第三節 胸の大きさは関係ない
「薬学研究の手伝い?」
いつものヨハンの執務室で、送られてくる仕事が一段落したところで、アーデルハイトがお茶を運んできてくれた。
それ自体は珍しいことではない。彼女は家にいる時は家事の大半をやってくれるのだが、今日は少しばかり様子が違った。
温かい、いい香りのするお茶を一口含んだところで神妙に切り出された話が冒頭のものだった。
「ええ。学院の必修科目の一つがそれなの」
「まぁ、当然だな。現状魔導師として一番必要とされている技術と言っても過言ではないからな」
回復薬や病気の薬、植物の成長促進剤に魔物避け。果ては皿洗いに使う洗剤など、人々の生活に最も関係のある魔法と言っても過言ではないのが魔法薬だ。
卒業した魔導師が全員研究職や軍人になってしまっては、国は潤うだろうが人々の生活は苦しくなるばかり。魔法学院の運営には税金も使われている。
そのため、薬学は必修となっている。卒業後の進路としても比較的安全で安定していることから人気も高い。
「それがどうかしたか?」
「わたしの薬物調合の実力は知っているでしょう?」
「ああ……」
遠い目をして昔を思い返す。
アーデルハイトは魔法を使うことに関しては特筆した才能を持っている。今となってはアルスノヴァによって造られた命且つ、大魔導師の祖父と言う師がいたのだからそれも当然と言えば当然なのだが。
そんな彼女が唯一できなかったのが薬物調合だ。何故かそれをしようとする度に爆発したり、意味不明な薬ができたり、未知の生き物が生まれたりしている。
その方向に特化したヨハンのギフトを持ってしても解析不可能な奇跡を巻き起こすその手腕は、ある意味では才能とも言えるだろう。
事実祖父の先代ヨハンは矯正しようとしたがどうやっても不可能だと諦め、「これはこれで面白いことになるだろ」と匙を投げていた。それがまさかこんなところで裏目に出るとは思わなかったことだろう。
「手先に気を付けて、一つ一つ適量を慎重に調合しろ」
「やっているわ。これを、どうやって間違えると思うの?」
不機嫌そうに歩み寄ってきたアーデルハイトが、執務机の上に教科書を広げる。
確かにそこに書かれているのは一番初歩的な回復薬の調合方法だ。材料さえあればヨハンだってギフトを使わずに、それこそ目を瞑っていてもできる。
「どうやって間違えたんだ?」
「……自分でもさっぱり。その通りに調合して、煮立たせる段階でちょっと目を放したら……ぼんっ、よ」
「ぼんか」
「ぼん」
こくりと頷く。
「別に教えてやることはできるが、解決にはならないんじゃないのか?」
「問題は単位が取れればいいの。もう座学は終わっているし、後は所定の薬品を調合して教授に渡すだけ。傍であなたが見ていてくれれば失敗のしようもないでしょう?」
「……なるほどな」
「魔法学院の設備やそこに納められてる技術には興味あるでしょう?」
「……まぁ、確かに」
椅子に深く座りなおして考える。
魔法学院にある最新鋭の設備、滅多に見ることができない材料の数々。
それらは非常に魅力的だ。ヨハンが一人で勝手にうろうろすることはできないが、学生であるアーデルハイトが一緒にいれば怪しまれることもない。
「あなたは知的好奇心を満たせる。わたしはあなたと一緒にいれる。お互いに利のある話よ」
「……今なんて?」
「……わたしは単位が取れる」
全く別の言葉のような気もするが、そこをつついても面倒なことにしかならないので無視することにした。
「しかしな。直接的に学外の人間が関わるのは問題なんじゃないのか? それは言ってしまえば他人にやってもらうことになるわけだろうし」
「……ばれなければ大丈夫」
露骨に目を逸らす。
「だいたいにして、同じ学生同士で協力し合うのは平気で、どうして学外の人間だと駄目なのよ。他人に協力されることには変わりないのに」
「学生同士ならお互いの進歩があるからだろうな。俺が協力したら、それこそ誰にも、何にも影響がない」
「わたしの単位が貰える!」
「……そんな考えの奴がいるから、そうなっているんだろう。材料の調達ぐらいなら手伝ってやるが、それ以上は無理だ」
それぐらいならば規則違反にはならないだろう。材料を確保する段階ならば資金や人脈などで個人差も出るだろうし、そこを外部の人間で埋めることは問題なさそうだ。一応、後で確認をしておく必要もあるが。
「……そんなの別に貴方に協力してもらうことではないわ。……どうしても駄目?」
「駄目だ。自分の力で何とかしろ。そもそも、同じ学生に手伝ってもらえるなら話は早いじゃないか」
「わたしが? 他の学生に? ただでさえ友達がいないのに、数ヶ月学院を休学していて急に戻ってきたわたしが?」
「……それはまぁ、すまなかったが。いい機会だ、友達でも作ったらどうだ? いて邪魔になるものじゃないぞ」
「……友達ならいるし」
「学内でだ」
ヨハンのローブの裾を掴んでぶんぶんと縦に振る。
可愛らしい仕草だが、それで絆されてやるわけには行かない。
「人と協力する技術も必要だぞ」
「あなただって人のこと言えるほど人付き合いはしていないでしょうに」
「そんなことはない。失礼な奴だな」
纏わりついてくるアーデルハイトの頭を掴んで引き剥がす。
「例えば誰よ? 同性でね」
「……ヴェスターとは時折飲みに行く。ルー・シンとも会えば話すし、トウヤは俺のことは嫌いなようだが……。後はまぁ、ラウレンツ殿から誘われることもあるな。彼の場合は誰にでもそうだろうが」
「……納得はしたけど、濃いわね」
「そうだな。疲れる」
同性に限ればそんなものだ。異性も含めれば数はもっと増えるが、それを主張してもろくなことにならないのはもう判っている。
「だが、これで判っただろう? 諦めて自分で何とかしろ」
「……むぅ」
不機嫌そうに見上げられても、意見を変えるつもりはない。
「教えられることは教えるが、規則でそう決まってるんだから仕方ないだろう。別に意地悪をしているわけじゃない」
「でも納得がいかないの。他の人の我が儘は聞くのに」
「我が儘の種類にもよると言う話だ」
「……ふん。どうせわたしが巨乳だったら二つ返事で了承しているのでしょう」
「かもな。だが、現状でどうしようもないのだから素直に諦めろ」
「豊胸の薬を作ってやる……」
恨めし気にそんなことを言うが、そんな薬ができるのならば単位は問題ないだろう。
話がいい感じに混戦してきたところで、ノックの音が響く。
ヨハンが返事をすると、十枚程度の手紙を持ったサアヤが不機嫌そうな顔で部屋の中に入ってきた。
「もー、ヨハンさん。お手紙溜め込み過ぎですよ。メールとかがある世界じゃないんですから、しっかり返事書かないと……。アーデルハイトさん、学校はどうしたんですか?」
「丁度いいわ、サアヤ。今だけは許可するから、その特別大きすぎもせず且つ小さくもない脂肪の塊を彼に押しつけて懇願しなさい。わたしの単位のために協力しろって」
「……はぁ?」
「気にするな。それにそんなことをされても無駄だ」
「もっと大きさが必要ってことね……。ならその脂肪は完全な無駄。中途半端にあるぐらいならない方がマシ。つまりわたしの勝ちね」
何故か勝ち誇るアーデルハイト。
疑問符を浮かべながらもサアヤは手紙を渡すために執務机の傍に歩いてくる。
「アーデルハイトさん、性格変わってません? 前はもうちょっとなんていうか、クールなイメージがあったんですけど」
「貴方も一度死ねば判るわ。人生後悔しないように生きようって思えるから」
判るような判らないような。
「蘇生の時のショックで頭が少し変になったのかも知れん」
そう言ってみるが、実際のところはカナタ達と交流することになって変化が訪れただけのことだろう。それ自体は好ましいことで、別段苦言を呈するほどのことではない。
「何でもいいですけど、あんまりヨハンさんを困らせちゃいけませんよ」
「……なんで貴方に上から目線でそんなことを言われなければならないの?」
サアヤがアーデルハイトを見下ろして、斜めに二人の視線が交差する。
仲が悪いわけではないのだが、二人揃うと大抵がこうなる。そうなったら気が済むまでやらせるしかないと判っているので、現実逃避も兼ねてサアヤが持って来た手紙を掴んで差出人を確認した。
いつも通りの貴族達の夜会の招待状に、何やら怪しい商人からの商品カタログ。同じ商人でもハーマンから来ているのは何かの支払い表だろう。
他にもクラウディアからも手紙が来ている。意外とマメなもので、あまりこちらに来れないときは頻繁に手紙を送ってくる。内容は日常のことが大半で、雑談程度のことだ。しかし、それがどうにも微笑ましくて、それなりに楽しみにしている。時間があれば、ヨハンも返事を書いているぐらいだ。
その中に一つ、見覚えのない名前があることに気が付いた。
姓は見覚えのある貴族の名だが、名前はその当主の物ではない。そもそも、その家から手紙が来たこと自体が初めてだし、ヨハンは関わったこともない。
シルヴィア・イェーリング。
代々魔導師を輩出してきた貴族の家柄で、二代目前ぐらいまでは師である先代ヨハンと犬猿の仲だったようだが、今の当主は先代がもう鬼籍に入っていることもあって関わりはない。
しかも、恐らくは名前からしてその娘だろう。全く身に覚えもないが、厄介事なら早急に解決する必要がある。
そう思って便箋を千切り、中から出てきた紙を改める。
「……なんだこれは?」
そこに書かれた内容を見て、ヨハンは絶句した。
▽
ヨハンの下にシルヴィアからの手紙が届いた日の午後。
カナタは再び魔法学院を訪れていた。
誰にも使われていない研究棟の一室で、壊れたゴーレムの残骸を前に仁王立ちするシルヴィアに、カナタは一枚の紙きれを突き付けている。
その内容は請求書。
カナタが破壊したゴーレムの修繕費用として、とてもではないがすぐに支払えるわけもない法外な代金が記されていた。
「これ、どういうこと!」
「人に粗相をしたらその分を返すのは当然のことでしょう? ましてや物として損害が出ている以上、最も誠意のある代償はその代金ですわ」
昨日と同じく制服の上にローブを着た、紫色の髪の少女は常識を語るかのように、カナタの目を見ながらそう答えた。
今日の午前中、タイミングよくヨハンの元を訪れたカナタに対して渡されたのが今手に持っている請求書だった。
何をどうやってカナタとヨハンの繋がりを調べたのかは判らないが、とにかく彼のところに手紙が行っていたのだ。しかも一日で。
事情を説明したところ、ヨハンは立て替えを提案してくれたがそれは断った。かなりの額なので、そこまで甘えるわけには行かない。
そもそも、カナタとしてもこの支払いには文句を付けたいところだ。
「高い! 高すぎるよ!」
「それはそうでしょう。庶民に払える値段とは思っていませんもの。それをこんな無残な姿にした貴方自身の粗暴さを恨みなさい」
「……とにかく、壊したのは悪かったかも知れないけどこれは払えないよ。そんなお金ないもん」
「それで済めば裁判所は要りません! 壊したのですから責任もって支払う、それは当たり前のことですわ!」
「だーかーらー!」
ここでカナタが何を言っても、壊したという事実がある以上は事態は好転しない。
もう一つ取れる作戦としては、ここから逃げて知らんぷりをするということだ。事実、アーデルハイトはそれで誤魔化し続けている。
しかし、カナタとしてはあまりやりたくはない。例え不当だったとしてもカナタが壊してしまった以上、しこりが残る。それは嫌だ。
「……この代金は無理。それに壊さなかったらボクが危ない目にあってたのも事実だし、そこは考慮して」
叫びたいところをぐっとこらえて、そう交渉を持ち掛ける。
カナタが態度を変えたことでシルヴィアも仁王立ちの構えを解いて、近くのテーブルに寄りかかった。
「貴方が今払えるお金は?」
実際のところ、カナタの懐はそれなりに温かい。
冒険者としての生活も板についてきた――と言うよりもセレスティアルを持ったカナタならば大抵の仕事は簡単にこなせるし、先日アルスノヴァに手伝ってもらった大口の仕事の給料もある。
それでも、そこから生活費を抜いた残りの額を全て支払ってもまだ全然足りない。そのぐらいに高価な代物だった。
「……十分の一にもなりませんわね。せめて半額は支払ってもらわないと」
「魔法関係の物って高いんだね」
しみじみと、そんな呟きが出てしまう。
「それはそうでしょう。最新の設備を使った、前人未到の技術の結晶なのですら。市販されている魔法薬や魔除けの道具ならいざ知らず、魔導師が制作する一品物の魔道具の数々は家一件以上の値段が付くこともありますのよ」
「アーデルハイトの箒も?」
「忌々しい名を出さないでくださらない? ですが、彼女の持つあれは単体で安定して空を飛べる非常に優秀な道具。それこそ千金の価値があると言うもの。わたくしも何度も分解させてとねだったのですが、その度に雷が飛んできては追い払われたものですわ」
過去のことを思い返してか、忌々しげに拳を握る。
ひょっとしたらかつてカナタが貰って使ってきた魔法道具も、同じぐらいの価値があるのかも知れない。
ここに来て自分が如何にヨハンに甘やかされていたのか、そして彼が如何に女の人に対して財を惜しみなく投入しているのかがよく判った。
「貴方のその腰に差している剣、それも魔道具でしょう? 相当な値打ちものですが、まさか値段も判らず持っていると?」
言われて、腰に差している鞘から剣を抜く。
縦に掲げた白銀の刃は美しく、刃零れ一つない。
ヨハンの家を出る際に選別に貰ったものだが、確かに軽くて使いやすかった。以前は多用していたのだが、セレスティアルを使いこなせるようになってからは滅多に鞘から抜くこともなくなっていた。
実際、その刀身を見たのは実に一ヶ月ぶりほどになる。
「……それを値段分で下取りしてあげてもよろしくてよ?」
「……いや、これは……」
確かに使わない。むしろもう持ち歩く必要もないものだ。カナタがこれを腰に差している理由の大半は、一目で冒険者と判断してもらうためと言うものだった。武器を持っていなければ、荒事系の依頼は受けさせてもらえないこともある。
だからと言って他人に譲っていいのかと聞かれると、戸惑う。ヨハンから貰った大事な思い出の品なわけだし、本人は気にしないだろうがカナタとしては手放したくはない。
「あんまり……。できれば別の方向で」
「んもう。我が儘ですわね。……お金も無理、物も駄目。でしたら残るは身体で返してもらうしかありませんわ」
「……身体で?」
上から下までシルヴィアの目線が、カナタを値踏みするように眺める。
「あまり強そうではありませんが、わたくしのクリスタ五号を倒すだけの実力はあるようですし。わたくしの実験の手伝いをするというのなら、お金は全部なしにしてあげてましょう」
「本当! じゃあそれで!」
などと、簡単に飛びついてしまう。
法外な代金の分の働きが、ただの労働であるはずもないというのに。
その辺りの判断ができるほど、まだカナタは世間を知っているわけではなかった。もしここに他の大人がいたのならばそんな上手い話はないと、もっと慎重に交渉を進めてくれたことだろう。
「返事をしましたわね?」
にやりと、シルヴィアが笑う。
その笑みは何処からどう見ても善人ではなく、悪女のものだ。
条件も、期間も、何をするかも決めていない契約。
そんなものがまともであるはずがないが、契約は結ばれた。
その恐ろしさをカナタは嫌と言うほど味わうことになる。
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