第六節 私が本当に欲しかったもの

 斯くして、光は闇の中に飲み込まれた。

 全ての希望は潰えた。アリスが護るべきものすらもその中へと葬ってしまった。

 掌を離れて上空で制止するブラックホールを見つめながら、魔人は涙を流す。

「……本当に、馬鹿ね」

 それは果たして誰に向けて語られた言葉なのだろうか。

 今しがた消滅してしまった友か、それとも長い間の妄執を引きずり続けて後戻りができなくなってしまった愚かな女か。

 それは自分にすらも判りはしない。

 ただ、その目尻に浮かぶ涙は一つの答えを語っていたのかも知れない。だからこそ、彼女はそれをすぐに拭い捨ててなかったことにした。

 これで、全てを失ってしまった。

 本当に守りたかったものも、何もかも。

 もうアルスノヴァがこの世界に生きている意味はない。

 そう思って、踵を返す。

 この場所にいる理由もない。後はここを去って、長い時間を過ごそう。その後悔の日々が、自分にとっての贖罪となると信じて。

 そんな感傷は、すぐに消えた。

 爆縮して消えるだけのブラックホール。光すらも逃れられない闇の中から、小さな閃光が漏れてきたからだった。

 すぐに消えそうなほどにか細いそれはすぐに大きくなり、黒い球体に罅を入れる。

「そんな……!」

 その声色に込められていた想いは、果たして絶望か希望か。

 その己の真意すらも確かめる時間もなく、斬り裂かれた黒い球体の中から飛び出してきた小さな少女の姿があった。

「本当に、貴方は」

 何も変わっていない。

 千年以上前、初めてあの校庭で話をした時から何も。

 彼女は予想ができない。アリスが考えていることのその上を、無意識のうちに進んでしまうのだから。

 だから、もういいだろう。

 もう、負けでいい。

 正直なところ疲れていた部分もある。彼女自身がそうまでして否定するのならば、もうそれに従うのも悪くはない。

 そうなれば、もうこの世界にいる理由もない。

 だから両手を広げて、アルスノヴァは自らの最期を受け入れる。

 その刃で貫かれるのならば悔いはない。

 何とも眩い。彼女の心の光で作られたその剣は。

 目を閉じて、その時を待つ。

 千年を超える旅の終わりにしては何とも呆気ないものだが、そう言うものだろう。

 だが、いつになっても終焉は訪れない。

 上を見れば切り裂かれたブラックホールは千々に切れて姿を失っていた。

 そして、自分の顔の少し下の当たり。

 ちょうど胸の辺りにその姿がある。

 ゆっくりと優しく、それはアルスノヴァの胸の中へと倒れ込んできた。

「やっと掴まえた」

「……カナタ?」

「もう逃げないでね。久しぶりにアリスに触れたんだから」

 触れている個所から、彼女の体温が伝わってくる。

 その熱はとても強くて、この寒い大地で凍らせていた心と体を溶かすのには充分な熱さを持っていた。

 背中に手が回される。

 より強い熱が伝わってくる。

 それはアルスノヴァの中にあったアリスと呼ばれていた少女の心を呼び覚まして、もう二度と凍らないようにと溶かしてくる。

「言ったよね。友達を取り戻しに来たって」

「――ええ。言ってたわね」

「言いたいことがあったんだ」

「……何よ? 悪口は受け付けないわよ」

「そんなんじゃないよ。……ありがと。二度も助けてくれたよね。この世界で、ボクが死にそうだった時に」

 そう言えば、そんなこともあったかも知れない。計画の都合上、カナタに死んでもらっては困るから、手を差し伸べた。

 別に救えなくとも、力を蓄えて紅い月を作ればいいだけの話ではあったのだが、どうにも見捨てることはできなかったのだった。

 それがまさか、こんな結果に繋がるとは思っても見なかったが。

 もう、駄目だった。

 勝てない、負けた。

 無防備に身体を預けてくる彼女を傷つけることは容易いが、そんな気持ちは全く浮かんでこない。

 例えどれだけ心を殺そうと、残酷になろうと自らに言い聞かせようと身体が動くことはないのだろう。

 カナタと触れあうこの時間を、彼女から伝わってくる熱をアルスノヴァは心地よいと認めてしまったから。

 あの時と全く変わらない。

 幼い日の夜、流星を待ちながら毛布の中で身を寄せ合った温もりを、そのまま彼女は伝えてきているのだから。

 その髪に触れて、優しく撫でる。

 それからアルスノヴァの方からも、カナタの身体をしっかりと抱擁した。

 千年を超えた再会。

 今久しぶりに触れたその存在を確かめるように、二人は何も言わずにそのまま抱きしめあっていた。

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