第三節 天弓のアルスノヴァ

 その翌日、カナタはオル・フェーズから更に北にある山の麓にある施設を訪れていた。

 目の前に聳えるのはこの場所が城であるかと見まごうほどの大きな門。両開きの巨大な扉に護られたその先にはオルタリアの魔導研究施設がある。

 カナタの姿を見かけた二人の衛兵は大慌てで門を開けて中へと招き入れてくれた。

「なかなか気分がいいわね」

 衛兵達に会釈をしてそこを通る時に、隣を歩くアルスノヴァがカナタにしか聞こえない声で言った。

「気まずいよ。こんな扱いされるほどじゃないのに」

「全部貴方がやったことの結果よ。功績を受け止めるのにはプレッシャーが付き物だけど、それもまた自分の行いとして受け止めなさい」

 そんなことを言われても、未だにカナタとしては自分がそこまで大層なことをやった自覚などないのだから受け止めようもない。

 門を潜ると扉が閉まり、二階建ての建造物が視界一杯に広がった。

 この研究施設は中央に穴が開いた円状をしており、その中心は中庭となっているらしい。他にも四方に均等な距離を保って建てられた塔や地下など、その広さは一日で回りきれないほどだった。

 その入り口、石造りの道が引かれた先の扉で、見覚えのある人物が手を振ってカナタ達を出迎えてくれている。

 癖毛に、太った体系のその男の名前はアツキ。少し前にカナタとは縁があった男で、継承戦争でも活躍したようだった。

「やー、来たでござるなカナタちゃん! それで、今日は何の用でござる? はっ、いやいや、みなまで言わなくてもいいでござるよ。拙者も男でござる、女の子に恥をかかせるわけにはいかないでござるからね」

 勝手に一人で喋りはじめて、勝手になにやら納得している。

 カナタが口を挟む間もなく、腕を組んでうんうんと頷いてからアツキは更に言葉を続けた。

「拙者に会いに来た。これ即ち目まぐるしい日々の中で気付いたのでござろう? 本当に自分が大切な者は誰か? そう、それはあの日二人で共に激闘を戦い抜き、お互いに命を預け合った特別な仲。拙者は今でも覚えているでござる、カナタちゃんを護り最終決戦に挑む際に渡してくれた師匠の形見であるこのペンダント……」

 アツキの長い言葉の途中に、みしりと嫌な音がした。

 アルスノヴァの足元の石に罅が入っていた。

 それは一瞬でアツキの元へと伸びていって、彼の身体が即座に上から重りを乗せられたかのように地面に叩きつけられる。

「ふぎゅぁ! 何をするでござるか! はっ、ひょっとして拙者とカナタちゃんの仲に嫉妬したんでござるね! 心配しなくても拙者はハーレム展開も行けるでござる。むしろいっそラブコメはハーレムのままゴールすればいいと思ってるでござる。痛い痛い痛い、骨が潰れるでござる!」

「私の嫌いなものを二つ教えてあげる。一つは貴方のように会話のテンポも判らずに一方的に話し続ける鬱陶しいオタク。もう一つは複数のヒロインに囲まれてグダグダと誰も選べないで右往左往する優柔不断な主人公よ」

「あぎゃーー! でも読者のニーズに応えるにはそうするしかぁ! だいたいメインヒロインは人気で言うと二番手か三番手になるしぃ!」

「それを可愛く書ききるのが作者の技量ってものでしょう!」

「アリス! わけわかんないことで喧嘩しないでよ!」

 カナタが咎めると、ぱっとアツキに掛けられていた重力が消える。

 息を切らせながら立ち上がり、着ていた白衣の埃を払うとアツキは改めて二人に向き直った。

「いや、死ぬかと思ったでござる」

「ごめんね」

「カナタちゃんの所為ではないでござるよ。それにローアングルから覗くカナタちゃんの太ももにも一見の価値ありでしたからな」

「アリス。潰して」

 またも虫のように地面に這いつくばり、アツキは悲鳴を上げる。

 今度は下から見られないように距離を取って、カナタは呆れた顔でそれを見下ろした。

「……それはセクハラだよ」

「ぬぐおぉぉぉぉ! 可愛い女の子とクールビューティーに見下されるのは貴重な経験でござるが、このままでは拙者の身体の骨が持たないでござる!」

「大丈夫よ。骨の前に血管が千切れて出血で死ぬから」

「ぜんっぜん大丈夫じゃないでござる! 反省したので許してほしいでござる!」

 アルスノヴァがカナタの顔を見る。

 頷き返すと、指を小さく動かしてアツキに掛かった重力を解除した。

「はふぅ。助かったでござる」

「それで、カナタ。貴方本当にこの男とのロマンスがあったの? もしそうなのだとしたら一度の過ちは許すから、ここですっぱり縁を切りなさい」

「ないよそんなの! 前ちょっと敵だったり味方だったりしただけだし。今日あったのだって随分久しぶりだからね」

「そう。ならよかったわ。やはり一度私がいない間の貴方の交友関係を洗いだす必要があるわね」

「……アリスはボクの何なの?」

 ジト目で見られても何処吹く風で、アルスノヴァは思案を巡らせている。

「それで、今日は拙者に……。いやいや、まずはそちらのクールビューティーを紹介してほしいでござる。もしかしてこの人がカナタちゃんのお師匠でござるか?」

「もしそうだとしたら貴方の妄想の中で私、死んでたわよね?」

「この子はアリス。えっと、ボクの友達」

「親友よ。間違いないで」

「うん、親友」

「ほぉーう。ふむふむ。つまり二人は親友同士でお互いにその距離は近付き、アリスちゃんが……なんでぇ!」

 アツキの身体が今度は浮かんで、玄関前の柱に押しつけられる。今度は先程よりも力は掛かっていないようだったが、だからと言ってもがいて抜け出せるほどでもない。

「アルスノヴァよ」

「は、はい。アルス姉様。でも今のはちょっと理不尽だと思うでござる」

 力が消えて、アツキが柱の傍にへたり込む。

 それでも負けじと立ち上がって話を続けてくれる辺りやはり相当に頑丈でいい人だった。

「ちょっとカナタちゃんの親友、凶暴過ぎではござらんか?」

「アリスは人と喋るの苦手だから」

「口より先に手を動かすとはよく言ったものでしょう」

「そう言う問題ではないと思うでござる。いや、まぁ、それでアルス姉様がカナタちゃんの親友なのは判ったでござるが、なんで今日は二人でここに?」

「この子が用事があったからよ。私は付き添い」

「別に来なくてもいいって言ったんだけど」

「いいじゃない。どうせやることもないのだし、貴方に万が一のことがないとも限らないのだから」

 言いながら、アルスノヴァはカナタの髪の毛を軽く撫でる。

「百合の花の香りがするでござる。いや、それはともかくとして折角お客人として来てくれたのでござるから、お茶でも出しましょう。ささ、中へ中へ」

「え、でも忙しくないの?」

「はっはっは。それに付いてもちょっと愚痴らせてほしいでござるよ。もし時間があればの話ではござるが」

「ボクは大丈夫だよ。それじゃあ、久しぶりにアツキさんとも話したいし」

「うーん。カナタちゃんはやっぱりいい子でござるなぁ」

「何を今更。カナタはいい子で可愛くて、可愛いのよ」

 最後にアルスノヴァが言った一言には誰も返答することはなく、アツキに連れられて一同は建物の中へと進んで行った。


 ▽


 流石研究施設と言うだけあって、廊下には幾つもの部屋があり、そこかしこに白衣やローブを着た人達が往来している。

 下の方からは低い唸るような音が時折響き、上では魔法の研究か爆発音が聞こえてくる。

 窓から覗く部屋の中には研究器具や見たこともない装置などが大量にあったのだが、カナタ達が通されたのその中では意外にも普通過ぎる応接室だった。

 椅子に座ったまま待つこと数分で、三人分のお茶を煎れたアツキが戻ってくる。

 目の前にあるテーブルには何かの資料が乱雑に散らばっていた。やはり研究者が多いだけあって片付けなどには無頓着なのだろうかと、勝手な感想を抱く。

 アルスノヴァはそれを手に取って一通り眺めてから、テーブルの上に放り投げた。流石の彼女とは言え専門的な内容は理解できなかったのか、特にコメントはない。勿論、カナタも一瞬だけ盗み見たが何のことやらさっぱりだった。

 戻ってきたアツキはお茶の並べて、その資料に気付くと、片付けて脇に避ける。

「ささ、ぐいっと」

「怪しい薬とか持ってないでしょうね?」

「拙者を何だと思ってるでござるか!」

 どうやらそれは冗談だったようで、アルスノヴァは小さく笑ってからカップに入った紅茶に口を付ける。

 カナタも習ってそうする。普段サアヤやアーデルハイトの煎れてくれる美味しいお茶に慣れてしまっているため多少の物足りなさはあったが、それでも身体は温まる。

「それで、今日は何の御用で?」

「それなんだけど、グレンさんに会ったから。そのことを知らせておこうと思って」

「……おぉ、なんと」

 もっと諸手を上げて喜ぶかと思ったら、意外にもアツキの反応は簡素なものだった。

「いや、本当によかったでござる。拙者もそれには心を痛めていたでござるからね。夜も八時間しか眠れず、食事も一日三回しか喉を通らなかったでござる」

「全然気にしてないじゃん」

「はっはっは! 男同士の友情などそんなものでござるよ。戦場で別れるのもまた友の習わし。次に会うのは戦いの荒野でってやつでござる」

 言っている意味は全く理解できないが、そんなものなのかとカナタは納得する。

「いや、しかし。うん、よかったでござる」

 椅子に深く腰掛けて、思わずアツキから零れた感嘆の声。

 それはいつもの彼の喧しさからはほど遠く静かなものだったが、そこに込められた思いはカナタに充分に伝わった。

「えっと。用件って言えばそれだけなんだけど」

「なんと! ではカナタちゃんはわざわざそれを伝えるためのメッセンジャーガールとしてここに来てくれたわけでござるな? つまりそれは拙者に対する愛! いやいや、拙者とカナタちゃんでは年の差が離れすぎているでござるけど愛があれば別にいいかなぁとか思ったり思わなかったりして……。はい、アルス姉様おやめください。そろそろ死んでしまいます」

「だったらまずはその低俗な冗談をやめることね。まったく、オタクってこれだから」

「なんとぉ! 拙者を馬鹿にするのは別に如何オタクを十把一絡げで馬鹿にするのは許さんでござる!」

「だいたい一緒でしょう。汚くて、社会的協調性もなくて、口を開けば自分の話ばかり」

「オタクの何を知ってるでござるか!」

「知りたくもないわ」

 取り敢えずこの建物に来てからの数分で判ったのは、アルスノヴァとアツキ、この二人の相性がありえないぐらいに悪いのではないかと言うことだった。

「何でござるか! どうせテレビのニュースとか、ネットの悪辣な記事を見てオタクを毛嫌いしてるのでござろう! アルス姉様のように見た目美人で友達も多かったであろうリア充にはどうせ理解できないでござるよ!」

 カナタの知っている限り一番色々と拗らせている相手にとんでもない言葉を放つアツキだった。

 当然、それに本人が気付くことはない。ただ、カナタの横でアルスノヴァから得体の知れない冷気が発せられているのが伝わってくる。

「友達? リア充? それはどちらも私が嫌いな言葉よ。どうやら潰されて粉々にされたいみたいね」

「や、やるでござるか! でも拙者は紳士故に女性には手を上げないでござる! 無抵抗の相手をいたぶれるのでござるか!」

 以前アツキに攻撃されたことも捕まえられたこともあるのだが、取り敢えず今はそれは言わない方がいいだろう。

「ええ。潰すわ」

「酷い!」

「アリス! 喧嘩しちゃ駄目!」

「……ええ」

 カナタの一声で腰を浮かしかけた姿勢から、すぐに座りなおす。

「きょ、凶悪過ぎるでござる……」

「ごめんね、アリスが」

「……ふん。別にリア充じゃなくても、友達がいなくてもいいわよ。私にはカナタがいるのだから」

「だからそれは重いって」

 その一言に胸を抉られて、一先ずアルスノヴァは静かになった。子供のような拗ねた顔でこちらを見ているが、それは無視して大丈夫だろう。

「いや、拙者も舞い上がり過ぎたでござる。男所帯の暮らしに女の子二人は刺激が強すぎたでござるな。ほら、窓からは血走った眼でこっちを睨む研究者達が見えるでござろう?」

 言われて視線を向ければ、言葉通り窓から興味深そうに応接室の中を覗いている人影が幾つか見えた。流石に気付かれてからそれを続けられる強者はいないのか、そそくさと離れて行く。

「そう言えば、アツキさんは何でここに?」

「はっはっは。拙者こう見えても大学時代は理工系でござったからな。ルーたんに話して上手いところ技術系の研究職に回してもらったのでござるよ。ルーたんはご存じですかな?」

「喋ったことはないけど、あの顔が怖い人だよね?」

「そうでござる。顔に似合わず冗談好きで話の判る男なので機会があったら話してみるといいでござるよ」

「う、うん。そうしてみる」

「大丈夫? 貴方、人見知りなところあるでしょう?」

「余計なお世話だよ」

「はっはっは。アルス姉様は本当にカナタちゃんの姉上か母上のようでござるなぁ」

 などと言って朗らかに笑う。

 カナタとしてもあまり余計なことを心配されても面倒なだけなのだが。何せカナタを助けるためだけに千年の旅路に身を投じたという事実を知っているから、それほど邪険にもできなかった。

「いや、しかし……。アルスノヴァとはまた因果な名前でござるな」

 アツキの一言に、二人は同時に身を固くする。

 アルスノヴァが先日の事件を引き起こした魔人であるということは、一部の者達しか知らないはずだった。

 しかし、ひょっとしたらアツキは何らかの手段でその情報を得ているのかも知れない。もしそうならば彼がアルスノヴァに抱いている感情は計り知れない。

 エトランゼに二度目の生を与えたことに対する感謝か、それとも命を玩ばれたことに対しての怒りか。

 アルスノヴァも同じ意見のようで、何かに感付かれたことを心配するように表情を硬くしている。

「……どういうこと?」

「失敬。別段大した話ではござらんよ。実に個人的なことでござる」

「……個人的な?」

「はい。こんなところで語る話でもないのですがな。拙者の短い恋の相手とでも言うべきか……。その人物の名前がアルスノヴァと言ったのでござるよ」

「恋の相手?」

 そんな話は全く知らなかった。

 失礼だとは思うが、そもそもアツキが色恋沙汰に縁があるとは思っていなかったし、何より名前の一致なんて偶然が過ぎる。

「それに見た目もよく似ているでござる。金髪で、髪は伸ばしていたでござるが」

 まさかと思って、アルスノヴァを見る。

 アツキがカナタが来るより前にこの世界に来ていたとしたら、ひょっとしたら何処かでアルスノヴァと出会っていた可能性もある。

 もし違うのならすぐに否定するアルスノヴァは、神妙な表情でアツキを見ている。

 これはひょっとしたら本当にそうなのかも知れない。そう言えば先程から冗談交じりとは言えお互いに挑発と攻撃を応酬する姿は見ようによっては親しい間柄を想像させる。

「彼女は拙者の心を掴んで離さず、しかし傍にいてくれたのはたった二年だけ。まるで嵐のように心を掻き乱して去って行ってしまった」

 過去の美しい記憶を思い起こすように、アツキが語る。

 アルスノヴァは黙ってそれを聞き入れていた。

「……素敵な人だったの?」

「そうでござる。強くて、格好良くて、優しくて、貧乳を気にしてるけどそれがまた可愛くて……。拙者の嫁でござった」

「お嫁さん……」

 まさかそこまでの仲になっているとは思わなかった。ならばそれを失ってしまった悲しみは想像を絶するものなのだろう。

 ひょっとしたら、アツキの普段のふざけた態度も、その悲しみから目を逸らしてのことなのかも知れない。

 いい加減辟易していた彼のふざけ癖も、許せるような気がしてきた。

 美しい思い出に浸るアツキだったが、それを冷たい声が引き裂く。

「別に貴方のお嫁さんではないでしょう」

「ちょっと、アリス!」

 果たしてどういった意図があっての言葉か。もしアルスノヴァ本人でなかったとしても、その言葉は酷すぎる。

「よ、嫁でござるよ!」

「嘘おっしゃい。貴方みたいな人はシーズンごとにお嫁さんが変わるのよね? ……軽く見積もっても一年で四、五人は入れ替わっているはずよ」

「い、いや、それは確かにそうかも知れんでござるが……。好きだったのは事実でござる! グッズも買ったし、公式資料集だって……」

「漫画の初回盤は? それについて来たドラマCDまでしっかり聞いた?」

「……いや、それは……。だって、あれは余計な男の声が交じってるから……」

「そう。それこそが問題よ」

 びしりと、アルスノヴァが指を突き付ける。

 カナタは何のことか判らず、事の推移を見守ることしかできなかった。

「ちゃんと彼女には想い人がいるでしょう? 最終回でもしっかり結ばれたし。私が嫌いなオタクはね、そうやって男性キャラクターをさもいないものとして扱う類のオタクよ。それでは作品を真に愛して楽しんでいるとは言えないわね」

「ど、どう楽しむかは読者の自由でござる! それに、余計な男を出したから読者から反発されて人気が下がって、最終的には打ち切りになったのではないでござらんか!」

「ええ、知ってるわよ。気持ち悪いオタクが抗議文を送ったのだってね。いい年した男が、みっともない。そもそもあれは少女漫画。貴方達が手を触れていい文化ではないの」

「楽しむのは自由でござる!」

「私は考えたわ。千年考えた。どうしてあの名作が打ち切りになったのか。そして結論が出たの。あれはやっぱり編集部との折り合いの悪さに加えて、最悪のタイミングでのオタク共の抗議の所為よ。でも打ち切りながらエンディングは見事だったわ」

「あの二ページの結婚式が?」

「潰されたいの?」

「すぐ暴力に訴える! そもそも、気取ってるけどさっきから話を聞いてれば、アルス姉様も立派なオタクではござらんか! どうせその名前も天弓のアルスノヴァから取ったのでござろう? 異世界に来たからって違う自分になろうだなんて拙者より痛いでござる! 生ける黒歴史ではござらんか!」

「うっ……!」

 訳の分からない口論はそこで終わったらしい。アツキの言葉の意味はよく判らないが、アルスノヴァは何やら胸を抑えて苦しそうだった。

「え、つまりどういうこと?」

「カナタちゃんの友達は、好きな漫画キャラの名前を名乗る痛い人ってことでござる」

「あー。うん、まぁ。別にいいんじゃない。アリスだし、なんかやりそうだなって」

「……それはそれで傷つくわ。貴方は私を何だと思ってたの?」

「オタクだとは思ってたよ。言ったことはなかったけど、部屋に漫画とかアニメのDVDとかいっぱいあったし」

「……隠せていると思ってた」

 千年以上前のことで落ち込み始めた。

「いや、そもそもオタクだからって別に何とも思わないけど……」

「そうよね! やっぱりカナタは優しいわ。優しくて可愛い!」

 今度は急にテンションが上がって抱き付いてきた。

「……カナタちゃん。この人ってその、友達なんでござるよね?」

「いや、うん。ごめん。アリスってずっと友達いなかったからなんかこう、人前でのテンションの調整が下手で」

 昔からそうだったのかと聞かれれば、怒りっぽいところはあるがもう少し落ち着いていたように思える。どちらかと言えば、今のアーデルハイトの性格がそれに近い。

 やはり千年を超える年月は多かれ少なかれ人を変えると言うことなのだろうか。それ自体がいいか悪いかは別として。

「ところで、本当に漫画から取ったの?」

「……まぁ」

 カナタを両腕で抱えたまま、目を逸らして答える。

「天弓のアルスノヴァ。全五巻の漫画でござるね。クールなヒロインが活躍する少女漫画で、拙者は面白いと思っていたのですが、あまり人気が出なかった挙句に作者がヒロインの恋人を出すと言う愚行を……」

「圧縮するわよ。このぐらいの大きさに」

 人差し指と親指で丸を作る。できれば目の前でやるのはやめてほしい。

「いや、その辺りは人によって評価が分かれるでござるが……。つまり、あんまり人気が出ずに終わってしまった漫画でござるよ」

「……確かに掲載誌も悪かったわね。あの作風は少女誌じゃ受けないわ」

 溜息を吐きながら、アルスノヴァはそう締めくくった。

 そう言われてみれば、そんな漫画が彼女の部屋の本棚にあったような気もする。まったく興味がなかったので読むことはなかったが。

「……ギフトが覚醒した時にね、凄くハイになったの。私は強くて、大勢の人を護れるようになって、沢山の敵を倒せるようになったって。それで、嬉しくて……。今しかないって確信して……」

「周りの反応は?」

「……特に何とも。ほら、私強かったし、その上に友達もいなかったから言い辛かったのでしょうね」

「……その時のお仲間にコアなオタクがいないことを祈るだけでござるな」

「でもさー。それってボクがセレスティアルを上手く使えるようになったからって、プリナイとか名乗るってことだよね?」

 プリティナイツ。カナタが小学生の時に放映していた女児アニメで、非常に人気が高く幾つもシリーズが作られている。

「そうでござるな。拙者はプリナイパッションが好きでござる」

「……私はプリナイシトラス」

「いや、ボクそれ知らないけど……。小学生で見るのやめたし。むしろなんで二人とも知ってるの?」

 カナタの疑問は二人ともスルーした。

「名乗らないよね、普通。何考えてたの?」

「貴方のこと」

「ちょっとドキッとしたけど、誤魔化されないからね」

「ここで百合の花を咲かせるのはやめてほしいでござる。いや、むしろもっとやって欲しいでござる」

「……どっちよ。まぁ、別にいいわよ。生き恥ならこうして今も晒してるわけだし、別段今更痛いと思われたところで」

 疑問だった名前の由来には呆れさせられたが、今でも名乗っているということはやはり気に入っているのだろう。一応今この世界を創った立役者ではあるわけだし、あまりそこをつつくのも可哀想な気がしてきた。

「アリスが気に入ってるならいいけどね。じゃあボクもアルスノヴァって呼んだ方がいい?」

「いいえ、貴方はアリスって呼んで」

「……あ、そ」

 ぬいぐるみのように頭を抱えられる。後頭部に胸が当たって、なかなか柔らか気持ちいいのだが、成長の差に多少の僻みも覚える。

「ラーズグリーズはいないんでござるか? アルスノヴァのライバルで、こっちもかなり人気があったでござるが」

「この話はお終いよ。それよりもそこの資料だけど」

 無理矢理に話を断ち切って、テーブルの端に寄せられた紙の束を持ち上げる。

「面白いものを作ってるわね。何処と戦争するつもり?」

「……これは国家の発展に必要な技術でござる。しかし、現状国内外の情勢を鑑みて、第一号は軍事利用を目的とした物に限り許可されたでござるよ。でもこれが成功した暁には、国中の交通網が……」

「でもこれじゃあ完成しないわね。この図面で扱う魔法鉱石の種類を見ると……パッと見た限りでも欠陥が一、二、三ヵ所」

 ぺらぺらと紙を捲りながらアルスノヴァが何処か挑発するような口調で言う。

 カナタもそれを胸の中で盗み見るが、謎の図面に走り書きのメモには鉱石の名前が書かれているだけで意味は全く理解できない。

「わ、判るのでござるか!」

 どうやらこの部屋に来た時に資料を見てすぐに放り投げたのは、理解できなかったのではなく瞬時に読み終えたからだったらしい。

「ええ、だいたいのところは。なんなら解決方法も教えてあげましょうか?」

「ぜ、是非お願いしたいでござる! 何を隠そう拙者の悩みとはこのことで、もう一月もろくに眠らず考えてるでござるがさっぱり解決方法が見えてこないでござるよ!」

「それはそうでしょうね。まだ見つかっていない動力源も必要になるし、そもそも前提となる技術があるのかも判らないもの。でもいいわ、纏めて教えてあげる」

「おおぉー! 天使、いや女神! アルス姉様マジゴッデス!」

「それで解決するとは限らないでしょう。喜ぶのはこれが完成したときになさい」

 カナタを離して、アルスノヴァが席から立ち上がる。

「ほら、さっさと案内しなさい」

「は、はいでござる! カナタちゃん、適当に寛いでていいでござるからねー!」

「そうね。いい機会だから、ちょっとお昼寝でもしていなさい。どうせ来ても意味判らないだろうし、つまらないと思うから」

 そう言い残して二人は部屋から出ていってしまう。

「……やっぱりオタク同士だから仲良しなのかな?」

 相性最悪かとも思われたが、むしろ意外と息があっているのかも知れない。

 なんだか釈然としないものを感じながら呟いたカナタの疑問は当然誰にも答えられることなく、虚空へと溶けて消えていった。

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