第六節 拗ねるカナタと魔法少女
ヨハンの家に飛び込んできたカナタは荒れていた。
荒れていたと言っても別になにかを壊したりしたわけではない。誰とも話さずに部屋に飛び込んで、扉を強く閉めてからベッドに飛び込んだだけのことだ。
そのまま俯せになって何も見ないように時を過ごす。
どれぐらいの時間が経ったのかも判らない。
いつの間にか日は沈み、空は暗くなり始めている。
ノックの音がしても無視。
部屋の中に入ってきた誰かのことも、寝たふりをしてやり過ごそうとする。
カナタの寝ているベッドが、もう一人分の重さで沈み込んだ。
それに続いて頭の上に手が乗せられる。
優しく、髪を梳くように撫でる手は温かい。
生きている誰かのその感触は、カナタの中に溜まった濁りを溶かして外へと流してくれているようだった。
「顔を見に来たの」
「見せない」
よく知った、女性にしてはやや低い、不思議な色気を含んだ声。
「いいじゃない。いじけてる貴方も千年ぶりなのよ」
「そう言うの気持ち悪いよ。アリスもボク離れすれば」
「いずれはね。でもそうしたら貴方、寂しいでしょう?」
言いながらも髪は撫でられ続ける。
千年ぶりに再会した親友は、こういう時のカナタにどうすればいいかもよく知っている。
何せ、一番カナタを怒らせてきたのが彼女だ。その原因が例え両者にあったとしても。
そうなった時の宥め方の経験値は一番持っている。
何があったのかを聞きだそうとするわけでもなく、カナタを心配するようなこともせずに。
ただ黙って傍にいる。傍にいて触れてあげる。それが一番効果があるのだと、彼女は知っている。
頭を撫でていた手が背中に滑り、軽く叩く。
リズミカルにそれを繰り返し、気が済んだらまた頭へ。
まるで母親が子供をあやすようなその仕草が心地よかった。
「あの子、私のところに来たのよ?」
その言葉に、枕に埋まっていた顔が横を向く。
開け放した窓からの風に綺麗な金色の髪を流して、アルスノヴァは横向きにベッドに腰かけていた。
「カナタと喧嘩したから、仲直りの方法を教えてくれってね」
「……なんて答えたの?」
「嫌だって言ったら魔法を撃ち込んで何処かに飛んでいったわ。まったく、短気なんだから」
彼女の性格からして、実際はその一言だけには留まらなかったのだろう。
「誰に似たのかしら」などと言ってはいるが、まさしくアルスノヴァ自身によく似ている。
「別に意地悪したわけではないの」
「それは嘘でしょ?」
「判った? でもね、友達との仲直りの方法なんてそれこそ自分で見つけないと意味がないわ。私が苦労したのを簡単に教えるのも癪だし」
「どっちももっと友達作った方がいいよ」
「……さっきから妙に胸に刺さることを言うわね」
「原因はなに?」
「色々」
カナタの素っ気ない答えに、アルスノヴァは特にそれ以上何か言うこともなかった。
きっと彼女はもう判っている。
誰かと喧嘩するということの意味。
大切に想いあう気持ちがすれ違うということは、それだけお互いのことを強く想っているということ。
そして自分はもうそこにはいない。そうやって子供染みた青春を送るには、千年と言う時間は長すぎた。
「でも本当に、方法なんてないのにね」
指が頬を突く。
「もう怒ってもいないでしょう? 許せないのは暴言を吐いた自分自身。そんな形でしか気持ちを伝えられないことがもどかしいのよね」
「アリスうるさい」
「図星」
細くて長い指がカナタの頬を捏ね回す。
「ちょっとは大人になったつもりだったんだよ」
戦いを経験して、色々な人と出会って、別れて。
身体だけではなく、心も成長したと思っていたが、実際は違った。
あんな小さな喧嘩一つ満足に収められないばかりか、自分の感情を一番に爆発させてしまう程度にはカナタは子供だった。
「別にいいでしょう、子供だもの」
「だからやなの」
「困った子」
言いながらもその口調は柔らかい。
咎めるわけでもなく、ただ微笑ましい何かを見るような視線がカナタへと注がれていた。
「……アーデルハイトに謝らないと」
「そうね。あの子は私に似て面倒な子だから、あんまり時間を掛けると拗れそうだし」
「……自覚あるなら治しなよ」
呆れながら、ベッドから状態を起こす。
「謝ってくる。アーデルハイトとシルヴィアに」
「そうね。それがいいわ」
腰かけているアルスノヴァを退けて、床に足を付けて立つ。
「アリス」
「なに?」
「ありがと」
「どういたしまして。貴方を怒らせた回数ならトップランカーですもの」
そんな軽口を背中に聞きながら、カナタは部屋を後にする。
アーデルハイトが何処にいるかは判らないので、まずはシルヴィアに謝るために。
▽
空は既に暗くなりかけているが、学院の研究棟にはまだ多くの学生や教授が残っているらしく、窓からは幾つもの灯りが漏れている。
カナタは真っ直ぐに先程シルヴィアと一緒にいた場所へと向かった。
早足で進み、ドアノブに手を掛けて回すが、内側に重りでも置いてあるのかと思うほどにびくともしない。
顔を上げて扉を見ると、見たこともない光る文様が扉には浮かび上がっていた。
「何か忘れ物でもしたのかしら?」
女性の声がして咄嗟に振り向く。
立っていたのは、白衣を着た年輩の女教授だった。手には書類を持って、不思議そうな顔でカナタを見下ろしている。
「いや、あの……」
「貴方、確かカナタさんでしょう、エトランゼの?」
「え、ボクのこと知ってるんですか?」
「有名人ですもの。学生の大半はエトランゼには興味もないだろうから知らない子の方が多いけど、少し情報通になればね」
「それは、どうも……」
どう反応すればいいのかも判らずに、反射的に頭を下げていた。
女教授はその様子に小さく笑って、カナタが入れなかった扉へと視線を向ける。
「魔法で鍵が掛かっているわね。今日は一緒に遺跡群に向かう予定だったんでしょう? 確か今朝の内にシルヴィアさんが許可を取りに来ていたはずだけど」
それを聞いて、カナタの中で嫌な予感が膨らんでいく。
その話は聞かされてはいないが、ひょっとしたらシルヴィアは今日の夕方からまたあの場所に向かうつもりだったのかも知れない。
そして、カナタがいなくなってもそれを決行しようとした。その理由は判らないが、もし意地になっていたのだとしたらその可能性は充分にありえる。
「今から行くのは感心しないわね。シルヴィアさんに許可は明日も出すから、今日はやめておいてって伝えておいてもらえる?」
「……シルヴィア……」
「どうしたの? なんか、顔色が悪いようだけど」
「シルヴィア、一人で行ったのかも……」
「なんですって?」
女教授の声が強張る。
あの遺跡群にいるゴーレムは、神出鬼没でどれだけの数がいるのかも判らない。
戦いを生業とする者達ですら後れを取る危険性がある場所に、学生が一人で行って無事で帰ってこれる可能性は限りなく低い。
更にシルヴィアの目的はゴーレムの残骸の回収だ。下手に戦いを挑めば返り討ちにあう。
「それは本当なの?」
「わ、判りませんけど……。ボク、今日は昼間に別れてて、それで、ひょっとしたら一人で向かってるかも」
「……だとしたら問題ね。他の教授に話してくるわ。実家の方にも連絡して、戻ってないかも聞いてみないと」
女教授はカナタを咎めることもなく、迅速に行動してくれた。
「貴方は学生でないのだから、今日はもう家に帰りなさい。間違っても一人で探しに行っては駄目よ」
そう言って、女教授は廊下の奥へと消えていく。
彼女が最後に行った言葉は、カナタの耳にはろくに届いていなかった。
すぐさまその場を駆け出して、研究棟を出ていく。
学院の中を一直線に外へと向けて走る。
息を切らせながら、カナタの中で最悪の可能性が浮かんでは消えていく。
急いで向かわなくてはならないが、幾ら全力で走ったところで今からここを出ても目的地に付くのは数時間後だ。シルヴィアが無事な保証は全くない。
「……飛んでいけば」
セレスティアルを全力で展開。
背中側に一対の翼のように広げて、全力で地面を蹴る。
身体がふわりと浮かび、二階建ての建物の上にまで跳躍する。
それでも、稼げる距離は決して大きくはない。光の翼は浮力を得てカナタの身体を浮かばせるが、あくまでも跳躍力を補助する程度のものでしかない。
走るよりは遥かに早いが、距離を考えれば殆ど無意味に等しい。
だからと言って止まることもできず、カナタは夜の街を飛んでいく。
人々の注目が集まるのもお構いなしに何度目かの飛翔を繰り返し、ようやく辿り付いたのはオル・フェーズの城門の外。
あれだけやって、まだ広大な街を出ることしかできなかった。その上、セレスティアルを使った移動の体力消費は普通に走る比ではない。
「急がないと……!」
息を切らせながら再び羽を広げて飛ぼうとしたカナタは、急に身体に力が入らなくなって膝が崩れてしまう。
「あっ……!」
倒れそうになる身体を、背後から誰かが抱きとめる。
ぎりぎりとところでカナタが崩れ落ちるのを止めてくれたのは、それほど身長も変わらない少女だった。
「なにをしているの?」
聞き覚えのある声。
身体に回された両腕を解いて、カナタは彼女と向き合う。
縦にした箒を隣に浮かべたアーデルハイトが、呆れたような顔でカナタを見ていた。
「変わった散歩の仕方をするのね。おかげで見つけやすかったけど」
「アーデルハイト……! 昼間はごめん! でも今はそれどころじゃなくて……!」
「それは見れば判るわ」
箒を横に倒してそこに腰かける。
視線でカナタに後ろに乗るように訴えていた。
「……いいの?」
「ええ。何処に行くかも判らないけれど、その話は空でしましょう。……わたしも、貴方に謝りたくて探していたの」
「……うん!」
強く頷いて後ろに跨ると、アーデルハイトの魔力を受けた箒は空へと舞い上がって行く。
事情を説明すると、アーデルハイトは眉を顰めて額に手を当てる。
「テオアンの近くの遺跡群に? シルヴィアが一人で? やっぱり馬鹿じゃない」
「でも、原因はボクにもあるし! 何より見殺しにはできないよ!」
「ええ、そうでしょうね。なら全力で飛ばすから、しっかり捕まってて!」
急上昇した箒は、方角を定めてその方向に空気を切り裂いて飛んでいく。
夜空のひんやりとした空気が肌を差し、近いところに見える月と星の光が視界一杯に広がる。
その世界は余りにも綺麗で、カナタはアーデルハイトに言おうとした言葉を忘れてしまっていた。
「……色々と、ごめんなさい。わたしも大人げなかったわ」
「ボクもごめん」
それはアーデルハイトも同じだったようで、言いたいことが沢山あったはずなのにお互いに口にできたのはそれだけだった。
だからと言って気まずさはない。言いたいことはその一言だけで全部伝わっている。相互にそう理解できるだけの関係が二人の間にはあった。
「もっと強く掴まって」
「うん!」
二人を乗せた箒は更に高度を上げる。
まるで月夜に舞う妖精のように、その幻想的な空を切り裂いて飛び去って行くのだった。
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