第五節 神意のままに
既に何度か刃を打ち交わし、カナタとアストリットは向かい合う。
その目に宿るのは深い信仰への祈り。その口が紡ぐのは神への賛美の歌。
「……違う」
カナタはそれを否定する。
彼女の目には、初めて剣を受けた時のような純粋さはない。その剣には神の敵を屠ると言う絶対的な意志はない。
彼女は迷っている。自らの心に蓋をして、そう在らなければならないと勝手に思い込んでいるだけだ。
「アストリット!」
「慈しみ深き神よ。罪を許せ、咎を流せ、そこに流れる人の涙を愛したまえ」
地を蹴り、アストリットが迫る。
俊足の刃を光の剣が受け止めて、両者は至近距離で鍔ぜりあう。
「もし、アストリットが悩んでるならやめてよ!」
カナタが振るった刃を、一瞬の隙を付いたアストリットが身を屈めて避ける。
瞬時に側面に回り込み薙ぎ払われたその一撃を、カナタは片手に展開したセレスティアルの盾で弾いた。
「天の光……!」
アストリットの表情が歪む。
カナタの光を見る度に、その輝きが閃くたびに、それは彼女が本当に信じたものではないのだろうかと、心の中に葛藤が生まれていた。
「アストリット! 奴を早く片付けろ! 神の光を操る冒涜者だぞ!」
ヨハンに時間稼ぎを強いられているアーベルが、苛立たしげに叫んだ。本来は誰かがここを突破してイザベルを殺さなければならないのに、ラニーニャ達の奮闘がそうさせないでいる。
「神様は! 神様はそんなことを許すの? 家族を失った子供に、それしかないって言い聞かせて、辛い道を歩ませることが!」
カナタは思わずアーベルに向けて叫んでいた。
そうして、アストリットに改めて向き合う。
「……ボクは、これがアストリットの意思なら何も言わない。自分が前に進むために君を倒す。……でも、これは違う。自分の家族を殺した奴と一緒に戦えって、それが神様の意思だって、そんなわけない!」
「許すとも! 神は全てを見ておられる。だから、私の行いを祝福してくれるはずなのだ!」
「何を根拠に!」
「私とて同じものを背負っているからだ! 家族をエトランゼに殺された、そんな私にとってエトランゼと共に戦うことは腸が煮えくり返るほどのものだ。だが、私はそれを認めよう。御使いが定めたものならば!」
「……そんなの、都合が全然違うじゃん!」
「なにが違うというのか!」
それだけを言い残して、アーベルとヨハンは再び戦闘を再開する。
彼の言葉は間違っているが、恐らく本人の中では正しいのだろう。
直接アストリットの家族を殺したテオフィルと、アーベルの家族を手に掛けた名も知らないエトランゼ。
その二つは違うが、一緒なのだ。彼にとっては。
エトランゼに家族を殺され、その憎しみを広げ過ぎたアーベルにとってはどちらも変わらない。憎悪の対象でしかない。
でも、これでカナタは確信したことが一つある。
「……あの人は、君のことを全く見ていない。自分の怨念を返す道具にしかしてない」
「……それでも」
アストリットから言葉が零れる。
それは讃美歌ではなく、確かな自分自身の言葉だった。
「アストリットにとっては、確かな導なのです!」
「早い……!」
剣の切っ先がカナタの頬を掠める。
一歩引いていなければ、それは確実に首を斬り落としていただろう。
そのまま無茶な姿勢で突撃を敢行し、二人は縺れあうように地面に転がった。
カナタの上に跨るようにしながら、アストリットは両手に剣を持ってその先端を向けていた。
「何もなかった。アストリットは全てを失っていました。それを救ってくれたのがアーベル様です、神への祈りなのです。アストリットは神の声を聴きました。神の声に従って背教者を殺せば、アストリットは自分でいられたのです。だから、アストリットを傷つけないでください。カナタはアストリットを揺らがせます。カナタの光は危険なのです。アストリットにとってこれまで作り上げてきたものが、全部壊されてしまいそうなぐらいに」
その声は震えていた。
何かに怯えるように。
まるで母親を探す、幼い子供のように。
「人を危険物扱いしないで!」
弾けるようにセレスティアルが炸裂する。
単なる目晦ましで、そこに威力はないが、アストリットはその場から飛び退った。
「……何も作ってない。アストリットには何もないよ」
そうでなければ、天の光を操っただけの少女を御使いと間違えるはずもない。
命令に従って、心を殺して、自分の両親の仇を許せるわけもない。
ここにいるのはアーベルの、聖別騎士団の都合のいいように作られた人形でしかなかった。
それはあの異形達の怒りを語るためにその心を壊されたイアのようで。
かつて母親の憎悪を叶えるためにその身を怪物とされた少年のようで。
カナタにとっては決して見過ごすことができないものだった。
「天の光を持ち、何一つ失ったことのないカナタには判りません」
「……何言ってるの?」
「アストリットの手には何もないのです。縋るしか、なかったのです」
カナタは自分から駆け出していた。
突然の行動に理解が追いつかず、アストリットの挙動が一瞬遅れる。
両手に握る極光の剣の輝きが強まり、戦場を照らしていく。
「ボクも、もう家族には会えない!」
だから、と言うわけではない。
カナタとアストリットの中にある悲しみは全く別の方向性のもので、それでお互いの傷が癒されるとは思ってもいない。
ただ、それは叫びたかっただけだ。心の底から。
そしてその言葉を聞いて、アストリットも何かを理解した様子だった。
この世界に来たエトランゼ達もまた、理不尽によって全てを失ったものであるということを。
「では、カナタは」
お互いの剣がぶつかり合う。
聖別武器の神聖なる輝きと、カナタのセレスティアルが光の粒子を撒き散らして、お互いの存在を消しあおうとしていた。
「カナタは、どうして前を向けるのですか? 何故、縋るものなしに生きていけるのですか?」
それこそがアストリットの答えだった。
もう彼女は認めている。それは信仰ではなく、彼女の内から生まれた義務でもない。
神に縋っているだけだと言うことに。祈りを口にすることで、どうにか自分を保っているだけだと言うことに。
「やりたいことがあるから。この世界で立って、前を向いて、自分の意思で貫きたい想いがあるから」
「そんなの、アストリットにできるわけがありません」
「できる!」
大きな光が舞うように散って、二人の剣が離れる。
本来ならそこで更に踏み込むべきタイミングで、アストリットは迷いを見せた。
カナタの気迫か、もしくは自分の中に生まれた何かに足を止められたのか。
アストリットの選択は、そこで一歩立ち止まって後退を考えることだった。
それとは逆に、カナタは迷わない。
アストリットがそうしていたように、一歩を容赦なく踏み込んでいく。
「何の導もなしに、人が立ち上がることなんて!」
「導ならある!」
キィンと、硬質な音が響く。
アストリットの手から聖別武器が離れ、上空高くに跳ね上げられていた。
青碧に染まった極光の剣は、アストリットの胸に突き付けられている。
二人は荒い息を吐いて、その場でしばらく静止していた。
「あの人と、この世界で出会ってきた人達が、ボクの道標だから」
そう言って、カナタはヨハンを指さしていた。
人を怨念を晴らす道具にしようとするアーベルとは違う。
カナタの意思を認め、向かいたい先へと導いてくれる。そんな存在。
「……アストリットは……。もう、苦しみたくはありません」
完全に戦意を喪失したのか、アストリットは膝を折り、その場で呆然とカナタを見つめている。
「……そうだよね。誰だって、そのはずだから」
そこに差し伸べた手を、恐る恐るではあるが掴んでくれた。
篭手に包まれた冷たく硬い感触は、アストリットのこれまでの生き方を語っているようで、何故だか心が痛くなった。
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