第八節 開かれる新たな道

 オルタリア全土を騒がせた短い動乱は終わりを告げた。

 紅い月は未だ空に浮かんでいるが、エトランゼ達が意識を失うこともなく、また眠っていた者達も無事に目が覚めた。

 魔人アルスノヴァ撃破の知らせから数日後。何かとごたごたが続くオルタリアで、ようやく落ち着いた時間ができたことでゲオルクの戴冠式が正式に行われた。

 復興途中ではあるものの、オル・フェーズはそれを盛大に祝い、また同時に先日の継承戦争で命を落とした者達に対して深く礼を捧げた。

 そこには法王イザベルも出席し、一人の人間と言う立場から新たな王の誕生を祝福した。

 そして、その夜。

 ゲオルクの寝室には彼ともう一人の男が椅子に座って向かい合っていた。

 濃い赤色の絨毯が引かれ、豪華な調度品が程よく主張する広々としたその部屋は、主であるゲオルクのセンスがよく出ている。

 赤みが掛かった黒髪の逞しい体躯の偉丈夫ゲオルクは対面の男、長髪に褐色肌の友人の手の中にあるグラスにワインを注いでいく。

「折角来たんだ。お前も式典に出席すればよかっただろう。話題になるぞ?」

「フハハッ。余がそこでしゃしゃり出てしまっては主役が誰だか判らなくなろう。そう、いるだけで民衆の注目を集めてしまう余である故に」

「ハハハッ、違いない」

 上機嫌に笑って酒を流し込む。

 ゲオルクの親友でありバルハレイアの王子でもあるベルセルラーデもまた、それに習って一気に酒を煽った。

 空になったお互いのグラスに注ぎながら、友人二人は談笑を交わす。

「ベル、心配を掛けたな」

「ふんっ、心配などはしていない。だが、オルタリアの王として、余の友として些か油断が過ぎてはいたのではないか? 愚弟に国を明け渡すなど」

「おいおい、そう言ってくれるなよ。あいつのことはこれから、歴史家達が幾らでも悪く言うだろう。だが、それでも俺の弟なんだからな」

「理解できぬな。自らを殺そうとした男に何故情けを持つのか」

「そりゃ、色々とな。あいつが背負ってたものも知ってるからよ」

 その裏に御使いがいたから、と言う話ではない。

 改めて王の座について、ヘルフリートが行っていた政策を見たゲオルクと貴族達は驚いた。

 彼は徴税によって得た金の大半を軍事費につぎ込み、自らの私腹を肥やすような真似は殆どしていなかった。

 勿論、そこには内乱を素早く収めるためと言う理由があるし、何よりもそれはヘルフリートを許す材料になりはしない。

 それでも、そこからゲオルクは知ってしまった。ヘルフリートは自らのやり方で、確かにこの国を善き方向に導こうとしていたのだと。

「甘いな。そんなもので王が務まるのか?」

「やってみなけりゃ判らんぞ。確かに俺はお前ほどの力はないが、そうならそうなりのやり方ってのを弁えてるつもりだ」

「……ふんっ」

 鼻を鳴らして、ベルセルラーデは酒を飲む。

 そしてゲオルクの傍にあった酒瓶を奪い取り、自分の分を注ぎ始めた。

「なんとかやってくよ。判ってはいたことだが、なっちまったんだからな。王様に」

「余達は幼い頃よりそう宿命づけられた身だ。今更何を」

 ヘルフリートが力尽くでも簒奪しようとした立場。

 この二人はそこに自動的に辿り付いてしまう仕組みができていた。

 それが幸福か不幸かは本人達にすらも判っていないが。

「……そうだな」

 俯いて、ゲオルクはそう返す。

「……いい国だぞ、オルタリアは。余もこの国を漫遊して回っていたが、特にイシュトナルの活気と発展は目を見張るものがある。それにエトランゼを受け入れるその姿勢も、一年前とは比べ物にならん」

「ああ。エレオノーラが随分頑張ったようだからな。あの泣き虫が変わったもんだ」

「人は成長するものだろうよ。お前も、余もそうであるように。それが望ましいかどうかは別としてな」

 その言葉の真意が判らず、ゲオルクは顔を上げてベルセルラーデの顔を見つめる。

 しかし、彼は何も語らなかった。

 そのまま椅子から立ち上がって、部屋の出口へと歩いていく。

「少しばかり飲み過ぎたな。風に当たってくる。お前は寝ていても構わんぞ、余はその辺りで宿を借りるからな」

 何とも自由な王族もあったものだ。

 そう呆れながらもいつものことなので、ゲオルクは何も言わずにその後ろ姿を見送ることした。

 出入り口の扉に手を掛けたベルセルラーデはそこで立ち止まり、一瞬の逡巡の後に一言呟いた。

「ゲオルク。動乱はまだ終わっていない。次なる戦いへの備えをしておけ」

「……判ってるさ」

 それがどのような形であれ、この国はまた近い将来争いに巻き込まれる。

 オルタリアに巣食っていた御使い、黎明のリーヴラはまだ倒れていない。

 イザベルから話を聞いた、聖別騎士団の離反。そして彼女が行おうとしているエイスナハルの真実の暴露。

 それらはどれもが争いの火種としては充分過ぎたが、だからと言って避けては通れない。

 リーヴラを白日の下に晒し、その目的を知るまで真の平穏が訪れることはないのだろう。

「ではな。ゲオルク」

「ああ。ベル」

 ベルセルラーデが部屋を出ていく。

 彼が去った後の扉を、ゲオルクは暫くの間黙って見つめ続けていた。


 ▽


 ハーフェンから南に行ったところに、小さな海岸がある。

 そこには人口百名ほどの漁村があり、日々漁に出ては魚を取って生活していた。

 近年ではエトランゼの教えもあって養殖や漁場の拡大にも着手しており、決して豊かではないが時折来る旅人には上手い美味い魚料理が振る舞われ、また一部の商人達はそこで買い付けた海の幸をちょっとした目玉商品として売る者もいる。

 そんな長閑な村に、事件が起きた。

 ある漁師の男が海に出て、釣り竿に重いものが引っかかった。

 どう考えてもそれは魚ではない。魔物かとも警戒したが、その気配もない。

 意を決して手繰り寄せると、それは人の形をしている。

 実際のところ、漁をしていて死体が上がることはそれほど特筆することではない。

 安全とは言えない世の中だ。海賊の類やそれこそ魔物にやられた同業者、身投げをするものだっていなくはない。

 一年に一度は誰かしらが海で亡骸を見つけてしまい、埋葬することがある。

 だから、本来なら今回もその程度で済む話のはずだったのだが、どうにも様子がおかしい。

 船を桟橋に付けて、男は他の村の男衆と尊重を呼び集める。

 砂浜に敷いた布の上に仰向けでその死体を乗せて、それを男達が取り囲むような形になった。

「こりゃあ、エイスナハルの偉い人じゃないかい?」

 そう誰かが言った。

 男が釣り上げてしまった死体は、所々破損しているが元は立派であっただろう法衣を纏っていた。

 加えてその白い髪と肌。男にしては随分と美しい顔立ちは、高貴な身分を彼等に想像させる。

「おれ、見たことあんだよな。エイスナハルの偉い坊さんって、こんな格好してんだよ。ひらひらーって女みてぇな」

「じゃあ坊さんが身投げしたってのか? 世も末だわな」

「身投げとは限んねえぞ。海賊にやられたのかも。ほれ、結構前にハーフェンの辺りに海賊が出たろ」

「なんでエイスナハルの偉い人が海賊と戦うんだよ。それにありゃハーフェンの娘っ子達が倒したって聞いたぞ?」

「あー。たまにハーフェン行くと見れんだよなぁ、あの商人の娘さん。可愛いよな~」

「うんうん。おれの息子の嫁に欲しいぐらいだ」

「そりゃ無理だわ。こーんななんもない村じゃ、かえって不幸になっちまうよ」

「ははは、違いねえ」

 話が横にそれ始めたところを、既に老年に差し掛かった村長が咳払いで諫める。

 男衆は罰の悪そうな顔をしながら、改めて倒れているその姿を見た。

「でもどうすんだ? 取り敢えずエイス・ディオテミスに知らせた方がいいのか?」

「ばっかお前。そんなところまでやってたら腐っちまうよ。近くの教会でいいだろ」

「そっかぁ。じゃあ教会だな」

 話がまとまりかけたところで、黙ってその姿を見つめていた一人の男の身体が強張る。

「おう、どした?」

「い、いや……。今」

 何かを言いかけて、男は言葉を失った。

 それは彼だけではなく、その場の全員が同じように驚いて、一歩後退る。

「う、動いた!」

 ぴくりと、死んだと思っていたその男が動いた。

 まずは指先が小さく震え、それから苦しそうな声を上げる。

「生きてるじゃねえか! 何が水死体だ!」

「仕方ねえだろ! 海から上がってきたら死んでると思うじゃねえか! おれは生まれて四十年漁に出てるが、生きた人間を釣ったことはねえよ」

「今はそんな話はいい! 取り敢えず蘇生するぞ! 医者呼んで来い!」

 生きていると判って、彼を助けるためにそれぞれが散っていく。

 当然彼等は知らない。

 ここで倒れている男が何者なのかを。

 数か月前、彼等が語ったように海賊がこの海域に出没する事態が起こった。

 そしてそれに呼応して起こった一つの事件がある。

 ハーフェンの海に起こった異変。それを巻き起こした元凶。

 彼の名は御使い、光炎のアレクサ。

 その男はヨハンとカナタ達に敗れて海の底へと沈んでいったはずだが、こうして生きていた。

 奇跡的に命を取り止めた彼が歩む道は、如何様に変わるものか。


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