第四節 北の大地

 ザルツシュタートの西部。

 国から見放された溶けない雪の森の奥に、その村は静かに佇んでいる。

 地図にも小さく載っているだけの村に辿り付くには馬車も通れないほどに狭く、雪に閉ざされた道を歩き続ける必要があった。

「ふわー。やっと村が見えた」

 小さな生活の灯りと、それに照らされる空に昇っていく湯気でどうにかヨハン達はそこを発見し、辿り付くことができた。

「ほらー。やっぱりあの道を左でよかったのに!」

「お互い勘が当たった外れたの話だろう。自慢されることじゃないし、責められることでもない」

「でも、無駄に歩かされたよ。それになんで一度来たことあったんでしょう?」

「何年も前のことだぞ? 道も雪に埋もれているし、覚えている方が変だろう」

 フードを外して、頭の上に積もった雪を振り落とす。

 既に辺りはすっかりと暗闇に埋もれていて目の前に不規則に並ぶ、木造りの小さな家から漏れる灯りが妙に眩しく目に刺さる。

「まさか道案内の道具が壊れるとはな。寒さに弱いのか」

 二人はローブを着ているのはそれほどではないが、気温はとっくに氷点下に落ちている。もしその加護なしに歩いていれば凍死していてもおかしくはなかった。

「……でも、なんか村の中に入ったら温かいね。いや、寒いんだけど」

 カナタの言う通り、寒いには寒いが村の外側に比べれば大分マシになっていた。足元の雪も道に合わせて除雪されていて、それほどの深さではない。

「この村の地下には熱を放つ魔法鉱石が纏まって埋まっているらしい。それから伝わる熱が、丁度この村の範囲を温めているんだ」

「へー。じゃあ、この下にダンジョンがあるかも知れないってこと?」

「……そう言う可能性もあるかもな」

 言われてみれば、ダンジョン内部にはある種の魔法鉱石が纏まって生成されることが多い。ひょっとしたらこの下にも何らかの遺跡が残っているのかも知れない。

 勿論、今はそれを探っている暇はないし、余所の国のことなので気にするだけ無駄ではあるのだが。

「でも寒いよ。早く何処かで寝ようよ」

 そう言ってカナタが身震いする。野宿中は結界を張るため、寒さも大分和らげることができるので、それを期待しているようだった。

「まあ待て。ここに来る途中、光意外に何か見えなかったか?」

「んー……。ああ、そう言えばなんか空気がゆらゆらーってしてたような気がする」

「そうだ。あれは湯気だな」

「お湯でも沸かしてるの?」

「……まぁ、そう言うことにもなるが」

「勿体ぶってないで教えてよ」

 結論を急ごうとするカナタに、溜息が出る。

 とは言っても手足も悴んでろくに動かないような状態なので、こんなところで問題を出すヨハンにも大概問題があるのだが。

「確か、記憶が正しければこっちの方に」

 雪が避けられて、人の足跡がくっきりと残る道を辿って進んで行く。

 村の外れ、一歩外に出れば林が広がっているような場所に建てられているのは、この村では一番大きな建物だった。

 大きいと言っても二階建てで部屋が幾つかある程度で、オル・フェーズやイシュトナルの建物と比べても大分小さなものだ。

 建物の横には高い木の板で何かが囲まれていて、そこから空に伸びる湯気と、熱が伝わってきた。

 木製の年季の入った扉を二度叩くと、中から足音が聞こえてきて、軋み音を立てながら開いていく。

 現れたのは、年老いた男性だった。白くなった髪を短く刈り込んだその老人は、ヨハンとカナタを交互に見て皺だらけの顔を綻ばせる。

「おぉ。お客さんかい。こんな辺鄙なところによくぞ来なさった」

「お久しぶりです。覚えていませんか? 以前、ここで宿を借りたことがあるのですが」

「んー……。年を取ると記憶が曖昧になってなぁ。まぁ、まずは入りなさい。寒かっただろう」

 中に入ると年季の入ったのカウンターと、食事を摂るための四人掛けのテーブルが二つ。カウンターの上には宿帳が乗っているがぼろぼろで、暫く使われていないようだった。

 小さなランプに火を付けて、老人はぱちぱちと子気味いい音を立てる暖炉の傍で熱されていたポットを取り出して、お茶を注ぐ。

「あ、ありがとうございます」

「本当にこんなところまでよく来たもんだ。首都ならここから真っ直ぐに東だが、直接行くには大雪原を通らなきゃらないから、冬場は無理だね。もし急ぎじゃないのなら、この村に滞在しててもいいんだが」

「心配には及びません。目的地は首都ではないので」

「ほう? じゃあこの村かい? なんて、まさかな。見ての通り、温泉こそあるがそれ以外には何もない。一時期はそれで村おこしをしようなんて話もあったようだが、少しばかり人が住んでる場所から遠すぎたな」

 失敗話を笑いながら語って、老人は宿帳を差し出す。

 ヨハンがそこに署名するのを眺めていると、その上にもちらほらと名前が書かれていて、恐らく時折は旅人が現れていることが判った。

「でも、旅の人がたまには来るんですね」

「そうなんだよ。大半は遭難者だとか、もしくは禁忌の地を見に来たって奴等もいるが、おかげでいつになってもこの宿が閉められやしない」

 喋りながら、老人は椅子を引いてくれる。

 二人は素直にそれに従って、テーブルに付くと、お茶のお代わりを持って来てくれた。どうやら、久しぶりの客人が嬉しくて、話がしたい様子だった。

「しかし、目標が首都じゃないって言うと、ひょっとして禁忌の地かい?」

 ヨハンとカナタは顔を見合わせてから、老人の方を見て同時に頷いた。

「なるほどなぁ。と言うことはあんた達は冒険者って奴か。いや、懐かしいな。数年前もエトランゼが何人か、禁忌の地に向かったんだよ。残念なことに、誰も戻っては来なかったがね」

「ご老人。そのエトランゼの中の一人が、恐らくは俺かと」

「なに?」

 驚いた顔をして、老人はヨハンの顔を覗き込む。数秒間そうしてから、両腕を組んで当時の記憶を思い起こし始めた。

「そう言えば、お前さんみたいな兄ちゃんがいたようないなかったような……。先頭を歩いてた元気な娘さんは覚えてるんだがね。あの子は息災かい?」

「……いえ」

 ヨハンの表情と声色で、老人は察したようだった。

「……そうか。まぁ、仕方ない。禁忌の地で逝ったのかそれとも別の要因かは判らんが、人は死ぬ。そう言うもんだな。しかし、と言うことはお前さん達もやっぱり禁忌の地には入れなかったようだね。なんで今また?」

「少し、行かなければならない理由ができまして」

「ふぅん。まぁ、詳しく聞いたって爺には理解できそうにないしな。別段、禁忌の地に行くのを禁止してるわけじゃない。誰がそう呼び始めたのかは知らんが、わしらにとっては人の住処に過ぎんからな」

「人の住処?」

 両手で包むようにカップを持ちながら、カナタが尋ねる。

「そうだよ。いや、人と言うのは適当じゃないだろうがね。わしが鼻たれの頃から何にも変わらない、綺麗な女がいるんだよ。時折ここに降りてきて肉や他にも金になるものを持って来ては、食料と交換していくんだ。年に一回来るか来ないかってところだが、村の若い男共は会えるとその日は一日夢見心地だよ」

「……それ、その人って金髪の?」

「ああ、そうだよ。……ひょっとして、その女が目当てかい? 何かして、討伐するつもりなんじゃ……」

「違います! その人、ボクの友達なんです」

「友達? 間違いなく人間じゃないぞ? いや、まあいいか。細かいことは。そう言うならそうなんだろう」

「……すっごく簡単に信じてくれるんですね」

「別段、お前さんの言ってることが本当でも嘘でも、わしには関係ないからな。それにエトランゼは不思議な力を使うんだ、そう言うこともあるだろう」

「ボクがエトランゼって判りますか?」

「判るさ。理由はないが、長く生きてきたからな。なんとなくだ」

 言いながら、老人はカウンターの方へと歩いていき、自分の分のお茶を煎れる。それからまたポットに水を入れて、暖炉の傍に置いて温め始めた。

「この村はエトランゼには好意的だよ。勿論、悪さをしない奴にだけだがね」

「それはしませんけど……。どうしてですか?」

「昔話になるがね、二十年ぐらい前かな。この村が雪に埋もれていい加減に村を捨てなきゃならないかもって時に、一人のエトランゼが来たんだ。そいつはここの地下に眠る鉱石に目を付けて、その熱を伝わせて温泉を沸かす方法をわしらに教えてくれた。以来、わしらは温かいお湯に浸かれているってことさ」

 しみじみと、当時を思い返すように老人は語る。

「ただ、そのエトランゼはそれで商売しようと思ったようだが、場所が悪くて失敗したのさ。この村を出てく時は暗い顔をしていたが、そいつはその見返りを要求することはなかった。失敗は自分の計画が甘かった所為だから、その責任を誰かに被せるつもりはないとね」

 言ってしまえば、エトランゼが知識を利用して金儲けをしようとして失敗しただけの話だったが、それがこの村の人々の助けになり、感謝されているという事実に変わりはなかった。

「おかげでわしらは村を捨てずにすんでる。永遠と言うわけではないが、そのころにはまたエトランゼが新しい方法を持って来てくれるのを、気長に待っているってことさ」

 そう締めくくって、老人は笑う。

 きっとそれは冗談で、本気ではないのだろう。いつかは自分達の力でこの村を捨てて、移動しなければならない日がくる。

 それでも彼等は嬉しかったのだ。生まれ育った故郷を捨てなければならない瀬戸際で、その寿命を延ばしてくれたエトランゼの行いが。

「しかし、そうかぁ。あの女の友達ね。うん、いいんじゃないか。友達にでも会えば、あの仏頂面も変わると思うね」

 老人はお茶を飲み干して立ち上がる。

 ほぼ同時にヨハンとカナタのカップも空になっていた。

「美人ってのは得だな。表情なんかなくても絵になっちまう。若い頃は顔見れるだけで充分だったが、爺になると欲が出てな。死ぬ前に笑った顔も見てみたいもんだ。最初に見たのが親父におぶられた時だから……もう六十年ぐらいか? 一度も笑顔を見たことがない」

「……頑張ります」

「はははっ、頑張っとくれ。それじゃあ、部屋に案内するよ。温泉にでも浸かってる間に飯の支度をしよう。爺の話に付き合ってくれてありがとな」

 二階への階段に向かって歩いていく老人に、二人は付いて行く。

 歩くたびに音がする年季の入った廊下や、所々壊れかけている壁。カナタはそれらを見ながら、何かを考えている様子だった。

「どうした?」

 それが気になって、小声で尋ねてみる。

「ん。この村に、アリスが来てるんだなって。アリスが何をしようとしてるのかは判らないけど、そんなに変わってないのかも」

 もし、完全に人ではなくなってしまったのなら、わざわざ食料の対価を持っては来ないのだろう。

 彼女が何しようとしていても、その心まで完全に失ってしまったわけではない。その事実がカナタには嬉しいようだった。

 だからと言って、決して楽観はできない。アルスノヴァの目的が判らない以上、本格的に敵対する危険性は常に秘めているのだから。

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