第六節 御使いの行方

 波の音に潮の香り、そして活気ある人々の声。

 ハーフェンの港は今日も、いや以前にも増してその盛況振りに磨きが掛かっていた。

 なんと言っても港の一つを譲り受けたエトランゼは斬新な手法で次々と諸外国へと商売の手を広げているし、古き良きハーフェンの商売をするユルゲンス商会もまた大盛況だ。

 表で景気の良い声で客引きが行われ、金が飛び交い品物が売れる。

 当然、そんなやり取りの裏側で活躍する男達もいる。船の操縦や護衛、それだけでなく荷運びなども立派な仕事の内だ。

「これは何処に置けばいい?」

「ああ、そっちに頼む!」

 声を掛けられた男は浅黒い肌をした巨漢で、両肩に木箱を軽々と担いで運んでいる途中だった。

 そんな彼に声を掛けられた細面に白い肌、大凡港町で働くには似つかわしくない男は、周りで働く同業者達の視線を集めていた。

 叩けば折れてしまいそうな身体でありながら、彼はその大男以上の数の荷物を悠々と運んでいるのだ。

 指定された位置にそれを降ろすと、背後から先程の大男が声を掛けてくる。

「お前さん、さっきから注目の的だぜ?」

「くだらん。俺を見るよりも自分の仕事をした方が幾らか建設的だ。下働きのやることなど、消えはしないのだからな」

「その下働きが言うことかねぇ。まあいいや。今日のところはもう上がっていいぞ」

「本当か? あっちに残っている分はどうする?」

 白い男、光炎のアレクサ改めただのアレクサは不機嫌そうに停泊している船を指さす。

「あっちはおれ達がやっとくよ。今日はもう充分働いたろ。おれにも格好付けさせてくれよ」

「……そう言うものか。やはり度し難いな、お前達は」

 アレクサの無礼な物言いも全く気にした様子もなく、大男は懐から金の入った袋を取り出してその前にぶら下げる。

「ほら、こいつはおれからのボーナスだ。酒でも飲んで帰りな」

「受け取る理由がないな」

「だから、格好付けさせてくれって。訳ありでただ働きなんだろ? たまには遊ばねえと頭が腐っちまうぞ?」

「ふんっ。余計なお世話だが、貴様のそのちっぽけなプライドに敬意を表して受け取ってやる」

 ぶっきらぼうな仕草で袋を受け取り、中身を確認することもなく懐にしまい込む。

 アレクサの格好はいつもの法衣ではなく、動きやすそうな軽装だった。この街に来て二週間ほどになるが、あの法衣を着ることは一度もなかった。

「何やっちまったのかは知らんが、おれはお前を結構気に入ってんだよ。やっかみもあるみたいだけどな」

「知らん。他者に嫉妬することしかできない愚か者など目にも入らんからな。……まぁ、だが俺もこの仕事は嫌いではない」

「はっはっはっ。そりゃよかった。明日からも頼むぜ!」

 遠くから親方と彼を呼ぶ声がして大男はその場を去って行く。

 アレクサは一度懐に入れたその袋の感触を確かめてから、帰り道に付くために歩きだした。

 住処にしている住宅街に行くための近道である路地裏を歩いていると、見知った姿を見かけて立ち止まる。

 その男はまるでアレクサが来るのを判っていたかのように、そこに立っていた。いや、現実に彼はアレクサをここで待っていたのだろう。

 アレクサが着ていたものによく似ている、白い法衣。

 彼の髪も肌も白く、目は閉じられたまま。

 整った顔立ちは、いつも涼しげな顔をしている。

 千年前から、彼が表情を崩したところをアレクサは見たことがない。

 完璧な御使い。そう称されるに足る人物だった。

「リーヴラか。俺を消しに来たのか?」

 そんなはずがないと判っていても、その疑問を口にするしかなかった。

 最早御使いとしての力を失った身。そのアレクサの前に同じ御使いであるリーヴラが現れる理由など、そのぐらいしか思い浮かばなかった。

「いいえ」

 アレクサの疑問を、リーヴラは首を横に振って否定する。

「貴方がどのような生き方をしようと私は干渉しない。判っていたことでしょう?」

「そうだな。……だが、丁度良かった。別にこのまま墓まで持って行ってもよかったのだが、聞きたいことがある」

「なんでしょうか?」

「俺を利用したのか? 禁忌の地を荒らした人間を仕留めさせ、その周囲を封鎖させることで本来の目的から人間共の目を逸らさせる。そしてお前は――まんまと本命を手に入れる」

「はい。その通りです」

 あっさりと、リーヴラはそれを肯定する。

 だからと言ってアレクサに何かができるわけでもない。彼我の力の差は最早圧倒的であるし、何よりも怒りの感情すらも沸いてこない。

「手に入れたものは虚界の力だろう? 何故、お前がそれを必要とする? あれは忌むべき侵略者の力、それを手に入れてまで成すべきことが……」

 そこまで言って、アレクサは我に帰る。

 言葉を切り、静かに首を振った。

「……馬鹿な話だ。俺が今更それを知ったところで意味はないのにな」

「ええ、ですが意味を作ることはできる。御使い、光炎のアレクサ。私の手を取るつもりはありませんか?」

「なんだと? セレスティアルを失った俺がか?」

「力を得る方法などは幾らでも。私の悲願のために、今は一人でも多くの協力者が必要なのです」

「……はっ」

 この男は何をしでかそうというのだろうか。

 世界を秩序を護り、それを正すための存在である御使いが、力を集めることの意味。

 天上にある者達の侵略は、人の信仰を壊してしまうだろう。それは千年前に簒奪したこの世界を手放すのと同じこと。

 だが、同時に興味もある。

 千年前に成し得なかったこと。不完全に終わってしまった何かを正常な形に戻そうというのならば。

 確かに、それには御使いである光炎のアレクサが協力する理由にはなるかも知れない。

 ――だが。

「断る。実のところ、俺は今の生活が気に入っている。まるで人間だったころのようだ」

「……ええ。貴方ならそう答えるであろうとは思っていました。何しろ、御使いになった貴方は何をするにも、つまらなさそうでしたから」

「かも知れんな。後悔しているつもりもないが……」

 光炎のアレクサが人間になる前。

 昇華を受けて人の身を捨てる前のことは、今でも記憶の中にしっかりと残っている。

 父や母、兄弟と一緒に暮らしていた、貧しくも温かな日々のことだ。

「……なぁ、リーヴラ。俺達は、何だ?」

 人を裁く者。

 神の代行者にして絶対なる天の光の執行者。

 強大な力を持っても決して満たされることはなく、脅威に対抗することもできず、何よりも人と共に歩むことも叶わない。

 それは果たして、世界に必要とされているのだろうか。

「私はその回答を出すつもりです」

「……そうか。だったら、答えが出たら教えてくれ」

「はい。それでは……。アレクサ、息災に。善き人生を」

 音もなく、リーヴラの姿が消える。

 それを見送ってからアレクサは、何事もなかったかのように帰路についた。

 道は分かたれた。もうあの男は止まらない。

 これから先この大陸に何が起ころうが、アレクサが止められるものではない。だから、今日や明日を精一杯生きるだけだ。

 御使いではなく、人で在ったあの頃の日々のように。

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