第六節 信仰と意志と

 詳しい話はまた明日と言うことになって、今日は大聖堂で一泊する運びになり、滞在用の部屋をカナタとヨハンで一人一部屋借りられることになった。

とは言えこの大聖堂に娯楽など何もあるはずもなく、一人で退屈な時間を過ごすことになっていた。

 ベッドとテーブル以外に何もない部屋で、その上に寝転んで白い天井を見上げながら今日一日のことを反芻する。

「……ここが聖地……。エイス・ディオテミスの大聖堂」

 カナタにとってこの場所に何か思い入れがあったわけではない。むしろ、エイスナハルと言う教えは、エトランゼにとっては半ば忌むべきものとなっているのも事実だ。

 この地で生まれた者ではないエトランゼは、その加護を受けるに値しない。

 それは一部の過激派が持つ考えであるのだが、それを盾に弾圧されていた時期があるのもまた事実だった。

 全てはこの世界の権力者が既得権益を護るため。その辺りの詳しいことは判らないが、なんとなく嫌な感じがすると、カナタがエイスナハルに感じている気持ちはそんなものだ。

「法王様……かぁ」

 見た目は優しそうな人物だった。

 しかし、教えを説き広める立場の最上位にいる彼女こそが、エトランゼに対して最も悪感情を抱いているのではないかと言う、そんな予想をカナタは捨てることができない。

「駄目駄目。こんな考えは駄目だよ」

 そう自分に言い聞かせる。

「なにが駄目なのですか?」

「法王様のことを疑っちゃ駄目ってこと。まだ会ったばっかりなのに」

「どうして?」

「どうしてって……。当たり前だよ。だってその人がいい人か悪い人かも判らないじゃん」

「イザベル様はエイスナハルの頂点に立ち教えを広める法王様です。悪い人間であるわけがありません」

「それはそうなんだけどさ……って」

 横合いから聞こえてきた声に、慌ててカナタはベッドから飛び起きた。

 上半身を起こしてきょろきょろと首を巡らせると、部屋の中央の二人掛けのテーブルの椅子にアストリットが座ってこちらを見つめている。

「アストリット……さん?」

「はい。アストリットです」

「なんで、どうして? いつの間に?」

「鍵が開いていましたので」

「いや、ノックしてよ!」

「……ノック」

 可愛らしく首を傾げるアストリット。どうやらその文化はアストリットにはないようだった。

「それより、質問があります」

「ボクとしてはなんで急にここに来たのかが気になるんだけど」

「貴方にとってイザベル様は悪になりえるのでしょうか?」

「あ、ボクの疑問は無視なの?」

 じっとこちらを見つめてくる。

 果たしてどう答えればいいものか、カナタは返答に窮する。

 アストリットの信仰心は本物だ。そしてイザベルに対する忠誠心も。

 だからこそ彼女の一言で、まるで忠犬のようにその稲妻のような剣を制止することができたのだろう。

 そんなアストリットの目の前で、果たしてイザベルに対して思っていることを言っていいものか。

「……えっとね」

 起き上がって、居住まいを正す。ベッドの上で正座をしてアストリットを見るような形になった。

「判んない」

「判らない? どうしてですか?」

「いや、どうしてって言われても……。今日会ったばっかりだし」

 最初は誤魔化そうとも考えたのだが、純粋な目でこちらを見つめてくるアストリットの視線に負けて正直に答えてしまう。

「エイスナハルの教えは、救いです。アストリットはその教えに救われました。だから、そのイザベル様は正しいのだと、思います。違いますか、天の光?」

「いや、その……あの、なんて言うか……」

 アストリットの言葉は整然としていて、濁りがない。その教えを、アストリット自身の言葉を全く疑っていない、美しいものだった。

「だって、法王様が偉くて正しくても、それがボクにとって正しいとは限らないじゃない? ……その天の光ってボクのこと?」

「救いを与えることは正しくないと? はい、天の光を操るので」

「いや、正しいよ。誰かを助けるのは正しいことだと思う。でも、その救いが誰かを傷つけることもあるっていうか、実際に被害にあったっていうか、そもそもボク宗教とかよく判らない……」

 最後の方は小声になってしまった。多分、アストリットは強烈な信仰心によって立っている。それを覆すようなことはカナタには言えないし、言うつもりもない。

「救いが誰かを傷つける?」

「誰かにとっての正しいが、他の誰かにとっても絶対に正しいとは限らない……よね? いや、でも別に法王様が間違ってるって言いたいわけじゃないよ? まだ全然喋ってないし、って言うか雲の上の人過ぎてもう全くまともに話せる気がしないんだけど」

「貴方の言っていることはよく判りません。それはアストリットが愚かだからなのでしょうか?」

「違うよ! ボクが馬鹿なだけ!」

 それは胸を張って言える。こんな時、ヨハンならばもっとちゃんとした答えを出せるのだろう。

「……ばか? 天の光である貴方が?」

「天の光が使えたって馬鹿は馬鹿だよ。だって使うのはボクだもん」

 少しばかり不貞腐れた口調になって、カナタはそう言い返した。

「なる、ほど?」

 多分、全然理解していない。アストリットはカナタのことを天の光を操る偉大な人物と勘違いしているから、無理矢理に納得しようとしているだけだ。

 それはよくないと、カナタは前傾気味になりながら、気合を入れて説明を続けようとする。

「御使いは頭いいかも知れないけど、ボクはそうじゃないの。そもそも天の光がボクなんじゃなくて、ボクが天の光を偶然使えるだけなんだから。ほら、そうしたらアストリットと同じ人間でしょ?」

「……同じ人間ですか?」

「そうだよ。だから一人一人全然違うでしょ。それと同じで、法王様も法王様である前に人間なんだから、ボクとは違う考え方を持ってるかも知れないってこと」

「……イザベル様も、貴方も、人間」

「アストリットさんだってそうなんだから、判るでしょ?」

「アストリットは確かに愚かな人間ですが、自分の考えで行動したことはありません。いえ、幼い頃にそうしたことはあるのかも知れませんが、この身は神に捧げた剣であり、神罰の雷を代行するものですので」

「え、なにそれ?」

「アストリットの身は神に捧げられているのです。救いを受けた恩義を返すために」

「それは、どうなんだろ」

「どう?」

「ボクはあんまり正しくないと思うな、それ。ほら、ここでもう考え方が分かれちゃった」

「……はぁ」

 理解しているのかいないのか、アストリットは曖昧な返事を寄越した。

 そうして改めて椅子を引っ張って、カナタのすぐ傍に座りだす。綺麗な顔が至近距離に近付いてきて、驚いてカナタは顔を引いた。

「では、天の光は何が正しいと? 天の光たる貴方に従うことが?」

「そんなわけないじゃん。天の光ってやめてよ」

「それではなんとお呼びすれば?」

「カナタ。ボクの名前はカナタだよ」

「判りました、カナタ。天の光カナタとどちらがいいでしょうか?」

「普通のカナタでよろしく」

 そんな格好悪い名前では呼ばれたくはない。

「判りました、普通のカナタ」

「普通のは要らない!」

「はい。冗談です」

 ぽかんとして、カナタは絶句する。

 まさかアストリットが冗談を言って来るとは思わなかった。たった数時間の付き合いだが、これまででもそんな素振りは全くなかったというのに。

「言ってみたくなったので。初めてのことですが、どうでしたか?」

「……そう言うのに、もっと従ってもいいんじゃないかな?」

「どういうことですか?」

「自分がやりたいこと、自分の中に生まれた気持ちに素直になった方がいいってこと。アストリットは強いけど、神様の剣って自分を言いきっちゃうのは悲しいよ。可愛いのに」

「……それは、理解できません」

 すっと、アストリットが立ち上がる。

「別に理解できなくてもいいよ。ボクもアストリットの言ってること、半分ぐらい判ってないし」

「……はい」

 その時見せた迷子のような、泣きそうな顔が、妙にカナタの頭の中に残る。

 アストリットはそれきり何も喋らず、椅子を元の場所に戻すと部屋の出入り口へと向かっていく。

「カナタの言っていることは、よく判りませんでした」

「うん。ボクも判ってないから大丈夫」

 数秒の沈黙。

「ですが、判ったこともあります。エトランゼの中には、カナタのように少し奇妙で、不思議と嫌ではないエトランゼもいると」

「……それってボクのこと褒めてる?」

「はい。また、お話したいと思いました」

「うん、いつでもいいよ」

 こくりと頷いて、アストリットは扉を開けて部屋から出ていった。

 息を吐いて、カナタはベッドの上に寝転ぶ。

 天上を見上げながら思い返すのは、純粋で頑ななアストリットの言葉。

 まるで自分の言い聞かせているようで、或いは自分を殺してしまっているかのようにも聞こえた、苦しげに絞り出すような声。

 それはまるで、英雄と呼ばれてそうなろうとしていた自分自身を思い返させるものだった。


 ▽


 二階にある滞在用の殺風景な部屋には寝具と椅子、机の外には何もなく特別やることもない。

 ヨハンはベッドに腰を下ろして、ローブを脱いで洋服掛けに引っ掛けたまま、窓の外を眺めていた。

 二階と言ってもこの巨大な建物自体が大きく、一階の天井が高いため二階から侵入、または脱出を行うことは恐らく不可能だろう。

 最初は部屋を出て大聖堂の中を見回ろうとしたのだが、それも巡回していた神官によって拒否されてしまった。考えてみれば、イザベルは別としても他の者達からすれば単なる部外者でしかないので、それも無理もない話だ。

 結局今できることと言えば、この狭苦しい部屋の中で明日を待つことぐらいしかなかった。

 そこに、小さなノックの音が響く。

「どうぞ」

 そう呼びかけると、扉が開かれて姿を現したのは、イザベルだった。

 ヨハンは慌てて立ち上がって、椅子を引いて彼女を部屋の中に迎え入れる。

「お気遣いありがとう。先に貴方と話しておかなければならないことがあって」

 部屋には椅子が一つしかない。

 そこをイザベルに譲ったためにどうしたものかと思案していたが、彼女がベッドに座っていいと仕草で示したので、お言葉に甘える。

「なんでしょうか?」

「まずは先日の戦い、聖別騎士団の介入により犠牲が出たことに付いて、私はお詫びをしなければならないわ」

「……それは……」

 イザベルが法王に就任したのはここ数ヶ月のことだ。大陸の中ではちょっとしたニュースだったのだが、ヘルフリートとの戦いや復興に忙しかったこともあってかあまり表だった催しはない。しかし、その影響力は強くここのところでは彼女を祝うためにこの地に巡礼に来る信者も多いと聞く。

 つまり、オルタリアが戦っている時に彼女が法王であったかどうかは、微妙だった。指示を出す立場になかった人を責めるのは些か酷と言うものだろう。

「こんなことを私の立場で言っても何の言い訳にもならないのだけど、先代法王が聖別騎士団の派遣を決めた時、私も心を痛めていたの。彼等は過激な思想を持ってはいるけれど、神の刃としての職務を全うしているはずだったのに、どうして人同士の戦いに介入しなければならないのかって」

「……何故、先代法王は聖別騎士団を寄越したのですか? ヘルフリートに信仰心があったとは思えませんが」

「オルタリアの五大貴族の内三人は教会に多額の寄付をしていたわ。一人は亡くなっているけれど、残り二人の影響力は無視できなかったの。大きな声では言えないけれど、元々聖別騎士団はその為の部隊でもあるわけだから」

 エッダ・バルヒエット。

 マルクス・ピラー。

 オルタリアでの内乱中に殺害されたデニス・キストラー以外の二人の五大貴族は、今は謹慎中となっている。今はまだ審議中のようだが、ゲオルクはその立場を取り上げるかも知れないとのことだった。

 彼等がヘルフリートを唆し、彼を王位に近付けた。

 そして状況が不利になるや聖別騎士団の派遣を要求したと言うことだろう。

「先代の法王はエトランゼを表だって差別することはしなかった。でも、やはり彼はエトランゼは本来この大地にいるべきではないとの思想も持っていたわ」

「……そうですか」

 オルタリアの戦いが起こった理由の一端は、そこにもあった。

 イザベルが法王に就任した切っ掛けは先代がかねてより患っていた病気の悪化による死亡によるもので、既に彼に意見をすることもその言葉を聞くこともできはしない。

 なんとなく、やりきれない思いがヨハンの胸中に到来する。

「でもね、彼ばかりを責めることもできないの。力を持ったエトランゼは、この世界で生きている善良な人々にとっての恐怖になりえる。まず最初にその毒牙に掛けられるのは、いつだって弱い民なのだから」

「……判っています」

 誰もが悪しき考えで行動しているわけではない。

 既得権益を失うという理由からエトランゼを排そうとする者もいるが、それと同じぐらいの数は、治安維持や人々の暮らしを護るためにエトランゼを目の敵にする者達もいる。

 それだけ、彼等がこの世界に与える影響と言うのは大きかった。

「でも、私はやっぱりそれには納得できなかった。少なくとも先代法王が聖別騎士団を動かした理由は、教会の得ている利益に関わることだったのだから」

「……そもそも、聖別騎士団とは何のために組織されたのですか?」

「……表向きは邪教がこの大陸に蔓延らないようにその歯止めをかけるための粛清執行部隊。隊員は皆強固な信仰心を持った者達で構成されて、自らの死すらも恐れない」

 しかしそれは彼女も先程言った通り、あくまでも表向きの話なのだろう。そもそも一つの宗教が他の教えを身勝手に断罪していい理由はない。邪教と言うのならば、何をもって邪であるかを示さなければならないのだから。

「現実は、法王や他の権力者の言うがままに動く都合のいい駒。昔からエイスナハルはその力を使って、歴史に介入を繰り返したというわけ」

 都合のいい名前で彩られた教会の暗部、それが聖別騎士団。

「神の洗礼を受けた聖別武器で身を固めた不屈の騎士団を止められる者達はいなかった。だから、その行いは正しいこととされて、人々は聖別騎士団を恐れ続けたの。これまでは」

「これまでは、とは?」

「他でもない、貴方達エトランゼが証明してしまったわ。聖別騎士団の力は絶対ではなく、敗れるものであると。でも、私はそれが悪いことだとは思っていないの。教会はその力を捨てて、別の方向性を目指すべき時が来たと、確信したわ」

 人知れず暗躍し続けた者達の力を借りることなく、教えによって人々の生活を支え信仰心を集める。

 エイスナハルの教えはもともとこの大陸に深く根付いている。それも不可能ではないだろう。

「利益を求める必要なんてない。神の教えは、清貧と共に在るべきなのよ」

 その考えは立派かも知れないが、決して楽な道ではないだろう。

 今日まで聖別騎士団の力を頼りにして寄付をしていた、五大貴族のような者達だっているはずだろうし、彼等からは反発が来ることは間違いない。

 下手をすればイザベルに害をなそうとする動きがあるかも知れなかった。

「そんなことをすれば、その身に危険が迫るかも知れません」

「ええ、そうね。だから、貴方をここに呼んだの。もし私を害そうとする者達が現れる前に、伝えておかなければならないことがある。貴方達に教えてもらわなければらなないことがあると」

「伝えることと、教えること?」

 ここに呼ばれた時点で、イザベルがこちらに対して何かを伝えようとしていることは予想できたが、教えてもらわなければならないとはいったいどういう意味なのだろうか?

 その答えを聞く前に、イザベルは椅子から立ち上がる。

「その話は、明日にしましょう」

「……判りました」

 その言葉を最後に、イザベルは部屋を出ていく。

 扉が閉まってからも、ヨハンはその場所をじっと見つめ続けていた。

 伝えなければならないこと。

 教えてほしいこと。

 その二つが果たして、ヨハンとカナタの正体に関わるものであるというのだろうか。

 それを確信できる証拠は何処にもないが、妙な胸騒ぎだけがずっと続いている。

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