九章 神話の残響(下)

第一節 原初の声

 光の中に、誰かが佇んでいる。

 短い髪の青年は真っ白な世界の中心で、蒼穹から地上を眺めていた。

 彼が今立っている場所は空中に作られた白い石の神殿。豪華な装飾などはなく、ただ柱と床が広がっているだけの簡素な場所だった。

 そこに立つ彼は穏やかな、しかし何処か寂しげな顔で大地を眺めていた。

 黒く、荒れ果てた大地を。

「失敗だった」

 そう低い声が呟く。

 聞いているのは、小さな台座の上に置かれた小さな輝きだった。

 白い宝石のような光は彼の声を聞くたびにぴかぴかと輝いて、その意思を伝えている。

 そこにある感情は怒りかそれとも悲しみか、青年にはそれが判っていたが、慮るようなことはせずにただ淡々と言葉だけを並べていく。

「人が御使いとなり、御使いは人を導く。そうしてこの世界は成り立ってきた。……成り立っているはずだった。私は、そうなるべきだとずっと考えていたんだ」

 光が強まる。

 青年は地上を見下ろすのをやめ、その輝きと向かいあった。

「そう。御使いは力を持ったとしても、その精神までは人から脱却することができなかった。長い時を生き、私の力の複製を与えられたとしても、彼等はあくまでも人に過ぎなかった」

 本来ならばそれでよかったのだろう。

 緩やかに時を過ごせばいい、人にも御使いにも無限の未来があったのかも知れなかったのだから。

「過ちが一つあった。御使いに護られた人と、人から信仰を受ける御使い達はその在り方を良しとして、甘え過ぎた。鳥籠の中に自らを閉じ込めるが如く、その守護の中だけで生きようとした」

 それが、こことは異なる世界との違い。

 強い力の加護を受け続けた人は、必要以上の危険を冒すことを悪とした。

 結果として御使いに護られる場所だけに世界は留まり、広き場所へと踏み出すことはなかった。

 それが、悲劇の引き金となる。

「この世界を侵す異形。虚界より染みだした者達は、数を増やし過ぎた魔物達を灯台としてここに辿り付いてしまったんだ」

 異なる場所よりの侵略。

 魔物達を道標として数多の世界を渡り歩く破壊の使者達が、この世界にやって来てしまった。

「彼等は強い。御使いと人が力を合わせても勝てるか判らないほどに。だから、君達が必要だったんだ」

 異なる世界より呼ばれた者達。

 外の常識や考えを持ち込み、この世界を無理矢理にでも成長させるための異端要素。

「でも、そうだね。まさか最初に呼び出した君が、魔物に襲われて無残に死ぬことになるとは思わなかった」

 光が強まる。そこにある感情は怒りだった。

「そう怒らないでくれ。反省はしている。だから私は君達に贈り物をすることにした。例え既に死したる身だとしても、この地で更なる困難に立ち向かうための力をね」

 それがギフトと呼ばれる力。

 そうして、エトランゼとギフトはこの世界にやって来た。

 異形を倒し、世界を変えるために。

 神と呼ばれた彼の力は分けられて、エトランゼの持つギフトとなる。それらは彼等の魂に根付いて共に育ち、更なる力を与えることだろう。

 そうしてエトランゼによってこの世界が変わることを、彼は望んでいた。

「もっとも、私の目論見は今のところ成功とは言い難いけどね。いや、昔からそう言うのは苦手なんだ」

 何でもないことのように、青年は笑う。

 輝きしかないそれは、様々な感情を青年にぶつけた。

 全能に近い力を持っていながらその程度のことしかできない彼に対する失望、理不尽に対する怒り、怨み。

 それらを受けてなお、青年は穏やかに笑う。

「いや、すまないね」と、本当に悪いと思っているのかも判らないような、口先だけの謝罪を織り交ぜて。

 それが光の中にある『誰か』の更なる怒りを引きだす。と言っても、手足もない彼には今はどうすることもできないのだが。

「さて。頃合いだな」

 青年の表情が変わる。

 真剣な顔つきになって、その光に手を伸ばした。

「約束通り、君の身体を返そう。肉体を借りていたおかげで色々とやるべきことが捗った。もう、この世界に私の仕事はない」

 光が抗議をする。

「うん? いやいや、甘えてはいけないよ。私達は本来身勝手なものさ。後始末を付けるのはいつだって地上の者達だ」

 その肉体が光に包まれている。

 それは輝きと一つになろうと伸びて、お互いを薄いヴェールで巻くように包み込んだ。

「私がしばらく使っていた所為でこの肉体は大分変質してしまったが、悪いことはないはずだ。そこはサービスしておこう、それから」

 言葉を切る。

 輝きはなおもまだ抗議していたが、やはり青年がそれを拾うことはない。ただ言いたいことを言って、消えるだけのようだった。

「私の力をあげよう。天の光は彼女に与えてしまったし、大半はギフトにしてしまったから残ったものは微々たるものだが……。君がこの世界を導くには充分なものだ」

 光は広がって、やがてその場全体を包み込んでいく。

 彼等二人以外誰も知らない取引が行われ、一方的に終わりを告げていた。

 その中で、最期に声が聞こえる。

「私はもうしばらく、ここで君達を見させてもらう。君がその力を使って導く世界の行く末を楽しみにしているよ。――最初のエトランゼ、名も無き神の現身よ。君には私の名、エイスを与えよう」

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