十章 彼方から此方に(上)
第一節 救世の光
あるところに、一人の少女がいた。
始まりのエトランゼと呼ばれた少女はこの世界に呼ばれ、そして悲劇を見た。
虚界と呼ばれる場所より染みだした異形。
無駄な抵抗を繰り返し、蹂躙されていく人々。
それをただ他人事のように見続ける、御使いと呼ばれる者達。
彼女は悲しんだ、怒った、叫んだ。
瓦礫となった荒野の中心で、誰とも知れない赤子の遺体を抱きしめながら、どうしてこんな悲劇が許されるのかと天を睨んでいる。
家族とも友人とも離された彼方の大地で、少女は見ず知らずの人間のために怒り、悲しめる人間だった。
――果たしてそれが希望だったのか、それとも悲劇に過ぎなかったのかは、今はまだ誰にも判っていない。
彼女の叫びは何かに届いた。
御使いではなく、虚界の王でもなく、天空から人々を見下ろすだけの『誰か』に。
少女の目の前に光が降りる。
まず、掛けられたのは謝罪の言葉だった。
君は失敗したのだと。
本来ならば授けるべき力を持たずに、この世界に来てしまった。無力な少女に過ぎないと告げられる。
少女は唇を噛みしめ、黙ってその話を聞き続けた。
そうしてその誰かの長い語りが終わってから彼女がしたことは、まず全力で怒りをぶつけることだった。
地面に転がる小石を掴み、砂を掴み投げつける。
そんなものは何の意味もないと判っていながらも、それをしないわけにはいかなかった。
そうでなければ苦しくて、張り裂けそうな心の痛みに耐えられそうになかったから。
黙って彼女の幼稚な攻撃を受け続けたその誰かは、代償を支払うことにする。
見ず知らずの人のために涙を流せる彼女に興味を持った。
それは、これから始まる悲劇の序曲。
その誰かは問いかける。
「誰かを護れる力が欲しいかい? 例えその代償が、君の全てだったとしても」
少女は二つ返事で頷いた。
実際のところ、彼女はもうここに来た時点で全てを無くしたものだと思っていた。家族や友人と二度と会えないと、その誰かの説明で知ってしまったから。
ただ、問題があるとすれば。
彼女は自分で思っているよりもずっと幼くて、これから出会うであろう人々の価値を考えられなかったと言うことだろうか。
「なら、君に私の力をあげよう。人の身には過ぎたるものだ。君の心より生まれる力、内なる輝き。御使い達が操る紛い物とは違う、本物の心の光だ」
世界が眩く光り、いつの間にか目の前からはその誰かの姿は消えていた。
後に残ったのは破壊され尽くした荒野と、人々の死体ばかり。
夢ではない現実に絶望して、立ち尽くしながらも少女の中には大きな変化が訪れていた。
天の光。
そう呼ばれる輝きが宿っていた。
少女は力を得た。
それは、人々を救い大勢を希望に導く天の輝き。
同時に彼女自身を壊して、心を失わせる悲劇の輝き。
故に、眩く美しく映っただろう。
人の運命と言うものは悲劇に向かうその時こそが華々しく、流れる星のように煌めくのだから。
▽
夜の闇に紛れて二人は家を出た。
エトランゼの大半が意識を失ったことでオル・フェーズは機能の一部を停止し、故に無事だったヨハン達に掛かってくる負担も大きくなっている。
それでは埒がかないことを知っている二人は、もうこれ以上オルタリアの下で動くことに意味がないと理解していた。
昼間は大勢の人が行き交う商店街も、夜も深まった今の時間では酔っ払いや野良犬が通行するぐらいで、誰もヨハン達に注目などはしていない。
最低限の手荷物を持って、ヨハンとカナタの二人は早急にオル・フェーズを抜け出していた。
暗く静まった門の前で衛兵に挨拶をする。例え夜行に対して疑問を抱かれたとてしても、ヨハンの立場ならばどうとでも言いくるめられる相手だった。
「魔導師殿。お話は聞いております」
背筋を正すその姿に、ヨハンは違和感を覚えた。
お話を聞いているとはいったい何のことなのだろうかと疑問が浮かぶが、半ば夜逃げのようなことをしている手前詳しく聞くこともできない。
隣で首を傾げるカナタと共に門を潜る。
城門の先、篝火で照らされた暗闇の中に立っている姿を見て疑問は全て氷解した。
「……エレオノーラ」
長い黒髪の、美しい少女の名を呼ぶ。
この国の王女でありヨハン、カナタと長らく苦楽を共にしてきた彼女は両腕を組んだその上に胸を乗せて、不機嫌そうな顔で二人を睨んでいる。
「待っていたぞ、二人とも。遅いではないか」
そう言って、彼女が小さく身震いする。
王族らしく豪華で暖かそうな赤いコートを纏っているが、それでも冬の寒さは堪えるのだろう。
「なんでここに?」
カナタの疑問に、エレオノーラは胸を張って答えた。
「そなた達の考えが理解できぬと思ったか? 妾達は共に死線を潜り抜けた仲であろうに」
「それはまた、大したものだ」
素直に称賛の言葉が出た。誰にも知られず、気取られずに出てこれたと思っていたのに。
「判るとも。数日前からこそこそと旅立ちの準備を整えておったのだろう? 妾がどれだけヨハン殿のことを見ていると……いや、今はその話はいいな」
こほんと、咳ばらいを一つしてからエレオノーラは居住まいを正した。
そうして改めて、本題を切り出す。
「此度の件、エトランゼ達にとっての大きな危機なのだろう? ならば、妾も共に行く。エトランゼ達を救いたいのだ」
「……それは……」
ヨハンとカナタは互いに顔を見合わせて、答えに窮する。
彼女の想いが本物だとしても、それを許容するわけにはいかなかった。
北の大地、険しい自然の中にあるその場所にいるであろう敵の力は未知数で、少なくともこれまで戦った御使い達に劣るものではない。
何せ、カナタは見ているのだ。アルスノヴァを名乗る友人アリスが、あのイグナシオを退けているのを。
どう説得したものかと困っている二人の前で、エレオノーラは唐突に笑いだした。
「ふふっ、冗談だ。妾もそこまで身の程知らずではない。相手は前代未聞の力を持つ、魔人と名乗るエトランゼなのだろう? 妾が行っても足手まといだ」
悲壮感を出されるよりも、そう言ってくれた方がいっそ気が楽だった。
「いや、この場合は傲慢と言うべきか? 声を発することしかできぬ妾如きが、エトランゼを救おうなどとはな」
「エレオノーラ様! それは違います」
エレオノーラの自虐を、カナタははっきりと否定する。
自分より少しばかり身長の高い彼女を見上げて、続きを口にした。
「少なくともボクは嬉しかったし、エレオノーラ様の声には力を貰えますから。だから、全然傲慢じゃないです。よかったら、ボク達のことを応援しててください」
「……カナタ……!」
目尻に小さな涙を浮かべ、エレオノーラがカナタを抱きしめる。
肩の部分に顔を埋めながら、カナタは少しだけ困ったような顔でそれを受け入れていた。
「そなたは妾の友であり、希望だ。頼む、エトランゼ達を救ってくれ」
「ボクに何処までできるかは判りませんけど、頑張ります。……友達を絶対に助けたいから」
その言葉の後に、二人の身体が離れる。
それからエレオノーラはヨハンの方を見て、両手を広げて見せた。
「ほら、そなたもだ」
全く毒気のない笑顔でそう言われては、逆に断る方が恥ずかしい。
軽くエレオノーラの身体を抱きしめると、彼女の方は強く背中に手を回して、身体を押し付けてくる。
「言葉は要らんな。妾はそなたを信じてる」
「できることなら何でもやってみるさ。もう後悔しないように」
神にでもなく、彼女に誓う。
しばしの抱擁の後二人の身体が離れ、エレオノーラは照れくさそうな顔でヨハンを見上げていた。
少しの間その余韻に浸っていたようだが、やがてここに来た目的の一つを思い出したのか、慌ててコートの懐を探る。
「忘れるところだった! これを持って行け」
そう言って渡されたのは一枚の紙だった。
「これは、通行許可書か。それも王族の印鑑入りの」
「そうだ。禁忌の地はオルタリアではなく、ザルツシュタートにあるからな。これがあれば不都合なく行き来できる」
「助かる」
「あの国は色々と情勢が不安定でな、時期によっては関所が封鎖されていることもあるらしい。ヨハン殿、妾が来なければどうやって入るつもりだったのだ?」
「……まぁ、それは。色々と適当に」
「無茶をするつもりだったのだろう? 魔人との戦いがあると言うのに、無駄なところで体力を使ってどうする」
そう説教されては、返す言葉もない。
ヨハンに強気に出れたことで置いて行かれた溜飲が下がったのか、満足げにエレオノーラは街道から一歩横に逸れた。
「二人とも、死ぬな」
ヨハンとカナタは同時に頷き返す。
そしてエレオノーラの横を通り抜けて、街道を真っ直ぐに歩み始めた。
二人の足音が遠ざかりその姿が完全に視界から消えたころ、背後で兵士の慌てた声と共に強く大地を踏みしめる足音が聞こえてくる。
振り返れば、そこに立っていたのはエレオノーラの兄であるゲオルクだった。
短い赤毛、逞しい体躯の偉丈夫は手を翳して彼等が消えて行った方向へと目を凝らしている。
「なんだ。行ってしまったのか。水くさい奴だ」
「兄上。どうしてここに?」
「いやな。ヨハン殿のところにこっそりと話をしようと思ってたんだよ。単独で魔人討伐に向かってくれってな。どうにも頭の固い貴族連中を説得するのには時間が掛かりそうだからな」
そう言って、彼は通行許可書を見せる。それは先程エレオノーラが渡したものと同じものだった。
「我ながらタイミングが悪かったみたいだな。いや、これはこれでか」
そう言って、苦笑いする。
「妾達には止められませんよ、あの二人は」
「はははっ。王族でも止められないとは、まるで神様だな。知ってるか?」
「ええ。オルタリアに昔から伝わる伝説でしょう? 空から降りてきた神によってこの国は創られたと」
「よく覚えてるじゃないか。それはずっと御使いだと思われてたんだが、俺は違うような気がしてきてな」
「……はい。妾も」
その先は、どちらも口にすることはなかった。
それは浮かんだ言葉が冒涜的であるとか、そう言った理由からではない。
お互いの中に浮かんだ言葉が一緒だと判っているから、敢えて口に出す必要がなかっただけの話だ。
それは、御使いではなかったのかも知れない。
この国に訪れ、かつて現れた邪悪を退けてオルタリアの基礎を作ってくれた者達。
彼等は、エトランゼと呼ばれた者達なのかも知れなかった。
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