第四節 人の定義

 両手に水の剣を構え、臨戦態勢を整えながら、ラニーニャは忌むべき敵と向かいあう。

 目の前に立つのはラニーニャの目の前でアーデルハイトの片手を斬り落とし、全ての始まりとなったその男。

 そうして今ものうのうと、死んだはずの身体で笑っている怨敵だった。

「始める前に一ついいかい?」

「わたしは貴方と喋るつもりなんてありませんが」

 言いながら、ラニーニャは姿勢を低くして突撃態勢を取る。

 距離を置いては相手の衝撃波の餌食となる。一気に距離を詰めて、そのまま決着を付ける算段だった。

「そう言うなよ。お互いにとって悪い話じゃねえ。……俺と組まないか?」

「寝言は地獄でどうぞ」

 水刃が一閃。

 至近距離で放たれたラニーニャの斬撃を、テオフィルの持つ聖別武器が受け止める。

 光を放ち流動する水の力を跳ね返し、反撃がくる。

 それを身を捻って避けて、更に距離を詰める。

 テオフィルはそれには対応できなかったのか、もう片方の手に持った水の剣がその首を捉える。

「血の気が多いねぇ!」

 地面が爆ぜる。

 テオフィルが放った衝撃波が大地を捲り上げ、二人の身体を宙に浮かべた。

「この程度……!」

 また不可視の一撃がやってくる。

 だが、それは既にラニーニャの中では織り込み済みだった。

 意識を集中し、ラニーニャは探る。

 この山脈を流れる地下水、その在りかを。

 行使する力の規模が増えて、頭の中に鈍い痛みが走る。自分の要領ギリギリの力を使う代償を支払いながらも、その行使には成功していた。

 地面が立ち割れ、水が小さく噴き出す。

 最初はその程度の規模でしかなかったが、ラニーニャにとってはそれで充分。僅かでも見える距離にまで近付けば、後は水脈の繋がりがやってくれる。

 見えない糸で引き上げられるように、地面から噴き出した水が分厚い壁となって展開される。

 テオフィルの衝撃波はそれにぶつかり、水を散らすことには成功したもののその勢いを大きく落としていた。

 結果としてラニーニャを吹き飛ばすことは叶わずに、無事に着地する。

「クハハッ、強くなってるじゃねえか!」

 ラニーニャの立つ地面が揺れて、罅が入る。

 突然のことに足場を崩されながらも、何とか持ち直す。

 そこに、テオフィルが襲い掛かってきていた。

 元来受け止めるのは得意ではないが、仕方なく剣と剣をぶつけさせる。

 ぶつかり合う力ではテオフィルが有利。できるだけ距離を保つために水の刃をあちこちに生み出しながら、ラニーニャは後退していった。

 その途中、横を擦り抜けていこうとした聖別騎士団の兵達を遠隔操作した撓る水の刃が纏めて絡め捕って斬り刻んでいく。

 数度刃が交差して、仕留められないと踏んだテオフィルが距離をって衝撃波を放つ。

 地面を抉るほどの勢いで襲いくる不可視の衝撃をどうにか避けて、身を投げ出して距離を取る。

「いやぁ、やるねぇ。凄げぇじゃねえか! あれからそれほど時間も経ってねえってのに成長したもんだ」

「……貴方に褒められても嬉しくもなんともありませんよ」

「まあ聞けよ。俺が今からする提案に関係ある話なんだからよ」

 再度斬りかかろうとするラニーニャに、衝撃が襲い掛かる。

 両手に持った剣を交差させてそれを受け止めるが、その勢いを殺しきることができずに両手の水の剣は弾け、ラニーニャの身体もその場から後退する。

 その間に、テオフィルは話を続けようとしていた。

「あんたは強い、本物だ。認めようじゃねえか、そのギフトの力はその辺りの雑魚を百匹集めても及ばねえ」

「……そんなつまらない懐柔が聞くと思っているのなら、相当おめでたいですけど?」

「クハハッ、嫌われたもんだ。だがな、俺のことを嫌ってても別に構わねえが、事実からは目を背けるなよ」

「事実?」

「判ってんだろ?」

 テオフィルが指で示した先には、先程ラニーニャのギフトによって倒された兵士達がもがいていた。

 テオフィルと戦いならが、片手間にそんなことをしてのける。それができるぐらいには、ラニーニャのギフトは進化を遂げている。

「お前は、化け物だ」

 その言葉が、ラニーニャの心に毒を染み込ませた針のように突き刺さる。

 それはじくじくと染みだして、少しずつ心を溶かそうとするものだ。

 その声に耳を傾けてはならないと判っているのに、完全に否定することができない。

 何を馬鹿なことをと、目の前の男を斬り捨ててしまえばいいと言うのに、それができなかった。

「人間じゃねえ力を持ったお前さん達がこれから先どうなるか、想像できないわけじゃねえだろ?」

 自分の力が上がっているのを感じている。

 あの時、イブキに全てを任せてしまった負い目から、ラニーニャはそれを好ましい変化として受け入れようとしていた。

 しかし、一枚皮を剥げば出てくるのは葛藤だった。

 力が欲しい、もっと強大な力が。

 でも、その先に残っているものは何なのだろうか。

 望む力を以て全ての脅威を退けたとして、その果てにいるのは果たして誰か。

 そこに、ラニーニャと言う名前の女はいるのだろうか。

「くだらない。わたしに限った話ではないでしょうに」

 そう、吐き捨てる。

 自分に言い聞かせるように。

 化け物になったのは何もラニーニャだけではない。故人とは言えイブキがそうであったし、言ってしまえばカナタやヨハンもその領域に達している。

 別段、ラニーニャだけがそこにいるわけではない。

「ああ、そうだね。そんな奴はごまんといる。ここはそう言う世界だ。でもな、それに耐えられる奴はそう多くはねえ。力と一緒に頭までイカれてる奴等だけだ。……お前さんはそうかい?」

 誤魔化しは一瞬で剥がれた。

 例えば、自分の力や在り方に対する絶対的な自身であったり。

 何かを護ると言う意志や誇りであったり。

 或いは、大勢からの信頼や結びつきでもあれば、自分を保つことも共生することも不可能ではないのだろう。

 ラニーニャはそうではない。

 ヨハンやカナタのように他者のために力を振るい続けることもできない自分に、次第に強くなる力を制御し続けることができるのだろうか。

 いつかは、怪物になってしまうのかも知れない。あの御使い達のように、人に仇なす者に。

「ほらな、悪い提案じゃねえ。だったら化け物同士仲良くしようって話だ。こっちにいるのは御使いって言う俺達以上の化け物だからよ、遠慮することもねえ」

 じゃりと、足元で砂が音を立てる。

 顔を上げて斬りかかってその口を閉じさせればいいはずなのに、それができない。

「俺はお前さんのことは気に入ってんだ。殺すのは惜しい、そう言う道だってあると思うんだよな」

 目の前の男の言葉が間違っているとしても、ある意味ではそれは正しいのかも知れない。

 確固たる信念もなく力を振るい続けたラニーニャの未来こそが、テオフィルであるかも知れなかった。

「やーれやれ。ようやっと大人しく話を聞いてくれたか。さて、」

 それ以上の言葉はなかった。

 ぶわりと見えない力が吹き上がり、その余波がラニーニャの髪を揺らす。

 何が起きたのかとその方向を見ると、テオフィルが片手から血を流して、忌々しげな顔をしてラニーニャを見つめている。

 正確にはラニーニャの背後、その問答を断ち切るように弾丸を撃ち込んだクラウディアの姿を。

「なにのんびりナンパしてんのさ、三下。アタシの親友にそう言うのはお断りなんだけど」

「ちっ……。いいところだってのに邪魔しやがって!」

 衝撃がクラウディアを襲うが、彼女はローブによって強化された身体能力を全力で使って、見えないその攻撃を避けた。

 真横に走りながら繰り出される弾丸を、テオフィルは衝撃の壁で防いで、クラウディアと距離を詰める。

「お嬢ちゃん、邪魔しないでもらいたいもんだね! その姉ちゃんはこっち側の人間なんだからよ!」

「そっち側ってどっちさ!」

 眼前に迫る聖別武器を、オールフィッシュが受け止める。

 その一撃はオールフィッシュの砲身を歪ませるほどの威力があったが、クラウディアは全く焦る素振を見せることはない。

「この距離じゃ自慢の玩具は使えねえな!」

「上等!」

 身を屈めて、テオフィルの懐に潜り込む。

 肩をその腹にあてて僅かに身体を放すと、そこに幾つもの符を放り投げた。

「このガキ!」

 符が炸裂するが、怯んだもののテオフィルは止まらない。元よりその実力は優に達人の域にある。

「化け物の側ってことだよ。俺達エトランゼはこの世界では異邦人、一人で生きていくしかない。ぬるま湯に使ってそれを忘れちまった奴もいるみたいだがな!」

「それ、アンタだけだろ!」

 オールフィッシュを振り回し、その後ろの部分を避けたテオフィルに、本命であるクラウディアの前蹴りが炸裂して二人は距離を離した。

「どうかね! 誰も俺達の存在を証明してくれないんだ。俺達は力でしか自分を証明することができない、そしてその力が過剰になればすぐに化け物扱いだ! エトランゼの英雄がそうだったようになぁ!」

 衝撃が地面を抉る。

 吹き飛ばされて地面を転がるクラウディアを、地面を伝う衝撃波が上空へと弾き飛ばした。

「そっちの姉ちゃんだって一緒だ! 誰にも認められない怪物の出来上がり。後はその力に溺れて馬鹿なことをやって死ぬのがオチだ。どこぞの連中のように!」

「認められないって……?」

 空中で何かが爆ぜて、クラウディアの身体が真横に吹き飛んだ。

 それはテオフィルが図ったことではない。事実、彼は落ちてきたクラウディアを剣で串刺しにしようとして、その目論見が外れたことで次の行動を失っている。

 クラウディアは自分自身で、符を起爆させて自らの距離を離していた。

 そうして地面に転がり、テオフィルが衝撃波を放つ前に立ち上がる。

「アタシが認めてる。ラニーニャはアタシの親友だから、それだけで充分だろ!」

「それが化け物でもかよ!」

「そうだよ!」

 その一言が、全てを溶かした。

 ラニーニャの中にある、テオフィルの言葉を全て打ち消す。

 それだけの力が、クラウディアの言葉には籠っていた。

 弾かれたようにラニーニャは駆け出す。

 クラウディアと相対するテオフィルはその気配を受けて、こちらに目標を移した。

「ちっ、現金なもんだ!」

「ええ、生憎と単純で現金な人間なものでね!」

 地面が罅割れる。

 そこから噴き出した水が、クラウディアを庇いながらテオフィルを包囲している。

 それら先端は鋭く尖り、一突きに人の命を奪える凶器の群れと化していた。

「ったく……。俺も交渉が下手だな。あの馬鹿女を笑えねえ」

 だが、テオフィルも焦らない。

 上空に伸ばした手から、最大級の不可視の力を放つと、その余波で周囲の水は吹き飛んで、礫になって地面に落ちていく。

「切り替えだ切り替え。悪いが殺すぞ、嬢ちゃん達」

 低く、脅すような声。

 今更それに怯えるような質ではない。

「上等。行くよ、ラニーニャ」

「はい!」

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