第二節 御使いではなくおつかい

 カナタが魔法学院を訪れたのは、そんな春も温かな日の数日後のことだった。

「こーいうことするから過保護とか言われるんだと思うよ、ボクは」

 そう一人呟く。

 今いるのは魔法学院の研究棟。石造りの建物で、長い廊下には幾つもの部屋が並んでいる。

 カナタがここに来た理由は一つ。ヨハンからアーデルハイトの様子を見てきてほしいと頼まれたからだった。

 それも別にいいと断ったのに、正式な依頼として報酬も付けてくれた。先程の独り言はそれに対してと、たった数日で様子を見に行かせること両方に対してのものだ。

 学院内には大勢の人がいるが、服装も年齢も比較的バラバラなため、カナタが迷い込んでも違和感はない。時折空中を浮かぶ、中央に光る水晶が入った丸い物体がカナタの前で立ち止まるが、どうやら生徒や教師以外の人物に反応しているらしい。

 最初こそ警報でもならないものかと冷や冷やしていたのだが、立ち止まられること三回。今のところ何かをされることはない。多分だが、危険物などに反応して何かしてくるのだろう。

「……で。アーデルハイト、何処?」

 研究棟にいるとの話は聞いたのだが、そこから先が判らない。何しろ魔法学院はオル・フェーズの一区画を丸々使った施設で、その一部とはいえ研究棟も相当に広い。

 一室一室覗き見ていたら日が暮れてしまう。その前に授業で使っているような部屋もあるのだから、摘まみ出されてしまうだろう。

 実のところ、昼食を一緒に摂ろうと思って昼頃にこちらに来たのだが、今はもう一時間も経過していた。

「まあいいや。次に会った人に適当に――」

 顔を上げて前を向いて、固まる。

 いつの間にかすぐ傍、カナタの進行方向に何かが立っていた。

「……なにこれ?」

 その疑問に答えるものはない。

 カナタの目の前に立っているのは、石のような材質でできた人型の物体だった。人型と言っても完全な人間型ではなく、円柱状の頭部に太い両腕、胴体から下は円錐状になっており、尖った先端が地面擦れ擦れで浮かんでいる。

 身体の至る所に走った光る文様から、それが魔法で動いている何かであることは判る。強いて言うならば、魔装兵によく似ていた。

 大きさは浮かんでいる分を含めてもカナタの身長と同じぐらいで中に人が入っているとは考え辛い。顔の中央にある目のような円い文様が点滅し、そこから音が発せられた。

「ケイコク、ケイコク。タンチゴーレムニヨルチョウサノケッカ、アナタヲシンニュウシャトミナシマス」

「し、侵入者?」

「トクシュナマリョクパターンヲカンチ! トクシュマナリョクパターンヲカンチ! ジッケンダイニスルタメニホカクヲココロミル!」

「捕獲って……!」

 その物体、恐らくはゴーレムの腕が伸びてカナタを捕獲しようとする。

 反射的にセレスティアルを盾にして、それを防御していた。

「ミチノマリョクヲカンチ! ホカク、ホカク、ジッケン、カイボウ、ダイハッケン、タンイ、ソツギョウ!」

 幾つかの単語の中に物騒な声が交じっていた。

「解剖なんてヤダよ!」

 もう片方の手が伸びてきたのを、セレスティアルの剣で弾く。

 そのまま後ろに下がって逃げようとしたところで、目のような部分が急に赤く光り出したことに気が付いた。

「レーザー! ツヨイ!」

「うわぁ!」

 嫌な予感がして身を逸らす。

 そこから放たれた閃光は一瞬のうちに先程までカナタの頭があった場所を通過していった。

「これじゃ逃げられないよ……。あんまり気は進まないけど!」

 背中を向ければあのレーザーにやられる。

 そう判断したカナタの次の行動は早かった。

 一気に踏み込み、伸ばされた手を避ける。

 もう片方の腕で無理矢理取り押さえに掛かるが、その時にはカナタの身体はゴーレムの懐に入り込んでいた。

「だいたいこういう場所が!」

 伸びてきた手を蹴るようにして、身体を上空へと運ぶ。

 飛び越え様にセレスティアルの短剣を、ゴーレムの顔面、赤く光る一つ目のような部位に突き刺した。

 ゴーレムの背後に着地して、後ろを振り返る。

 ゴーレムもまた不自然な仕草でカナタの方を振り返った。

「ナイスファイト。ワガジンセイニイッペンノクイナシ!」

 光が消えて、その場にゴーレムが崩れ落ちる。

「やった……のかな? 騒ぎになってないよね?」

 心配したが、既に時は遅し。

 授業をしていた部屋から、廊下で突然始まった大立ち回りを見ようと多くの生徒達が様子を伺っていた。

 中にはカナタの戦いに感動の声をあげる者もいたが、それよりも気になることが一つあった。

 彼等は何かに怯えるような、カナタに対して同情の目を向けている。確かにゴーレムには襲われたが、無事にこうして倒したというのに。

 その答えはすぐに出た。

 廊下の先から聞こえてきた甲高い声が、盛大に空気を震わせてカナタの耳に届く。

「あー! わたくしの最新型人工知能搭載自立式ゴーレム、クリスタ五号がー!」

 廊下の先に、こちらを指さして誰かが立っている。

 薄紫色の、緩くカールした髪に鋭い眼つき。整った顔立ちだが、何処か人を遠ざけるような高貴さがある。

 白を基調としたロングスカートの制服の上に、黒いローブを纏っている。他にも同じ格好をした人を見かけたので、学院の制服なのだろう。

 彼女はカールした長い髪を不機嫌そうに揺らしながら、カナタの方へと大股で歩み寄ってくる。道中、窓から覗いている生徒を睨み返すと、みんな慌てて授業に戻って行った。

「ちょっと、貴方!」

「は、はい!」

 至近距離で凄まじい剣幕で凄まれて、声が裏返る。

「わたくしのクリスタ五号をどうしてくれるんですの! これ一体を作るのにどれだけの材料と時間が必要だったか――」

「いや、だって、ボク襲われたんだけど!」

「そんな見え透いた嘘を! クリスタ五号は普通の人間には反応しないように作られていますの! ましてや貴方のような……」

 そう言って上から下へと、じろじろとカナタを見つめる。

「随分と品のない格好ですのね。平民であるのは間違いないようですけれど……。ひょっとしてエトランゼ?」

「そ、そうだけど……」

「へぇ。エトランゼですか。近くで見たのは初めてですわね。貴方はどんな芸を持っていらっしゃるの?」

「芸って……。そんなほいほいと見せるもんじゃないよ」

 芸と言われたのには些かの苛立ちはあるが、ここで事を荒立てないぐらいの理性は残っている。できれば話が面倒なことになる前にここから退散したかった。

「ふぅん。まあいいですわ。所詮、魔法に比べれば大したことのないものでしょうから。利便性も、発展性も、魔法には遠く及ばないのでしょうね」

「……はぁ。それじゃあ、ボクはこの辺で」

 なんとなく馬鹿にされているのは判る。踵を返してこの場を去ろうとしたが、歩き出す前に肩をがっしりと掴まれた。

「お待ちなさい! クリスタ五号を壊した罪を償いなさい!」

「罪をって……。だから、そっちが襲ってきたんだって!」

「だーかーらー、そんなはずがないでしょう! クリスタ四号はエトランゼのギフトに反応して襲い掛かり返り討ちになったらしいけれど、五号はその欠点を改良済みですもの」

「……直せてなかったんじゃないの?」

「確かにテストはしていませんが、わたくしがそんな初歩的なミスをするとは考えられません。で、あれば答えは一つ。貴方がクリスタ五号が反応するような怪しい力の持ち主であるということですわね」

「怪しい力って……」

「元々クリスタシリーズは学院に脅威をもたらすような未知の力を発見、捕獲してわたくしの手柄に……こほん、危機を未然に防ぐために作られた防衛用ゴーレムですから」

 倒れたクリスタ五号の残骸を見ながら、カナタは「むー」と唸り声を上げる。

 彼女の言葉を聞くに、クリスタ五号は未知の力に反応する。そしてカナタの力はセレスティアルという、まさにその未知なる力そのものだ。

 そこから導き出される結論は、クリスタ五号がカナタのセレスティアルを感知して攻撃してきたということ。これでも被害者であることに違いはないが、それを説明するのは骨が折れる。

『ロック』

 彼女が何かを唱えると、カナタの両手に光る枷のようなものが嵌められた。そこから伸びた光の紐は、彼女の白い手が握っている。

「え?」

「その顔は何やら思い当たる節があると言うことでしょう? わたくしの研究室で解剖……いいえ、尋問すると致しましょう」

「今解剖って言ったよね!」

「ご安心なさい。わたくしも人体を解剖したことはありませんから、慎重にやって差し上げますわ」

「慎重でも何でも解剖はヤダ!」

 両手を振り回そうとするが、拘束は固く取れる気配はない。こうなったら体当たりでもしてその隙に逃げるしかない。

 覚悟を決めて走りだそうとした時、別方向からやってきた声が二人を呼び止めた。

「なにをしているの、カナタ?」

 聞き覚えのあるコントラルト。カナタが行こうとしていた方向から歩いてきたのは、カナタよりも一回り小さな姿。

「アーデルハイト!」

「学院に何か用事? 先に言ってくれれば案内したのに」

「ヨハンさんに言われてちょっと、様子を見に」

「ああ。彼も心配性ね」

 呆れたように言うが、その表情は何処か嬉しそうだった。

「今から昼食にしようと思っていたのだけど、一緒にどう?」

「うん! ボクもそのつもりだったし」

「それじゃあ行きましょうか」

「ちょっと待ったー!」

 流れ出そのまま立ち去ろうとした二人を、大声が遮る。

 アーデルハイトは立ち止まって、心底嫌そうな顔で、立ちはだかる彼女のことを見上げた。

「……シルヴィア・イェーリング。何の用事?」

「貴方には用事はありませんことよ。ですが、そちらの方はわたくしのクリスタ五号を破壊した罪がありますの。このまま黙って行かせるわけには行きませんわ」

「どうせいつものように誤作動を起こして迷惑を掛けるところだったのでしょう? むしろ尻拭いをしてくれたことを感謝したら?」

「なっ……! 貴方はわたくしを侮辱するのですか、アーデルハイト・クルル!」

「いいえ、助言よ。暴走したクリスタ二号、三号を止めてあげた恩人としてね」

 アーデルハイトが指先で触れると、彼女に掛けられた魔法の錠が砕けて解けた。

 それを見たシルヴィアは、更に機嫌を悪くした様子だった。

「どちらも粉々に破壊した癖に何を偉そうに! しかも、弁償もしていない!」

「泣いて助けを求めていたのは誰だったかしらね」

「ぐっ……。それは……」

「とにかく。貴方のお馬鹿なゴーレムの暴走を止めたことで責任を追及される謂れはないわ。行きましょう。今研究室で……」

 アーデルハイトが何かを言いかけた瞬間。

 爆音が研究棟に響き渡り、強い振動が建物を襲った。

 敵襲かと身構えるカナタの横で、アーデルハイトは罰が悪そうに今来た方向を眺めている。

 吹き飛んだ教室の扉、もうもうと上がる黒煙。

「さ。片付けでもしましょうか」

 有無を言わせずその微妙な空気のなか、カナタはその教室へと引っ張られていくのだった。


 ▽


 黒く焦げた床と天井。ぼろぼろになった机。

 足元に転がるのは割れたガラス製の容器。

 無残に破壊された机の上にあるガラス片を慎重に摘まみながら、床に零れた薬品に別の薬品を振りかけて中和作業をしているアーデルハイトに声を掛ける。

「危ない実験でもしてたの?」

「いいえ。極めて安全な作業よ。教科書に書いてある限りは」

 放り投げられた本が床に落ちる。

 拾い上げて折り目が付いているページを捲ってから、カナタは首を傾げた。

「読めない」

 差し込まれているイラストからするとそれは薬品調合の手順のようだが、何を作るためのものなのかは当然判るはずもない。敢えて言うならばそこに描かれている草には見覚えがあった。

「回復薬。治癒薬やポーションとも呼ばれているわね。知っての通り傷を癒す薬よ」

「あー。だからこれ、見覚えあったんだ」

 冒険者の仕事には、魔導師や薬剤師の調合を手伝うためにこの草を大量に集めてくる仕事がある。基本的に怪我人は絶えないもので、需要がなくなることはなく年中募集を掛けられている仕事だった。

 栽培している農家もあるらしいが、未だに安定して収穫する方法は発見されていないという話も聞いたことがあった。

「これを調合しようとしてたってこと?」

「そう言うこと」

「難しいんだね、調合って」

 アーデルハイトの魔法の実力はカナタがよく知っている。そんな彼女が失敗してしまうほどの難易度と言うならには相当なものなのだろう。改めて、自分も使う回復薬を作る人に感謝の気持ちが生まれる。

「……いいえ。初歩中の初歩よ」

「ひょっとして生き返ったばっかりでまだ体調が悪いとか?」

 心配して彼女の顔を覗くと、ふるふると首を横に振っていた。

「誰しも苦手なことはあるでしょう」

「あー……」

 納得。

「手先が不器用なわけではないのよ。それに分量の計算には自信があるわ。わたしの作る料理の味は知っているでしょう?」

 確かにアーデルハイトの料理は美味しい。家庭的でほっとする味付けだ。それなのでここのところは毎晩ヨハンの家にお邪魔して夕飯を頂いている。

「じゃあなんで?」

「それが判らないから困っているの」

 ふぅ、と溜息を吐いて散らばったゴミを片付ける。部屋の隅に置いてあった箒で掃いて、後始末は無事終了した。

「焦げた場所とか壊れた机とかは?」

「これはいいの。学院の規定で、実験などで破損した学内の備品は向こうが保証してくれることになっているわ。勿論、然るべき理由を述べられればの話だけど。わたし達は学生でありながら研究者よ、それも魔法と言う未だに解明されていない力の探究者。その失敗にいちいちお金を払っていたら、新しい発見も生まれなくなってしまうでしょう?」

 などと、早口で語るアーデルハイト。

 こういう得意分野を語る時に何故か早口になってしまうのは、アリスとよく似ていた。

 そんなことを考えていると、いつの間にか傍に立っていたアーデルハイトの手が頬に伸びてくる。

「痛い! なんで引っ張るの!」

「今、失礼なことを考えていたでしょう」

「考えてないよ! アリスと似てるなぁって思ってただけ」

「無礼の極みね。わたしをあの女と一緒にするなんて」

「命を助けてくれたんだし、少しは仲良くすればいいと思うんだけど」

「感謝はしているわ。造ってくれたことも、命を助けられたこともね。でもそれとこれとは別。なんとなく馬が合わない」

「似た者同士だからかなぁ?」

「……わたしと彼女の何処が似ているって?」

 鋭い眼つきで睨みつけられた。

「そう言うところ」と言って痺れさせられるのが嫌なので、カナタは無言で首を振って誤魔化すことにした。

「そう言えばあの子は何者? やっぱりゴーレム壊したのは不味かったかな?」

 片付けも一段落したので、近くにあった椅子を引き寄せて腰かけながら尋ねてみる。

「シルヴィア・イェーリング。貴族の子女で魔法学院の生徒ね。イェーリング家は貴族であり同時に魔導師の名門とされているわ。継承戦争の際にも、ヘルフリートはその有用性を鑑みてイェーリング家の資産には手を付けなかったらしいし」

「……はぇ」

「なによその気の抜けた返事は。結論から言えば気にする必要はないわね。あのゴーレムが暴走した結果なのでしょう? 怪我をする方が問題よ」

「アーデルハイトも壊したって聞いたけど?」

「ええ。同じように暴走したゴーレムをね。泣きながら助けを求めてきたくせに壊したら何も壊すことはなかったなんて言ってきたの。それから、会うたびにそのことを引き合いに出してきて、鬱陶しいったらないわ」

「壊しちゃったボクが言うのも何だけどさ。アーデルハイトなら壊さないで止められたんじゃないの?」

「ええ、まぁそうね」

「だから頼られたんじゃ……」

「――ああ、なるほど。でもその時は虫の居所が悪かったから……。そもそもあの人と再会したり貴方と会うまでは常に不機嫌だったし」

 ぽんと手を打つ。

「……はぁ」

「なによ、その露骨な溜息は」

 ジト目でカナタを睨んでから、アーデルハイトは何処からともなく箒を取り出して、廊下に向けて歩いてから、カナタに向かって手招きした。

「片付けも終わったし、行きましょう」

「何処に?」

「回復薬の材料を取りに。最初に学院から支給される分を使いきると、後は自腹で集めないといけないの」

「売ってないの?」

「売ってるけどお金が勿体ないでしょう」

「……なんでこんな時に主婦力を……」

「主婦だなんて照れるわ」

 全く照れてなさそうにそう言って、廊下の窓を開けた。

「さ」

 箒に腰かける。

「ボク、ご飯食べてないんだよね」

「今日の晩御飯は山菜にしましょうか。そろそろ春だから顔を見せ始めるころでしょう」

「いや、お昼ご飯の話。アーデルハイトもさっきまで食べるつもりだったのに」

「上手く調合が終わっていたらね。失敗したらまずはその補填をしないと」

「ボクのお昼ご飯がなくなるのとは関係ない……」

 窓枠に足を掛けて、箒の後ろに跨る。

 アーデルハイトはカナタの指摘を聞くつもりは全くないようだったが、そんな不満も久々の空の旅の前ではいつの間にか消え去っていた。

 それから数時間後。回復薬の材料と大量の山菜を採った二人は無事にオル・フェーズに帰還するのだった。

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