
「お互い裸同士でエッチも何もないでしょうに。運がよかっただけの女に価値がありますか? 偶然貴方に生かされただけのわたしがどれだけ惨めか、理解できます?」
「全くできない! 別にいいじゃん、運がよかったってさ! エトランゼってのはみんな大変なんだろ? そりゃ、アタシが全員助けてやることなんてできないけどさ……!」
そのまま彼女に背を向けて、出入り口に向けて歩き出す。
ラニーニャの手を離れた水はそれほど時間を立たずに力を失って元の形に戻るが、この屋敷を出る前での間ぐらいは彼女を拘束できる。
「偶然、アタシと出会ったあんたは助けてって言った! だからアタシは助けた。それは立派な価値だろ! そうやって生きたがって、明日の朝日を欲しがってるんだからさ、生きればいいじゃん!」
「……言われなくても生きますよ。貴方の知らないところでね。食事とお風呂、ありがとうございました」
「おい、待て! 待てってば! まだ話が……!」
風呂の扉を閉める。
そうすればこの広い屋敷に彼女の声は届かない。使用人が見つけるより早く家を出ればいいだけの話だ。
手早く服を着替える。今まで来ていた服はなかったが、それよりはまだ温かそうな服が用意されていたので頂戴していく。
そのまま何食わぬ顔で廊下を走り抜けて、誰もいないところを見計らって窓から外に飛び出した。
夜は深く、まだ雨が降っている。
その闇の中に、ラニーニャは一切の躊躇いもなく身を躍らせた。
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