第四節 漁村の御使い

 光炎のアレクサ。

 そう名乗った御使いが生きているかも知れないと話を聞いたのはその日の午後のことだった。

 アツキのところから帰宅した二人を出迎えたのは、そのことを慌ててヨハンに報告に来た兵士が帰るところだった。

 嫌に顔色が悪いことを心配して、カナタが声を掛けて、疑問に思ったアルスノヴァが無理矢理話を聞きだした。

 そのことに付いて機密にも等しい話を簡単に漏らしてしまった彼に非があるかと問われれば難しいところだろう。アルスノヴァに凄まれて、黙秘を続けることができるかと問われればそれは難しい。何せ美人は迫力があるし、物理的な圧力もある。

 とにかく、ヨハンが対策を立てて向かってくる前に、カナタとアルスノヴァの二人は先行して目撃情報のあった漁村にやってきていた。

 御使いは強くて、どのような行動原理を持っているか未だに判明していない。特に光炎のアレクサは強力な砲撃を得意としていた。彼が暴れ出せば、被害は甚大になるだろう。

 慎重に対応するヨハンの行動は間違ってはいないが、その間に誰かが犠牲になったらと思うと我慢できなかった。

 ハーフェンの南にある漁村は街道こそ引かれているが、決して大きな発展があるわけではなく、鄙びたという表現がよく似合う小さな村だった。

 海岸の傍にある桟橋には小舟程度の大きさの漁船が幾つも繋いであり、木造りの建物が並んでいる。

「……長閑だね」

 村の入り口に足を踏み入れたカナタは、思わずそう言った。

 魚が入った籠を持って往来する主婦。

 取れたての魚を売買するために交渉する商人。

 走り回る子供。

 その村のどの部分を切り取っても、御使いがいるとはとても考えられない平和な日常を謳歌していた。

「間違いだったとか?」

「……かも知れないけど」

 油断は禁物である。

 表情を引き締めたまま村に入ろうとするカナタの肩に、アルスノヴァの手が置かれる。

「そんな顔して入ったんじゃ、村人が怯えるわ。そんなに心配しなくても、アレクサ程度なら私が一人で何とかしてあげる」

「知り合いなの?」

「知り合いと言うほどではないけれど……。昔からの顔見知りね。さして強力な御使いではなかったと記憶してるから、戦いになっても大丈夫よ」

 改めてそう言われると、彼女が歩んできた月日の重さを実感する。

 その一言でカナタも大分気持ちが楽になったのか、まずは周囲の人に話を聞いてみるだけの余裕を確保することができた。

「冒険者の人? 今は仕事を依頼をしてはいなかったと思うけど」

 珍しい来訪者を不思議に思ったのか、近くを歩いていた女性がそう声を掛けてくる。

「ちょっと人を探してて」

「人探し? 余所から来る理由は一つしか思い浮かばないわね」

 頬に手を当てて、困った顔で女性が言った。

 それ以上どう尋ねたらいいのかカナタが迷っていると、一軒の家から勢いよく子供が飛び出してくる。

 三人の視線が偶然そこで交わり、その後に続いて顔を出した人物を見て、カナタとアルスノヴァは固まった。

「おい! 出ていくのはいいが暗くなる前に戻って来い! それから、村の外には出るなよ! 魔物の活性化はまだ完全に収まっては……」

 どうやらその人物もすぐに視線に気が付いたようで、目を細めてカナタとアルスノヴァの方を見る。

 喋っていた女性はその相互の態度を見て何かを察したのか、そそくさとその場を離れて行った。

 白い髪に白い肌。美しいが何処か彫刻のようで人間味のない顔立ち。

 白い法衣を着たその男には見覚えがある。あの日、あの船の上で激闘を繰り広げた相手だ。

 今はもう危険ではないのかも知れない。そう思っていても、身体が身構えてしまう。

 心臓が高鳴って、足が震える。

 光炎のアレクサ。

 人の遥かに超えた存在である御使いの一人は、カナタとそれからその横に立つアルスノヴァを見て意外そうに声をあげた。

「魔人か? また奇妙な組み合わせもあったものだ。お前達がここに来ると言うことは俺に用事だろう? 入れ、今は家には誰もいないからな。話をするなら人目がない方がいい」

 言われるままに、アレクサが出てきた一軒の家の中に入る。

 木造の家は決して広くはなく、簡単な台所と寝床があるだけといった風だった。

 その奥、木の床の上に敷かれた布の上にアレクサはどっかりと腰を下ろした。

「茶でも出すか?」

「……いらないよ」

「そうか。さて、お前達がここに来たということは、俺の命もここまでと言うことか?」

 笑いながらそんなことを口にする。

「仕方ないさ。俺が今生きてるのは奇跡のようなものだ。あの時オブシディアンの弾丸を撃ち込まれ、海に沈んだ時は死を覚悟した。別段、拾った命に執着しようとは思えん。さあ、改めて仇を討つチャンスだぞ?」

 言いながら、片腕を伸ばして胸の辺りを無防備に見せる。

 そこにセレスティアルの刃を突き立てれば、本当にアレクサは死んでしまうだろう。

 たったそれだけのことで仇が討てる。カナタの恩人であるベアトリスを殺した目の前の男に、報いを受けさせることができる。

 アルスノヴァは何も言わない。きっと彼女はカナタがアレクサを殺しても、黙ってそれを見届けるだろう。

 相手は御使いで、彼の所為で多くの人が死んだ。

 人間をまるでゴミのように焼き払った神の使徒。あのイグナシオの同類。

「どうした? あの女海賊の仇を討たないのか? 奴を殺したのは俺だ。仇を討って、お前も、あいつも報われるんじゃないのか?」

 ――既にカナタの答えは出ている。

「殺さないよ」

 迷う必要もない。

 その言葉をアレクサは意外に思ったのか、目を見開いて驚いた顔つきになる。

 すぐに元の表情に戻し、座ったまま、立ち尽くすカナタ達を見上げた。

「ほう。何故だ?」

「貴方が暴れていたら、倒してたと思う。でも今は大人しくしてるから」

「もう暴れられないさ。お前達が撃ち込んだ毒の所為でセレスティアルを失った。今の俺が全力で暴れたところで、簡単に取り押さえられるだろうな。ましてや」

 視線がアルスノヴァを見る。

「千年ぶりだな、魔人。お前も俺を殺すに足る理由があると思うが?」

 アルスノヴァは答えない。アレクサもその態度で何かを察したのか、そのことに付いてそれ以上追及することはなかった。

「仇の件は? あの海賊のことは吹っ切れたのか?」

「……吹っ切れても忘れてもないよ。でも、ボクが本当に望んでいないのにそんなことをしても、きっと怒られるだけだから」

「……そうじゃないだろう。そんなはずはない。人間はもっと愚かで、目先の感情に囚われる生き物のはずだ! だから御使いが必要だ。俺達が正しく導いてやらなければならないはずなのに!」

 アレクサが激昂する。

 アルスノヴァはすぐに対応してカナタを庇うようにその前に立ったが、それを制して前に踏み出す。

「俺が憎くないのか? 復讐したくないのか? そう言うものだろう、人間は!」

「……憎いかも知れないし、ボクの中の何処に、多分怒ってる部分もあるんだと思う」

 アレクサが何を言っても、カナタの手に光は宿らない。

 もし、カナタが心底にアレクサを憎み、考える間もなく殺していたのならば彼女は何も言わないだろうが、事実カナタは迷っている。無抵抗の彼を害することに躊躇いがあるのならば、それはやるべきではない。

 例えどんな理由があろうとも、誰も傷つかいのならばそれに越したことはないのだから。

「……でも、そう言うのはなんか嫌だ」

 ここでアレクサを殺して、ベアトリスの仇を討って、晴れ晴れした気持ちになれるかと問われれば、それはまた別の話だ。

 彼女は望むがままに生きて、思うがままに戦って、その果てに海で負けて散った。

 誰が殺したとか、誰に殺されたとかの問題ではない。きっと彼女は満足していたのだろう。

 だから、別にいい。カナタの中ではそれで決着がついているだけのことだ。

 相手が話をしてくれるならばそれでお互いを知る。仇を取ることよりも、カナタにとってはそのことの方が何倍も大事なことだった。

「……貴様にセレスティアルが宿るか。皮肉なものだな」

 感心したようにアレクサは床に視線を落とす。

「……じゃあ、帰ろっか?」

「なに?」「え?」

 カナタの言葉に、アレクサとアルスノヴァが同時に声をあげる。

 間抜けな表情になった二人の視線が同時にカナタへと向けられた。

「帰るの? 今来たばかりなのに?」

「だって、ボクは村に危険がないかどうか見に来ただけだし、危なくないなら別にアレクサと話すこともないもん」

「いや、待て! 待て待て! わざわざ来ておいてなんだその対応は! 俺は御使いだぞ、光炎のアレクサだぞ!」

「そもそも貴方はどちらかと言えば穏健派だったと思うけど? 戦う力もそれほどではなかったはずだし」

「ぐっ……。それはまぁ、確かにそうだ。ならば俺から質問させろ。貴様等が俺を倒したことで封じられていた『虚界』がこの世界に再び蘇っただろう? その所為で今も大陸の魔力の流れが狂ってしまっている。だが、それは別にいい。俺が気になるのはその虚界がどうなったかだ」

「どうって……。倒したよ、多分」

「……なんだと?」

 カナタが自分が覚えている限りの経緯を説明する。

 蘇った虚界の王はエレオノーラの中に巣食い、その『声』のギフトを使って自分の怒りを世界に轟かせようとしたが、そのまま敗北して消滅したと。そして、そこにはイグナシオが関わっていたことも。

「……なんたる間抜けな話だ。もし奴が地下にでも潜って完全復活を待っていたのなら今度こそ人間共は滅びていただろうに。だが、イグナシオが関わっていたのならば納得もいく。奴はろくに計画性もなく、思いついたことをしでかすイカれ女だからな」

 驚きを隠せないのか、早口で一息に言いきってから、アレクサは深く息を吸い込んだ。

「だが、イグナシオまで倒れているのは驚きだったぞ。奴を倒せる人間がいることもな。大した奴だ」

 死者のこととはいえ、素直にアレクサがエトランゼを褒めると言うのは驚きだった。もっとも、イブキ本人はそれを聞いても嫌そうな顔をするだけであろうが。

「と言うことはイグナシオもウァラゼルも倒れたということか。あの狂った姉妹がいなければ、大分世界も平和になるだろうよ」

「嫌いなの、あの二人のこと?」

「実際に戦ったのなら、奴等が嫌われて然るべきだと言うのは判ると思うが? それとも、それすらも判断できないほど頭の中はお花畑なのか?」

 確かに、どちらの精神性も正常とは言い難かったが、カナタとして御使いの中にもそう言った感情があること自体が驚きだった。

「俺は秩序を重んじる御使いだ。そもそも人間共にしても、禁忌を破らなけば別段殺す理由もない」

「……じゃあ、どうしてあの時は……?」

「先にそれを犯したのは人間だぞ。禁忌の地と呼ばれる島に侵入し、あろうことかそれを掘り返したのだからな。そこに眠っていたのがあの虚界の王の肉体だ。俺は馬鹿者共を片付けて、それから奴を探す算段だったが」

 カナタを指さす。

「お前等に邪魔されたというわけだ。つまり、お前達は自分で奴等を暴れさせる手伝いをしていたんだよ」

「それは、そっちが攻撃してきたから」

「悪いが、いちいち人間の区別を付けていない。あの時は禁忌の地に近い人間を無差別に攻撃して、二度と立ち入らせない状況を作ることが先決だった。……この話は議論していても仕方がないことだろう。続けるか?」

 カナタは首を振る。

 アレクサの話を聞けば悪いのはカナタ達と言うことになるが、何の説明もせずに攻撃してきた方にも問題がある。

 この話を続けても、建設的な答えに辿り付くとは考えにくかった。仮に誰かがアレクサの行動を咎め裁くとしても、それはカナタではない。

「見た目よりも賢いな。今ので俺にも聞きたいことができた。人間、禁忌の地を掘り返そうとした愚か者、その奥にいたのは誰だ?」

 カナタとアルスノヴァはお互いに目を合わせて、首を傾げる。

 カナタはその事実を知らないし、最近この辺りに来たアルスノヴァに当時の情勢が判るはずもない。

 二人の代わりに答えを出したのは、背後から聞こえてきた声だった。

「ヘルフリートだ。その時のこの国の王」

「ほう。愚かな人間もいたものだ。果たして何処でそれを知ったのか」

 いつの間にか扉が開いている。

 外の光に目を眇めながら見ると、ローブを着た、よく見知った人影がそこに立っていた。

「ヨハンさん!」

「勝手なことをしてくれたな。おかげで対策を打つ暇もなかったが……。どうやら俺が想像してたよりも状況は悪くないらしい」

 抵抗する様子も見せないアレクサに、ヨハンは武器を構えることもなく、カナタとアルスノヴァの前に立つ。

「さっきも説明したが、抵抗する気もセレスティアルもない。捕らえたければ捕らえろ。殺したければ殺せ」

「生憎だが、急いできたのでその準備もない」

「ふんっ、そうか。それで、ヘルフリートとやらは何処でそれを知った?」

「……黎明のリーヴラからだろうな」

「なんだと?」

 アレクサの表情が変わる。

 座ったまま、アレクサは驚いたような顔でヨハンを睨みつけた。

「黎明のリーヴラ? 奴が何故そんなことをする必要がある? ましてや、その話を統合すればリーヴラがイグナシオを手を組んだということだろう? ありえない。奴等ほどに噛みあわぬ存在もないだろうさ」

「何故、そう言い切れる?」

「千年前、虚界の連中と戦っている時から奴等がお互いに疎みあっていたからさ。いや、正確には敵味方を巻き込んで殺戮の嵐を巻き起こすウァラゼルと、それを庇うイグナシオをだがな」

「ウァラゼルが倒れたことでその理由が消えたという可能性は?」

「……ゼロではないが、ありえないだろうな。黎明のリーヴラは俺と同じ、人間共に秩序を与えるのを目的としている。それが虚界の王を呼び覚ますなど……」

「だが、事実だ。ヘルフリートの裏にはリーヴラがいた。そして虚界の封印を解いたのはヘルフリートだ」

「――まぁ、俺も偉そうに語って見せたが」

 立ち上がりかけた身体を、再びアレクサは床に降ろす。

「俺も奴の全てを知ってるわけじゃない。千年経って考えが変わることもあるだろうさ」

「つまり、お前もリーヴラの目的は判らないと?」

「昔の通りだとすれば、人間達に秩序を与えて、護り導くことだ。魔人、その辺りはお前でも判っているとだろう?」

 カナタとヨハンがアルスノヴァを見る。

「そうね。確かに彼は御使いの中でも穏健派だった。最後に行われたエトランゼへの粛清も反対し、参加しなかったはず」

「……そうか。判った」

「それで、お前はどうする?」

「なにがだ?」

「俺を殺さないのか?」

「セレスティアルは使えないんだろう? お前はその身でリーヴラにでも付くつもりか?」

「いいや。奴が何をしようとしているのかは知らんが、俺には関係ないことだろうからな。俺の役目は禁忌の地を護ること。その意味もなくなった」

「なら、これからはどうする?」

「もし生きられるなら適当に、何とかするさ。口で言っても信用されないかも知れないが、暴れるつもりもない。お前達人間に敗れた時点で、俺はもう意味を失ったからな」

「意味を失った?」

「俺達はお前達を裁き、導き、守護する者。それがどうだ? 護るべき対象に、裁くべき相手に敗北している。その時点でもう、俺が御使いである意味はないのさ。いや、ひょっとしたら千年前にもう既に……」

 言いかけて、アレクサは止める。

 それを言ってもどうしようもないと判っていたからだろう。

「そうか。なら殺す必要もない」

「……甘いな、貴様達は」

 座ったままのリーヴラに、ヨハンは懐から一枚の紙を持ち出して投げつける。

 彼は空中に舞うそれを器用に指で掴んで、目の前に運んだ。

 そして上から下まで眺めてから、抗議の声をあげる。

「なんだこれは?」

「ちょうどオル・フェーズに来ていた俺の身内が煩くてな。アレクサがいるなら殺す前にこれを突き付けて払わせろと、殴り書いて叩きつけていった」

「なにそれ?」

 カナタはヨハンに尋ねたのだが、リーヴラがその紙を差し出してくる。

「……読めない」

 カナタより高いところからアルスノヴァが覗き見て、内容を説明してくれた。

 曰く、アレクサが現れて戦ったことで被った被害を弁償しろとのことで、相当な額がそこには書かれている。

「ふざけるな! だいたい、どうして俺がそんなことをしなければならない! 禁忌の地に入り込んだのはこの国の指導者の所為なのだから、そいつが払えばいいだろう!」

「ヘルフリートは死んだし、今の国が払う理由はない。それにやらかした張本人がここにいるわけだしな」

「俺が金を持っていると思うか?」

「いいや。だから当分はただ働きと言うことになるな。だが、俺も義理でこれを持って来たが厄介事の種を撒きたくはない。お前の身柄がエイスナハルにでも護送しようと思っていたんだが」

「今さっき自分で御使いを否定したところだぞ、俺は! まあいい、俺にもプライドがある。その程度の額は働きで返してやろうじゃないか!」

「……面倒事の種は嫌だと言ったが、俺は」

「俺の決定に口を出すな。こうなった以上、俺もこの世界に生きる名も無き命だ。その自由を邪魔する権利はないだろう」

 そうまで強硬に出られて、ヨハンはこれ以上何かを言うことはやめたようだった。

 呆れた顔で、これからのことをアレクサに説明し始める。

 その中にはアレクサが御使いの情報を提供する代わりに、ヨハンが交渉して幾らか借金を減額するという内容もあった。

 カナタとアルスノヴァはもう自分達の出る幕ではないと、家の外に出ていく。

 日の光の下に出ると、周りに大勢の人影があって、二人は咄嗟に警戒する。

 しかし、どうやら敵意はないようで、むしろ何処か心配そうな顔で家の中の様子を伺っているようだった。

「兄ちゃんはどうなっちまうんだ? なんか訳ありだとは聞いてたが、犯罪者ってわけじゃねえんだべ?」

 どう言っていいか判らずに、困っていると、アルスノヴァが代わりに説明してくれる。

「そうね。彼が語った通り話せない訳はあるけど、害されるようなことはなさそうよ」

「そっか。よかったべ。口は悪いしぶっきらぼうだけど、悪人じゃなさそうだったからよ」

「そうそう。よせばいいのに助けられっぱなしでいられるかぁって言って村の仕事を無理矢理手伝おうとしたりな」

「でも妙に手際よかったわよねぇ。偉いお坊さんなんでしょう? そんなこと何処で習ったのかしら?」

 そんなことを村人達は口々に言っている。

「御使いは人間が昇華によって変わった姿。彼も人だったころは、そう言うことをしていた時期があったのかも知れないわね。私達がお互いに無邪気に遊んでた時のように」

 小声で、アルスノヴァが言った。

「貴方に負けたことで彼は御使いではなくなった。人間、アレクサはそう言う生き方をする人なのかもね」

 御使いではなくなった。

 彼はそう言った。

 それはあくまでも生き方的なもので、アレクサが人を超えた力を持っていることに変わりはない。

 それでも、彼が人間に交じることを決めた時、その表情は生き生きしているようにも思えた。

 これはカナタの想像でしかないが、ひょっとしたら懐かしかったのかも知れない。

 かつて自分にあって、もう戻れない日々。人間であった頃の自分が。

 御使いとして高圧的に振る舞っていたことも、人を見下し続けたことすらも、その裏返しだとするならば。

 御使いとはいったい何なのだろう。何のために御使いであり続けるのだろうか。

 胸中の疑問に答えを出すだけの知識も理解も、カナタにはない。

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