第二節 少年とエトランゼ
その少年は、ウァラゼル達とのやり取りをずっと眺めていたのだろうか。
怯えたような、しかし何処か何かを期待するような顔でこちらを見つめている。
その視線が少しばかりくすぐったくて、何よりもささくれ立った精神を収めてくれそうで、そのまま踵を返そうという気にはなれなかった。
積み重なった瓦礫の上に立つ彼女を見上げる少年は金髪で童顔で、身なりの良い格好をしている。権力者の子供か何かだろうか。
「どうしたんですか?」
務めて平坦に、そう声を掛ける。
少年はまさかこちらから声が掛かるとは思っていなかったのか、一瞬身を固くする。
それから真っ直ぐに瓦礫の上を見上げて、声を発した。
「エトランゼ、ですよね? この街を助けてくれた」
「これを助けたと言うのなら、そうですね」
殺戮を行ったのは、虚界の連中。
街を破壊したのは他ならない自分。
罵倒の言葉に備える。別に、辛くはない。
最早人間であることも手放して怪物となった身だ。今更その程度のことに怒りを覚えることもない。
「……ありがとうございます」
大きく腰を折って少年は頭を下げる。
その行動が意外過ぎて、続く言葉が出てこなかった。
「逃げる時、貴方を見ました。必死で走っていたから殆ど判らなかったかけど、怪物達の群れの前に立って戦うその姿がとても心強くて、何よりも綺麗で……」
「口説いてます? 年下は趣味じゃないんですけど」
「そ、そんな! 僕なんかがエトランゼを口説くなんて!」
顔を真っ赤にして少年は俯いてしまう。
「でも、僕は貴方を見て思ったんです。まるで神様の使徒、御使いの戦乙女見たいだって」
「それはさっき消えてった方ですよ。もっとも、どちらにしてもそれほどありがたみがあるものでもないでしょうけど」
瓦礫の上を軽く飛び越えて、少年の前の前に着地する。
瞬時に目の前に現れた異性に驚いたのか、少年は慌てて後退って距離を取る。それは怯えてると言うよりも、こちらに対して気遣っているようだった。
そんな場違いな対応がおかしくて、自然と笑みが浮かんでしまう。
それを見た少年がまた固まっているのを見て、不思議そうに首を傾げた。
「わたしに何か変なところがありました?」
「い、いえ……。笑った顔があんまり綺麗だったので……。あの、ごめんなさい」
「やっぱり口説いてるでしょう? 後十年経ったら一緒にお茶ぐらいはしてあげますよ」
「そんなことは! 父様から、女の人には優しくろっていつも言われていたので」
「あら、それはご立派なことですね」
少年の視線が一瞬、背後の瓦礫を見る。
すぐに覆い隠された表情から、彼の父がその下にいることを理解してしまった。
虚界に喰われたか、それとも洪水に巻き込まれたか。
どちらにせよ護ってやれなかったことに違いはない。余計な罪悪感を背負ってしまったものだと、ここに残っていてたことを少しだけ後悔した。
「それで、貴方はどうしてここに? 避難民達はもう西の方へ逃げていっているでしょう? 急がないと置いて行かれますよ」
「大丈夫です。他のエトランゼ達に送ってもらう手筈になっているので。その、僕は家に残された物を取りに来たんです」
「残された物?」
「植物の種とか、逃げた先で使える道具とか……。何も持たずに行くよりはそっちの方がいいかと思って」
「あら、それはなかなか慧眼ですね」
民衆は街を滅ぼされ、西へと逃げている。
そこでの生活は詳しくは知らないが、当然楽ではない。食料や物資の問題がいつでもついて回っていると聞いている。
「ありがとうございます!」
「……でも、貴方一人でそれを持って行けるのですか?」
「持てるだけ持って行きます。必要なら往復してでも」
「他の人は?」
「……まだ虚界がいるかも知れない場所には近付きたくないって、誰も付いて来てくれませんでした。でも仕方ないんです。みんな故郷や家族を失って、心も弱っているから」
「そんな言い訳で、誰か一人に頼りきりでいいわけもないでしょうに。どうせそいつらは貴方が持って行ったものを、さも共同財産のように扱うのでしょう?」
少年は答えない。それこそが今の言葉を肯定していた。
今この世界は何もかもが狂っている。こうやって人のために働いたものが不幸になる、そんな世の中だ。
「少年、約束しなさい。ここから持ち帰ったものは全て貴方の財産です。貴方のお父様が家族のために必死で集めた物なんです。だから、それを誰かにただで譲り渡してはいけません。必ず、対価を受け取ってください」
「……対価?」
「はい。物でも、労働力でも、感謝の言葉でも。それは何でもいいから、みんなのためとか言うくだらない言葉で貴方の手の中から何もかもがなくなってしまわないように」
エトランゼ達がこの世界に来た時に辛うじて流通していた通貨は、今や殆ど意味を成していない。
それだけの辛い日々、苦しい時代なのはよく理解している。
それでも、そんな時代に負けるような人々では駄目だ。こんな時だからこそ強く生き抜こうと考えるような者達に、生きてほしい。
無茶な願いだとは理解している。その行為に意味があるのかも判らない。
少年は下手をすれば裏切り者と謗られるかも知れない。
「わたしは嫌なんですよ。自分が不幸だからって誰かに甘えて、何でもかんでもやってもらうようななめくじ人間は」
少年は危険を押してここに来た。
つい先程まで虚界こそいなかったものの、ここにはウァラゼルがいた。あの水月がいなければ間違いなく、少年は戦いに巻き込まれて命を落としていた。
なら彼にはその対価を受け取る資格がある。
さも当然のように、街を追われた仲間だと同情を買うような言葉で彼が命を賭けた結果を奪い取る資格は誰にもない。
「……判りました。できるだけ、やってみます」
「はい。いいお返事ですね。では何を探すのか言ってください。手伝ってあげますよ」
地下から先程と同じように水が噴き出す。
それはウァラゼルに向けられているような敵意ある鋭い刃ではなく、圧縮した流れで重いものすらも軽く動かせるようにした水の塊だった。
「いいんですか? あの、でもその前に」
少年が顔を上げてこちらを見つめる。
真っ直ぐな翠色の瞳が彼よりも少し高いところにあるこちらの目を、はっきりとその中心に捉えていた。
「僕の名前、ディ―ターです。ディ―ター・ユルゲンス。よかったら貴方のお名前も……」
「ラニーニャです。短い付き合いになると思いますが、どうぞよろしく」
そう言って、浅葱色の髪の女性は、戦い続けるには余りにも華奢なその手を少年に向けて差し出すのだった。
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