第二節 カナタとアリス
その少女とカナタは初めてまともに話したのは、お世辞にも和やかな状況と言うわけではなかった。
転校してきた日本人とイギリス人のハーフの美少女。そんな触れ込みで学校中の話題の的となった少女が、次第に誰にも触れられなくなっていった過程には様々な要因がある。
その中の一つ。放課後に校舎裏で一人、箒掛けをしているその姿をカナタは見つけてしまった。
カナタも同じように教室の掃除を終えて、最後の仕上げにごみを捨てに行く帰りだったのだ。
校舎の壁が照り返す夕日に照らされながら、俯いて落ち葉を一人掻き集めるその姿は本人の美貌も相まって不思議と目が離せない魅力があり、同時に何処か物悲しい。
一瞬見惚れてしまっていたカナタだが、事態はそう言う話ではないことに気が付いて、慌ててその場から立ち去る。
そして少し離れたところにある掃除用具入れから箒を取り出して、彼女のいる場所に戻ってくると一緒に地面を掃き始めた。
最初は黙ってそれを見過ごしていた彼女だったが、次第にカナタの行動に不気味なものを感じたのか、不機嫌そうな声を出す。
「何のつもり?」
「なんのって……。掃除だけど?」
片方の音が止まっても、カナタが地面を掃く音は止まらない。
塵と落ち葉を掻き集めて、彼女が集めた場所に合流させていく。
「私の記憶が正しければ、ここは貴方の担当ではないはずだけど?」
「そうだけど、教室はもう終わっちゃったし。一人じゃ大変でしょ?」
「普通、そう言う場合はどうして一人になったのかを考えるべきよね」
「ねー。ズルいよね。あの子達でしょ? いっつもそうだもん。押し付けられる人探して、そうやってね」
「……そう言う問題ではないと思うけど」
ざっと、二人の距離のちょうど真ん中あたりに落ち葉が溜まっていく。
少し離れたところに移動して、またそこで掃き掃除。
彼女も問い詰めることを諦めたのか、何も言わずに自分の分を片付けに掛かった。
そうして、ある程度綺麗になった頃、カナタが塵取りを持ってしゃがみ込む。
「はい。そっちから掃いて」
「……貴方、私と一緒にいたら貴方も同じ目にあうわよ」
「えー、あわないよ。ボク、友達多いし」
その能天気な性格が幸いしてか、カナタにはそれなりに友人が多かった。ひょっとしたら彼女の掃除を押しつけた連中には目を付けられるかも知れないが、その時はその時だ。
彼女は箒で塵取りに掃き入れようとしたが、強く力を入れ過ぎて、落ち葉がカナタに降りかかる。
「わぷ」
「あ、ごめん」
それからしばらく無言で作業を続けた。
大方のゴミを取り終えて、それらをゴミ箱に入れて、それを捨てれば掃除は終了となる。
ゴミ袋を取り出してそれを手に持って、彼女は仏頂面にカナタに話しかける。
「……ありがとう。後は一人で大丈夫よ」
「ううん。付いてくよ」
不思議とそれを断る気にもなれず、焼却炉にゴミを捨てて、二人で鞄を持ってどちらともなく歩き出す。
無言のまま校門を出て、驚くことに帰る方向は同じだった。或いは、ここでお互いが別の方向に向かえば、この関係はここまでだったかも知れない。
「くだらないわよね」
「なにが?」
「あの子達のうちの一人が好きな男子が、私に告白してきたの。それを断っただけで、これよ」
「へー。告白されたんだ。凄いね」
「論点はそこじゃないわ」
「まー、そう言うところあるよね。うん、恋は人を身勝手にさせるから。漫画で読んだ」
カナタ自身はまだ恋を経験したこともないため、その程度の意見しかない。
「漫画の台詞でしょ? そのまま言うのはどうなのよ」
「あれ、知ってたの?」
「知ってるも何も、全巻集めて……。って、どうしてこんな話をしなくちゃならないのよ」
「全巻! 凄いね! あれ、巻数でてるから集めるの大変で……。お小遣いも限りあるし」
途端、目をキラキラさせて顔を覗き込んでいる。
カナタが小柄なせいもあって、見上げられるような形になって、妙なくすぐったさがあった。
「……今度貸してあげる。掃除を手伝ってくれたお礼」
「ありがとー! じゃあ、今度からも手伝わないと!」
「どうしてそうなるのよ」
「え、掃除一回で一巻じゃないの?」
「そもそも、貴方に手伝ってもらわないといけない状況が異常なのだけど?」
「でも、多分これからもそうなるよ? それに大丈夫。ボク、放課後なんて特にやることもないし」
「勉強すればいいじゃない」
「……うん、まぁ。程々に」
そう言って目を逸らすカナタ。
その姿が面白くて、彼女は思わす噴き出してしまう。
「変な子ね、貴方」
「君も相当だよ」
いつの間にか二人の足は止まっている。
分かれ道になるであろう場所で、二人はどちらともなく立ち止まって話を続けていた。
次第に夕焼けの色が濃くなって、時間が来たことを教えてくれる。
「じゃあ、ボクこっちだから」
「ええ、私はこっちよ」
指す方向はお互い別方向だった。
別に明日になればまた会えるというのに、初めて会話をしたこの時間が終わってしまうのが妙に物悲しい。
馬が合う、とでも言えばいいのだろうか。二人の間には何もないはずだったのに、お互いの声を聞いているだけで妙に心地いい。
「ボクの家、すぐそこなんだよね」
「私もよ。ここからちょっと行ったところの、大きい家」
「近所じゃん! じゃあさ、明日一緒に行こうよ。ここで待ち合わせて」
「……そうね。それもいいかもね」
多分、自分と一緒にいるところを見られない方がいいと言ったところで無駄なのだろう。
彼女自身でも意外なほどに早く折れて、それを承諾する。
「あ、そうだ。ボクはカナタ。よろしく」
手を差し出される。
最初に教室で自己紹介をしたはずなのに、何故か彼女も再び名乗っていた。
「アリスよ」
「可愛い名前だね」
ぎゅっと二人は手を握りあって、それからどちらともなく離れた。
「それじゃあ、カナタ」
「うん。また明日」
そう約束して、二人は別れて歩いていく。
夕焼けの街並みに進んで行くその足取りは、これまでに感じたこともないほどに軽い。
▽
「カナタ、起きろ」
肩を揺さぶられて、カナタは目を覚ます。
薄暗いその空間は今も揺れ続けて、それが妙に気持ちよくてつい眠りこけてしまっていた。
「おはよう。ヨハンさん」
「ああ。そろそろ付くぞ。準備をしておけ」
「ふぁい」
欠伸と一緒に返事をして、荷物を確認する。ヨハンがずっと起きて見ていてくれたのだろうから、忘れ物や盗難の心配もない。
やがて馬車が止まって、御者席の男が声を掛けてくる。
後ろ側から降りると、ザクッと雪の中に靴が埋もれていった。
「うわ」
馬車の中では殆ど眠っていたので気が付かなかったが、辺りは薄っすらと雪に囲まれた白い世界が広がっている。
寝る前は草と土が広がっていた地面は、今は白い化粧を施されて、それが青空から落ちる陽の光を反射して眩く輝いていた。
一緒に降りて、前の方に回って御者席の男と会話をしていたヨハンが戻ってくる。多分、お金を払っていたのだろう。
すぐに馬車は出発し、カナタ達が行くであろうとは別の方向へと向かって進み始めていた。
「あっちの方向に進めばオルタリアに戻れる。随分と無理をしてもらったからな」
あの馬車は、本来ならば前の街までしか行かないものだった。それを交渉で、ここまで運んでもらったのだった。
ヨハンとしてももう少し前で降ろしてもらってもよかったのだが、道中カナタが眠ってしまったのもあってか行けるところまで運んでくれたのだと言う。
「ちゃんとお礼言っといた方がよかったかな」
「その分、色を付けて払ってある。エレオノーラの手形のおかげで浮いた代金だ、問題ない」
話に聞けば、エレオノーラの手形がなくて関所が封鎖されていた場合、大分無茶な道を進む予定だったらしい。そうならないでよかったと心から思う。
「ここからは冷えるぞ。ローブはしっかり着込んでおけ」
「うん」
頷いて、今の自分の格好を見る。
普段の軽装鎧ではなく、カナタはヨハンが来ているのと同じローブを着ていた。サイズは小さく、所々に刻まれた魔法の文様の色が赤いだけで、殆どお揃いと言える。
「これって、アーデルハイトの?」
「そうだな。頼まれていたものだ。こんなところで役に立つとは思わなかったが」
カナタとアーデルハイトは殆ど体格が変わらないため、特に問題なく着ることができた。
軽くて、道具と大量に収納できて、更に身体能力を強化する魔法が込められている。その上防御力もあり、防寒性もあると言う優れものだった。
「こんなズルい服着てたんだ」
「そうだぞ」
悪びれる様子もなく返事をして、ヨハンが先に歩きだす。
カナタもその後を早歩きで続いて、隣に並んだ。
「へへ。お揃いだね」
「そうだな」
「こういうのあるならもっと早くくれればよかったのに」
「昔一着やっただろう。あのメイド服だ」
「あー……」
首を上の方に傾けて、思い返す。今にして思えばあれも同じ原理でできていたということだろう。
「あれはもともとお前にやろうと思って作ってたんだ」
「え、なんでメイド服なの? 趣味なの? むっつりスケベなの?」
そう言って、カナタは冗談めかして距離を取った。
「服のデザインが思い浮かばなかっただけだ。できるだけ可愛いものがいいと思ったんだが、それ自体が判らなくてな。結局出てきたのがそれだった」
「あ、そう」
距離を戻す。
ざくざくと雪を踏みしめて、新雪に足跡を残しながら二人は歩んでいく。
どうやらこの辺りには人の数は少ないらしく、辺りを見渡しても歩いている人の姿はない。
カナタのそんな仕草から次に飛んでくる質問が理解できたのか、先回りするようにヨハンが喋り出した。
「ザルツシュタートの首都はここからずっと東に行ったところにある。この辺りは殆ど手付かずで、村落がぽつぽつとあるだけだ」
「へー。じゃあ禁忌の地は首都からずっと遠くにあるんだ」
「そう言うことだな。ザルツシュタートは見ての通りの気候で、そこで文明を支えるにはお互いの協力が必要不可欠だ。だから、主要な街は全て首都の周囲にある。国土はオルタリアの倍以上あるが、人口にはそれほど差はないらしい。あくまでも記録できている範囲での話になるが」
「つまり、この辺には人が暮らしてないってこと? なんか勿体ないね、沢山土地があるのに」
「全体的に肥沃な土地に恵まれたオルタリアだって、北部はともかく南の、それこそイシュトナルの周囲には殆ど入植が済んでいなかったんだぞ」
「それもそっか……」
日本に生まれて育って来たカナタにとって、土地を余らせるという感覚そのものが理解できない。カナタの知っている限り山奥でもない限り陸地には人が暮らしていたのだから。
「それってつまり、持て余してるってこと?」
「まぁ、そうとも取れるな。俺達が暮らしていた世界のように文明が発達しているならともかく、こちらでは広すぎる土地は管理する手間すらも惜しいということだ」
「あー、そっかぁ。悪い人とかもいるしね」
人が増えて住む場所が広がれば、そこを管理する必要がある。
カナタも冒険者として何度か野盗や魔物から村を護ったことがあるので、それがどれだけ深刻な問題化はよく判っていた。
それに掛かるコストも膨大で、結局のところオルタリアにしてもこのザルツシュタートにしてもそこに省ける充分な予算を確保できていないということだろう。
「でもあるだけいいよね。土地」
「そうでもないがな。それこそ魔物の生息地にされたり、盗賊にでも住み着かれればことだ。そうなった場合、そこから発生した問題に対処する義務が生まれるわけだからな」
「なんだか大変なんだね。でも、それじゃあこの世界では人間同士の戦争はあんまり起こってないのかな?」
「……それはどうだろうな」
カナタとしては、土地が余っているのなら人の物を奪う必要はない。そうなれば、戦争を起こす必要はないのかと考えだった。
勿論、先日のヘルフリートのような特殊な場合を除いた話ではあるが。
「土地の質にもよるな。オルタリアは場所や土地に恵まれているが、見ての通りこのザルツシュタートや南にあるバルハレイアはそうでもない」
言われて思い返す。
確かにトゥラベカと修行をしたバルハレイアの大地は殆どが赤茶けた土に覆われて、とてもではないが作物などが育つような場所ではなかった。
ラス・アルアの樹海には緑が沢山あるが、あそこで人が生活するのは難しいだろう。
「ザルツシュタートは国内の情勢が安定していないから、当面はその心配はないだろう。だが、いつその問題の解決を外に求めるかは判らない」
「……そうなった時が、戦争ってこと?」
「噂を聞くに、後十年以上は外側に目を向ける余裕もなさそうだがな」
安心させるためにそう付け加えられても、カナタの中には不安が残った。
戦争の火種がある。また人が悲しみ、苦しむ事態がくる可能性があると言うだけで、気持ちが沈んでいく。
カナタの気持ちを察したのか、ヨハンの手が頭に伸びてきて、優しく撫でた。
「俺達が気にすることじゃない……。いや、本当にだ。この言い方は無責任かも知れないが、それも含めて人の在り方なんだろうと、俺は思う」
いつの間にか辺りの景色は移り変わり、木々が生い茂る森の中に引かれた道へと入り込んでいた。
空はいつの間にか曇り、ちらほらと白い粒が落ちてくる。
辺りの木々は葉の上に積もった雪を風で揺らしながら、カナタ達をそこに迎え入れてくれた。
「……でも、それは悲しいよ」
「俺達が俺達がどれだけの力を持っていても、この世界で何者だったとしても、それは覆せない。覆してはいけないことなんだ」
「大勢の人が死んだとしても?」
「そうだ。それが人だから、そうやって学んでいくことを奪ってはならない」
「戦いを止めるなってこと?」
「それも違う。俺達がここで生きている限り、俺達にもまた自分の我を通すために戦う自由がある。ただ、戦わない人間を作ってはならないってことだ」
「……戦わない人間……」
「人には戦う自由がある。エレオノーラがエトランゼの迫害に対して立ち上がったように、そのエレオノーラをお前が護ったように」
カナタの歩みが止まる。
三歩ほど先に歩いてから、ヨハンも同じように立ち止まってカナタを振り返った。
「……難しいね。ボクには、よく判んない」
「だろうな。俺にもよく判らん」
「なにそれ」
思わぬ間抜けな話のオチにはにかんで、カナタは早足にヨハンの横に並んだ。
雪が次第に強くなり、辺りがより白く染まっていく。
白銀の世界は涙が出るほどに美しい。風に揺れる木々の音と、遠くの獣の声。そして二人が歩く音だけが聞こえてくる白い世界で、二人はどちらともなく歩み出した。
ふと前を見た時に揺れているヨハンの手を、力なく握る。自分の存在をここに証明するように。
今、何かを言いかけてしまった。
同じように、ヨハンも何かを言おうとした。
胸の中に不安が渦巻く。
吐きだそうとしたそれを二人は済んでのところで飲み込んで、前を向くことで誤魔化したのだった。
その言葉、その言い分はまるで。
――人ではない、神のような言葉だと思ってしまったから。
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