第六節 魔人来訪

「おいおいおいおい! 負けちまったのかよ」

 呆れたような声でテオフィルが言う。

「半分はアンタの所為でだろ!」

 オールフィッシュの掃射を衝撃で弾き返しながら、テオフィルは「それもそうだ」と愉快そうに笑った。

 その全く悪びれもしないような姿が、目の間の音が如何に人の道を外れた外道かを現していた。

「だが、時間は稼げたみたいだな」

 そう言って、背後を見る。

 後詰として進軍していた聖別騎士団が到着した一糸乱れぬ足音が、近付いて来ていた。

 やがてそれらは道の向こうから姿を現し、戦闘に参加すべく武器を構える。

「クハハッ。俺としちゃいつ寝首を掻かれるか判らない奴だ。役立たずになったことだし一緒に殺してもらえると助かるんだがねぇ!」

「何処までも……!」

 ラニーニャの水の刃を聖別武器で弾き返し、テオフィルは後退していく。

「もうこれ以上頑張る理由もねえ! 団長さん、引き上げた方がいいんじゃねえか!」

「……そうだな。イザベルは殺せなかったが、貴様達の命を引き換えならば安いものだ」

 アーベルもまた武器を下げて、後退の姿勢を取る。

「聖別騎士団。この者達を一人残らず殺せ。アストリットは生きて連れて来い。そいつにはまだ使い道がある」

 冷酷な指示が下り、兵士達はそこに何の疑問も挟むことはない。

 兜の下に表情を隠して、彼等は背教者を叩き潰すために声もなく進軍してきた。

「確かに、この数は……! ですが、ここで貴方を逃がすと……!」

 カナタが未だ立ち上がれないアストリットを庇い、武器を構えている。

 ラニーニャは逃げようとするテオフィルに斬りかかるが、突然の異変が彼女を襲った。

「……は……?」

 がくんと、膝が崩れる。

 そのまま力なく、ラニーニャは無防備に全身を地面に投げ出していた。

「ラニーニャ!」

 何が起こったのか、それは目の前に立つテオフィルですら理解できていない様子から、彼が仕組んだことではない。

 何の前兆もなく、ラニーニャは意識を失ってその場に倒れ込んでしまっていた。

「クハハッ」

 テオフィルが笑う、心底愉快そうに。

「っ、ラニーニャを!」

「邪魔すんなよ、お嬢ちゃん!」

 彼女を護るために投げた道具は、極大の衝撃波によって吹き飛ばされ、その余波を受けたクラウディアも、上空高く打ち上げられて地面に叩きつけられた。

 もう起き上がる時間もない、。

 カナタもヨハンも、ラニーニャを援護できる位置には立っていなかった。

「あばよ、姉ちゃん」

 俯せに倒れたままのラニーニャの頭部に、容赦なく聖別武器が落ちていく。

「やめ……!」

「……あん?」

 二人の声が同時に交差する。

 クラウディアが途中で声を失ったのには理由があった。

 それは、テオフィルが奇妙な表情をしているのと同じもので、突然彼の目の前に現れてその剣を片手で受け止めている誰かに対しての疑問だった。

「……貴方、エトランゼではないの?」

 肩まで伸ばされた金の髪。

 それが映える黒い、ドレスのようにも見える長いスカートと広がった袖の服。

 音もなくそこに現れた彼女に対して、真っ先に声を上げたのはカナタだった。

「アリス!」

 友人の名を呼び、駆け寄ろうとするカナタだったが、何故かラニーニャと同じように態勢を崩してその場に倒れ込んでしまう。

「無理はしないことね。貴方は本来対象になっていないはずだけど、紅い月の引力によって力が引っ張られているわ。貴方のことだからすぐに慣れるとは思うけど」

 言いながら、目を細めてカナタを見る。

 その表情が意味するところは、その場の誰も判りはしない。

「おい姉ちゃん。なんで邪魔するんだ?」

「……そうね。敢えて理由を言うのなら、サービスと言うか、自分の尻ぬぐい……? どちらにしても彼女とは縁があるから、くだらないところで死んでほしくないの」

「俺に殺されるんだ、上等な死にざまだと思うがね!」

 剣を引き、ギフトが発動する。

 不可視の衝撃に至近距離から晒されながらも、彼女は全く動じた様子もない。

 それどころか見えない力は二つに割かれ、彼女の後方で遠くの山に二つ、穴を開けていた。

「なるほど。貴方、御使いにその身体を捧げたということ。それならもう、エトランゼではなくなったことにも納得がいくわ」

「て、めぇ……!」

「取り敢えず、貴方はお呼びではないわね」

 テオフィルの身体が突然浮かび上がったかと思うと、彼女の目の前から遥か遠くへと吹き飛んでいく。

 強く地面に叩きつけられたテオフィルはすぐに反撃に出ようとするが、見えない力に抑えつけられるように、その場に這いつくばることしかできなかった。

「無駄よ」

 同様に、武器を構えて自らを包囲する聖別騎士団を一瞥する。

「貴方達も邪魔ね」

 上から下に押しつけられるような重圧が、アーベル達聖別騎士団に襲い掛かる。

 大地を砕かんばかりのその力に圧し掛かられて、その場の誰もがその身を地面に横たわらせて耐えることしかできない。

 たった一瞥しただけでこの場を制圧しきった女は、改めてカナタとその後ろに立つヨハンを見る。

 その彼女の頬を、銃弾が掠めた。

 片手を突いて起き上がったクラウディアが、彼女を睨みつけていた。

「ラニーニャに何した!」

「……今からそれを説明するところだから、黙って聞いていなさい」

「うわっ!」

 クラウディアの身体が浮かび上がって、カナタの横に無造作に放り投げられる。

 尻餅を付く彼女のすぐ傍に、ラニーニャに対しても同様に浮かび上がらせて仰向けにして静かに降ろした。

「私の名は魔人、アルスノヴァ。私は紅い月を生み出し、そしてまた全てをそこに還す者」

「……紅い月を? つまりはお前がエトランゼをこの世界に呼んだということか?」

 拳銃を構えたまま、ヨハンがそう質問する。

「その答えに付いては面倒だから今は語らないわ。貴方達が知るべきは二つ。一つはこの」

 アルスノヴァが天を指す。

 今まで気が付かなかったが、雲の向こう、蒼穹の先に深紅の輝きが見えている。

 紅い月。エトランゼがこの世界に現れる前兆として空に浮かぶそれが、昼間だと言うのにヨハン達を見下ろしていた。

 ヨハンが知っている限り、昼間に紅い月が出たことなどは一度もない。

「紅い月への回帰を始めると言うこと。彼女が倒れたのはその最初の段階に至ったからに過ぎないわ」

「最初の段階って何だよ! ラニーニャは無事なの?」

「ええ、無事よ。それは安心して。彼女の魂は紅い月に吸い上げられ、そこで形を整えて新たな肉体に宿る。……彼女だけでなく、全てのエトランゼがね」

「はぁ? 全く意味判んないんだけど!」

「ええ、まだ全然説明していないもの。でも、この場でのんびり全てを解説する暇も、する理由もない。判る?」

 挑発されているような物言いに我慢できずクラウディアは再び銃口を向けるが、それを前に立ってヨハンが阻止する。

 今、目の前の魔人に立ち向かって無事でいられる保証はない。あの聖別騎士団を、テオフィルですらも赤子の手をひねるようにしてしまう、怪物なのだから。

「意識を失ったのは、ラニーニャだけではないということか?」

「そうね。今はまだエトランゼの三、四割と言ったところだけど。時期に全てのエトランゼがその魂を紅い月に回帰させる。生者も死者も関係なく」

「そしてどうなる? この世界からエトランゼがいなくなって、それで終わりか?」

「今この世界に暮らしている人達に起こる事象はそれで全てよ。この世界からエトランゼが消えて、争いの火種は確実に減る。めでたしめでたし」

「そんなの全然、めでたくない!」

「クラウディア!」

 ヨハンの横を擦り抜けて、オールフィッシュの先端を向ける。

「うるさい猫ね。躾はちゃんとしておいてほしいものだわ」

 クラウディアの手の中でオールフィッシュが歪んで、千切れるように砕けた。

 それから呆然とするクラウディアにも、重圧が圧し掛かる。

「聖別騎士団に掛けている重さの半分にも満たないものよ。……でも不思議ね。どうしてこの世界の住人である貴方が、それを拒むの? エトランゼはこの世界に混乱を呼ぶだけだと言うのに」

「そんなの……! そんなの決まってるだろ! ラニーニャはアタシの友達、親友なんだ! それを勝手に消すなんて許さない!」

「……そう。親友ね」

 クラウディアを冷たい眼で一瞥して、改めてヨハンとカナタに向かいあう。

「もう一つ。紅い月が全ての力を発揮するのにはまだ時間が掛かるわ。もし、それを止めたいのなら私を殺しに来ることね」

「……アリスを、殺す?」

「そうよ、カナタ。紅い月がもたらすもの、その未来を忌むべきものとするのなら、私を殺すしかない。そうでなければ私は止まらないもの」

 地面に倒れるカナタを見ながらそう言ってから、アルスノヴァの視線はヨハンに向けられた。

「……今の名は、確かヨハンね? 私はかつて貴方が目指した北の大地、禁忌の地にいるわ。再びそこを目指す覚悟があるのなら、私を止めに来るといい」

 その言葉を最後に、アルスノヴァの身体が宙に浮かぶ。

 それを見たカナタは、地面に手をついて必死で身体を起こして、声を張り上げた。

「アリス!」

「……なに?」

「アーデルハイトは無事なの?」

「ええ。一応はね」

「だったら行くよ」

「即断ね。貴方らしいと言えばらしいけど」

「ボクは、友達を取り戻しに行く」

 それを聞いたアルスノヴァの表情の変化に、気付いたものがいるのだろうか。

 彼女はカナタのその一言を受けて、怒りのような、悲しむような複雑な表情を浮かべた。

 しかしそれも一瞬のことで、当のカナタは全く気が付いていない。

「友達をね。……やってみるといいわ」

 低い声でそう言って、アルスノヴァがその場から消失するように消えていく。

 残されたヨハン達は何をするわけでもなく、ただそれぞれの考えを胸の中で抱えながら、しばらくは彼女が消えた虚空を眺めていることしかできなかった。

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