第三節 信仰と祈りの剣

 それからしばらくして、闇の中を駆け抜けたヨハン達は先行していたクラウディアに追いつく。

「状況は?」

 そう聞き返すと、ラニーニャがピースサインで返してくる。クラウディアも意味は判っていないようだが、その真似をしていた。

 既に彼女達は隠し通路の出口に到着しており、周りには戦いの跡があったが、多くの兵士達が倒れているにも関わらず二人は軽い傷を負った程度の怪我しかしていなかった。

 イザベルも同様に無事のようで、長い距離を走って来たの所為で息を切らせてはいるが、外傷はない。

「よっちゃん、これ凄いね! アタシ、魔法使いになったみたい!」

 辺りに散乱している魔法道具から、クラウディアがそのローブの中に収納されている武装を使って相当にやりたい放題してくれたことが判って、頭を抱えそうになる。

「アタシの分も作って」

「勘弁してくださいよ。何度攻撃に巻き込まれて死にかけたことか」

 呆れたように言いながら、ラニーニャが水の剣をただの水へと戻し、地面に落ちた。

「別に不可能じゃないが、金が掛かるぞ?」

「高いの? じゃあせめてこれだけでも!」

 そう言って拳銃を構えて見せる。どうやらそれが相当に気に入ったようだった。

「考えておく。それよりイザベル様。まずはエイス・ディオテミスを目指しましょう」

 言いながら、クラウディアから拳銃を取り上げる。不服そうな表情を見せたが、流石に無理矢理に取り返しに来るようなことはなかった。

「……ええ、そうね。街に入ってしまえば聖別騎士団も手出しはできないでしょう。彼等の思惑が何であれ、エイス・ディオテミスの戦力と正面からぶつかることは避けたいでしょうからね」

「判りました。では、休憩もできずに申し訳ありませんが」

「いいのよ。むしろ私の方こそごめんなさい。年寄りの足に合わせさせてしまって」

「いいのいいの。法王様と一緒に歩ける機会なんて滅多にないんだからさ」

 クラウディアがそうフォローする。

 元々この世界の住人である彼女にとって法王とは雲の上の人物にも等しいはずなのだが、物怖じしない辺りは流石と言うべきだろうか。

「カナタ、行けるか?」

「……うん」

「なに、カナタまたうじうじしてんの? 今度は何があったのかお姉さんに言ってみ?」

 言いながら、クラウディアはカナタの肩に腕を回す。

「うわっと……。何かあったって、色々だよ、色々」

「色々ってなに?」

「それは……。アストリットのこと、とか」

 もう一つ、自分の過去のことがカナタの心の中にはあるのだろう。

 それでも最初の心配事にアストリットの名前をあげるあたりが、彼女の彼女たる所以だった。

「……アストリット。あの子は、強い信仰心を持っているわ……。いいえ、強くなければ自分を保てなかったの」

「その話は先程聞きました。アストリットの両親は、エトランゼに殺されたそうですね」

「ええ。そしてアーベル・ワーグナーに引き取られたわ。でもその心は壊れる寸前で、何度も自ら命を断とうとしたこともあるらしいの。そんなあの子を救ったのが、神への信仰だったわ」

 信仰心を心の拠り所にして、己を保つ。

 それは宗教の本来の在り方としては決して間違ったことではないが、アストリットにとってはそれが強すぎた。他の全てを失ってしまったばっかりに。

「アストリットって、あの白い髪の剣士でしょ? それがどうかしたの?」

 クラウディアの質問に、ヨハンは先程隠し通路の入り口であったことを全て話した。

「テオフィル……。あの外道!」

 ラニーニャが苛立たしげに地面を踏みつける。

 クラウディアはいつもの調子だったが、拳銃の代わりに背中から引き抜いたオールフィッシュの先端で、俯いたままのカナタの頭をつついた。

「で、どうすんの?」

「どうもこうも……。ボクにはどうすることもできないよ。神様を信じる心を否定することも無理だし」

「神を信じること、それが彼女の全てなの。私もそれが彼女の生きる理由になるのならと聖別騎士団で戦い続けることを許していたけど、逆に言えばそれ以外の救いを与えることができなかった」

 神を信じ、自らを人ではなく神の剣として剣を振るう。

 それこそが彼女が自分を忘れられる唯一の生き方だったのだろう。

 そしてそれは、聖別騎士団が御使いに従うことで最悪の形になろうとしていた。

 彼女のことを救うことができるのか。

 どう救えばいいのかは、この場の誰にも判らない。

 どちらにしても今は答えを出すことはできない。何よりもイザベルをエイス・ディオテミスまで無事に送り届けることが最優先だった。

 カナタとてそれが判らないわけではない。だから、ここで我が儘を言うようなことはなかった。

「奴等が追ってくる。気になることは多いが、今は一刻も早くエイス・ディオテミスに向かうことが先決だ」

 ヨハンのその決断に異論を言う者はいなかった。


 ▽


 大聖堂からエイス・ディオテミスに向かう山道の途中で、ヨハン達は聖別騎士団に捕捉されたが、イザベルを連れての行軍ならばそうなるであろうことが予想はできていた。

 そのため、行動に迷いはない。クラウディアがオールフィッシュで掃射して、ヨハンから奪い取ったままのローブから道具を投げつけて敵を牽制する。

 どうにかそれで敵の速度を鈍らせてはいるのだが、いつまでも距離を保つこともできはしない。

 中でも凄まじい速度で突出してくるのは、何かを振り切るように一心不乱に剣を握るアストリットだった。

 アストリットは兵士達よりも遥かに先んじて、ヨハン達に迫る。

 最後尾にいるクラウディアに飛びかかるように剣を振り上げて襲い掛かるアストリットの前に、カナタが立ちはだかりその刃を光の剣で受け止める。

「カナタ、お前……!」

「クラウディア、下がって! この子はボクが!」

 極光の剣と、アストリットの剣が弾きあう。

 カナタを見て一瞬動きを鈍らせたアストリットだったが、頭を振って邪念を追い払い、すぐに返す刃でもう一撃を叩き込んでくる。

「やっぱり、早い……!」

「この馬鹿!」

 クラウディアがカナタを蹴り飛ばして、アストリットの剣の範囲から離脱させた。

 放り投げた符が魔力を帯びて、辺りに雷の雨を降らせる。

 それをまるで見切っているかのようにアストリットは避けて、カナタ達から距離を取る。

 その隙に倒れているカナタを助け起こして、クラウディアはその頭に頭突きをする。

「いっ……!」「……たぁ!」

 お互いの目の前で星が舞う。

 突然の奇行にラニーニャも、ヨハンも呆気に取られていた。

「なに!」

「お前、あいつを助けようとしてるだろ!」

「それは……そうだけど……」

 図星を突かれてカナタの語尾が窄まっていく。

「でも……!」

「でもも何もあるか!」

 何かを言おうとしたカナタの言い訳を、クラウディアは斬り捨てる。

 たった一人でそんなことをしようとする甘い考えを捨てさせなければならない。

 今はそんなことをしている場合ではない。敵の戦力は強大で、絶対にイザベルを生きてエイス・ディオテミスに送り届けなければならないのだから。

 では、誰かが犠牲になってそれを成すか? そんな選択肢は最初からクラウディアの頭の中にはない。

 ラニーニャ、ヨハン、ついでにカナタ。

 その誰が欠けても嫌だった。では自分が犠牲になると言う選択肢もあろうはずがない。

 全員生きて帰ってこその勝利で、それ以外をクラウディアは認めない。

 だから、今はそんな些事にカナタ一人を向かわせるわけにはいかなかった。

「最初に言えよ」

「……へ?」

「最初に言っとけば、もっと段取りが建てられたかも知れないじゃん? カナタがお馬鹿なのは織り込み済みなんだからさ」

 オールフィッシュに弾丸を込める。

 その先端は敵陣を向いている。

 クラウディアはここで立ち止まり、これ以上後ろに下がるつもりはない。

「よっちゃん、法王様をよろしく!」

「……判った」

 ヨハンの決断は早かった。

 可能な限り急いでエイス・ディオテミスから増援を連れてくる、それが最もこの場を切り抜けられる可能性が高い。

 敵の目標はあくまでもイザベルなのだ。そうすることで、戦力の分散を図ることもできる。

「させるか。アストリット!」

 アーベルの号令を受けて、アストリットが跳ねる。

 それを、光の剣を構えたカナタが進路に立ち塞がって妨害した。

「ったく、聖別騎士団ってのは婆さん一人も満足にやれないのかよ」

 呆れたような口調で踏み出したテオフィルは、追撃を掛けようとして自分の前に立ちはだかった姿に、嬉しそうに口元を歪める。

「代わりにやってやろうと思ったが、すまねえな、団長さん。気が変わった、獲物が目の前で尻振ってりゃ、狩らない方が失礼ってもんだ」

「……最初から貴様など当てにはしていない」

 吐き捨てるように言って、アーベルは自分で追撃を敢行する。

 イザベルを後ろに庇い、街まで走らせながらヨハンがその前に立つ。

 果たしてこの世界の神が微笑むのは信ずるものか、己の道を行く者達か。それを決める戦いが今、始まろうとしていた。

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