第五節 ボクから君へと差し伸べる

 全てを語り終えたアルスノヴァは、短く息を吐いた。

 そうして、カナタを見下ろして再び同意を求める。

「これで判ったでしょう? 私のしようとしていることは救い。全てのエトランゼを再び紅い月に回帰させて、来たるべき時代にもう一度再生する。それは貴方達にとっても悪いことではないはずよ」

「……どうして、そんなことをしてまで?」

「私はあの終わりを認めない。御使いによって歪まされた終焉を拒否した、そして何よりも」

 アルスノヴァの視線がカナタを見る。

 その表情は恍惚としていて、寒気のようなものすらも覚える。

「貴方を救いたかったから。紅い月による救済なんてものは副産物に過ぎないわ。別段、それでエトランゼ達に救いがあろうがなかろうが知ったことではないの」

 とんでもない言葉が、彼女の口から飛び出した。

「貴方だけを救済した場合、貴方は言うでしょう? どうして他の人を助けてあげなかったのって。最初からそれをクリアしての計画よ」

 腕を組んで、したり顔で彼女は語る。

 これだけ大掛かりな魔法が、世界を揺るがすほどのその力が全てはカナタ一人のためであると。

「じゃあ、なんで今は駄目なの! ボクはこうして生きてるし、アリスとも会えたのに!」

「御使いがいるわ。今はまだ大半が眠っているけれど、奴等は再び解き放たれて貴方を狙う。自分達に対抗できる、神から与えられたセレスティアルを持つ貴方を。本当のこと言えば、かつての紅い月は失敗だったのよ。だからこうして少しずつエトランゼがこの世界に来てしまった。今度は完成品、私だけが解き放つことができる結界が生み出されるのよ」

「……アリスはその間どうするの?」

「御使いを滅ぼすわ。今この世界にいる御使い達を滅ぼして、彼等が封じられている祭器を破壊する。邪魔をするもの全てを押し潰してね。そしてその果てに、エトランゼをこの大地に解き放つ。それが理不尽に全て奪われてこの世界に現れた放浪者達にしてあげられる私の慈悲よ」

 なるほど、壮大な計画だ。

 それができるだけの力を、目の前の彼女は持っているのだろう。

 きっとここでカナタが倒れれば、アルスノヴァはそれを実行する。恍惚に塗れたその表情は、それを一切の過ちと気が付いていない。

 いや、ある意味では彼女の行いは間違いなく救済だった。

 この世界で理不尽に死んでいったエトランゼ達を見れば、カナタにもそれが判る。

 そして何よりもその慈悲はカナタに向けられたものだ。彼女は正真正銘、カナタ一人を救うためにこんなことをやっている。

 だからこそ、言ってやらなければならない言葉がある。

 それで彼女が自らの過ちを認めるとは思っていない。そうだろう。彼女にとってはそれが絶対唯一の正しさなのだから。

 千年を超える時間で何度も考えただろう。

 考え直すことだってできたはずなのに、彼女はそれを実行しようとしている。

 その意思を覆せるかは判らないが――。

「アリス」

「なに?」

 ――言わなければならないことがある。

「ボクのためにやってくれたの?」

「そうよ。貴方のために、貴方だけを救済するために。私は認めない。御使いや人の道具にされて死んでいくだけの貴方を!」

 きっとカナタの知らないかつてのカナタは凄惨な死を迎えたのだろう。

 彼女がそうして心を壊しかけてしまうほどに、悲惨な道を歩み続けたのかも知れない。

 それでも、今は違う。

 今ここに立っているのは今のカナタだ。いつまでも千年前の妄執に囚われていていいはずがない。

「そう。ありがと」

「……やっと判ってくれたの?」

 顔を上げて、アルスノヴァを見る。

 その表情は救われたようで、これか先の言葉を口にするのが憚られた。

 言わなければならない。友達なのだから。

「でも、ちょっと気持ち悪い」

「きっ――!」

「今普通に引いてる。うん」

 判りやすく、一歩後退って見せる。

「な、な、な……」

 わなわなと身体を震わせながら、アルスノヴァは俯いている。

 まさか千年かけた遠大な計画が、気持ち悪いとか、引くとかそんな言葉で否定されるとは思っていなかったのだろう。

「あ、なたに……!」

 重圧が広がっていく。

 怒りに任せたアルスノヴァのギフトが周囲を浸蝕し、透明ではなく黒い重力波を生み出しつつあった。

「貴方に何が判るのよ!」

 その力が解き放たれる。

 カナタは最後の力を振り絞り、その場から退避した。

 崩れた地面を挟んで、二人は対峙する。

 先程までの恍惚とした表情とは打って変わって、アルスノヴァは怒りを滲ませてカナタを睨んでいる。

「ぜんっぜん判んない」

 敢えて、カナタはそう言ってやった。

 例え怒りに染まっていても、強大な力を振るっていようとも、もう怯えはない。

 その表情には見覚えがある。

 何度も見てきた、お互いに見せあったそのままの顔だ。

「私のやろうとしていることは貴方のためよ! 貴方のために、貴方の敵を全て排除して、安息をあげるの!」

 これは単なる喧嘩に過ぎない。

 だったら、カナタにも勝てるかも知れない。

 青い液体に満たされた小瓶を取り出して、一気に飲み干す。

 名前は忘れたが、ヨハンお手製のその薬で体力が瞬く間に回復していった。

 全身の傷はまだ疼くが、鎮痛効果もあるようで今はさほど気にはならない。

「そんなの!」

 放たれた重力波を避けて、接近する。

 重力の波と極光の刃がぶつかって、それを断ち切った。

「誰も頼んでないよ!」

「ええ、でも正しいことよ! 聞き分けなさい! 幾ら馬鹿のカナタでもそのぐらいは判るでしょう!」

「人のことを馬鹿馬鹿って……!」

 重力波と極光が消しあって、無防備に二人は至近距離で向かい合った。

「テストの度に泣きついてきたこと、私はまだ忘れてないわよ! それから、勉強教える代わりに約束したアイス奢りの約束も!」

「それってまだ有効なの!」

 重力が再生成される方が早い。

 振り下ろされた不可視の攻撃を、カナタは更に前に進むことで避ける。

 アルスノヴァの懐で、再びその手に極光を宿らせる。

「しかもテスト勉強の途中で寝るし、結局赤点取って怒られて泣きながら家に来たこともあったわよね」

 弾かれるようにカナタの身体が吹き飛ばされた。

 空中でセレスティアルを広げて、姿勢を整える。

 そのまま逃げる隙を与えず、再びアルスノヴァへと突撃していく。

「アリスだって、犬に追いかけられて転んであんまん落として泣いて事あるよね!」

「その話は今は関係ないでしょう!」

「テストの話も関係ない!」

 だが、近づけない。

 アルスノヴァの放つ重力波は尽くカナタの動きを鈍らせて、その隙に彼女は遠くへと距離を離してしまう。

「逃げないで!」

「逃げるわよ!」

「しかもなんかズルいし、消えたりして! せめて走って逃げて!」

「そんなことしたらすぐに捕まるでしょう!」

 球体に固められた重力が襲いくる。

 剣でそれを弾くと、離れたところに落ちたそれは急激に肥大化して、辺りを巻き込んで圧縮していく。

 あんなものを食らえばただで済むはずもない。それが十個以上、カナタへと飛来してきていた。

「そうだよねー。アリス、運動音痴だからこんなところで走ったら転びそうだし」

「ええ、秒で転ぶでしょうね。ところで、ちゃんと避けないと死ぬわよ」

「わか……ってるよ!」

 飛んできた全てを剣で弾く。

 開かれた道を、一直線に駆け出した。

「何度も何度も、馬鹿の一つ覚えみたいに!」

「じゃあ馬鹿でもいいけど、アリスの方がもっと馬鹿だからね!」

「何処がよ!」

 上から重力が襲い掛かるが、カナタはそれを読み切っていた。

 急加速でその範囲から逃れて、アルスノヴァの前面へと。

 その速度に反応することができなかったのか、アルスノヴァの次の行動が僅かに遅れた。

「だいたい、このことだって誰かに相談したの?」

「するわけないでしょう! 全部自分一人で考えて、自分一人で実行したのよ」

「聞けばよかったのに、友達とかに」

「いるわけないでしょうが!」

「千年経っても!?」

「そうよ、悪い!?」

「いや、なんかごめん」

「謝るなぁ!」

 極大の重力波に飲み込まれて、再び彼我の距離が離れる。

 そこに間髪入れず、先程もカナタを吹き飛ばした大規模な横方向へと重圧が襲い掛かってくる。

 長距離を飛ばされて、未だ吹き飛ばされていない雪の上に身体を転がされながらもカナタはすぐさま立ち上がった。

「……千年経っても友達いないなんて。流石アリス」

 彼女の拗らせぐらいはやはり尋常ではない。

 だが、いつまでもこんな戯れのような戦いを続けてはくれないだろう。

 だから、カナタは次の一撃に全てを賭けることにした。

 懐を探って、もう一つの小瓶を取り出す。

 これこそが切り札。ヨハンが託してくれたある人の形見。

 竜の血。それは高純度の魔力を含ませた魔性の薬となる。

 飲んだものに強大な力を与えるが、その反動は凄まじく下手をすれば死に至る可能性すらありうる。

 限界まで使うなと念を押されたそれを、カナタは躊躇いなく開けて飲み干した。

 不思議と生暖かい、鉄臭い味が口の中に広がる。とは言え既に傷だらけで口の中には自分の血の味で一杯だったので、吐き出すほどでもなかった。

「……アリスのやろうとしてくれたこと、気持ちは嬉しいよ。でもごめん、ボクは友達を取り戻すって、そう決めてるから」

 力が沸き上がる。

 それを遠くで察知したアルスノヴァもまた、次の一撃で全てを決めるつもりのようだった。

 空間が歪む。

 その勢いは先程の比ではない。これまでの戦いで、彼女がどれだけカナタを殺さないように手を抜いていたのかがよく判った。

 彼女の周囲で蒼電が弾け、地面や剥き出しになった岩山が砕けて渦を巻く。

 それらは彼女の掌に生み出された黒い球体に吸い寄せられて、その傍で更に細かくなって飲み込まれてるように消滅していく。

「なに、あれ……? なんか凄くやばいやつのような気がする」

 だが、もう止まれない。

 体力は充分。今ならもう一段階上の力すらも引きだせるような気がする。

 例えどのような代償を支払うことになっても、今この時だけがあればいい。そう願って、カナタは光の翼を広げて空へと舞いあがった。

「カナタ、最後通告よ。私は今、怒っているわ。だから本来の目的とか関係なしに、貴方を殺してしまうかも知れない。抵抗をやめて、ついでに一言謝ってくれれば全てに水に流すわ」

「ヤダよ。アリスこそ、もう諦めればいいのに。当のボクが嫌だって言ってるんだから」

「それはできないわ。私は決めたの。何があっても貴方を救うってね」

「……だからさ!」

 舞い上がった翼は、角度を付けて上空からアルスノヴァに襲い掛かる。

 彼女はそれを、掌の中で巨大化した黒い球体をぶつけるように迎撃した。

「そんなのは救いじゃない!」

「例え貴方がそうだとしても、そこには安寧がある。誰にも利用されない、平和な時間を与えてあげられるのよ!」

 黒い力と、セレスティアルがぶつかり合う。

 紺碧の剣に、翼。それによる防御がなければカナタは一瞬にしてそこに吸い込まれて粉々になっていただろう。

 今そうしていても、そこから飛び散る黒い欠片がカナタのセレスティアルを浸蝕し、その身体を容赦なく削り取ってくる。流れ出る血すらも即座にそのなかに吸い込まれて、後には何も残っていない。

「全然判ってない!」

 カナタの感情に呼応するように、光が強まる。

 それに対抗して、アルスノヴァが力を込めた。

 広がった黒い球体が、カナタをセレスティアルごと飲み込もうと包み込んでくる。

「なにがよ!」

「その間、アリスはどうするの? また千年間一人ぼっち? もし、アリスが死んじゃってたら? そんなのボクは絶対に嫌だ!」

「そんなの……!」

「アリスは不器用で意地っ張りで拗らせてるけど優しいから、ボクはそんなアリスと一緒に生きたい!」

 もう、それを知ってしまったから。

 彼女がこの世界にいると。

 だから、カナタの中にはある一つの答え以外には最初からなかった。

「アリスのいない世界も、アリス一人が辛い先の救いもボクは絶対に認めない。そんなのは救いじゃないよ!」

 黒い球体が、カナタの全身を飲み込む。

 その声がアルスノヴァに届いたどうかすらも、確認する術はなかった。

 紺碧の光を纏う少女は、ただ闇の中へと飲み込まれてその輝きを散らしていった。

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