第五節 保護者と親友の事情

 ヨハンの邸宅、食堂。

 この家を利用する者は多いが、基本的にそれぞれの生活時間がバラバラなこともあって、基本的に食事は各部屋で取ることが日常となっている。しかし、今日のように稀に家に人数がいる時は一階の広い食堂を利用することもあった。

 一日を一緒に過ごしたカナタとアルスノヴァ。

 それから夕飯の支度をしてくれたアーデルハイトにアレクサに対する諸々の手続きを終えて戻ってきたヨハン。

 昼間のうちはクラウディアも一緒にいたようだが、どうやら彼女は用事があって家に帰って行ったらしい。ちなみにクラウディアもオル・フェーズに来ている時はよくこの家に泊まっている。

 ここにサアヤが加わることも多いのだが、今日はエレオノーラの方で仕事が立て込んでいるので城に泊まることになっていた。

 十人掛けの大きなテーブルの片隅で、カナタとアルスノヴァが隣に座り、その向かいにヨハンとアーデルハイトが着席してる。

 目の前に並んだ皿に盛られた美味しそうな夕食にもロクに手を付けず、互いに顔を見合わせてヨハンとアルスノヴァは剣呑な空気で話をしていた。

「何故、俺の許可を取らずにアレクサに接触した?」

 ヨハンが怒っている時の硬い声色に、反射的にカナタが謝ってしまいそうなところをアルスノヴァが視線で制する。

「別に私が何をしようと貴方に許しを得る必要はないと思うけれど?」

「そうだとしても、お前とアレクサの接触が大きな事件に発展することも充分にありえる。その辺りはよく考えて行動してほしかったものだな」

「単独でもアレクサを制することができると考えて、判断したうえでの行動よ? 何か問題があるのかしら?」

「勝手なことは慎んでほしいと言うことだ。特に、カナタを連れてのな。別にお前一人が何処で何をしていようと止めはしなしい、止められものでもないが、そいつは別だ」

「カナタが自分の所有物だとでも?」

「そう言うことじゃない。先日のギルドでの仕事の件もこちらに話が入ってきているぞ。あまり派手なことをやらかさないで欲しい。結果としてはよかったのかも知れないが……」

「甘やかすなと言うこと?」

「そうだ」

「無理ね。それに、この子を甘やかしている具合なら貴方だって相当だと思うけど? 婚約者を放置して一人で飛んできたと話を聞いたけど」

「それはお前が勝手なことをしたからだろう」

「他にも色々話は入って来てるわよ。ギルドからの仕事を斡旋したり、魔道具も使わせてあげたり」

「この世界での生き方を学ばせるためだ。一から全部やってやるようなお前のやり方とは違う」

「別に何でもかんでもやってあげるわけではないわ。傍で見守っていて、手伝いをしてあげているだけ」

「それだって、お前ほどの力の持ち主がやれば影響が大きすぎる。友人として仲良くするのは止めないが、干渉は適度に抑えるべきだ」

「つまり、自分が甘やかしたいから勝手なことをするなと?」

「なにをどう聞いていたらそうなる!」

 強い口調になるヨハンと、あくまでも冷静に言葉を流すアルスノヴァ。

 対照的な二人の会話をハラハラしながら聞いているカナタに、アーデルハイトが小さく声を掛けた。

「それで、貴方のパパとお婆ちゃんが喧嘩しているけどどんな心境?」

「いや、二人とも言ってることが難しくてよく判んないけど、これってボクが怒られているの?」

「違うわ。子供には関係ない話よ。適当に隙を見て逃げだしてもいい程度にはね」

「アーデルハイト。誰がお婆ちゃんだって?」

 テーブルの上に置かれたサラダにフォークを突き立てながら、アルスノヴァがアーデルハイトを睨む。

 アルスノヴァをそのまま幼くしたような顔立ちのアーデルハイトは、改めて二人を見比べるとよく似ている。カナタが以前、彼女をアリスと似ていると感じたのもあながち間違いではなかったようだ。

「貴方のことだけど?」

「いい? 貴方は私の遺伝子を使って造られた、つまりは私の娘のようなものであって、私は貴方の創造主。敬う態度を見せたらどうなの?」

「敬えるような人格ならね。今のところの私の貴方の印象はあちこちに喧嘩を売り歩く、拗らせ厄介お婆ちゃんと言ったところよ」

「なっ……! エイ……じゃなくてヨハン! 貴方、この子をどんな教育してきたの!」

「いや、そこで俺を槍玉にあげられても困る。そもそもアデルを育てたのは俺じゃなくて先代だ」

 あちこちに喧嘩を売るのはアーデルハイトも変わらない。そう思ったのだが、カナタは黙っておくことにした。彼女は売るだけではなく、買うのにも全力だ。

「……とにかく、あまりカナタに過保護過ぎるのはどうかと思うと。そう言う話だ」

「……そう言う話? アレクサがどうのって話だった気が」

 アーデルハイトの突っ込みは、何故か二人に無視された。

「貴方が過保護をやめたら、考えないでもないわ」

「俺は別に過保護であったつもりはないし、甘やかしてもいない」

「ええそうね。カナタに限った話ではないわ。この人は女の人には誰にでも甘いわよ、お婆ちゃん?」

 無視されたことへの反撃か、嫌味な口調でそう言って、アーデルハイトが席を立つ。

 二人は激しくも無駄な議論をしていたので全く食事に手を付けていなかったが、それを環境音にして黙々と食べ続けていたカナタとアーデルハイトはもうすっかり食べ終えていた。

 小走りでカナタの下に来て、アーデルハイトはその手を掴む。

「子供は子供同士で過ごすとしましょう? 後片付けは夕飯の支度をしたありがたみも理解できない人達にやってもらえばいいわ」

 手を引かれて、カナタは席を立つ。

「え、うん。ご馳走様」

「貴方達も、お喋りは適当に終わらせてちゃんと食べなさいよ。もうすっかり冷めちゃってるんだから」

 不機嫌そうにアーデルハイトがそう言うと、二人は会話をやめて食事に手を付け始める。

「貴方達二人が顔を突き合わせての食事は、さぞ居心地がよさそうね」

 食堂の扉を潜る直前に、後ろを振り返ってそう言い残す。

 部屋を出て扉を閉めてから、カナタはマジマジトアーデルハイトの顔を見つめた。

「なに?」

「いや。やっぱりアーデルハイトもアリスに似てるなぁって」

「……改めて本人を見てからそう言われるとショックが大きいわ」

 カナタのその一言は、友人に何かを決意させたようだった。


 ▽


 その日の夜も深まった時間。

 ヨハンはアルスノヴァに半ば無理矢理連れられて、アルゴータ渓谷にあるダンジョンまでやってきていた。

 彼女を先頭に無言で歩き続け辿り付いた先は、以前ダンジョンに出没した化け物を討伐した剥き出しの洞窟部分。

 地下水脈にも繋がっている土でできた地面にあるのは、その時の化け物の中から出てきた少女を埋葬した簡単な墓だった。

 別段その少女に何か思ったことがあるわけではない。それでもその場に野晒しにしておくのも心が痛み、あの日の帰り際に作ったものだった。

 盛り上がった土の上には機械の残骸が置かれ、その中でも形の整っていたものが墓標となっていた。

 天上や壁から生える光る鉱石に淡く照らされた暗闇の中で、アルスノヴァがその墓標に指で触れる。

 彼女の細い指先が動くのに合わせて、そこに文字が刻まれていった。

「ロイネ……。彼女の名前か?」

「ええ。カナタからここの話を聞いて、ひょっとしたらと思ったのだけど……。この子を倒したのも貴方達なのでしょう?」

「ああ、そうだな。……関係者か?」

 ヨハンの質問にアルスノヴァが首肯する。

「そいつを殺したのは俺だ。俺を見て、一瞬敵意を薄れさせた。その隙に撃ち抜いた」

 その独白を受けても、アルスノヴァは表情を変えることはない。

 彼女の中にある感情が怒りには見えなかったが、何かを悲しんでいるようには思えた。

「虚界の使者との戦いが苛烈になるにつれて、ギフトを持つ兵隊の数は足りなくなっていったわ。世界に現れるエトランゼの数は多くても、その全員が使い物になるわけではないから」

 全員が戦いを望むわけでもなければ、勇敢な兵士でもない。

 昨日まで平穏に生きていた者達に、幾ら特異な力が目覚めたからと言って急に戦えと言う方が無理な話だ。

「だから私達は彼等から能力を貰って、別の人に植え付ける方法を考えた。でも、なかなか上手くいかなくてね。唯一成功の兆しがあったのが同時に研究が続けられていた人工生命体に移植する方法だったの。理由は今でもよく判らないけれど、多分まだ何にも触れていないまっさらな魂だからなのかしらね」

「彼女はそうだったのか?」

「ええ。数少ない成功体。とは言え結局はコストや倫理的な問題もあって、計画自体は凍結されて消えてしまったけどね。……でも、それなりに大きな結果にはなったわ」

 アルスノヴァは以前言っていた。

 アーデルハイトもまたそうであると。

 そこにこのロイネで培われた技術が使われていることは明白だった。

「ギフト自体も不完全でね。移植前のものとは全く違う力が発現したわ。その辺りの理屈も、結局のところは解き明かせず仕舞いだった。私達は神様の力を自らの物にしようとして、失敗したの」

 自嘲するようにそう言ってから、切れ長の目がヨハンを見た。

「でも本当に、何も覚えていないのね。……まぁ、殆どは私の所為なのだけど」

「……俺は、以前お前と一緒にあったものなのか?」

「ええ。私を救い、導いてくれた人。そして最後は私に裏切られた。貴方の名はエイス。この世界の神と同じ名を持つ者」

「……エイス……」

 父神エイス・イーリーネ。

 それこそがこの世界を創った神の名前。

 地の底より這い出る悪魔達を御使いと共に倒し、天へと還った世界の救済者。

 少なくともエイスナハルの聖典ではそう語られている。

「私は貴方の力を奪って紅い月を創った。そして貴方はそこから脱出して、恐らくは転移魔法が暴走して時間すらも越えてしまったのでしょう。後は貴方が知っての通り」

「神の如き力を持つエトランゼか。笑えない話だ。最強と持て囃された力が、本当に神の力だったなんて」

「貴方の力の源流はこの世界を創造した神の力。その本質は恐らく創造」

 近付いてきたアルスノヴァの指が、ヨハンの胸を突いた。

「あらゆる法則を無視して、世界を造り替える力よ。貴方の道具作成のギフトもそれの応用。自らの法則を狭い範囲、小さな影響で駆使することができる。記憶と力を失って、呪いによって力が出せなくなった貴方にはその程度がお似合いだったということかしらね」

「……そうか」

 世界を造り替える神の力。

 それは魔法と呼べないほどの強大な力によって執行されるもの。

 それがスケールダウンしたものが、自らの境界でのみ行使される法則を無視する力になったということだろう。

「例え力の規模が小さくなったとしても、貴方が与えた灯で世界が変わっていくことに変わりはない。因果なものよね」

 指を離して、アルスノヴァが笑う。

 馬鹿にするような笑みは、恐らくヨハンとアルスノヴァ本人に向けられたものだろう。

「私が憎い? エゴで貴方から色々なものを奪い、終息する世界を許さなかった私が?」

 彼女は裁かれるのを待っているのだろうか。

 カナタを助けるために、あらゆるものを犠牲にした自分が。

 その所為で余計な苦しみをエトランゼに味合わせることになったアルスノヴァは、魔女と呼ばれても仕方がないほどの行いをしたのかも知れない。

 そして今もなお、そのエゴを隠さない。彼女は世界のことよりも、一人の少女を優先してその強大な力を振るうつもりでいる。

 それが正義であるか悪であるかなどはヨハンにも判らなかった。

 何よりも、ヨハン自身もまた正義ではないのだから。

「俺はお前を恨まない。別段、怒りもない」

「身勝手を許すと?」

「許すも許さないも、その権利は俺にはない。俺は今のこの世界しか記憶がないし、それしか知らないんだ。そうなるように仕向けたのお前なら、どちらかと言えばそれは」

 感謝している。

 そう告げた時のアルスノヴァの顔は見物だった。是非、カナタにも見せてやりたいぐらいには。

「貴方も、カナタも本当に馬鹿ね」

「否定はしないが。お前も人のことは言えないだろうに」

 今ここにある世界が嫌いではない。

 これからどんな道を歩んでいくのかは判らないし、未だに安定しているとも言い難いが。

 むしろ世界が平穏であることなど、何処に行ってもありはしないのだから。

「お人好し」

 白い手が伸びて、ヨハンの頬に触れる。

 一瞬驚いたが、それはすぐに安心に変わる。

 魔人と名乗っていても、やはり彼女は人だった。

 小さく震えている手は、変わらずに温かい。他の誰かと同じように。

「お互い様だ」

「私のギフト以外の魔法の数々も、全部貴方に教えてもらったものなのよ。貴方は地上に降りて、この世界の人達がよりよく生きられるようにと自分の力を分け与えた」

 神の力を、超常的な奇跡を人に扱えるようにまで縮小した力。

 それが魔法。純魔力をスケールダウンしたその力こそが、後に長い時間を経てこの世界を形作っていく。

 千年の未来の後に、エトランゼが現れても彼等が特別になり過ぎないようにと。

「それはまた、我ながら面倒なことをした。これからは魔法が誰にでも使えるような技術になるようにしていく必要があるな」

「もうなりつつあるわよ。あの研究所で開発されてるもの、見た?」

「見てはいないが、話は聞いている。アツキにあって来たんだろう?」

 いつの間にか手は離れて、アルスノヴァはロイネの墓標の前にいる。

 ヨハンもそれに習い、その墓の前で祈るような仕草をした。

 記憶の中には彼女のことはないが、それでもきっとかつての自分に関係があったのだろう。だからきっとアルスノヴァはここにヨハンを連れてきた。

「私の言いつけを護って、ずっとここを守護し続けたのね」

「……彼女は何者だったんだ?」

「予想は付くでしょう? このダンジョン……かつては大規模な研究所で、居住施設だったこの場所を護らせていたの。エトランゼが消えて、私が身を隠しても彼女はその命令を護り続けていた。この奥にある僅かに残ったエネルギーを使い続けてね」

 初めにダンジョンに踏み入れた時、僅かにその場所が動いていたのはそう言うことなのだろう。

 何らかの方法でロイネは力を経て、ここを護り続けていた。千年以上もの長い間。

「気に病む必要はないわ。彼女が恨むとした、半分は私だから」

「半分は俺なんだろう? それを気に病むなと言うのは無理がある」

「ええ、知ってるわ」

 そんな憎まれ口を叩いて、最後に一度だけ膝をついてその墓標を撫でてから、アルスノヴァは出口に向かって歩き出す。

「また来ましょう。今度はお花を持って」

「……そうだな」

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